折々の文章


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クリスマスの季節 −319−
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紙片 東京都台東区
浅草六区界隈















今度は自分(祖父)の生地、浅草田島町の
二十五番地にある裏長屋へ引っ越した
六畳と二畳で、家賃は二円四十銭
ここで底張りの下職はやめ
親子(祖父とその父母)で改造足袋を作り
仕事は自分が先導
一家は狂気のように働き
長屋には、嘲り笑った者さえあったらしい

長屋の住人は
夜店の草履屋、人力車夫、人形作りの職人、玉乗りの出方
羅宇竹屋、露天の洋食屋、屋台の鮨屋
浅草で有名になった寿司清も、その頃はこの長屋に住んでいた

自分の隣りには住まいが小綺麗で
妙な商売人が住んでいた
友引は休んだが、毎朝羽織姿で、子まで連れぞろぞろ出かけ
葬式の菓子を貰ってまわり
菓子屋に売り
菓子屋は再製して売り直すとの噂だったが
四年間、隣り合ってもその真偽は不明

この菓子は方々から買いに来た
著名な菓子屋の立派な菓子が一折五、六銭なので
仕舞いには自分の一家もよく買って食べた
この商売を「上がり込み」と言った

この頃の自分の楽しみは
週に一度、夜業の後に近くの蛇骨湯で入浴することであった
場所柄、蛇骨湯の終業は遅く、夜の一時頃
自分は、番頭が砂で流しを洗う時刻に入浴することもあった

          …………自伝抄録・祖父の肖像より



浅草ROXの近く、国際通り東側の歩道に
契約者専用「蛇骨(じゃこつ)駐車場」の出入り口があります
蛇骨湯は蛇骨駐車場の建物裏手、路地の奥
蛇骨駐車場の、国際通りを挟んだ向いが旧町名「浅草田島町」

蛇骨湯への道を、しもた屋で尋ねました
店内に写真のご婦人
ご主人が亡くなられてから店を閉め
二十年あまりお一人とか

ご婦人が生まれた年、祖父は栄久町で商売
三年後は神田に店を開きましたので
二人は道ですれ違う機会もなかったでしょう
しもた屋の旧のご商売は三味線の修理張り替え
屋号は漢字で花に形、花形屋と書いたそうです

母の三味線は
練習用と修理は仲見世の二店 ←戦前の話です
演奏用は
家元が注文した折、お師匠さんの骨折りで
一緒に誂(あつら)えてもらったお店は別所
収納時、家元の三味線は四つに、母の三味線は三つに分離
母の三味線の胴の内部に
崩した古い字体で「池之端 某」と記した紙片
三味線の収納鞄の
裏地に剥(は)がれかかった小さな紙片
横書きで「たか花撰特」と読み取れました

つくばエクスプレスの浅草駅は
六区近くの国際通り下
つくばエクスプレスの新御徒町駅は
佐竹商店街近くの春日通り下



一家(祖父とその父母)は浅草清島町の報恩寺前
次いで浅草小島町へ引越し
下谷竹町(佐竹仲通り)の中程に
家賃二円、間口九尺の店を借りて足袋を売った
通りは賑わったので足袋は売れたが
夏場の売り物として塩煎餅に手を出した
その煎餅、卸屋から「生」を仕入れて焼くのと違い
粉をひき、蒸してつき、乾かして焼くなど手数がかかり

          …………自伝抄録・祖父の肖像より



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