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折々の文章 |
──────────────────────────── クリスマスの季節 −27− ──────────────────────────── 私の随想は、先の十冊と「随想 繊維問屋にて」以降に違いが あります。内容の難易は関係ありません。第一冊は誰でも読め る筈です。 「随想 繊維問屋にて」はMLで連載した最初ですので、前半 は明らかに失敗でした。内容のお粗末は私の随想で唯一、首尾 一貫している点です。失敗は、連載の文章を優先して、文体を 直さなかった点です。後半はリズム感を意識しながら連載しま したので、大過なかったと思います。 「随想 中町にて」は、連載時の内容に関係なくリズム感を優 先、「随想 橡の木の葉」は、連載時の硬さをサイト版で曲げ、 単行本ではさらにリズム感に気遣いました。 三信図書にお願いした最初の随想は非売品でした。三信図書に 出入りの、Sさんに勧められて出版した市販本は非売品の「複 写」です。余談ですが、後にSさんの骨折りで世に出た作家が います。作家は編集のご出身でしたが、引き受け手が見当たら ず、Sさんが出版社を紹介したのです。作家のある受賞式では Sさんも同席。Sさんが紹介した出版社は近年破綻。 二冊目は一冊目の、三冊目は二冊目、四冊目、五冊目は三冊目、 四冊目の上がりに負っています。それが優遇された条件かどう かは、本の業界に無知なので分かりません。出版洪水に阻まれ てからは、荒牧さんの好意なしでは挫折したでしょう。憶測で すが、青山さんも荒牧さんも、ご本業とは違った分野への拘り が、あったのかも知れません。 過去十冊の出版を両親は知りません。「繊維問屋にて・中町に て・橡の木の葉」の三冊は、両親へ贈るための出版です。「繊 維問屋にて」の見本を届けた際、病床の父は、手にする気力も なかったです。 今も表現のお話の続きです。ここ暫くは「誰に」と「何を」に ついて。 十冊の随想を献本した際、ご返事を頂いた顔触れは予想に反し ていました。 献本の都度ご返事を頂き、中町にもご来店、中町を引き払った 際は、宛先不明で届かなかったお葉書を、半年後、転居通知を 発見した奥さまが、お便りを添え、転送して頂いた方もあるの ですよ。封緘にも奥さまの優しいご配慮。政治学や哲学を専攻 しながら、その方のお名前を知らない学生は、学んだとは言え ません。 病床で単行本を読む困難は、父の闘病中に学びましたが、入院 中の先生からもお便りを頂きました。「……『随想』という文 字に安心(?)してベッドで……」 私は随想に経歴を載せませんので、想定していた十冊の読者、 つまり「誰に」は、本文だけを頼りに著者を見抜く必要があり ます。毎日、届く郵便物が一メートルにも達する知識人は、見 ず知らずの著者の本など触れることもないであろう、況して学 問の世界は権威になればなるほど、返事は出すまいと思ってい ました。 芸術は通念に縛られないと聞いています。絵の世界はどうなん でしょう? ※ なぜ著わしたのでしょう? 子の苦しむ背中を目にしたから? 若い頃の気持ちを有耶無耶にしたくなかった? 我が道を見失 った? 一度に何もかもでした。老後の保障を、職場頼みには できません。もしもの備えは独力で捻出しました。長期計画は 昔とった杵柄、読みは鍛えてありましたので、薄氷を踏みなが らもどうにか。 なぜ描き始めるのでしょう? 小学生の頃、学校から写生に出かけ、真間川の水門を描いたこ とがあります。構図も色彩も気に入りました。暫く経って、学 校から戻された絵は違っていました。部分部分の比較では、判 別できない違いです。しかし、絵は別人の作です。好きだった 風合いが消えていました。 オヤ?とも思いませんでしたね。その頃からいろいろなことが 持ち上がり、絵に疎遠になったことにも気づきませんでした。 次に描いた記憶は学生時代、店(繊維問屋)の二階で油絵を一 点限り。夕陽に、燃える樹木。 小二か小三の頃「石をけったらポーンとあがってポトンとおち た」と書いた記憶があります。学生時代はお化け文が風呂敷包 みに一つ。社会に出た時に処分。 描き始めたとしますと、水門に次いで菜の花畑、切り通し、甍 に黒松の林、江戸川の流れ、肖像、群像、神田の問屋街、駿河 台下の交差点・・・中学の美術を思い出しました。学校の屋上 から、御茶ノ水方面を描いていました。 お花も公園も旅先も、好きな構図は片端から描いたでしょう。 抽象画に凝ったかも知れません。個展が夢に。公募展で入賞し、 作品が売れたらもっとよかった。晩年まで描き続け、水門の作 品十数点、街並み十数点、山野、数十点、静物、数十点、人物、 数十点、抽象画、数十点を描いたとしまして、それでよかった のかなあ〜。 私の随想は中途から見出しを「デッサン」に統一、やがてデッ サン一つが一冊の随想になりました。「デッサン」の見出しは 最終巻まで通し番号ですので、インターネット以前に著わした 随想はたった一冊! 絵でたった一作を描くには、どうすればよいのでしょう。 画廊、百貨店、美術館などで拝見する個展、公募展、企画展の 原画は、私には敷居が高すぎます。美は感受できますが、表現 者が、断片でも総合でも見えて来ないのです。現役の本職より も、亡くなった巨匠の二、三に親しみを感じること、皆さんは ありません? 逆なのだろうか。成長するには、ヒト総合の表 現力が必要なのかも。 ※ 新卒当時は、文章をよく直されました。自分だけが解かってい たのです。今もソウ? ヘンなこと言わないで下さい。絶対に 違います。今は読み返しますと、自分でも、何を書いたか解か らんのですから。 著わすようになってからは、人生もハヤ黄昏(たそがれ)ていま したので、ヒト一般の意見も耳に入るようになり、気になった 言葉が「誰に」と「文体」 一目で作風のわかる図柄があります。陶磁器ですと判り易いで す。特に磁器は、内外の生産現場を見学したことがありますの で、素人の私も多少は「安全」です。前の会社では、磁器や漆 器は、新規事業にも、本業の宣伝にも役立ちましたので、名門 に試作をお願いしたこともあるのですよ。 作風の定まった美術品は、弟子や従業員が、工房や工場で生産 して何ら不都合はありません。絵画も同じです。むしろ独創を 発揮する機会が増します。工作技術や建築技術を駆使、抽象美 術や前衛美術を制作する作家には、好奇心と期待を寄せてしま います。複製技術も、絵や彫刻を、より安く、より身近に配置 できますから、ひがみ根性は認めますが、数量を限定して門前 払いするのでなく、作風は商標と割り切って、なぜ量販してく れないのだろうかと、侘しくなることがあります。表現はもっ と自由で、もっと動的であって欲しい。しかし作風には、変化 する興趣もあるのですね。 ※ 無数は痕跡、二つは一つ Aは一重、Bも一重 文章は私の場合、初めは「誰に」は頭になかったです。静物や 風景を描いてしまって、「見て下さい」と同じでした。著わす 際に考えるであろう筋や構成も白紙でした。 唯一の頼りは観察です。当時、大学の同期の一人は、文章は一 頁も書けないと話していました。しかし、例えばニラの花を、 次いで葱坊主を、さらにタンポポを順繰りに描写すれば、原稿 用紙は埋まります。 絵の描き始めに似てません? ただ、私が選んだ畑は、農家の それではなく、暮らしの軌跡の畝(うね)でした。 中町のお客さんで、店を手伝ってくれる方が現われました。R V車や、排気量の大きい車を運転され、お仕事をなさり、活発 に活躍されている皆さんです。 何しろ私一人です、子連れの子がオシッコと言えば、トイレも 掃除しなければなりません。見かねたのでしょう、やがて折々 手伝っていただき、肝腎の主(あるじ)は、店の二階でオフコン 操作。 中町の店を、待ち合わせに利用(中町は道路が狭く駐車場難)、 そのお礼だったかも。 午前は埼玉県の事業所、午後は武蔵野市のお店、夜分は都心の 事務所、移動は早朝も深夜も。書き始めたのはそんな頃です。 中に、理系の出版社を経営なさっているご親族がいらっしゃい ました。スーパースターの来演に関わっていたご主人も。 どちらも私の書き物とは関係ありません。当時、私の自意識は 何処かに飛んで行ってしまいフ〜ラフラ。一方、皆さんや皆さ んのご親族はキラキラ輝いていらして、特にお一人のご主人は、 昔知っていた会社の所属、その会社が開発したスーパースター の宣伝物(Sサイズの上衣と腕時計)各二点を頂き、子に与え た折は頭も心も透明人間。 でもですね〜、一つだけ拭えない軌跡があったのです。幸い、 過去になっていましたが、最終頁の我が子から、一時、笑顔が 消えてしまった出来事です。 皆さんの表現の起点はどこでしょう? 私は当初、「誰に」も 「何を」も意識しませんでしたが、とても趣味とは言えなかっ たです。 ※ 「……山積する郵便物のため、御礼を申し上げるのがおそくな りましたが、御労作は暇を見て懸命に読ませていただきました。 まだ十分に理解できるところまでには到達しませんが、問題意 識の所在は明らかであり、また共感されます。『他者』とのデ ィスカッションによって、このユニークな御労作が、ひとりで も多くの人にこなされるようになればよいがと思われます。」 「……小生は正月早々、風邪をこじらせて入院しましたが、悪 性の肺炎を併発し、今月はじめどうやら命拾いして自宅に帰り ました。その間、山のようにたまった郵便物の整理や雑用に追 われながら歩行練習をしている状態です。……」 「……八月下旬から九月上旬まで、例によって、気管支炎で入 院したため、……、私の方は上述のような健康状態もあり、自 分の仕事の方がいよいよ遅れ、昨年秋に出たゲラの校正がまだ 終了せずに机上にむなしく置かれている、という状態です。こ れからまた冬という私の健康にとって最悪の季節が迫っている のでユーウツです。……」 最初の随想を献本する際、想定読者を知識人に絞りました。し かしインターネット以降は違っています。「誰に」の必要条件 は、不特定多数の一人から。 現在はさらに変わっています。「誰に」が要らなくなり、表わ すのが「参加資格」になっています。引用した先生のお便りの 意味、今頃になって解かりました。今はインターネットがあり ます。誰もが表わせます。折角の機会、大切にしたいです。 ※ 初めは文体を意識しませんでした。「言葉は意味」程度の認識 でしたから、文体は二の次で、分析力、概念の新しさ、方法の 独創性、深遠な世界観を意識しました。 気づいたのも早かったです。社会科学の書物を濫読、結果、こ りゃダメだ! 自分で考えるのですが、著わしてから古典を読みますと、なぜ か同様の概念を発見して憮然。 理解力と記憶力の劣る私は、自ら著わさないと、先人の書物を 理解できないのです。 世の中は広いですから、大概は先人の著作で間に合ってしまい ます。表現だけでなく、政財軍報の、多くの言葉も同様でしょ う。しかし日々刷新しませんと、「現在」はほとんど出る幕が ありません。無理ないです、俺が俺がの横行も。 「何よりも借り物でない、自分で考えた『思想』に感銘しまし た。」 「……『随想』という文字に安心(?)してベッドで拝読しまし た。」に続くお便りが上の引用。思想には「借り物」と「自分 の物」があったのですね。ヒトの描いた絵は永久にヒトのもの です。描かないヒトは永久に描くヒトの世界に立ち入れません。 ところで、描くと著わすは没交渉? 次第に文体を意識している自分に気づきました。音感ゼロの私 ですが、九冊目や十冊目の随想は、ある交響曲を聴きながら読 めるように合わせてあります。「ながら読み」しますと、繰り 返し読みが可能になります。発見でした。聴くだけでも読むだ けでも味わえない興趣。その頃からです、例えばですが、見解 を「否定する」と書いた箇所を読み返して、リズムがヘンな場 合は、ヒテイの三音を、コウテイの四音に改めるようになった のは。 十万字や二十万字の中の、否定一箇所を肯定に改めても、曲が る程度は知れています。文章も「表情」が大切です。編集者や、 校正者や表紙絵が介在する、誤字のない、活字の綺麗な書物の 方が、表情の変化の度合も著しいのでは? 小学生が描いた水 門の絵に、朱を落としても、絵の個性は伝わりますが、大人が 風合いを変えてしまえば、見飽きた入選作が増えるだけです。 色感もいい加減ですので、絵画と書物にも共通項が多いと思っ てしまい、色の世界にも立ち入っています。「自らは表わさず、 暮らしの場は非常識」は困りますが、表現の場は「無常識」が いいですね。 ※ 梅雨時は、濡れながら走るのが気持ちよいです。気温が高い朝 は、粉糠(こぬか)雨より本降りですね。濃紺無地のTシャツに、 水泳兼用半ズボン。Tシャツは問屋街で三着○円。半ズボンは 量販店の学校指定着(子の着古し)。 今朝は汗でびっしょりでした。本降りなら雨と一つに! この 感覚、ご存知の方、少ないです。美感の優れたヒトも、描くだ けでは、雨の気持ちは判らないでしょう。体育館で走っている ヒトに、如雨露(じょうろ)で水を注ぐ? 蛙と一緒に、田圃(たんぼ)の際(きわ)を走ります。 ※ 「雨と一つに」も運動ですが、競技としては成り立ちません。 大規模施設は要りませんが、借景を復する場合は、途方もない 年数、例えば百年単位を要します。 二者択一ではありません。運動にも絵画にも文章にも、二重の 暮らしがあるのですね。「創作」で触れたBの暮らしに、満ち 足りることは難しいです。一方、Aの暮らしには、市場には、 「雨と一つに」が見当たりません。 融合は構造的に無理でしょう。個体内部での牽制、あるいは葛 藤。片側に傾けば、競争を勝ち抜く道筋が見えてきます。片側 に傾けば、「雨と一つに」を享受できます。その葛藤に、暗さ も孤独もないと思いますよ。困難なのは、「雨と一つ!」に値 する美を、市場に譲れない作品を、誰もが幾重にも表現するこ と。何処かに落ちているとよいのですが。 |