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クリスマスの季節 −41−
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写真箱をひっくり返した結果、表紙に載せた「戦場ヶ原」の写
真を、撮った年月が判りました。八十四年の九月。九月は怪し
いです。歩いたり牛馬を見たり、黄葉の牧場を家族でのんびり。
湖や滝や草原の写っている写真が十枚ほど残っています。人影
は我々だけ。人工の施設は牧場の柵一つ。
カンザス・シティの、窓越しに写した街並みも好きですね〜。
浜離宮から眺める高層建築にも魅せられます。都市の先端部分
は、清潔で、暮らしの作法が行き届いています。巨費を投じて
建設、維持、改廃し続けるのですから、大切にするのは当然で
す。一方、日光(栃木県)の自然は、あるいは借景は、築くの
にいくらかかったのかな〜? タダを大切にする気持ち、少な
いです。私には、ニューヨークの美術館と較べた場合でも、そ
の辺に転がっている(いた?)借景の方が貴重。タダの美も、
大切にして下さいね。
※
八月三十一日の「ナイル河の少年」
塗るのは「早い」ですが、塗るのが「遅い」ので、なかなか下
描き状態から脱けられません。彩色の方針に納得いくまで、ひ
と月かかりました。加えて今回は、昔ながらのカメラを、フィ
ルムを入れないで使うような「うっかり」に足を取られ、二週
間前から全面的に描き直し、一足跳びで辿り着いたのが上の画
像です。
消耗するのでしょう、何時間か集中しては二、三日休み、再び
集中を繰り返しています。但し会話の中身は、門外漢が合わせ
られるほど単純ではありません。
猛暑の今夏は大事を取り、毎週末の外出は(骨のリハビリのた
めの公園歩きは)休んでもらいました。炊事洗濯と買い物程度
では運動不足、気分もすっきりしない様子。そこで久々に外出
することに決め、さて、何処がよいでしょう?
出かけたのは、昔(←いつ頃まで?)忍岡(しのぶがおか)と呼
ばれた上野のお山。美術館の開館には早すぎましたので、清水
(きよみず)観音堂、花園稲荷神社、東照宮を参拝。
東照宮ではお釣りがないとかで、小銭入れを見せ合って拝観料
を捻出、清掃中の小父さんは、済まながっていました。
東照宮のお堂は、渡り廊下も階段も歩きづらいです。回廊では
鳩の糞対策でしょう、重石でとめた新聞紙が歩行を妨げ、歩行
の安全と、触れてはならない蔀(しとみ)が矛盾。目玉模様の風
船と、文化財の取り合わせも奇妙。雰囲気は庶民的。
寺社三つで満足してしまい、残る必要は炎熱の太陽を避けた珈
琲タイム。絵画鑑賞はやめにして西洋美術館に直行、入場券売
り場は無視、前庭を横切って正面から入館、記念品売り場の奥
で自動扉が開けばレストラン兼喫茶室。各自の注文は、聞くま
でもなかったです。(←いつもの飲み物)
東照宮と花園稲荷神社(上野)
※
橡の木の葉展第三回の参加者がぼやけています。一昨日(九月
一日)までは、学生さんは、膠彩(岩絵の具はニカワを使いま
す)の十人前後と思っていましたが、以心伝心の憶測に食い違
いが生じています。あきらめていた油彩で、何人かの学生さん
が参加を予定、もしそうですと嬉しいです。(←油でも膠でも、
参加ご希望の学生さんはお問い合わせ下さい。まだ数点は飾れ
ますし、作品は多いほど刺激になります。)
緊張します。人数が増えますと緊張感も高まります。美術館で
鑑賞する作品との違いです。「好きな作品に出合ってルンルン、
すぐに茫洋」が美術館。「小さな絵画展」の作品はどれも細部
まで記憶、コトある毎に、描いた目線なり気持ちなりを考えて
しまいます。
皆さんも学生さんに尋ねて下さい。なぜ? なぜ? などと想
ったことを想った通りに。
※
矢切の話から逸れてしまいましたね。
当時の私と同い歳の子が、都内でアパートを探しています。親
は早晩、脇に逸れる必要があると思っています、家庭でも社会
でも。
昨年の展覧会では、油絵は額縁なしで展示しましたが、日本画
はコワイので、額縁を前提にしました。
乾かない油絵は扱えません。一方、乾くのは早くても、日本画
は擦(こす)っただけで傷んでしまいます。
昨年の日本画の学生さんは額縁も自前で制作、手間と材料費が
発生しました。
美術を学ぶ子は、簡単な大工仕事はこなして当然ですが、作品
が大きくなりますと、材料費も嵩みます。画材の費用が負担に
なる学生を標準に考えますと、飾る際、会場の額縁店に協力し
てもらい、額縁は省きたいと思います。
展示室の照明や内装同様、額縁も絵画表現の大切な要素ですか
ら、額縁も作者自身で選んで欲しい(書物の装丁も、執筆者自
身でデザインして欲しい)のですが、優先すべきは費用の軽減。
学生には、岩絵の具の高価な色は、簡単には使えない懐事情も
あります。
譲れるモノコトは譲りたいです。譲るには、それまでの一歩一
歩を充分に生きておかないと、晩年になっても難しいかも?
普通の暮らし振りでは、ドチラも(充分不充分の生き方いずれ
も)かかる費用は大して変わらないと思いますよ。お金は子を
育てるだけで目一杯ですもの。となりますと、そーか、家庭で
も充分に生きておく必要があるのですね。
私が結婚した当時も、親父さんは充分に生きていました。ヨメ
サンに会ってもらったときも、結婚式の段取りも新居の手配も、
ただただ頷(うなずき)き、ただただ歓んでくれたのですから。
※
九月七日の「ナイル河の少年」
左半分の山と、顔、手足、舟はまだ下描きのままです。河はこ
れから丹念に塗り込むそうです。少年の服は、布地が透けてい
ますので、ハテ、どうするのだろう? 空もまだです。ところ
でこの写真、少年の重みで、河も山も、傾いていますね〜。
※
自転車も自動車も、神田の暮らしに車は要りませんでした。そ
れでも折々、工場の通い便や小売店への配達で、埼玉県や神奈
川県へ商用車を運転、学生時代から自動車に親しんでいました
ので、社会に出た当初は、地方出身の同期や先輩と福島へドラ
イブへ出かけたことも。←交流が途絶えた同僚を、ひっくり返
した写真箱で発見。この時は「店」の車を借りました。
矢切時代は自動車なしの生活。三鷹や吉祥寺周辺とは比較にな
りませんが、神田暮らしには、矢切はとても「便利」でした。
矢切から越して、初めて買った自動車は、黒い樹脂製(?)の屋
根、白い車体の中古のブルーバードです。年式は古かったです
が調子良好。愛着。勤め先の同僚の知り合いから買った筈。自
動車購入の動機は
子を、夜間の当番医や休日の診療所に連れて行く際、電車です
と例えば「自転車→単線→JR→私鉄→徒歩」の調子。自転車
を利用できる距離でも、幼児の留守番は心配ですから往復とも
タクシー利用。そのタクシーの待ち時間が長〜い。
次いで中古の茶色のブルーバードU。見た目も走り具合もモタ
モタした感じで、信頼感は今一つでしたが、それがなんと、イ
ギリスを高速で北上した駐在員の車と瓜二つ。怖くて恐ろしく
て助手席で震えていました。嘘! 絶対に同じ車じゃない。道
路が違うと性能まで違ってしまう! なんて驚いていたのが今
から四半世紀前。
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