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クリスマスの季節 −35−
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大学二年のゼミ(前期ゼミ)は「管理会計」でした。商人の子
は商学部、商学部は簿記学校の親玉、簿記と会計の違いは言葉
の綾、程度の認識で学部を専攻しゼミを選択したのですから、
教官もさぞ迷惑だったと思いますよ。
簿記も管理会計も、少しも興味が湧きませんでした。今でも、
なぜ文科系資質が大学へ行くのかよく解りません。大学入試を、
就職試験の予備試験と位置付けますと納得できますが、それで
すと、学費と養育費の負担が大き過ぎます。資格取得のためな
ら、あるいは技術系は、悉く専門学校の名前でよいのでは?
人生に高卒、大卒、大学院卒の違いを設けて、何の利益になる
のかなあ〜?
前期ゼミの教官に許しを得て、出かけたのが最初の海外旅行で
す。帰国後に出席したゼミで、報告を求められ話したことが、
夜、どんな所に立ち寄ったなどと我ながら実にクダラナカッタ。
帰国後、気持ちは大学から離れていました。空虚感、疎外感、
劣等感、そんなものがゴチャゴチャ押し寄せ、大学が疎(うと)
ましくなったのです。通い続けたのは単に見栄。退学の選択は、
両親のためにも、耐えられなかったですから。
※
高校時代が花だったと思います。考え込む前に、出かけてしま
えばよかったのです。
寒かったですが晴れていました。信濃町で待ち合わせたクラス
の子と、スキー行きを打ち合わせながら、青山の友人宅(公営
住宅)へ大まわりして帰る、いえ、大まわりして出かける途中、
学生でしょう、男だけの数人に冷やかされてしまいました。
趣味や旅行の際、同性であろうと異性であろうと、身近な仲間
に声をかけ、不都合はありますか? 学校生活でも家庭でも、
高校生が、異性とも普通の友人として、群れるのではなく一人
の資格で、節度をもって、活発に交流するのが難しい社会の、
状況と通念と、媒体を伝わる情報が(肌で吸収する学習環境が)
お粗末だったのではないのかな〜?
六十五年の旅行で学んだ一つが、ホテルで見かけた盛装の男女。
参りました。
我が国との貧富の格差に? いいえ。
助け合えば、そして服装は助け合えますから、会場を工夫すれ
ば、貧富は関係ありません。
羨ましい? もっと強烈な印象でした。その後、海外旅行で泊
まる際は、無意識に盛装の男女探し。地方都市で、社交の中心
を担っているホテルに泊まったときは、特に盛装の男女が気に
なります。
えっ! 我が国も同じ? そうなんだ? 知らなかった。
因みに、見かけた盛装の男女とは、何組もの小学生、特に気に
なる男女とは、小中高生が集うパーティの出席者です。
観客文化様式ではなく、主体的に人生を謳歌する学習は、高校
生からでは遅いと思いますよ。大学生になってからは私の場合、
旅先でも考え込む癖がついてしまい、ルンルンを継続するのは
困難でした。自分の家庭を築いてからは、子のルンルンの視点
で暮らしを考え、今は、子が親として暮らす環境や、孫が子と
して育つ状況を考えてしまい、余生を謳歌するための生涯学習
はとても無理。
※
考え込む癖?
もの心つけば、誰も考えますよね。夢見る乙女ではなかったで
すが、自分と両親のことは、絶えず考えていました。ただ、高
校時代と大学時代では違いがあります。六十三年は米国の大統
領が暗殺され、六十五年は北爆が始まっていますから、事件や
戦争の影響もあったのでしょう。しかし両者の違いは、そのほ
とんどが、暮らしの不安から生まれています。
大学へ入る前は、商家の子の自信がありました。「店」に出入
りする総合商社の、営業員は何サマなんでしょう!とか、ヒト
が欲しい(←父の口癖)なのに、ヤッサンのようなヒトは本当
に少ないとか。
ですから、な〜に、俺は場数を踏んでいる! 大学なんて、ど
〜ってことないよ、とは思いませんでした。
相当に物怖じします。初対面の折は、心臓が口から飛び出すほ
ど不安になります(なりました)。入学式には、留年と中退の
先入主も持参、緊張していましたので、壇上から、社会科学や
問題意識などと謎めいた言葉を発せられますと、落ち込んでし
まいましたね〜。疎外感と劣等感の芽生えです。
※
入学当初は従順でした。少なかったですが友人も出来、次第に
受講の要領を会得しました。要領が効いたのです。普段は閑古
鳥でも試験時は満員の教室や、予め設問を知らされる試験、参
考書持参の試験、先輩から模範解答の届く試験もありました。
凄い教育ですね、世渡りの。
要領から生まれた余裕は自分の部活に、つまり「店」の手伝い
に向けました。そこに海外旅行の刺激が加わったのですから、
気持ちは大学から離れてしまい、帰国してから卒業までの三年
間は、北海道旅行の思い出も含め、大学生活はほとんど記憶に
ありません。
ポッカリは「店」に対しても同じです。「店」では量販店商売
に不安を覚え、若者向け週刊誌(←後に廃刊)の裏表紙に広告
を載せ、消費者に直接商標を売り込み、「着用して気に入りま
した」などと、葉書も舞い込むようになりましたが(←両親は
喜びましたが、私の就職後、下請けに路線変更)
若手の顧問某が送り込んだ従業員(大卒の企画員数人と型紙の
中級技術者)による、結果として「店」のためではなく、顧問
某の利益になった出来事や、同業者による下請け工場の切り崩
し、競争相手による技術者の引き抜きなど、不安に備える必要
が生まれ、服飾への関心は、自分が身につける衣裳まで、冷め
てしまいましたね〜。
暮らしの不安に克つために、生涯、夢中だったと思いますよ、
父も母も。今は、商家だけでなく肩を叩かれる世代も、中高年
だけでなく職探しの新卒や学生も、暮らしの不安と戦っている
のですね。恐怖と言ってもよいでしょう。絶望するかも知れま
せん。その気持ち、壇上では、解るのが難しい?
※
休耕田の白い鷺(サギ)、姿が見えなくなりました。生きるって、
大変なんですね。
今日から八月。陽が昇るのが遅くなり、走り始めは暗いです。
暑いので一層ドタドタ。百日紅(サルスベリ)も木槿(ムクゲ)も
夾竹桃(キョウチクトウ)も、羨ましいほど無表情。
朝食後に出かける際、彼方此方(あちこち)からションベンのシ
ャワー。庭の地面は穴だらけ。冬になりますと、リュウノヒゲ
の凹み凹みに、セミの抜け殻が溜まります。
ステンレスの郵便受けの、上っ面に這い上がってしまい、引っ
くり返っている蛹もいます。郵便物の、取り出し口を覆ってい
る南天(ナンテン)に移してあげますと、う〜ん、無礼者! な
んて雰囲気で脚を動かし、細い幹にとりつきます。
※
ニューヨークでは夜も出かけました。バスに乗車する際、運転
手に「何歳だい?」と訊ねられ「モグモグ」と答えましたとこ
ろ、添乗員が透(す)かさず「二十七歳!」 添乗員曰く「さば
読んで!」
飲酒年齢が違うことを、知らなかったのです。タバコはデザイ
ンの好きな銘柄を気ままに買えましたので、何事も進んでいる
アメリカのこと、まさか、二十歳になってもお酒が飲めないな
んて・・・
二十歳と答えても、信じてもらえないであろうことは、カナダ
を旅している際に認識しました。山岳の綺麗な観光地に、暗い
背広で到着した時は、ドイツ人の子どもに間違われ、軽装で訪
れたカナダ側の瀑布では、黄色い子どもと呼ばれ神経ピリピリ。
日本人観光客が珍しかった時代です。
※
冷戦時代、はじめて青島(中国)の海岸に立ったとき、弓状に
連なる日本列島が、標的にも堡塁にも見えてきました。六十五
年の旅行でも、両親の住んでいる社会に感傷が湧いています。
暗かったですね〜、飛行場! 屋上では父と母が、傘を煽られ
ながら見送ってくれました。
暗かったですね〜、着陸時の房総半島! 沈んだ沃野に、うら
悲しさを憶えました。
大切なヒトのいる土地は有り難いです。その他の土地は、私に
は、旅するため、だけにあるのです。
※
寡占媒体では、今までの情報社会では、媒体の性格上、話題が
ほぼ二重生活の一面に限られていましたので、どうしてもお仕
事を(営利や非営利の、企業や個人の、経営や政治を、興行や
援助や奉仕を)ヒトの営みの「中心」と思い勝ち、ではありま
すまいか?
二重生活の一面と一面は、ヒトの内部でも依存と牽制の関係、
融和と葛藤の関係だと思いますよ。二重生活の一面から、自分
の今までを振り返って見ますと
私の暮らしは、結婚を境に前期と後期に分かれています。その
いずれにも「大きな歓び」がありました。前期は旅行、後期は
子の誕生です。誕生の歓びは宇宙をも凌駕する?
結婚するまで、よく旅行しました。中学時代から結婚までの住
まいは、神田の問屋の二階でしたので、小五まで菅野で走りま
わっていた私には、幼友達も遊び場も見当らず、家業の手伝い
と外出と旅行が「遊び」でした。
前期の家族旅行には問屋が貼り付いています。小学生までは従
業員旅行にも出かけました。中高の修学旅行は印象が薄いです。
スキー旅行は、単身、高校の友人、大学の行事、会社の同僚な
どと。大学時代は、高校の友人と九州旅行、ゼミ旅行、大学の
友人と北海道旅行、一人で近江や山形へ出かけたことも。そし
て六十五年のカナダ・アメリカ旅行。七十一年のアメリカ旅行
は他の一面。
「子」が生まれ「子」が旅する情景、想うだけでもワクワクし
ません? 鉤括弧の意味、お話、しましたでしょう。小学生時
代の子らを(我が子と近所の子を五人も十人も)遊んであげた
ことがあるのですよ。最初の随想にその折々を載せました。目
の輝き!
どんな旅? 私の場合はたった一つ、それも一瞬でした。一瞬
で世界を知りヒトを悟った、そんな旅もあったのですね。影響
は強烈です。それまでの旅もその後の旅も、前期の暮らし全体
が色褪せてしまいました。その瞬間から、ナニを探しているか
判らない機会探しが、始まっていたのです。
※
毎日が不安な時代、お勤め時代を除いて、常にそうでした。え
っ! 俺は違うですって? 職場が面白くて仕方ない。人生を
謳歌してきた。高年に達しても打ち込む仕事がある。余暇も限
りなく充実している。しかも自分の仕事は広く世間に認められ
ている・・・
毎日が不安な時代、「子」や「孫」のこれからは、益(ますます)
そうではありますまいか。
私の場合、暮らしの二重性に気づかなかった不惑までは、折角
手にした歓びも、指の間から零(こぼ)れていました。自分の大
切なモノさえ見落としていたのですから、「子」に心を砕くな
ど、とても無理。
生きる歓び! 「子」に、その機会を用意する環境整備に、現
役と老後の区別はありませんよ。高齢化社会という言葉は、二
重生活の一面での区切りなんですね。充分に生きて(←意味深
長な言葉かも)なお色褪せない歓びが存在し、その社会性が、
もし高年者に偏っていた場合は、二重生活のもう一面でも、高
齢化社会の課題は存在できますが、私の場合は子育ての段階で、
前期も後期も歓びは実現していましたので、俺がのコレカラに
は、大して、あるいはまったく、期待していません。
子育て真っ盛りの時代は、我が子こそ歓びでしょう。
「子」に尽くす余地は(機会を提供する状況は)圧倒的に高年
の側にあります。それもいわゆる高齢化社会の課題なんでしょ
うか。「子」の、歓びの機会かも。
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