折々の文章


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クリスマスの季節 −43−
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 1981



 1972



 ※


上の最初の写真は、三番目の子が生まれた翌年のお正月です。
両親(祖父母)の寝室でアカンべー。

次の写真は、結婚した翌年のお正月、神田から引っ越した両親
の新居で撮りました。

ふ〜ん・・・ではなくウーム!でした。

上の子が中学に入って、家族行動を敬遠するまで、カミサン、
外出の度に、大きな鞄を肩に掛けていました。最初の写真の時
は、悪ガキ二人に赤ん坊までいたのですから、タイヘンだった
のですね〜。


 1975


自分の衣類は先ず買いませんでした。クリスマスのパーティに
出かける時は、安売りの生地や使い残しのカーテン地を裁ち自
分で縫っていました、挙式で使ったアクセサリーを利用して。

二番目の写真のセーターは、結婚した年のクリスマスに私が買
った(以前は、女物の衣類なんか絶対に買えなかった)贈り物
ですが、その後の暮れや正月の写真には、必ずといってよいほ
ど写っています。近年も目撃情報があるとか?

先ず子の衣服、次も子の衣服、その次も子の衣服、ナンデスネ
〜子育ては。連載最終頁の赤いシャツは、中の子の写真にも、
下の子の写真にも写っていますので、上の子が着古したシャツ
を洗い晒して、八年も十年も着続けたことになります。


 

桜の季節 1977 1981


今も続いている内職は深夜から明け方まで。亡くなったお隣り
が関係していた生協のお手伝いも相変わらず。幼稚園〜中学校
の役は何年続いたのだろう。ソレデモ、スポーツ仲間や飲み仲
間やお勤め時代の同僚や学校時代の同級生とも、チャンとお付
き合いしています。

ソレが当たり前なんですね〜子育ては。ソレに見合う根気と誠
意を、俺タチは仕事の場で持ち続けていたのだろうか、なんて
思うようになったのは老けた証拠。

子育ては歓びです。子育ての労が報われない(子育てに希望と
誇りを持てない)社会に子を送り出すなんてオトナ失格。経済
も政治も報道も、ソノ実現のためにあるのです。


観察と

 1985


瞑想

 1974



 ※


カミサンが最初の子を出産したのはカミサンの実家近くの産院
です。当時は石油危機でしたので、初冬にもかかわらず部屋の
暖房が入らず、炬燵(こたつ)を持ち込みましたが効果なく、深
夜まで病院の一室で、カミサンの母さんと震えていました。

二番目は矢切近くの大きな病院。三番目は単線の終着駅の産院。
二番目のときは最初の子をカミサンの実家に預けました。三番
目のときは通学の制約から、カミサンの母さんが我が家に泊ま
ってくれました。手助けがなかったら、さあ、どうしたのでし
ょう? 姑の存在は、家事と気持ちの両面で、欠かせなかった
と思いますよ。

石油危機は二度記憶しています。「店」では、原材料や副資材
の手当てで難儀したと聞いています。お勤め先では、所属部署
の詰合せ部隊が悲鳴、人手が足りずに手伝いました。

製品単体だけでなく、化粧箱も梱包資材も配送資材も、ことご
とく改変を余儀なくされていました。省資材の徹底だけでもタ
イヘンなのに、包装規格と化粧箱デザインと製品組合せの変更、
贈答市場で通用していた製品符号の変更、宣伝販促の表示の変
更など、一切合切を宣伝制作の開始前にやらなければなりませ
ん。前提になる原価計算も、単純積み上げの消費財とは違いま
したから、嗚呼! 石油危機! だったのですね〜。

クリスマスの電飾、繁華街も住宅街も華美を競っていますが、
樹木に雪の風情も乙ですよ。静寂も美しい。


 ※



 1975




 1977




 1975




 1983




 1981




 1983




図書室での卒業式
The graduation ceremony

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