折々の文章


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クリスマスの季節 −31−
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お酒の量は、矢切のアパートでも変わりませんでした。驚きま
したよカミサン。いえ、酒量ではなく結石の発作に。

前々から痛みは伝えてありましたが、はじめて立ち会った時は、
カミサンの顔色が変わっていました。幸い、這っても辿り着け
る距離に開業医があり、真夜中も往診をお願いできましたので、
気持ちの上でも助かりました。

高校も大学も、受験前が痛みの最盛期。季節の変わり目は、血
尿と鈍痛と不快感の数週間。父の結石は数年でしたが、私は中
学から不惑までのお付き合い。

小指の先端の大きさの、ガラスの破片(?)をまぶした、キラキ
ラ輝く褐色の石を脱脂綿で包み、ビタミン剤の小瓶に入れてお
いたのですが、近くの国立病院で、取り上げられてしまいまし
た。先生曰く「調べてみましたが、変哲のない石です、ガッカ
リしました」←先生は、何を期待したのでしょう?

尿の酸性度の点検からはじまり、食事にも運動にも気遣いまし
たが効果なし。恐怖心を和らげるのに、鎮痛剤や麻酔薬は使え
ません。お酒は、良薬だったと思いますよ。

この項は未成年の読者に配慮しました。七転八倒(←中学時代
に経験した劇痛)を知らないヒトは、お酒も良識に従って下さ
いね。痛みを知ったヒトも、今はお酒ではなく、医学を頼った
方が賢明です。


 ※


新入社員当時、研修を終え、配属され、関西に出張した帰りに、
同期生数人に案内され、繁華街を飲み歩いたことがあります。
ざっくばらんで打ち解けました。自分でも「ふ〜ん」でしたね。

「ふ〜ん」とは、「関西は合わない」が思い込みだった溜め息。

勤めていた会社では、広告制作の部署と、製品デザインの部署
が東西に分かれていたのですが、その一方の、関西所属の雰囲
気が、好きでしたね〜。

違いは仕事の性格? 解かりません。恐らく、関西のほうは、
デザイナー一人一人のよい面が、十分に引き出されていたので
しょう。引き出されていた理由は、デザイナーのまとめ役の、
資質と能力と意欲が、十分に生かされていたのでしょう。生か
されていた理由は、魅力ある一人の下で直接に、であろうと、
今になって想っています。

場所も時間も、関係ないと思いますよ。超人も要りません。当
事者が、資質や能力や実績に応じて、幾重にも組み立てる「暮
らしの雛型」になっていました。


 ※


八分の三は浅草、八分の三は近江と京都、八分の一は静岡、八
分の一は埼玉。カミサンは四国と九州、カミサンの縁者には東
北や北海道住まいも。五百年後に生まれ変わったら、地球から
飛び出して宇宙人と暮らす予定。

関東にも関西にも、義理立ての必要はなさそうです。

面白いもの、台風一過、朝四時の空。

千葉県の北西部に、雨が降ると氾濫する春の小川が、改修され、
利根川から導水、水質も改善された一級河川があります。走る
時に、この川を横切る場所が富士見橋。久しぶりです、橋から
富士山が見えたのは。

新入時の上司は係長、課長、部長(室長)です。当時の係長の
お一人は定年退職されていますが、第一回の「橡の木の葉展」
でお名前を発見。三十年振り。

部内独自の業務はやがて独立、経営全般に関わる業務は遠方の
新設部門に吸収され、営業関連に絞られて行きました。

新入時から「境」まで関係した部署は、営業本部、事業所所轄
の営業部(本部の業務も兼務)、支店、宣伝部、資材部、物流
部、広報室など。「境」以降はデザイン室、研究所、生産部も
関係。

当初は本部長がお二人でした。部も課も一つではありません。
事務局ですから役員全員も加えますと、日常的に、何人いたの
かなあ〜、「アイツの仕事、アレで大丈夫かいな」と危ぶんで
いた役職者。

Jさんの調整力は抜群でしたが、新規事業時代、Jさんに心酔
していた私に、人事の役職経験者曰く「Jはなあ、評価が割れ
ているのだよ」 その時の私の気持ちは「Jさんでもそうなん
だ、俺、もう社内を歩けないや」

デザイン室に移りたかった! ですが、「参加資格」を欠いて
いました。


 ※


「境」以降の商品化時代、私より若かった方で、一緒に働いて
いたお一人が亡くなったことを、やはり「橡の木の葉展」で知
りました。

Oさんのご友人Lさんは、私の在職中に亡くなっています。血
液の難病を患い、血液型が一致した私は病院に出向き、腕から
腕へと、直接輸血したことがあります。

Oさんは専門書の読書会も開催、会場にLさんのお住まいを利
用、私もお邪魔しましたので、Lさんにも親しみを寄せていま
した。職場では、誰よりも厳しく躾(しつ)けられた先輩です。

Lさんは、私の弱さを見抜いていました。

亡くなる前にご担当された新製品も、会社の皆さんには協働の
成果、Lさんのことは、記憶にもないでしょう。しかし時計の
止まってしまった私は、今も店頭の製品を見ますと、Lさんの
顔が浮かんできます。

事業所内の他の部署から、同じ血液型の私に声がかかり、事業
所内のもう一人と連れ立って、就業中に出かけた時は、まだ幼
いお子でした。別の難病。病室はガラス越し。

お仕事とは解っていますが、組合側の一人としては、快く思わ
ない部署に所属。

その方から、頭を下げられた時は絶句しました。

家族! なんですね。


 ※


本職の作品は、私はミロやピカソなど、好きな作家で足りてし
まいます。素人の作品も、私にも「家族のアルバム」がありま
すから、積極的に観たいとは思いません。絵画が絵画に留まる
限り、私の場合はそうなのです。完成した作品だけ観せて「感
動なさい!」は、表現者の怠慢では?

稚拙や高度の、質や水準の問題ではありませんよ。方法は充分
ですか。総合性は満たしていますか。

素人は本職より劣る? 確かに技巧は、一般的にはそうなので
しょう。では、方法も総合性も本職より劣る? さあ、素人も
本職も、そう言い切れるほど充分とは思えないのですが。

本職は最善を尽くしている? 技巧はそうです。しかし、私が
経験した「職場」に相当する方法と総合力を動員した場合、絵
画も文章も、ただ作品を並べただけで「観て下さい・読んで下
さい・感動なさい」とはならないでしょう。満ち足りている鑑
賞者はそれでよいのです。表現者の野心がその程度ですと、ガ
ッカリします。

ミセやカイシャで、思う存分表現できるヒトは仕合わせです。

傑出した経営者も、諸々の状況下では「木の葉」同然です。震
災時の経営者、恐慌下の経営者、戦後復興期の経営者、泡崩壊
時の経営者、未知の環境に遭遇する経営者。

修羅場で鍛えられた経営者や従業員や自営業者を、圧倒するに
足る表現は、筆先だけでは生まれないと思いますよ。


 ※


配属された職場で、最初に食べたお昼は、何だったのかな〜?

昼食と夕食は、出勤日も食べるのが当たり前です。ただ、残業
時の夕食はヒトによります。私は夕食抜き派。

昼食も夕食も、食前に少しでも食べますと、後で食物を受け付
けない体質ですから、食べないほうが食べられるというヘンな
事情。また夕食による中断は、残業の生産性を低下させ、帰り
時間が遅くなります。

遠慮もあります。会社では先輩になってからも、「中町」では
社員を食事に誘った時も、まあ、食べるのは控え目でしたね。
会社関係だけでなく、友人宅でもカミサンの実家でも、幼い子
らを伴い両親を訪ねた時もまず遠慮。両親だけは遠慮が遠慮で
ないことを知っていましたが、その他は招いたほうも招かれた
ほうも気まずくなりますので、私は適切な措置をとりました。

飲みましたね〜。

早朝、一時間走りますと食欲が湧きます。

普通に生活している時は、種類も量もキチント食べます。今で
も食欲は脆弱ですから、キチント食べる必要があるのです。赤
ん坊時代の栄養失調が尾を引いている? さあ?

食べ切れない料理を盛った旅行番組、材料を無駄にしている料
理番組、食事を粗末にしている娯楽番組を見ますと哀しくなり
ます。買い食いの暮らしも侘しいです。

毎日食欲が湧いて、毎日食べられ、毎日「おいしかった」と言
える暮らしは幸せなのですよ。当たり前? 歴史と地理、勉強
し直して下さいね。その幸せを大切に!

会議の日は非食の欲(?)が湧きました。会議の私のお弁当は、
秘書課の女性に食べてもらいました。午後から始まる会議でも、
お昼を抜いています。会議当日に食べますと、消化できなかっ
たのです。会議とは、役員会議と、役員会議の議題を事前に検
討する役職者会議です。それに比べますと、部内会議や関係部
署との連絡会議は、息抜きか居眠り同然。

新入社当時は、平日の飲み仲間も休日の外出仲間も同期生でし
たが、相手方の事業所に出張した折を除き、次第に同期生は疎
遠になり、同じ職場の先輩や上司に替わっていました。先輩に
は女子社員も含まれます。


 ※


お勤めは神田の「店」とは別世界でしたね。もしお勤めを知ら
なかったら、私は自分の文章を信頼することができなかったで
しょう。ソレは勤めに関係ない? いえ、少しはマシ程度のお
話ですが、社会を考える場合、是非ともお勤めの経験はお願い
したいですね。該当するお仕事は、文筆業だけではないですよ。

最も驚いたのは役割分担の妙。


 ※


役員の名代で出かけた米国旅行、ニューヨークの宿舎が判りま
した。両親に差し出した手紙が、母の手元に残っていたのです。
The Waldorf=Astoria (a Hilton Hotel) New York,N.Y. 10022

七十一年八月二十五日付になっています。米国内旅程は八月十
日から九月四日まで。羽田着はJAL51便、十九時四十五分
の予定。

裁断縫製自動化の見学旅行(六十五年)も、各地立派なホテル
に泊まっています。男性添乗員と同室。お客の立場ながら、学
生の私は添乗員のお手伝い。

当時は折々、一行の荷物も添乗員が一人で見張り、力仕事の助
けが必要だったのです。因みに、私の中学時代の趣味兼運動は、
出荷する商品の梱包でした。

添乗員の決済は胴巻きの札束。日本の某旅行社とカナダ太平洋
航空(←多分、こんな名前)が協力、観光コースを開くお試し
旅行を兼ねていました。

問屋の親父さん連中は、一皮剥けば敵(かたき)同士、学生の私
には口もきいてくれませんでしたが、食事も空き時間も、添乗
員と一緒なので、痩せ細る必要はなかったです。両親からの頼
まれ物をニューヨークで探した際は、メーカーの事務所に上が
り込んで商談紛い。すべて添乗員のお蔭。

一方、七十一年は、ニューヨークのホテルでも、夕食は場末に
出かけステーキ定食。

質素な身形(みなり)の家族連れが、さながら最高の料理を楽し
む様子に、私の食べ方(喉を通らず手がつかない)が恥ずかし
くなり、肉を呑み込んだと、二つの旅行を混同しながら、これ
も何処かで書きました。


 ※


今日は七月十四日。野木町のヒマワリ畑、先日の台風で倒れて
しまい、一本一本、起こしたそうです。手入れ、大変なのです
ね。満開はまだ先です。












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