折々の文章


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クリスマスの季節 −28−
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色も音も文も、観に行くの、憂鬱ですね〜。

「編集中記」で触れたお話の繰り返しです。少し丁寧に書きま
す。高校時代、ソ連のサーカスを観たことがあるのですよ。凄
いでしょ! ど〜ってことない。そうかな〜。

Y君という友人がいます。高校一、二年は同じクラス。社会に
出てからも、十年に一度の割で再開。

Y君には親しい級友が多く、私とは、我々共通の友人と集う時
か、Y君のお父さまを手伝う時に限られていました。

お宅にお邪魔したこともあるのですよ。お父さまは音楽で生計
を立てられ、Y君はそのお手伝い。ご自身も働きながら通学し
ていました。Y君のお仕事は打楽器の演奏。

彼は少し年長ですが、一年の一学期から、互いに気の置けない
友人でした。音楽映画の楽譜を貸したり、催しの受付を手伝っ
たり、大学時代は、演奏会のお父さまを車で送迎、ご家族で神
田の店にお礼に来られ、事情を知らない両親が、慌ててしまっ
たこともあるのですよ。「橡の木の葉展」では、Y君は私の母
に、当時の思い出を懐かしそうに話していました。お父さまを
偲んでいたのでしょう。

ある日、サーカスをタダで観られると教えられ、千駄ヶ谷の体
育館に出かけますと、Y君が待っていました。開演のず〜っと
前、楽屋口から。

Y君は椅子の在り処と、椅子を持ち込む時間と、階段の上がり
方を教えてくれた後、楽隊の稽古に出かけ、終演まで話す機会
はありませんでした。

心細かったです。楽屋で誰かに合えば、摘み出されてしまいま
す。こんな想いをするなら、入場券を買ってから観たかったと、
ウロウロオロオロ隠れる場所を探しました。

広かったです。暗かったです。なのに隠れる場所がありません。
出合いましたよ、団員にも、職員にも、猛獣にも。ところが誰
一人、私を誰何(すいか)しないのです。デカイ熊からも無視さ
れました。失礼しちゃいます。自尊心がキズつきました。

サーカスには変わったヒト、多いでしょう? 化粧や演技とは
分かっていますが、楽屋は変人奇人の巣窟ですから、目立つの
はマトモなヒトだけ、私が誰何される筈はなかったのです。開
き直りました。妙な自信も。それからは、終演まで知らん顔し
て楽屋を往来、楽しみましたね〜、サーカスの表情を。欧州の
前衛映画の、音楽にピッタリでした。

椅子を持ち込んで観た場所は「……舞台と楽屋の間に、出演者
が出入りするカーテンの仕切りがありますが、その出入り口の
真上に楽隊が陣取り、演技の進行を見ながら演奏したり効果音
を挿入する、その最前列の右翼……」でしたので、マジックの
仕掛けも判ってしまい、本来の楽しみ方は無理でした。やはり
サーカスは、舞台真ん前の客席で、「家族と一緒に」が最上で
しょう。私が感受した情景は、所謂(いわゆる)サーカスではあ
りません。舞台と客席では表わせない表現でした。


 ※


手伝い全員で片付けを終え、お父さまとお母さま、Y君、それ
に衣裳と花束を積んで、虎ノ門から走り始めた時は氷雨が降っ
ていました。皆さんはお疲れなので、窓を開けてはご不快でし
ょうと、手でガラスを拭き拭きの運転でしたから、俺の運転、
大丈夫だろうかと、心細かったです。

ご親戚とも顔見知りになり、その方のお話から、演奏会の位置
付けが解かるようになりましたが、頼まれても心当たりのない
私に、本職の矜持(きょうじ)でしょう、Y君は金銭のお話は一
切、口にしませんでしたので、初めてお手伝いした時、お客さ
まから「当日券を売って欲しい」と申し出られ、音楽家の暮ら
しにオネンネだった自分が恥ずかしくなりました。迂闊にも、
入場券が売り物とは気づかなかったのです。

歌手や作曲家と違い、Y君のお父さまのお名前は、半生の紹介
番組などを除いて、ほとんど表に出ませんでしたが、哀調を帯
びた独特の調子に、男女の別なく愛好者がいらっしゃいました。
番組主題歌や映画音楽に組み込まれた音の響きで、お父さまの
演奏と判ったのですよ。


 ※


中町の話で触れたスーパースターの、世界(的は不要)に知ら
れた表現者の来日公演を、私が宣伝物を頂戴した奥さまは、舞
台直下の席で楽しんだそうです。舞い上がってしまい、舞台に
声を掛けたところ、ナント、アチラ様も奥さまに身振りで応答。
子持ちの中年世代です。まあ、どう贔屓(ひいき)目に見まして
も、うら若き乙女には見えませんでしたが、精神と感性は年齢
を超越、宙を飛んでいたのですね〜。

Y君自身の演奏も、タダ券で聴いたことがあります。新宿の、
芝居や集会が頻繁に開催される名の通った会館ですが、着た切
り雀の抵抗感はゼロでした。

指揮者はテレビで馴染み。交響楽団の名前も私は知っていまし
た。初めて聴く生演奏。空席チラホラ。名曲。Y君の前には、
あのデッカイ太鼓、そう、ティンパニーが並んでいました。さ
すがに掛け声は遠慮しましたが、その時の私の気持ちは、スー
パースターを仰いだ奥さまと同じかも。

サーカスの楽屋なら、友人のお父さまの演奏会なら、掛け声に
応えてくれるスーパースターの公演なら、Y君の演奏なら、万
難を排して出かけますが、技術・設備・内装の傑出した豪華施
設で、絢爛を極めた貴顕に交じって、古典を鑑賞する資格は身
分、金銭、衣裳、立ち居振る舞い、話術、協調性のいずれも私
にはありませんので、CDとヘッドホンの組み合わせで足りて
しまいます。

銀座のA面も憂鬱ですね〜。

同級生の一人は銀座の老舗のご子息です。両親もお世話になり、
専門書を何冊もご出版なさっている専門家も事務所は銀座です。
私には、普段は銀座も百貨店も無表情。しかし、表現が絡みま
すと話は別。


 ※


銀座ではありませんが、昨夏、お中元の発送を頼まれ、昼休み
に百貨店に出かけたことがあります。隣りの建物の、書籍売り
場に立ち寄った後、高級車が待機する側から入館したのが間違
いでした。外国の、秀麗なご婦人が幼い子連れで外車を降りた、
その時、子が愚図ったのですね。持て余している玄関脇から、
ダークスーツの長身男性が駆け寄り、奪うようにしてご婦人の
手荷物を捧げ持ち早速お供、まあ、私には見慣れた光景ですが

その際、ご婦人から見えない角度を歩いていた私が、悪く言え
ば、長身男性に突き飛ばされたのですね。中学生の頃から、百
貨店は身近な万屋(よろずや)でしたので、限りなく立ち寄って
いますが、風采ゆえでしょうか、出入れ業者に間違われるので
しょうか、男性社員に道を譲るのは私が相場。

新規事業に携わっていた頃は、百貨店外商部も大切な見込客で
した。海外契約先の東アジア代表部は、日本の老舗百貨店にも
出店、企業向け拡販の際は外商員と同行販売、具(つぶさ)にご
活躍も拝見していますので、百貨店の大切さは十分に理解して
いますが、自分の暮らしに戻りますと、百貨店の美術品売り場
は殿上人の世界、息苦しく、逃げ出したくなるほどですから、
高級百貨店で開催される展覧会も、出かけるのは憂鬱です。


 ※


以前面談した銀座の画商は、有力何指に入った筈です。近寄れ
る世界ではなかったですね〜。えっ? 被害妄想?

食べて行くのが、簡単とは思えません芸術の世界も。はっきり
言って、百貨店の美術品売り場や銀座の画商にとって私は邪魔。
無常識の世界に出合えるといいですね〜。


 ※


高校や学生時代は、日曜最終の映画が終わってから、歩いて帰
る荒涼とした銀座が好きだったと書きましたが、もう一つ、銀
座には好きな景色があります。料飲店の、客席の反対側。

新卒当時は、経営計画と営業計画が渾然(こんぜん)としていた
部署に配属され、その両方の業務に従事、部員は机上本位でし
たが、会社が発展するにつれ、経営計画は独立移転、営業計画
は部署ごと「窓際」になったことがあります。実際には、下っ
端(私)の見えないところで営業の計画業務が起動、その部隊
に飲み込まれて窓際も解消、以前の同僚と上司ほぼ全員は配置
転換、新しい顔触れは営業第一線の実力本位、私は業務引継ぎ
の便利屋として、新しい部隊が「過去」を吸収する数年に限り、
残されたと理解しています。新しい部課の中上級管理職には、
戦略立案部門を経験して、より重い役職に就任する階梯の位置
付けもあったようです。その一人に私の直属の上司、Jさんが
いました。

仕事が捗(はかど)ったのは、一から十までそのヒトのお蔭、み
たいな先輩や上司、皆さんにはいませんでしたか。調査・分析
・予測を除く、特売、商品化、営業計画立案、根回しの悉くを
私はJさんに負っています。文章力も凄い! Jさん曰く「○
チャンはクールにすぎるよ」 因みにここでのクールとは、格
好いいではなく冷たいの意味。

Jさんの通称が「銀座のJさん」 高級料飲店の経営者から、
神様のように尊敬されていました。無論、経営指導の的確さで。

何度か連れて行かれました。Jさんが現場から離れたことは、
どこのお店も知っていました。そのJさんに従う金魚の糞です
から、私もお客扱いされません。デッサンには格好の条件です。
凄腕が競う職場の、迫力に満ちた表現力、半端じゃなかった。

宝飾店や高級服飾店の立地同様、銀座の画廊の立地も偶然では
ないのでしょう? 消費者志向という言葉、徹底して習いまし
たが、画廊もピンキリとは言え、銀座で個展を開く作家は、見
込客を想定して描いていると思ってしまい、やはり出かけるの
が憂鬱です。

私の配置転換の内定時は、Jさんにご迷惑をおかけしました。
あの折の業務は私の後輩が就き、その後年を見ますと、恵まれ
た階梯だったことが判ります。しかし私は週末になりますと、
既に「店」の調整役を担っていたのです。二足の草鞋ですね。
二重生活ではありませんよ。東京を離れるのは無理でしたので、
退職を申し出たのですが、実はもう一つ、就けない理由があり
ました。労働組合に従事した結果、社員一部の思想信条も知る
ようになり、あの折の業務とは両立が困難でした。

どちらもJさんには話せませんでしたが、辞めないでと、改め
て骨折って頂けたのが新規事業・・・

しかしまあ、生い立ちもあったのでしょう、神田の「店」(私
は従の立場)に対しても、所詮、クールに過ぎました。勤めの
すべてが結着した時、親父さん! 本当に哀しそうでしたね。
ヤッパリ、俺は親父さんの子なんですよ。


 ※


憂鬱と文章の関係ですか。書けば書くほど自己嫌悪に陥りませ
ん? なのに、寡占媒体で拝見する言葉はお元気ですね。ある
いは、常に正しい、と申し上げた方がよいのかも知れません。

先に触れた先生の、晩年の書物でしたか、あるいは晩年になら
れた時、私が拝読した書物でしたか、曖昧な記憶で申し訳あり
ませんが、お歳ゆえに、分かり切った人物の名前を、間違えて
記述した「お詫び」の載っている書物(特定の版)を拝読した
ことがあります。

人物名は、筆者本人でないと正誤を確認できない場合がありま
す。例えば価値観に関する記述で、思想家の名前AをBと記述
しましても、執筆者が権威ある場合は、あるいは寡占媒体で活
躍している場合は、傾聴する側は、Bに「隠された思想」があ
ったのかと考え込んでしまいます。

「これから」を記述する場合はもっと厄介です。その場では正
誤が判らないからです。結果が記述に反していれば、事後にな
っても誤りは誤りです。ところがこの種の誤りに触れ、訂正や
お詫びと、誤ってしまった原因や理由(予実差異分析)の言葉
が、アマリ見当たらないのです。

暮らしに影響はないのでしょうか。ありますよ。未来に対する
判断と選択を誤れば、暮らしは流れに翻弄される笹舟です。

未来は、演技力や闘争力に拠るのではなく、予実差異分析を公
開して、なお説得力を維持できる(補正を担える)若い世代に
委ねたいですね。


 ※


六月は今日で終わり。今朝は雨。

秋の絵画展は、中学への通学路にあった額縁店です。ある年、
立派な建物に変わってしまい、入りづらくなりました。

クリスマスの季節になりますと、駿河台や銀座の、画材店や額
縁店や文具店を覗いて、雑貨を物色するのが常です。操り人形
や指人形を衝動買い、飾りや贈り物として楽しんでいます。

神田の草土舎本店は、私には立派すぎますが、母の額縁の必要
に迫られ立ち寄った際、獲って食われる恐れのないことを知り
ました。

二階には油絵がどっさり。海外へ額縁の材料を仕入れに行った
際、楽しい絵を(本職がすばやく描き上げてしまう絵を)購入
しては国内で販売、人気があると聞いています。あの種の絵は、
額縁代の方が高いのではないのかなあ〜。でも、確かに楽しい
です。

昨秋の絵画展では、土曜日でしたか、開店直後の草土舎に、車
での来客がありました。ゴルフに出かける途中?に、注文した
のが額縁二点。

スタイル抜群の超売れっ子女優の、連続ドラマのサイン入りポ
スター二枚を、夕刻に立ち寄るので額装して欲しい、デザイン
は任せる、なんて応答が目の前で繰り広げられ、私もズバリ、
見せていただきました。

来客が去った後、係のMさんは、自分で選んだ額縁に(額装は
別室)ポスターを合わせて曰く「額に納めれば立派なアート、
○さん、楽しいですよ、私の商売は」




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