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クリスマスの季節 −33−
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活字から離れられなかった高校時代や大学時代は、私も登場人
物に夢中でした。ですが今は
昔の随想に、内閣も民間会社に委託して! なんて趣旨を書い
たことがあります。俺がの指導力や演技力に疑問を感じ、広告
代理店でも製造会社でもよいですから、民間に投票で委託、政
治家も、個人ではなく民間の事業体を相当数選出、そんな気持
ちが強まっています。
某国のテレビ番組で、単に家庭生活とか、単に学園生活が描か
れている連続番組を見ていますと、中学時代や高校時代に、海
外の服飾雑誌から、切り抜いた色刷りの写真が思い出されます。
家庭の普段着や学園の登校着なのに凄い感覚!
別の某国の実情は知りませんが、昔も今も、家族の何気ない姿
を見ましても、楽しくなってしまう番組があるのですね。とこ
ろが昔と今とでは、違っている点もあるのです、私の場合は。
昔は登場人物に憧れました。劇映画の主役や連続番組の脇役が
栄光の星でした。小説では主人公が、史書では悲劇的英傑や破
壊的創造者が心の太陽でした。今は違います。
連続家庭劇(←こんな分類、あるのかな〜? 日本語にこだわ
りすぎかも)の普段着に魅せられた場合、昔の私は「誰さん素
敵〜!」だったのですが、今は「エッ! 誰なの? あの感覚
を演出したのは」になっています。表現を演出する一人一人と、
表現を構成する総体に、惹かれてしまうのです。
※
昨年の橡の木の葉展が終わったとき、既に描き始めていた「ナ
イル河の少年」の下描きが、ようやく昨日(七月二十日)に仕
上がりました。大幅に遅れたのは、素足を想像で描く必要があ
ったからです。その間、下描きの済んでいた観光バスの絵はま
ったく手つかず。
大変なんですね〜、高年になりますと。描いている母は、父が
亡くなった八十二歳になっています。ところが、塗るのは驚く
ほど早く、今日(二十一日)のお昼には、河が青く彩色されて
いました。進捗の釣り合いが崩れてしまい、仕上がりの均一性
を保てません。昨年から目立ちはじめた困難です。
ナイル河の少年 (P20号)
色を塗る際、頭の形、顔の膨らみ、素足の大きさを直します。
※
坂をドタドタ駆け下りる場所に、休耕田の水溜りがあります。
白い鷺(さぎ)の餌場です。その鷺、先週まで私を避けていまし
た。嘴(くちばし)の餌が心配なんです。餌は小さなザリガニ。
子が幼かった頃は、ドジョウもいました。
昨日今日は立ち尽くしたまま! 乾(ひ)上ってしまい、ザリガ
ニが見つからないのでしょう。青い田圃(たんぼ)では稲が香り、
風の波が寄せています。机上の采配が主労働とは思えません。
ヒトと自然の、再生産の土壌を覆す投資や投機は、産業社会の
徒花(あだばな)ですよ。
※
旅! 行きたいですね〜。懐が寂しいと無理? そうかなあ〜。
大切なヒト、つまり「子」にとって、最も魅力ある暮らしの一
つが旅でしたら、条件を整備できるのに、手を拱(こまぬ)いて
いる大人はおかしいですよ。
長く続いていましたね〜、ポッカリ感との道行きが。大学二年
次、はじめて降り立った大陸の、印象が強すぎたのです。我々
の当時は、海外を旅する機会は珍しかったです。恵まれていた
だけ? そうかなあ〜。
傑作を鑑賞する機会のあるなしは、表現者には運不運では済ま
されません。違うと思いますよ、海外を旅しないで育ったヒト
と、海外を旅して育ったヒトの、機会と、成長性と、人生の歓
びは(←歓びが最も大切)。
稀に企業活動の逸脱が問題になる業種にお勤めですと、実力や
職種にも拠りますが、社会に出る前のご家族も、世界各地を見
聞する機会があるのですね。一方、ご夫婦で実直に働きまして
も、学費にも事欠くご家庭もあるのですね。
抜群に楽しいだけに、恵まれない子にも行かせてやりたいと、
恵まれているお父さんやお母さんは思いませんか?
昨日(二十三日)は父の命日でした。青い空を眺めますと、当
時の夏が蘇ります。
大陸や島嶼で家庭泊を続けながら、自転車で旅する高校生や大
学生が見えるようです。受け入れる家庭の、部屋を掃き、お布
団を干し、門前で待ち受ける老夫婦も見えています。
※
お勤めに出た最初の印象は「ゆとり」でした。
世の中は偶然が多いです。新入社員研修時、一緒だった同期生
に、大学院卒の有資格者がいます。年齢も職種も違いますので、
研修中に皆で飲んだほかは、接点はありませんでした。
結婚後は正月と旧盆に、妻の実家を訪れる行事が数十年続いて
います。近年のお盆に、妻の縁者のご主人から、何々さんを知
っていますか?と尋ねられたことがあります。先の同期性が、
私を憶えていると話したそうです。二人は技術系のお仕事で接
触、最近、その方の栄転が伝わって来ました。
新卒時の同期生や、大学の同窓生の転職も知ることがあります。
韓国生産を開始した経緯は忘れましたが、中国のことは記憶し
ています。中国に関心が湧いたのは三十年以上も昔です。職場
に「毛語録」を持ち込んだ中間管理職がいたのです。お勤めの
場に勝手は通じません。ご本人や会社には、将来の機会が見え
ていたのでしょう。
それから十年後、私はある会社に案内され、中国の生産現場を
見ています。
こちらがお客でしたが、やがて競り合うであろうことは、お互
い見え見えでした。多分、案内してくれた中国専任者は、私の
オットリを見抜いていたのです。中国各地で、商談と、工場と、
人材の引き抜きを拝見しました。
さらに十数年後、その専任者は、お取引先の倒産と会社の方針
転換に遭遇、同じ時期、人材銀行から声がかかり異業種に転職、
新しいお勤め先で出合ったのが、新卒時の私の同期生。お二人
は新会社が集めた即戦力。
絵画展(橡の木の葉展)で会ったお勤め時代の後輩も、立場上、
私の同期生の転職を知っていました。お二人が転職した会社は
現在、資本系列が替わると報じられています。
北海道を旅行した大学時代の友人で、有力銀行の上級役職者だ
った同期生も泡の崩落で転職、ゼミ旅行の際、私の車に乗った
同期生で、総合商社にお勤めだった大学の同窓生も、昨今、転
職していたのを知りました。
今の暮らしの印象は「不安」です。
経済社会の、状況がさらに悪化する場合は勿論ですが、出口の
見えない不安が延々と続く社会も、一人一人が織り成す気持ち
への配慮の点で、未来に持ち越すのは無責任だと思います(今
の社会は、一人一人が織り成す気持ちへの配慮の点で、孫や曾
孫に引き継ぐ要件を欠いています)。
※
「ナイル河の少年」は、父親から舵を託され、働いていたので
すね〜。
少年の操船中に、父親は一言も発しなかったそうです。我が子
の一挙手一投足を、身動(みじろ)ぎもしないで見ていました。
十七、八人の観光客で船は満杯になり、舷(ふなばた)の私の父
は、少年の足に重なるように腰かけていました。写真は別の団
体が乗った似たような船です。
絶海ではないですよ。帆船が行き交うナイル河を、渡っただけ
ですから、不測の事態を招いても、周囲に救われ、乗客に大事
はなかったでしょう。ですが、一度操船を誤れば、観光客相手
の仕事は続けられますまい。万一の場合は、職安に出かけ、転
職先を探しますか?
十七年前(八十五年三月)、商用で香港に出かけた際、両親と
子と甥の旅行に便乗、漓江(りこう)を観光したことがあります。
他の船を牽引しながら、悠然と航行する二階(?)建ての遊覧船
です。
船内で鍋料理を頂いた翌日、小学生だった上の子が下痢、寒が
るため、私はホテルの従業員から自転車を借り、市内でカーデ
ィガンを調達、幸い、往診の女医さま処方のお薬が効いて、一
緒に帰国できましたが
操船場所と客室に境がなく、着帽した青い制服の操舵手と、一
緒に記念写真を撮ったり、身振り手振りで話すことができまし
た。通常は中年の乗員が一段高い椅子に坐り、大きな赤いハン
ドルで操船していましたが、熟練者なのでしょう、離岸時、接
岸時、難所など、複雑な操船に限って舵をとっていた壮年の乗
員に、尋ねて曰く
「お飲みになっている透明な液体は何ですか?」
得体の知れない瓶を片手に、舵を操るのですから気になります。
※
埃(ほこり)って、いえ、誇りって、踏んぞり返るのではなく、
ナイル河の少年の、表情を指す言葉だったのですね〜。
聞か猿って、いえ、着飾るって、白い衣裳を纏って、全身で舵
を支え、帆綱を操ることだったのですね〜。
オレ、今マデ、ドンナ暮ラシ方、シテキタノダロウ? 豊カニ
暮ラスッテ、ドンナコトナンダロウ。
※
両親のナイル河の船旅は四泊でした。最終日は観光客全員で記
念の宴。十七、八人の日本人団体客は地元の民族衣裳。他にア
メリカ人団体客十数人とフランス人団体客約十人。
夕食後に出し物を披露(ひろう)。アメリカ人の余興は言葉がわ
からないと珍紛漢紛。フランス人は寸劇。トリは日本人の阿波
踊り。
音楽は用意済み。踊りは見様見真似、の筈でしたが
父の仕入先で、久しくお付き合いしていた専門商社が「連」を
持ち、阿波踊りに招かれた際、母は芸者衆から女踊りを習って
いましたので、ナイル河の遊覧船で即席の舞踊教室。
芸は国際交流を助けます。アメリカ人もフランス人も踊りの列
に。えっ? 男踊りはどうしたですって? 日本人の男性六、
七人は控え目が美徳。海外は男女同権ですから振りも性差無用。
ナイル河の船上で競演とは凄い偶然? まさか! 両親が敬愛
するTさんの演出でした。
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