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クリスマスの季節 −38−
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お墓参りの帰り、朝倉彫塑館(台東区谷中)に寄りました。
半世紀近く、両親にはお墓がありませんでした。養子の父は実
家のお墓に入れません。屋号継承の揉めごと以降、祖父のお墓
は叔父が占有しました(伯父は学童期に病死)。
郊外の稲作地帯に、カミサンの両親が建てたお墓は、墓石に家
名がありません。家族と家庭は大切ですが、家だけになります
と面倒が加わります。父の葬儀の際も、序列社会の鬱陶しさを
存分に味わいました。
出張先のミラノで、墓地に案内されたことがあります。朝倉彫
塑館には瑞々しさが溢れています。「屋外の彫塑館」は時間が
止まっていました。
朝倉彫塑館の屋上から
※
月に一度、朝七時半、珈琲と西洋菓子で寛ぐ機会があります。
受診の付き添いで、往路だけ同行するのですが、病院の待合室
が明るくなるまで、病院隣りの珈琲店で休んでいます。今月は
付き添い日がお盆休みでしたので、復路も私が運転、待ってい
る間に写したのが隅田川。右手は築地市場。
ところが、画像を載せてみますと舌足らずが気になります。そ
こで昨日(十七日)十時半まで、JR浜松町駅〜営団築地駅を
歩き、撮ったのが次頁の写真。浜離宮に向かって堀沿いを歩い
ている時、浮いているゴミの反射から、晴れたのを知りました。
暗雲のせいだとは思いますが、朝の竹芝桟橋には、警戒心の働
く場所もあるのですね。撮るだけ撮ってさっさと移動。
浜離宮では、ご家族やご夫婦やご友人同士でしょう、異国のお
客さまも。
築地市場では、荷車が行き交う中を奥へ奥へと進み適当に撮影、
帰り際、勝鬨橋の袂(たもと)で、邦人の若い女性を囲んで、信
号待ちをしている異国の五、六名に遭遇、乗り物はスポーツ用
自転車、運動着、中年、一人だけ祖父らしき人、荷台に括りつ
けた子ども用椅子(しっかりした構造)には、幼稚園児か小学
校低学年の子。
築地市場の奥の雰囲気、好きですね〜。ヒトに対する気遣いが
分かります。問屋で育った私の思い込みかも。ウロウロしてい
るとご商売の邪魔、勢いよく歩き、とても活発な気分。その時、
見てしまったのです、自転車の一行を!
※
自転車はとても大切。
小学生時代、菅野と神田を往復したことがあります。冠婚葬祭
や旅行の折、タクシーで「店」に連れて行ってくれましたので、
千葉街道の様子は分かっていました。
小学生時代は自転車で、菅野から江戸川の河口、行徳、時に浦
安へも出かけています。目標は出たとこ勝負ですが、釣りが目
的でしたので不安はなかったです。一方、神田の「店」は父の
職場、目標は確かでしたが、目的は何だったのでしょう。
子どもの自転車で、千葉街道の自動車と競争しました。ほんの
一瞬ですが、負けてはなかったです。「店」に到着、レジ側の
ガラス戸を開けたその場に父! すぐに母も。安心しました。
引っ越したのは中学に進学した春。一方、自転車で神田に出か
けた最初は小三か小五、恐らく小四。ではなぜ母も「店」に?
不安に駆られ、二人の様子を見たかったのかも。
商売はモノ心にも立ち入ります。小学校の校庭で、朝一番に遊
んだのも、暗くなるまで残っていたのも、商売が無縁ではあり
ません。お仕事と、ご家族のモノ心を切り離した理念や指針は
お粗末です。因みにご家族とは、「従業員の」だけではありま
せんよ。
菅野の家の屋根から(昭和三十一年正月)
※
桂林(中国)のホテルで、従業員から自転車を借りる際、頼ん
でくれた人は当初「大切にしていますから、貸してくれるかど
うか」と首を傾げました。乗る際も「気をつけて下さい」
日本で見かける自転車より大きかったですが、気をつけて下さ
いの意味は、乗り方ではなく盗まれないこと、傷つけないこと。
※
我が子の中高生時代、駐輪所に預け、鍵をかけ、登録もしてあ
った自転車を三台も盗まれています。内一回は一ヶ月後、鍵と
前籠を外され、盗まれた駅近くにありました。一回は鍵を壊さ
れ、放置自転車の保管場所で発見しました。子が小遣いを貯め
て買った二重鍵の新車は、発見できませんでした。
早朝、走る際、二、三の児童公園で、放置自転車を見かけるこ
とがあります。捨てたのではなく、駅前で鍵をこじ開け、乗り
捨てた自転車と思われています。二十年以上も昔、自転車の電
話番号に連絡、引き取りに来られた人の話もそうでした。深夜、
酔った勢いで、盗む会社員がいるのでしょうか。自転車の盗難
が茶飯事という社会は、孫や曾孫に誇れません。
気持ちが暗くなるのは盗難だけはありません。老若を問わず、
自転車をゴミ同然に引き摺ったり、荒く乗ったり、歩行より走
行を優先する場面も、少なくないと思います。そうする人々も、
映画「自転車泥棒」(伊、1948年)には感動するのでしょう?
絵空事がお好き?
家庭泊を続けながら、自転車で内外を一人旅する機会が、高校
生や大学生の「誰にも」用意されていますと、見ず知らずのヒ
トの自転車も、大切にするかも。
見ず知らずのヒトに頼ることは(例えば家庭泊は、例えば旅先
で同行者を見出す安心は)やがて見ず知らずのヒトに、機会を
提供する歓びにも繋がるでしょう。
※
嬉しいという感覚ではなかったです。厳(おごそ)か? 畏れ?
そんな気持ちでした。補助輪があっても怖かった。次第に乗り
こなし、両輪とも浮いていると言われましたが、なかなか補助
輪を外せなかった。
新車を我が物にする歓びには独特な鮮度があります。今でも自
転車店に出かけますと、当時の匂いが蘇ります。お値段が気に
なるのは乗り続けた後のこと、新車に接する気分に、形式や価
格は関係ないです。
※
菅野で自転車が必需品だったのは父です。農家に牛乳を買いに
行くのも(←幼児の栄養失調を克服する命綱)、台風禍の代替
交通としても(←闇屋の時代に臨時に休めば、立ち上げた「店」
の金繰りに打撃)、職方に裁断物を届けるのも(←商品生産の
要)、大きな荷台の黒い自転車。
母が昼夜の別なく「店」に勤務したのは、私が中学に入ってか
ら。しかし型紙作りと縫製指導は、疎開先から引き上げた直後
から始まっていますので、男乗りの自転車は母にとっても必需
品。戦争直後の我が家では(あるいは荒廃した我が国では)自
転車なしでは、暮らしが成り立たなかったと思いますよ。
中学生時代、梱包に精を出していた目の前で、商品を盗まれた
のも自転車絡み。当時は、梱包した商品が裏通りを塞いでしま
うほど賑わい、出荷時は混乱を極め、黒い自転車の主を泥棒と
見抜くには、難しい面もあったのです。後日、最寄りの警察署
から、コレ、お宅の商品ですよ、なんて連絡があったり、被告
の弁護士から、弁済計画を認めてやって下さい、というお願い
が、届いたりしましたね〜。
※
私の暮らしの痛みは、少なからず自転車に関係しています。
現代の、歩道を走る自転車! 児童や生徒の、自動車スレスレ
の通学! もう、言葉もないです。ここのところ、道路がドウ
ノコウノと姦しいです。ところで、お金のほかに、問題はない
のでしょうか。
私はあっちへフラフラこっちへヨロヨロ、同じコトを二度も三
度もと、みっともない書き方を続けていますが、このMLを開
いた当初から、あるいは一冊目の随想から、柱の周りをウロウ
ロしていますので、道路のコトも、尻馬乗りではないですよ。
過去の随想では、東京湾の道路建設にも遭遇しています。当時
の壇上は、今(八月二十四日)とは違っていたように記憶して
います。今の「厳しさ」が、計画段階で無用だったとは思えま
せん。しかし昔の壇上に、「自己の理念と指針」に基づいて、
警告を発し、代案を示したヒトは何人いたのでしょう? 泡の
演出もそうでした。壇上も客席も挙(こぞ)って率先、その痛み
は、軽くはないです。
通学路に自然遊歩道の自由、欲しいですね〜。天翔(あまが)け
る自転車専用路、あったらな〜。老いて行き倒れるまで、のび
のび歩ける歩道は何処(いずこ)。それに自転車があれば、通勤
電車もマイカーもいらんです。
※
菅野の黒い自転車は、東京大空襲で焼けた「店」の形見です。
祖父が疎開する際、一台だけ移した自転車が、我が家の暮らし
を助けてくれました。
父が、お医者さまに駆け込んだときも黒い自転車。母が、学校
の行事へ出かけたときも黒い自転車。なんて書きますと、今と
変わりないですね。そーか! 今も自転車は大切なんです。そ
の大切さに見合う仕様と環境は、何時になったら整備されるの
でしょう。
菅野時代の子ども用自転車は、頻繁にチェーンが外れました。
パンクは、京成八幡駅近くの自転車店に持ち込みました。自転
車店には、土間と、バケツと、古い自転車が二、三台あるだけ
でした。
これからの自転車は注文生産! そんな風に、暮らしが変わっ
て行くとよいですね。
※
旧線
矢切の住まいはバス停まで一、二分。バスは市川行も松戸行も
数分間隔。但し、朝夕は道路が無料駐車場に様変わり。一時間
余り、松戸駅まで歩いた朝も。
矢切から越した当座の最寄り駅は、徒歩十五分の単線の駅。そ
の後、徒歩一時間または徒歩二十五分のJRの新駅に変更。後
者は一駅で乗り換えの要。バスはなく、家族は自転車利用。私
は駅前の月極駐車場。数年後は、徒歩十数分(?)の新線の駅を
予定。その折、自動車利用の生活を見直します。
新線
私の場合、便利を求めるのでしたら、東京や神奈川の住宅密集
地に移ります。中町時代は、武蔵野市へ転居することも可能で
した。
確かに、新駅や拡張された道路には、飲食店や遊興施設が並び
ますが、その代償が「到る所、緑の蚕食」ですと、有り難味も
薄れます。
道路も鉄道も、暮らしの「借景」を、壇上はどのように描いて
いるのでしょう。お金や運営の議論でも、今一つ解りません。
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