折々の文章


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クリスマスの季節 −48−
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今日は二十九日。橡三も終わり漸(ようや)く一息。

外観は、明るいですね〜世間の暮らし。幼い頃の世相は暗かっ
たです。冷戦時代は、恐怖心を拭(ぬぐ)えませんでした。今は
どうでしょう。老いた私の場合、経済も政治も、日々の報道は
直視に耐えないのが正直な処。今の自負心・羞恥心・社会性に
当時の感性で相対(あいたい)すれば、テレビ受像機が家庭に入
り始めた頃、格闘技の番組に戦慄した主婦のように、私も潰れ
てしまうかも知れません。知性も感性も、敏感な側が敗退する
としますと、ヒト社会の「発展」はありえなかった筈、ヒトは
無防備で、脆弱な生きものですよ。

橡三の最終日は、四時丁度に「少年」と「観光バス」を壁から
外し、階下のMさんに預け、お願いしてあった額入れを手配。
ところが皆の梱包が終わり、お菓子を囲んでの歓談中に、次の
会の、先生と呼ばれる人から「四時に終わると聞いている。部
屋を明け渡して下さい。」

改めて草土舎に確認してから、「作品の撤去を急いだのは善意
です。サロンは、我々が閉店時間(午後七時)まで使えるので
すよ。」と話しますと、手伝っていたご婦人からお詫びの言葉。
もとより次の会には当初から配慮、盛り上がっていた学生さん
の労をねぎらい、引き取りの遅くなる二作品を草土舎に預け退
去する折、

Mさんが、額に入れた「少年」と「観光バス」をわざわざ二階
まで持参、いかがですかと見せてくれました。毎回、富の絵の
額縁はMさんに任せ、絵の「仕上がり」を楽しみにしているの
ですが(←絵の写真は額縁なしに限ると思っています)今回は
今まで以上に見違えてしまい驚きました。額に入った「ナイル
河の少年」には古典の趣(おもむき)も(←身びいき)。

階下で額装の際、是非売って欲しいと、散々ねばったお客さま
があったそうです。遠方の、水産県の「漁業」関係者と聞いて
皆で納得、「少年」の絵に、船乗りの、誇りと歓びを見たので
しょう。


 ※
 

「少年」と「観光バス」は額に入った段階で完成になりました。
富は次に「パリの市街で乗り物を待つ父と幼年」を描きます。
題名は「父と子、パリ」、寸法はM30号。八十歳代に入って
五作目です。六作目は「スペインの水飲み場」。やはり30号
を予定。「父と子、パリ」は穏やかな雰囲気です。「スペイン
の水飲み場」も落ち着いていますが、少年の一人が意外な姿勢。

なので自然に(?)、橡の木の葉展/第四回は30号〜20号に
なります。課題は「人人の風景」。課題の解釈は自由。その他
は第三回に準じます。来秋開催の予定。美術を学んでいる学生
さんで、参加をご希望の方はお問い合わせ下さい。第二回第三
回にご参加の学生さんも歓迎です。


 ※


橡の木の葉展では、様々な想いが見て取れました。展を開く当
事者でありながら、管理人は絵を描きませんので、少し厳しく
理解できたと思います。私のほかには? 額縁店の係と「風」
の一人です。第一回から「風」の一人は、展の本質を見抜いて
いたと思います。

橡展で、私だけが扱った事務はお金でした。第一回では、開催
直前に気づき、お断わりの連絡をお願いしたのですが間に合わ
ず、お祝いのお礼の手配で、展後も暫くは三食お茶漬け。絵だ
けではなかったのですね〜、個人の絵画展は。

第一回は盛り上がりました。但し、絵以外の要素を除けばとて
も静か。伴侶の死後、病床で描いた五十号は、橡の木の枯れ葉
のようです。会場と、本職にお願いした写真は照明の強度に不
満。ヒト任せを反省しました。

「戦場ヶ原」は、伴侶を失い、廃墟から聞こえてくる啜(すす)
り泣きにも似て、暗〜い世界に掛けたかった。暗〜い作品では
ありません。作品が光源なのです。写真はやがて撮り直します。
やがてと言いますのは、撮る場所がないからです。一般の家庭
では、五十号も大き過ぎます。


 ※


「橡の木の葉」の葉はただの枯れ葉、寓意(ぐうい)も隠喩も含
まない(のは不可能かな?)落ち葉でした。トチノキも、その
辺で見かける落葉樹です。

欅(けやき)の木の葉でも、楓(かえで)の木の葉でもよかったの
です。ただケヤキの落ち葉は、あまりにも平凡です。カエデは、
葉の落ちている様子も自己主張が過ぎます。どちらも、トチノ
キの枯れ葉の、拾うと分解してしまう不細工には及びませんで
した。

枯れ葉を拾ったのは、内向きの想い(伴侶の死)から離れてい
た(自我の呪縛から解放されていた)富です。画家は、自我と
どのように向き合っているのでしょう。


 ※


受付は管理人の領分ではありませんので、こちらは「ふ〜ん」
程度の不服でしたが、「風」の一人と意見が合わなかった点が
あります。

第一回の折、私は富に、承諾するなどあり得ないと知りながら
然(さ)り気なく、「展には、出かけない方がよいですよ」と話
したことがあります。その意味を、富は今回(第三回)少し解
ったようです。一方「風」は、ただ体を気遣うだけで、展に祖
母が居る居ないにはついては、未だに意見を言いません。

二つ目は湯茶です。第一回の初日「いらないよ」と告げました
が、受付の「風」は私の意見を容れませんでした。

第二回の折、私が、出品した学生さんの一人に「どうぞサロン
を自由にお使い下さい」と話したことで、「風」の気持ちがこ
じれたのを知っています。発表の場を得た学生さんは、自己の
作品に拘っていましたから、受付の「風」は、お客さまに湯茶
を差し上げる雰囲作りに困ったのでしょう。

個人や仲間で開催する絵画展を、暫く『個展』と表現します。
本職、学生、素人の違いは? さあ・・・

第三回(今回)は、中高年世代が不参加だったこと、および学
生さんが十八人も出品したことで、同窓会など見知ったお客さ
まと学生一人一人の、展への関心が薄れたのでしょう、来展者
の少なさにうろたえる管理人に、草土舎のMさんは「これでよ
いのです」

Mさんは管理人(私)と同世代です。ご家族の様子も、私は少
し知るようになっています。このMさん、ご自分でも認める通
り、中高年のご婦人に受けがよいのですが、額縁をお願いした
最初から、誉め言葉は一度も聞いたことがありません。ところ
が第三回を「充実しています」。つまり賑わった第一回より、
閑古鳥の鳴いた第三回を「評価」したことになります。

「風」はもっと徹底しています。富の作品も、中高年の作品も
学生の作品も、一切口にしません。展についても同じです。第
一回から完全に無言。無口ではないのですから、少しぐらい何
か言ってもバチは当らないと思うのですが。

無視とは違うことは解っています。学生さんが自分の作品に用
意した感想ノートには、必ず一冊ごとに、しっかり文を書き込
んでいます。


 ※


第一回は緑茶でしたが、今回はバイト先で梅茶や昆布茶の缶を
買い、「風」はお茶を自分で持ち込みました。昆布茶や梅茶は、
お茶漬けの食べ残しを啜(すす)っているようで厭だという声も。

橡展に珈琲の雰囲気はありません。「風」も管理人も珈琲好き
ですが、珈琲は香りが邪魔です。

第二回では、参加者のお一人から開催日初日にお祝いを渡され
ました。お礼の額を相談され、関係者が「相場」をお知らせし
た模様。帰られてから中身を改め、百貨店で金券に替え、お返
しとして即配。最終日、後片付けに遅れて来られたその方から
お詫びの言葉。

参加者が集り謝礼をご相談されたお話も、その代表者から聞い
ています。搬出の際、梱包を済ませた保護者から「いくらお支
払いすればよいのです」と尋ねられたことも。

他のグループ展の準備を目撃、また絵画教室の呼びかけなどか
ら、会場を貸すご商売だけでなく、出品者を募り、出品料を集
めるご商売も知りました。


 ※


展覧会場では「作品を売って欲しい」というお話も耳にします。
以前、都の勤労者美術展に出品した富に、開催日直前、事務局
から電話がかかり「カメラマンが『ナイル河』を売って欲しい
と申し出ていますが、事務局は作品の売買に関与しません。売
却希望の場合は連絡先を教えます。直接お電話下さい。」
  
橡展でも何点かの作品に購入希望者が現われています。学生さ
んの作品は「お話は本人に伝えますが、学生は近い将来、画商
がつくことも考えられます。その折の取引価格は、安く見積も
っても1号いくらはするでしょう。この絵画展で、破格の安値
で売買が成立することは学生の利益を損ないます。売る意思の
ある学生にも、保護者と美術関係者が納得できる判断に従って
もらいます。」

以前、絵を描く社会人から「置き場所に困っている、売って欲
しい」と言われたこともあります。





 











 




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