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クリスマスの季節 −22−
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親父さん、一昨日(十一日)田中正造の生家を見てきましたよ。
近くの交差点で軽自動車が二度もスリップ。高年の運転者、乱
暴だったな〜。
昭和三十年代の中頃、父は「商売をやめる」と言い出したこと
があります。母は最近「お父さんはあの時、世の中の行く末を
考えていたのですね」
結婚もアパートも、転職も店舗の売買も、私が最初に告げる相
手は父でした。相談すれば頷くか、首を横に振るだけでしたが、
父の忠告は明解でした。
昼休みになりますと父に、上の子が食べ過ぎて寝込んだとか、
下の子がお隣りに上がり込んで邪魔したとか、家族のこと進学
のことを、旅行のこと世の中のことを、取り留めもなく話した
ものです。晩年は病室の枕辺でも。母曰く「お父さん、楽しみ
にしていたのですよ」
親父さん、アフィリエイト・プログラムって、聞いたことあり
ます? なんか解からないので先ずは経験、審査の通った代理
店もいくつかあります。私のサイトの来訪者はほんの僅かです
から、新聞や雑誌とは比較になりませんが、個人が会社の広告
を載せられるなんて、凄い時代になりましたね。
※
実際に広告を掲載する段階で制約が現われました。予め考えて
いた気安さが影を潜め重い気分。学生時代はマーケティングの
ゼミ、社会に出て十年間はマーケティング計画、に従事してい
た当時は夢にも思わなかった(少しも気づかなかった)不自由
さが生まれています。意外でした。「クリスマスの季節」を終
えたら、新たな視点で(インターネット下で)「二重生活」の
課題を考えてみます。
※
田中正造旧宅の母家では、行田の移築農家同様、落ち着きと、
心地よい緊張感が「向こう」からやってきました。まるで異邦
での暮らし。異邦は現在の側です。素直に暮らせたらなあ〜、
と思う瞬間が増えています。「借景」に戻りましょう。
※
父の病巣が判る直前、両親と私と家族は、那須高原の美術館に
出かけています。監視員の姿もなく、静かでしたね〜、連休前
の美術館は。
作家Nさんの常設館でしたが、天井に届く巨大な彫塑も、画用
紙大のデザイン画も、沈黙と静寂で迎えてくれました。最高の
一刻(ひととき)。心象は限りなく深まります。
個性的な作家ですNさんは。お土産の小さなブローチ一つで、
すぐにNさんとわかります。
文章表現も、絵画も彫刻も写真も「演技」でないなら、作家は
しゃしゃり出るものではないと思っています。表現活動に没頭
している時、干渉されて喜ぶ作家は多くはない筈。同様に、ま
ったく同様に、借景を制作中の表現者に、作家の登場や館内の
雑踏は干渉になります。借景は時間軸も踏踊も、来館者相互で
も作家との対比でも、違って当然なんですね。静寂と寡黙が贅
沢とは、思ってもみませんでした。
※
もう一つの借景は一つしかありません。この宇宙に一つ限りな
んですね〜。なのに変えてしまった。混沌、荒廃、財政の破綻、
伝統美の疲弊を招いてしまった。
俺は違うですって。そうかなあ。お住まい、できれば豪邸にと
願ってません? 自分の住まいも、たった一つの借景なんです。
集合であれ一戸であれ、育った住まいを建て替えることは、二
つの借景の拠り所を削ること、唯一無二の心象を崩すこと、で
はないのかなあ。えっ、今の住まいが「俺が」の産物? 確か
にそうです。
泡期の地上げは借景に対する干渉でした。三つの借景悉くに対
する侵犯でした。でも、防げなかった。今の社会の美意識では、
企業家精神も寡占媒体も無力でした。
泡期の地上げは凄まじかったですね。到る所で借景を壊されま
した。母が育ち、父が再興した店も例外ではなかったです。地
上げは、広域の強者の資金源でもあったのですから、先生(長
年お世話になっている専門家)を知らなかったら、恐怖心で潰
されてしまったでしょう。
地上げ一つをとりましても、組織に所属するヒトと自助のヒト
では体感温度が違っています。攻守いずれも、会社のヒトは帰
宅すれば明るい我が家。
自助は違います。采配に翻弄される度合は、茶の間のヒトの表
情まで違うのですよ。しかし「入れ換え」のない官署の上層部
に、解かれと言っても無理でしょう、と嘆息するだけですと、
これからの世代が遣り切れません。
「ツケは未来へ」は困ります。誤算による資金逼迫のツケ、変
えられてしまった住環境のツケ、覆された伝統美のツケ、だけ
ではないのですよ。未来の世代の、表現の場も目減りしました。
跡片付けを忘れた居室同然。
足許の景観は、私だけのモノでもあなただけのモノでもありま
せんよ。ヒトは誰もが、借景を引き継ぐ仕事も担っています。
「俺が」の衝動に気づいたら、過去の借景に諮(はか)って下さ
い。踏踊の扉を開いて、心象の調和も図って下さい。お金のあ
るカイシャも同じです。未来の「ヒト、ヒト、ヒト」の借景が
より美しく、より豊かに映える配慮を、忘れないで下さいね。
※
秋の絵画展に参加予定の、学生さん八名のお名前が、携帯電話
発の電子メールで届きました。二回目にご参加の、還暦以降の
皆さんにも「今回は課題限定ですが是非どうぞ」と声を掛けて
ありますので、今のところ十数名から二十数名。
参加者に幅があります。二回目でしたら、今から蒼(あお)ざめ
ていたでしょう。手の内を明かしますと
参加者が少ない場合は、課題作のほかに一人一点、ご自分が気
に入っている作品も飾って下さい、とお願いします。膨れてし
まった場合は、壁面は上下二段飾り、それでも不足する場合は
画架を使って床置きします。
百貨店の美術品売り場や画材店で、小品がびっしりと、しかも
無造作に飾ってある雰囲気が好きです。四半世紀前、出張中の
海外で、たまたま空き時間が生まれてしまい、ホテルから歩い
て美術館を訪れたことがあります。
びっしりで、しかも無造作でした。
空(す)いていましたので、何も考えないでふ〜らふら。
単身で新規事業の契約先を探すとなりますと、勤務先のお金が
失われていくようで気が気でなかった。先々で支えてくれた駐
在員の一人は「大体は視察と表敬なんだけど、○君は仕事だっ
たのだね」
明るかったな〜。そして穏やかでした。
昔の随想で「絵を聞く」と書いたことがあります。絵は聞こえ
てくるのですね。それも秋の絵画展では「今」から。
※
絵を描く趣味と、絵を描く職業の距離は限りなく遠いです。好
きなんですね〜、この距離の彼方の歩みが。
美術館なんかいらんです。権威も賞もいらないなあ〜。それで
は世の中から食み出してしまいます。本職になった暁には、行
き倒れてしまいます。ですが、「生涯」描き続けるとは、そう
いうコトなんじゃなかろうか。その自由と緊張感を、送受する
営みが私の愛する芸術です。
画家は何歳になっても、類に染まって欲しくないです。しかし、
今の社会でそれを望みますと、本当に行き倒れてしまいますね。
※
上の画像は母の日本画の下書きです。何号に見えます? 日本
画教室の皆さんはご存知ですが、当サイトでは、塗り終わった
段階で写真と一緒にお知らせします。
数週間前、先生のお一人から「もう塗ってもいいでしょう」と
促されたそうです。しかし歳をとりますと、堂々巡りと、逡巡
と、物忘れが代わる代わる訪れますから、岩絵の具を揃えるだ
けで光陰泡沫(うたかた)の如し、ひと月ふた月が瞬く間に去り
ました。
停滞する訳がほかにもあります。もう一点、描いているのです。
ナイル河を航行する帆船の、縁(へり)に腰掛けた父の脚が、舵
棒を体で抑え、帆綱を操る少年の跣(はだし)を隠してしまい、
美術館の木彫を参考に、想像で描こうとしていますが、素足の
形を決めてから二ヶ月も経過したのに、今も少年は幽霊状態。
父親から舵を預けられた少年の、歓びと誇りが、皆さんにも伝
わると嬉しいです。
※
第一回の「橡の木の葉展」では、自分で写真を撮ることに気づ
かず、また出品者の一人はサイトへの写真掲載に関心がなく、
展示した作品の半数だけ撮影を依頼、額縁店に出入りの本職が
写した写真を使っています。空から赤が浮き出した写真もその
一枚です。
気になったのが「戦場ヶ原」の明るさです。会場では引き立た
せるためでしょう、直接照明が当てられました。晴れ舞台には
行き届いた配慮、感謝の気持ちは変わりませんが、今は指図す
べきだったと後悔しています。
写真で赤が浮き出した作品は、父の発病前から描き続け、死の
直前まで、父が仕上がりを心待ちにしていた作品です。初めて
描いた五十号「戦場ヶ原」は、父の死後、五つも六つも病名を
告げられた母が、狭い我が家で療養中に下書きを済ませ、自宅
に戻って仕上げた作品です。
会場の照明設備に較べますと、較べなくても、我が家には舞台
の華やかさはありません。また、両親の家の寝室は昼間も暗く、
目の衰えた私には新聞も読めませんでした。二人の住まいは当
初、古都に住む設計者の考えで、食堂も居間も明るさを抑え、
あとから照明を増やしたそうです。しかしそれでも、生活の拠
点の寝室と、在宅看護と別離は暗く、照明の当たる晴れ舞台と
は無縁でした。
夕暮れに立ち寄った週末、「二人の廃墟」の通路の奥で、暗〜
い「戦場ヶ原」に出合ったとき、つくづく想いましたね、絵は
美術館や画廊で、一律照明を当てられた陳列品、だけではない
のだと。
※
自分で描いた絵を、売って欲しいと頼まれたことがあります。
物置に仕舞っておいたのに、身内に捨てられたという嘆きも聞
こえてきました。どちらも描く技量が、客観的に上位と認めら
れた人です。本職ではありません。
日本画も油絵もグワッシュ画も、自分で描いた絵を売っている
人を知っています。画材購入の足しになります。置き場の悩み
も解消できます。売れる絵を描けるという満足も得られます。
売れる絵の制作に励む素人のグループもあります。
クリスマスの季節13で触れた昭和二十九年の文集に、テレビ
の格闘技に見入る二親の様子が描かれていました。母親は正視
できずに、台所で震えていたそうです。
十八年ほど前、私も某アニメ番組の格闘場面を、正視にたえな
いと書いたことがあります。
二十九年当時の私は、格闘技のテレビに夢中でした。十八年ほ
ど前の某アニメ番組も自分から見ました。その漫画家の作品展
に妻と子連れで、川崎の美術館まで出かけています。私が余暇
に都心を越えるなんて、とても珍しいのですよ。
テレビの某アニメ番組では、戦(おのの)き、度をこしていると
思い、その漫画家の生活様式に不思議を感じました。売れっ子
でしょう? お金のためではなさそうです。
※
小五までの学校生活で、教室外の学校生活で、充実していたの
は小三が峠でした。
昭和二十九年の文集には、生徒の作文と、当番日誌と保護者の
文章のほかに、アンケート結果も名前入りで載っていました。
例えば、生徒Aさんの、設問1の該当はBくん、設問2の該当
はCさんなどと、設問に必ず一名だけ記入させたその回答です。
私には、クラスで「一番いばっている人は誰?」などと続く設
問の、教育上の妥当性を云々する知識も経験もありません。た
だホッとしたのは、回答する側に私の名前がなかったことです。
このアンケートが実施された日、私は欠席したのでしょう。
ヒトが育ち、ヒトが教育される「過程のすべてが鑑賞に値する」
訳ではありませんよ。しかし絵は別です。
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