折々の文章


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クリスマスの季節 −26−
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○△◇の図形を着色する算数の授業で、無意識に塗った色が、
それぞれ、組み合わせの違う三通りの補色になっていると美術
の先生に指摘されましたので、中学でも図工の教科はあった筈
です。しかし図工の記憶は、驚くべき厳密さを以て頭脳から消
えています。指摘された場所は職員室、指摘されたヒトは担任
の先生、私が知ったのは又聞きです。

小六から社会に出るまで、美術は私の視野から抜け落ちていま
す。なぜでしょう?

小六時代は、菅野の土埃から千代田区のコンクリートに移った
のですから、給食、プール、ざっくばらん、片想いの有無、程
度、関心があまりに違い、図画のように落差知らずの科目は、
神経がお留守になっていたのでしょう。では中学は?

公立でしたが受験校のため、入試に影響しない実技はどうでも
よかったのです。その後、長〜〜いお付き合いになる結石が始
まったのも中学時代ですから、入試に影響する科目もどうでも
よかったのです。一方、引っ越してきた商家の二階で、ドイツ
やアメリカやフランスやイタリヤの服飾雑誌の、切り抜きを始
めたのもこの頃です。デザイン探しの手伝いの筈が、すぐに色
探しに拡張、注文服の箱を貰い受け、海や山の自然、古今の建
物、庭園、街路、室内装飾、人物、雑貨、装身具などカラーの
写真と広告を片端から蒐集、置き場に困るほど箱の数が増えま
した。

補色で思い出しました。父は赤と緑(青緑)を、若い頃は取り
違えたそうです。明るさや鮮やかさの違いで識別できると話し
ていました。父の色彩感覚、よかったですよ。


 ※


高校時代は、美術か音楽かの二者択一でした。当然美術、では
なかったのですね〜。敷かれた軌道を進むときは、間違ってば
かりいたのですが、その中でも最悪の部類がこの選択でした。
折角の授業を「機会」と思わず「息抜き」と考え、どちらが厭
かを天秤に掛け、音楽を選んでしまったのです。選択の一方は
おわかりでしょう。もう一方は、紅多数の中の黒数点の苦悩。
女キライで通していた私には、歌う屈辱の方がマシでした。

確か東の外れの南側が音楽室。廊下を隔てた北側、階段の隣り
が美術室、とここまで書いて考えました。やり直しが効くとし
たら美術を選んだろうかと。やはり美術は選びません。中学以
降は、歌いたい生徒が歌い、私は鑑賞するだけの音楽を選びた
かった。美術は選択科目には欠かせませんが、必修としては要
りません。因みに今は、表現のお話を続けているつもり。


 ※


子らが小学生だった頃、その一人がピアノを習う理由を上申、
審査、許諾したことがあります。先生探しは妻の領分。通い始
めはマアマアでしたが、予想通りの経過を辿り、子への小言が
増えました。練習を聴けば私にもわかります。何よりも先生に
対して不実、顔向けができません。弱りました。先生と妻の会
話からピアノが抜けてしまったのは当然でしょう。ところが

最初は「無益」を繕ってくれるのだと思いました。○サンに言
われてドキリとしたとか、○サンはコンナコトを話したとか、
子の発想についての短評が届くのです。ピアノの先生ナノニ不
思議です。やがて先生は、欧州の都に住まわれることになり、
引き継ぎの先生をご紹介していただきましたが、親としてはこ
れ以上ご迷惑をかける訳に行かず、練習継続の申請は却下しま
した。

先生が旅立たれる直前、頂いたのが「絵と文で○の印象を綴っ
た小冊子」です。練習日のつど先生は○を観察、表現していた
のですね〜。渡欧後もクリスマス飾りが届き、今でも季節にな
りますと、先生の贈り物が輝きます。


 ※


むずかしい「絵」を書くのはやさしいです。
やさしい「絵」を書くのはむずかしいです。

前項のピアノのお話を、例えば「随想 青い闇」一年一月十日
の文章と較べて下さい。今は手許にありませんので(私の生活
圏に、過去の随想は置きません)折を見て転載しますが、「随
想 花伝書」と比較していただくと、難易がより鮮明になる筈
です。

やさしいのはピアノの「絵」と思われるでしょう。しかし、頭
脳を職業に切り替えますと、「随想 花伝書」仕様の「絵」は、
十冊でも二十冊でも、素早く、腐るほど書けるのですね。

二十歳代の後半、市場調査を、年間予算ぐるみで委ねられた折、
ある消費財の、市場の分析と問題提起について

A君(第一回の「橡の木の葉展」の初日に、わざわざ遠方から
訪ねてくれた時は、要のお仕事の部長職)をこき使い、大冊の
報告書を一ヶ月で仕上げたことがあります。原稿は片端からオ
ンナノコが清書。

私の市場調査は、常に設計段階で完了していました。統計に基
づく標本実査は単なる裏付け。決め手は、問題を煮詰めるため、
一人ないし数人に詳細面接を繰り返すこと。鏡越しですって? 
最も大切なお仕事も、ヒト任せなんですね〜。

笑顔で誘うのも、相手の気持ちを聴き出すのも、世馴れてしま
いました。ヒト集めや場所作りは、大手の広告代理店や専門の
調査会社にお願いしましたが、面接するのも記録するのも私一
人。鏡越しは主客交代。

録音なんか仕事になりません。再生するのは時間の浪費。大切
なのは「速・記」です。誰だったのでしょう。悪筆の私が殴り
書きするのですから、読めたもんじゃない。なのに「速・記」
を最高位に提出した上司がいたのです。その後「速・記」は、
面接を終えたその場で、最高位に提出する慣わしに。

配属された部署では、新入当時の私にも、男性一人にアシスタ
ントの女性が一人。女性社員のお仕事は複写用紙への清書でし
た。達筆の男性社員も、作文中の崩れ字は不可。

現場の生情報を、即座に要求する最高位の経営哲学、恐ろしい
ほど。

ここまで書けば、馬の骨も驢馬(ろば)の背に出世できたでしょ
う。叩き上げですが、私も「デッサン」はちゃんと履修したの
ですよ。

むずかしい「絵」と、やさしい「絵」のお話に戻ります。


 ※


技量の勝れた本職にとって、六法全書様式の作品を表わすこと
は、遣り甲斐も、達成感も、商い成立時の満足も、とても大き
いお仕事でしょう。むずかしいです。膨大です。しかし、専門
家がむずかしがっていたら商売になりません。明けても暮れて
も接しているのですから、難字も難文も馴染んでしまい、素人
にはむずかしい表現も日常茶飯事?

六法全書様式の作品は、六法全書関連のお仕事同様、評価され
尊敬されます。卓越した才能、技量修得の努力、重厚な作品の
いずれも称えられます。ですが、その秀逸さが本職の本職たる
所以ではありますまいか。表現する本職にとって、六法全書様
式は出来て当たり前、あるいは軛(くびき)。

六法全書は暮らしの僕(しもべ)、難解な条文は幼児の下足、な
んですね〜。権威は赤ん坊の笑顔にあり。

六法全書は家庭に一冊あれば足りるでしょう。ですが職業とな
りますと、一冊で満足する訳には行きません。手を変え品を変
え、繰り返し表わし、収入を得なければなりません。その結果

世の中に六法全書関連の作品や六法全書様式の作品が溢れます。
素人がいかに努力しても、先ず到達できないであろう演技や作
品が世の中を席巻します。その卓越した技能なり経験の保持者
も、家に帰ればタダのヒト。

文字も色も、権威筋に評価される作品は、あるいは亜流の作品
は、努力の程度はわかりませんが、当事者の本職が「容易に表
わせてしまう」のではありますまいか。個性も、同様の様式が
溢れますと萎(しお)れます。刺激も、繰り返されますと麻痺し
ます。しかし、やさしい「絵」は、そうではないと思いますよ。


 ※


枕草子の表現様式、好きですね〜。宮廷、知性、寡黙、競合、
緊張、時間、落魄(らくはく)、沈黙、鬼気、自負、孤高、滅び
の美。

見据えていたのかも知れません、存在を弄(もてあそ)んだ神の
所業を。

色なら文字を、文字なら色を、自由にさせたいですね〜。その
いずれにも、六法全書様式を当てはめるヒトは、表現者として
の資質を問われても、致し方ないでしょう。

絵が好きです。はじめは作品から入ります。次第にヒトに興味
が向き、作者と作品が二人三脚。

作品は、作者の意図とは独立して歩きます。作者には、鑑賞者
に立ち入る資格はありません。表現者には、受け手の内面に干
渉する権限はないのです。しかし作者は、作品から解放される
訳でもありません。作品を介して、監視されているのかも。私
の場合、監視の「規準」は、六法全書様式か枕草子様式。前者
は営為、後者は運。運でよいのですよ、表現者の成否は。


 ※


律儀でも破天荒でも、我が儘でも野放図でも、磊落でも繊細で
も、意固地でも身勝手でも、作品に魅せられ調べた結果、作者
の素顔に失望することは先ずありません。自分の感性に自身が
ある! と言えば恰好よいですが、実は私は、気に入った作品
の作家を、依怙贔屓(えこひいき)しているのです。

六法全書様式の作品を、公開し続ける作家は苦手です。練達し
た職人技に思えてしまいます。鑑賞後に残るのは、表情を欠い
た残像と疲労感。

まだ欲を出す気力があるのでしたら、願いは、魅力ある作家の
世界に居据わること。作品以前に、描く雰囲気が好きですね〜。


 ※


やさしい「絵」を書くのはむずかしいです。誰でも書けますか
ら、個性や独創を生かせない。それもあります。

創作する? 資質の違いでしょう。想像力に対する姿勢如何で、
やさしい「絵」は、表わすのも鑑賞するのも、難易度が変わり
ます。前項のピアノのお話に類した画題は、創作すれば、ある
いは「モデル」を頼めば、容易に表わせます。頼まれた本職は、
想像力に拠る必要もなく、技巧だけで描けます。

絵画ですと「愛すべき女児像」となるのでしょう。しかし「麗
子微笑」は、あるいは子育ての体験は、麗子が我が子であると
いう、極めて稀有な邂逅(神の摂理)に負っています。ピアノ
のお話も、その折その土地に、その先生とその子が居合わせる
必要がありますから、表現する条件は極めて稀有。書くのはむ
ずかしい。


 ※


創作です。舞台は異国。

或る年、AとBが、偶然にも我が子を描いた作品でデビュー、
批評家に絶賛され、美術愛好家に喝采されたことがあります。

Aはモデルを厳選、十作二十作と描き続け画風を確立、傑作の
連続に、機会も注文も飛躍的に増加、前衛の新境地も、風景も
静物も完璧な美しさ。

表現力も「力」です。政界にも後援者が現われ、国際規模の活
躍を寡占媒体は盛んに報道、美術教育に腐心、施設の建設、教
育者を抜擢(ばってき)するなど政治手腕も発揮、老いてなお絢
爛とした作品を発表、万人に知られる芸術家の、生誕八十年の
特別展に、出張中の僥倖、私も観る機会がありました。

残念でした。入場を制限されるほどの雑踏に、落ち着いて観る
ことが出来なかったのです。展示方法も問題でした。華麗な大
作に埋もれてしまい、期待した「子」の作品群も、見てよかっ
た程度で済んでしまった。迫力のある作品を、これでもかこれ
でもかと見せつけられますと、疲れてしまいます。

展覧会では、夢見る楽しみもあるのですよ。家宝になりますか
ら是非欲しい。もらえるとしたらどれがよいか? 会場を改め
て観なおしました。画風は明らかです。結論は、どれでもいい
から一点下さい!

異国を去る日、空き時間が生まれてしまい、散策中に古い建物
を発見しました。標識にはBの名前。

Bは表舞台から消えていました。寡作で、家族の情景に拘り、
容れられず酒量が増加、五十歳を前に死んでしまったのですが、
建物に魅せられ、身振りで案内を乞い、一人で入館。

館内は無人。

晩年の、父に出合った衝撃でした。一点、また一点と観て行く
うちに、膝を屈してしまいましたよ。慈愛に満ちていました。
家族と一緒に、観たかったですね〜。




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