折々の文章


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クリスマスの季節 −23−
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クレマチス展(筑波実験植物園)


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私には、眠っているとき、音楽を聴いているとき、映画を観て
いるとき、ふと蘇ってくる感覚があるのです。落し物に気づい
た最初は、上の子の幼稚園の運動会でした。音楽に合わせ、手
足を思いっきり伸ばし、体全体で表現している姿に、嗚呼!と
思わず声が漏れました。

対極はテレビです。三百六十五日、番組表に目を通し、期待に
胸を膨らませ、視聴できさえすれば満ち足りていましたから、
住み別けるなんて考えもしませんでした。

興奮しましたね〜格闘技。面白かったなあ〜連続物の外国映画。
入れ込んでしまって、カメラを持ち出し、画面を写したことも
ありました。あの頃からです、落としてしまって顧みず、その
存在さえ忘れてしまったのは。


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陽射しが強くなりました。春の風景写真と、今(五月下旬)の
お花の写真が調和しません。写真と写真の比較だけでなく、強
い陽射しの写真と「衰えたヒト」の文章も噛み合いません。も
う私は「過去のヒト」が実感です。これからは「これからのヒ
ト」の暮らしが大切。

電気街のガード下に空間がありました。鳩の姿はなかったです。
煤(すす)と、空缶と、電車の騒音が数十年も続いていました。
商機の掘り起こしでしょう、近年、何軒もの飯屋が一度に開店、
私も端の店から順々にお昼ご飯。

飯屋がすべて合わさっても、広さは並みのハンバーガー・チェ
ーン一軒程度、そのお店の一つが消えました。表通りですが、
ガード下は暗いので、集客が思わしくなかったのでしょう。残
りの店も廃れるかな〜は杞憂、今朝は新しい飯屋が本日開店。

祝いの生花が十五、六も。押すな押すなの盛況でしょう。花が
取り払われるまで待ちましょう。しかし噛み合いません、開店
祝いのお花の数。

第一回の「橡の木の葉展」開催直前、関係者の一人に電話、お
祝いは一切ご遠慮下さいと、断わりの連絡をお願いしました。
お願いは届かず、関係者一人の同窓生やご友人が、受付が混乱
するほどお祝いを持参。ここでも噛み合わなかったです、絵画
展にお祝いを贈る生活様式。

ゴミが増えるのを承知で、開店の列に加わるよりも、代わり映
えしないお皿でも、落ち着いた時間を過ごしたいです。十五、
六もの開店祝いの十三、四は、「これからのヒト」の熱量なり
資源なりの浪費では?

口出し無用の措置は講じました。しかしお花や包装紙や紙袋な
ど、絵以外のモノは予想外でした。断わる理由は「お花を贈ら
れますと絵が負けます」でしたが、慌てましたね〜、絵の展覧
会にモノを持ち込む消費社会に。





ツバメスイセン(筑波実験植物園)


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十五年以上も昔、絵画とは関係ない事情から、銀座の画商と面
談、その直後に、美術書出版の後継者とも話す機会がありまし
た。その折、私は

税務調査で、コンピュータから顧客情報が漏れ出し、お得意様
に波及してしまった経緯と、絵画の取引に、新たな技術を導入
する必要性、および、素人が、手を出してはならないとされる
時代の作家を学んでいます。

百貨店の外商員が、高額品を商う雰囲気で、職業としては食指
が動きますが、絵との関わりが、投機の勘と、真贋の目利きと、
逸品の発掘に変わってしまい、著名な作家や富裕な成功者に見
(まみ)えた気分で、自分があまりにみすぼらしく、心に空っ風
が吹いていました。

表紙の「色界散歩」に書き込んだゴッホのバラ、涙が出るほど
好きですね〜。ゴッホですよ。凄い値段でしょう。だからでし
ょうか、宣伝用に拡大された画像を見たことがあります。絵葉
書に縮小された画像も見ています。こんどは心に涙一滴。あの
絵の声は、印刷物からは聞こえて来ません。


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興行と絵画はどちらが楽しいでしょう。人気抜群の興行と巨匠
の新作絵画は、どちらが好みかと尋ねられますと、以前は「そ
れぞれ」とか「持ち味が違う」と答え、心では「ヘンな質問し
ないでよ」でしたが、今は比較する相手が違っています。

内輪の絵画展の贈り物のお花、ありがたく受け取っておけばよ
いのに、アンタって捻(ひね)くれね、なんて声なき声も聞こえ
て来ました。

普通科美術科の卒業制作展、エガッタナー。でも、なんでこん
なに制作費がかかるんだと、何処かで書いたことがあります。
因みに、コンナニとは相対概念。

美術を、金持ちの道楽と思っているヒトにはお休みいただいて、

内輪の「祝い事」で贈り物をいただいたら、我々の社会ではお
返しするのが自然です。お返しにはお金と手間が必要です。と
ころで算盤あります?

三千円分が何人、五千円分が何人、一万円分が何人、○万円分
が何人、合わせて「う〜ん、痛いなあ〜」

ちょっとしたお金も、ヒトが集まると大きなお金になります。
美術館や植物園の、色刷りの入場券や案内チラシや園内ガイド
も、来場者に機械的に渡しますと、お金の必要だけでなく、ゴ
ミの発生と、熱量や資源の浪費にもなるのですね。個人の催し
ですと、その費用と無駄が痛いほどわかりますが、さて、壇上
や組織の人はどうなんでしょう?

贈り物に予定しているお金は、ご自分の絵の具にまわして下さ
い。第一回の「橡の木の葉展」を見た結果、「これなら自分で
も描ける! 絵を始めましたよ」という声なき声が歓びでした。

贈り物のお金が問題にならないヒトは、その余裕を「これから
のヒト」に役立てて下さい。勿論、消費は悪徳なんかじゃあり
ません。蓄積の視点なんです、欠けているのは。例えば表現の
土壌の蓄積、表現の裾野の蓄積、表現の借景の蓄積、などなど。


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興行と絵画の比較に戻ります。現代の本職の新作絵画展、初め
のうちは興味津々(しんしん)でしたが、次第に出かけるのが億
劫になっています。お金を払っても興行の方がよいです。お金
を払うのは辛いので、植物園や野草園の、蕩(とろ)けるような
微風(そよかぜ)に親しみ、美術館巡りも、お金の負担ゆえに遠
退いています。

私には、資産として絵画を扱う趣味も余裕もありませんので、
絵画市場では歓迎されない鑑賞者です。また絵画を装飾として
親しむ場合は、描いてもらう「過程」にこだわっていますので、
「本職の自己表現」というお話に絞りますと、

ゴッホのバラを観る私の脳裏には、実に多くの情報が渦巻いて
います。まあ、ゴッホですから当然でしょう。ところで、現代
の本職の新作展はどうなんでしょう。巨匠と称えられている人
には尚更、親しむ前にこちらが萎縮してしまい、ゴッホほど身
近な人は珍しいのでは? 確かに鑑賞する私の勉強不足ですが、
興行を楽しむ場合は、事前に勉強する必要はないですね。


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絵に興味がなくなったのかなあ〜?

そうなんです。ほとんど興味が湧きません。百貨店の美術サロ
ンや、美術館の企画展や、画廊に飾ってある新作を鑑賞する意
欲が薄れました。劇場や、競技施設や、書店から離れたのは気
が遠くなるほど昔でしたから、絵画への興味は、それでも長続
きした方です。

競技への関心は、二度と蘇らないかも知れません。美術はどう
なんだろうと、今朝、走りながら自問しましたところ、録画さ
れていた映像が後から後から現われ、逃げ出しても逃げ切れな
いことを悟りました。

好きな作品を、撮りこぼす心配はありません。撮影機材は不要
です。「ルーマニア・ブラウス」に出合ったときも、「メルマ
の死」も「トエリス」も、妻と子の、妻と子と両親の、談笑と、
立ち止まった様子と、作品に見惚れる表情が写っていました。

静かですね〜、歓びの刻(とき)!
好きですね〜、マティス! ミロ! ニキ!
行きたいなあ〜、内外の美術館常設展へ。

一方、ゴッホのバラやデッサンは、モーツァルトの声楽や樋口
一葉の文章同様、「一人の時間」に属しています。

成功した表現者の世故に長(た)けた晩年とは、相容れない作品
も好きですね〜。必ず現われますよ、「これからのヒト」の中
から、いずれかの作品群が。


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絵と書いた文中に舞台芸術や塑像が現われヘンと思われたでし
ょう。美術という言葉も芸術という言葉もあるのですが

相克の過去の報道は反古? ←絵とは関係ありません。今(六
月一日)私の頭に同居している想いです。年齢を理由に、転職
の自由な機会を閉ざされてしまう現実も頭から去りません。

独身時代、会社に勤務しながら、労働組合運動、選挙活動、水
俣病の情宣活動に従事したことがあります。暗かったですね〜、
当時は来る日も来る日も。

会社は寛容でした。私は役員会議室隣りの、役員の皆さんが出
入りする部屋で、計画立案業務に携わっていましたので、上司
や特定の部署は、私の勤務時間外の動きも把握していた筈です
が(と本人は思い込んでいましたが)懐かしいですね〜、当時
の皆さん。

成長著しい会社でしたから、役員の皆さんも比較的若く、私の
親と同じ世代の方も。当然、戦争を体験されていますので、父
親として切実に、ヒトの「これから」も考えていたのでしょう。

私は父親として、高校の卒業制作展を参観しました。その折、
ゴッホやミロの作品とは違った「絵」を学んでいます。大学の
文化祭で珈琲を飲んだときもそうでした。現役作家の個展や公
募展では、ついぞ味わったことのない経験です。

「絵」を観たのに、なんと、楽しかったのです! 爽やかでし
たね〜。オマケに歓迎の気持ちに溢れていました。高校の卒展
では搬出時、一人何点もの作品を、それぞれ引き取りに来る親
の「鑑賞」も行われていた筈ですが、微笑ましくはありまして
も、画廊の窮屈さや公募展会場の素っ気なさは微塵もなかった。

大学文化祭の仮設珈琲店では、研究会の前会長さん(四年生男
子)から「○さんのお父さまですね、○さんはとても○○○で
すよ」とお誉めの言葉を頂戴しましたが、その雰囲気は、料飲
店ママの客扱いを彷彿とさせました。絵を描くヒト、必ずしも
芸術家肌ではないのですね。


 ※


曾我蕭白や伊藤若冲は私にも興味深い作家ですから、一度観た
作品は無意識に頭脳に記録されます。近年に観た伊藤若冲展で
は、大雑把ですが、混雑の映像と一緒に、気になった照明や絵
の具の映えも録画、美術本で親しんでいた作品の、当然のこと
ながら写真と原画との、大きさと発色の違いから生まれる溝ゆ
えに、いくつかの作品の、頭の画像と頭の文章が差し替わって
しまいました。ここまでが鑑賞の「前段」です。




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