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クリスマスの季節 −29−
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私の周囲には、美術好きが多いです。
A→ 私のカミサン、高校時代はクラブで油絵。
B→ そのクラブの先生は現在、大学で教職。個展でもご活躍。
C→ その先生の現在の教え子に「橡の木の葉展」の参加者も。
D→ カミサンの友人一、二の制作活動も新聞紙上で拝見。
Aを知ったのは結婚してからです。BとCは「橡の木の葉展」
で、双方まったく偶然に知りました。Dも近年まで知りません
でした。ソモソモ家族が私の美術好きを知ったのは最近です。
カミサンの親族も油絵を描いていました。菅野の先生からは、
卒業祝いに「日光男体山」の小品を頂いています。本職のご兄
弟が描いた油絵です。
自伝抄録の祖父は、絵描き(日本画)を職業にしたかったので
す。蒐集だけでなく、商売を廃業させられてからは、自らも相
当数を描いています。祖父関連の絵は、ゴタゴタの中で残らず
散逸。
我が子も一般の生徒同様、絵を描きました。親バカですから、
十五年か二十年前、子らの風景や似顔絵に「スゲー」なんて言
ったら、口裏を合わせたように「こんなの誰でも描ける」
世の中には、絵がキライな子、少ないのでは? しかし、ゴッ
ホ展や若冲展の盛況とは裏腹に、現代の作家の企画展、来訪者
が少ないですね。えっ、アレで十分。そうかなあ。
私の期待は有名とは関係ありません。傑作を千点見せられ、そ
れで「感動なさい」と言われましても、私には難しいです。
美術も「総合された表現」なんでは? ゴッホが凄いのもソコ。
ニキも凄い。凄いヒトはほかにもいます。武蔵野のM先生も、
子のピアノの先生も凄いです。江戸時代の我が国にも、凄い絵
描きさんがいました。
ニキの世界は、暮らしの中で相当時間、無意識に「学習」して
いますから、私はニキを「総合的に感受」できます。私にとっ
て、ニキという扉(踏踊の扉)は磐石なんです。今後、二度と
鑑賞する機会がなくても、ニキとは縁が切れません。技術者や
文筆家では? う〜〜ん、やっぱり美術がいいですね〜。
※
バルセロナで聖堂(写真三点)を見学したことがあります。建
物の迫力もすごかったですが、表現に投入する「政治力」の凄
まじさ、羨ましかったです。
私の場合、「政治力」という言葉からは、国政など政治そのも
のを別にしますと、各界の実力者による利益誘導しか浮かびま
せんが、誘導であろうとなかろうと、「政治力」の注ぎ込む先
が、関係者の利権や欲得の実現ではなく、芸術表現ですから凄
いです。
主題は私の関心とは違っています。しかし日々の暮らしに追わ
れていますと、知らない間に内に籠もって、美しい絵は楽しい
なあ〜、程度で済ませてしまいますので、大昔の出張先で突然
目にしたミラノ聖堂や、サグラダ・ファミリア聖堂を思い返し
ては、表現とはなんだろう?と唸(うな)ることにしています。
※
新卒時に配属された部署では、事業所内で有志を募り、スペイ
ン語の勉強会を開催、営業部から参加したお一人は、修得した
スペイン語を生かして、国際業務に職務変更。私がスペインを
意識した最初です。
十年後、国際部の協力を仰ぎ、出張を準備していた折、スペイ
ン担当で、商社出身のお一人から「スペインも訪れて欲しい」
と頼まれたのが、スペインを意識した二度目。
シェリー酒には特別な思いがありますが、私の場合、シェリー
酒に結びつくのはむしろイギリス。四半世紀前まで、スペイン
の関心はこの程度。
スペインを見たい!と思ったのは、それから数年後です。古本
屋で買った本は期待に違わず。ジェーム・サバルテ(サバルテ
ス)の「親友ピカソ」、益田義信訳、昭和二十五年、美術出版
社刊。英題は Picasso: An Intimate Portrait
さらに二十年必要でした。絵を観たかった? いいえ、空気を
吸い、太陽を浴びるだけでよかったのです。「ゲルニカ」も聖
堂もオマケなんです。
※
絵を観るときも、私は記憶を無視できません。特にピカソやミ
ロは、個性的に過ぎるのでしょう、筆遣い・彩色・構図が幾通
りにも類型化され、幾重にも記憶されていますので、現代の新
作を観るときも、巨匠の様々な類型が割り込んでしまいます。
絵の鑑賞も私には力関係。
習作として、巨匠を真似た作品に出合うときは新作の勝ち。興
味が湧くからです。
公募展や個展では、類型が匂いますと新作の負け。新作が類型
の呼び水になり、新人俳優を前にして、往年の名優を懐かしむ
気分。
勝ち負けとは別に「そっとして置く」場合もあります。関心の
ない作品です。
類型との比較に耐えない作品もあります。素人の作品はほとん
どそうです。
アンタって、ナンテつまらないヒト! それでホントに、絵が
好きなの?
素人の作品も本職の作品も、絵だけを見るのであれば、私はツ
マラナイヒトで結構です。
作品は一人歩きします。ところで、絵は何処から何処までが作
品なのでしょう?
額縁? 展示場の雰囲気? ソレも作品の一部であると思いま
す。しかし、貧しい素人も、暮らしの大変な美大生も、売れな
い作家もいるのですね。その場合、会場や額縁に凝る余裕はあ
りません。
ピカソには「暮らしの個性的な表現」と、ソレを記録した言葉
があります。インターネットの時代なのに、今の作家に「暮ら
しの個性的な表現」と、その記述が、鑑賞者に見えないのは何
故でしょう。
私はサバルテスのピカソが好きなのですよ。ニキ同様、ピカソ
の扉も磐石です。でも、近年はピカソ展に出かけません。狭い
意味の作品は、極めて僅かですが、類型として脳裏に刻まれて
いますので、企画展の雑踏の、不快感の方が厭なのです。広い
意味の作品は、人気殺到の会場や、巨億の取引とは別物です。
※
人は誰でも十字架を
武蔵野の先生に、一度だけ、随想とは関係ないお便りを差し上
げました。唐突に途切れていたご返事の末尾が上の引用。私の
随想は九冊で終わっていましたが、この言葉に取り組むため、
随想を一冊著わしました。
コツコツが趣味で終わることはありません。絵も彫塑も文章も
コツコツ続ける。ただコツコツ。個性的です、その種の表現は。
個性とは、自己の拠る位置および関係です。暮らしの話と、暮
らしの個性的な表現は必ずしも一致しません。いかなる媒体で
も、手紙でも、インターネットでも、自身のコツコツから逸れ
た情報は表現に値しません。コツコツが未(ま)だのヒトは、緊
張感で補って下さい。
表現の定義:自己の脳裏の情報を、技巧を以って描写すること。
私の場合、定義から出発することは少ないです。解からないの
です、そもそも言葉の意味が。出発時の言葉遣いが次第に変質、
ある日、定義が出来てしまい、その定義も二年後には変わって
いる、コツコツって単純ですね。
※
冷やした辛口のシェリー酒もいいですが、琥珀色、いえ、金色
のシェリー酒は、ソーダガラスまでクリスタルに見えてきます。
スペインでも、レストランでシェリー酒を注文しました。荒い
感じ。「シェリー酒を下さい」だけでは無理でした。
一時、シェリー酒がないと、お茶を欠いた生活に思われてしま
う時期がありました。お酒、好きだったのです。
今は二週に一度、発泡酒をコップに一、二杯の生活です。我慢
ではありませんよ。お酒を受容する体の機構が、錆びてしまっ
たのです。お酒は今でも暮らしの要素、売り場を見るのも楽し
みです。
先日、お酒の安売り屋さんで長居、厭な顔をされました。水物
の売り場ですが、潤いが欠けています。冗談を交わし、手を振
って別れられるようなお酒屋さん、ないのでしょうか。スペイ
ンの土産物屋さんのように、主(あるじ)が博士や教授でしたら
なおよろしい。
中町のお店では、装飾のため、真鍮の枠に、ガラスのお盆を嵌
め込んだワゴンを置き、我が家から、イギリス産のウイスキー
とジン、ソ連産のウオツカ、フランス産のブランデー、日本産、
アメリカ産、カナダ産のウイスキー、世界各地のリキュールを
持ち込みました。中身が詰まっていますと、偽物に見えますの
で、お仕事ですからと割り切って、どの壜も、短時日で中身の
空気量を調節、生憎、氷も湧き水も見当らず、生(き)のままで
したが美味しかった。
当時は、我が家の流しの下にも、私専用のジンとウオツカがあ
りました。
私のお酒は愉快なお酒ですから、飲まなくなって、先ず体を心
配され、次いでガッカリされたり、意地が悪いと言われたり。
お酒より、好きなお酒があったのです。ビールでは、ピカソが
サバルテスを描いた「ル・ボック」(1901年 F25号相当)。一瞬
の足許、いいですね。
※
神田駅に親しみを覚えたのは、Oさんが通っていた飲み屋から
です。
旧人の皆さんは、学生運動の経験がおありでしょう? 旧人と
は、役員会議の準備のため、椅子や灰皿を動かしていた際、着
席していた営業の重役お二人が、部長や支店長と話していた中
で、人事異動に触れ耳にした言葉です。
不思議ですね〜言葉は。
当時は、大学にも会社にも、政治運動が湿った空気のように漂
っていました。ヘルメットを被り、ジグザグに突き進み、整然
と行進する労働組合員を阻む会社員も、その辺この辺にはいた
のです。
仮に、生産部と資材部ほどの距離がありましたが、稟議済み全
体計画の、形式は部長経由、実質は私が直接、某部署にその部
分の実施を依頼したことがあります。相手の担当者が、斯様な
先輩社員の一人でした。
その方が、当時の会社を離れてから、ご出版された文章を目に
したことがあります。結果は、やはり書物では、執筆者を理解
することは難しい、でした。
過去の随想にも書きましたが、厭な経験もあったのです。ある
執筆者の呼び掛けに応じて、文章をお送りした結果、執筆者と
出版社に、内容証明で「お尋ね」を郵送した出来事です。
出版に関する通信は、献本のお礼も含め、すべてのコピーを荒
牧さんに渡してあります。内容証明の件では、門前払いされる
のを先ず恐れたのですが、少なくとも著者が校了前に、私の完
全原稿を受け取った事実は認めていました。後から出版する私
としては、防衛上も、必要な措置だったのです。
文章を著わす際は↑気をつけて下さいね。
書物からは、執筆者の素顔は判らないと思いますよ。画家の素
顔の方が、遥かに判り易い。
経済の根幹が、選良による机上の作文や、外国為替の相場や、
投機の成否に左右されてしまう世の中が不思議でならず、未だ
にコツコツ書き続けていますが、「学習しながら自ら育む内的
軌範」が「普(あまね)く不在」ですと、孫や曾孫の行く末が不
安になります。しかしそもそも、ヒトを理解する方法が、私に
は判らないのですから情けない。
神田の飲み屋を知ったのは、先輩社員Oさんのお蔭です。
※
私の書き物はデッサンとお考え下さい。随想の書き始めに「画
家は繰り返し同じ主題を描きます」と書いたことがあるのです。
書くたびに表情が変わります。内容の整合性を意識した書き物
は、私の感性に合いません。
「店」の手伝いが主で、大学へ通うのが従だった私は、今も二
通りの夢に悩まされます。一つは
大学を卒業後、再び同じ大学を受験、合格。卒業証書はあるの
ですから、今度は卒業不要を心の支えに(ヘンな支え)まった
く通学しないでいますと、期末試験を受けられませんから取得
単位ゼロ。やはり通学しませんから、新学期も科目を選択でき
ず、やむなく退学手続きに出かけますと、学内は無人、再び卒
業不要を心の支えに(ヘンな支え)まったく通学しないでいま
すと・・・以下、夢を繰り返す。
今一つは
朝一番で「店」を出るのですが、電車は一向に動かず、必修の
国語(←なかった)は終わってしまいに空しく帰宅、友人を経
由して、外国人(!)の先生の言葉「授業に出席なさい」が届く
のですが、一年次も二年次も三年も四年も出席できず、卒業式
の歓声を聞きながら裏口で退学手続き。
大学時代、学生運動に誘われたことがあります。
麻雀は学生時代、高校時代の友人宅でやりましたが、必ず負け
ましたので渋々参加。大学の友人とは一度もやりませんでした。
因みに、父は麻雀も強かった。
学生運動は興味も関心もなかったです。労働組合は「店」を破
壊する敵でしたから、匂いも寄せつけませんでしたが、学生運
動は、学生がなぜ運動するのかよく解からず、活動する学生の
社会性と行動力に劣等感を抱いていました。
労働組合に入ったのは?
入社後、労働組合に加入しないと社員になれないと言われたか
らです。組合役員に、就任させてはマズイ顔触れのあることは
察していました。
組合に入って、組合への敵愾心(てきがいしん)がなかったこと
に気づきました。両親を脅(おびや)かす敵でしたから牙を剥い
たのです。今も当時の「店」に戻れば、利益を損なう敵として
対処します。本当に辛かったのは、組合大会の退屈さを我慢す
ること。
「店」時代は労働組合を敵視しながら、お勤めでは労働組合員
であり続けることに、さらには組合員の義務を果たすことに、
感性の矛盾はありませんでした。「随想 二重生活」を著わし
てからは、考えの矛盾も解消しています。
皆さんの一重生活は、お勤めなり会社の経営でしょうか。では
もう一重の生活は? 二足の草鞋(わらじ)ではありませんよ。
今の私には、労働組合運動も政治活動も、慈善も奉仕も職業生
活の側。もう一面の生活は「表現」です。たまたまそれが文章
でした。
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