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クリスマスの季節 −356−
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伝馬町牢屋敷跡の一つ 十思(じっし)公園
伝馬町牢屋敷 てんまちょう
日本橋大伝馬町 おおでんまちょう
日本橋小伝馬町 こでんまちょう
日本橋本町 ほんちょう
米麹 東京都中央区
寶田恵比寿神社の前
椙森神社の神輿
寶田(たからだ)恵比寿神社 恵比寿講べったら市
椙森(すぎのもり)神社 えびす祭
私の幼い頃は
泣き虫、湯嫌い、気難し屋、蕎麦好き
湯屋の敷居を跨ぐと泣き出し
湯上りの着物を着て外へ出るまで泣き通す
母は湯嫌いを治す呪禁だとして
浴槽のザクロ口へお供えを上げた
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南京米の等分に混ざったお米を二十五銭ほど買って帰る途中
新堀の橋の際に出ていた煮込み屋で
豚の臓物の串刺しを
味噌で煮た一銭四本の「牛煮込み」を買い
片手にお米の風呂敷、片手に煮込みを下げて帰る楽しさ
真冬の夜など、両親がランプの下で懸命に仕事中
命じられ、買ってきた焼き芋の風呂敷を広げ
湯気の立つのを、親子で囲んで食べる美味さ
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この頃の私の楽しみは
週に一度、夜業の後に
近くの蛇骨湯で入浴することであった
場所柄、蛇骨湯の終業は遅く、夜の一時頃
私は、番頭が砂で流しを洗う時刻に入浴することもあった
湯の帰りに夜店をうろつき絵葉書を見るのも楽しみだった
日露戦争当時、絵葉書が熱狂的に流行ったが
戦争記念絵葉書は発行直後
右から左へプレミアム付きで売買され
絵葉書屋の夜店が至る所に現われ
様々な絵葉書を白い封筒に入れ
福袋と称し
一袋一、二銭で売っていた
大勢の人が押合いながら封筒を燈火に透かす
中に優秀品が入っている袋があったので
私もそれを当てようと
湯の帰りに福袋を買い
封筒を破る一瞬が無上の楽しみであった
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その後も私は仕事の都合で夜店を開いた
下谷竹町の、裏通りの湯屋の前は
誰でも勝手に店を出せたが
よい場所は夜店の権利が数百円で売買された
私の夜店は場所が悪く
売上げは一晩で一、二円程度
十時には店を仕舞った
仕舞いかけに客が来て
四円三十銭売上げた夜もあった
或る晩、年増が十三銭の足袋を買い
白銅を十五銭出したので、釣り銭二銭を出すと----
お釣なぞ要りませんわ
こんな良いところで夜店をしている方の
お釣なぞ頂きませんよ
と言ってさっさと行ってしまった
そういう本人も夜店の安足袋を買うほどであり
夜店の客と言えば十人が十人、値切るのが普通だったので
とても不思議な客だった
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道潅山の下を過ぎ
王子を越して
赤羽の渡船場でようやく夜明け
暁の川風は頬を刺すように冷たく
河原は霜で真っ白だった
川を越えるとほどなく川口
着いたのは朝の七時
出店の商人は影も見えず
不審に思って土地の人に聞くと
市は夜!
確かめずに来た軽率さを私は悔いた
町の中ほどの、火の見の下に店を出した
午後の二時頃には
股引草鞋履きのお百姓さん姿のお客が現われ
古着、小布、シャツ、股引、足袋、
下駄、農具、乾物、野菜、おでん等
出店商人も相当増え
どの店も繁盛、市は真夜中まで賑わった
私も古法被を山積み
その脇に足袋を並べたが
足袋は完売するも、法被の売上はたったの三枚
古法被一枚の、原価十三銭を三十銭で売り
安いと言われ値切られもしなかったが
古法被が売れたのは十年も昔の話と知り
足袋を大量に持ち込めば相当な売上になったものをと
人に言われるまま出かけてきたことを私は恥じた
十七円の売上を懐に
居酒屋で食べたケンチン汁と
傾けた徳利の濁酒が
忘れられないほど旨かった
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朝から晩まで山のように群れる客のため
昼飯は三時になることも珍しくなかった
それを私と妻と小僧の三人でやり通し
商い高は夢中の余り判らなかった
客足の絶える夕方から裁断をはじめ
ベッタラ市の頃は冬物の最盛期で
夜を徹して裁断した
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商売をしていた頃の私は
起床後まもなく裁断屋へ出勤
裁断の手筈を決め
工場と職方への割当を考え
朝食を済ませ
店に坐って商いを監視しながら
絶えず仕入れと職方に応対
釦の数を計算
製品を収納
工料と仕入れ代金を支払い
毎月発行する商報の帯封を書き
それを三百六十五日繰り返していたが
夜業だけはやらぬ事にしていた
毎日、昏方になるのを待ちかねて
銭湯に出かけ
その湯に浸かっている間こそ
開放される時であった
湯の帰り
大きな月が昇った時なぞ
うっとり眺め
歌を考え
危うく自動車に挽かれそうになったり
立ち話なぞして遅く帰ると
…………自伝抄録より
神田に移った後の
祖父の店から宝田恵比寿神社までは徒歩七、八分
裁断する生地の都内の仕入れ先は主に堀留
祖父の行きつけの銭湯は日本橋でした
2004年09月分のお便り
無から無への軌跡
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