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クリスマスの季節 −49−
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今頃になって、自分がどんな展覧会を開けばよいか解ってきま
した。風、なんですね〜。
私の場合、いつまでだったのでしょう、美術と美が、相性を維
持できたのは。
平坦ではありませんが、静から動へと、美術は美の階梯を上っ
て行く筈、なんて信じられたのは遠い昔。
各自が各々の段階で可能な限り表現を尽くす、展覧会に出品す
る要件はそれで充分。
絵画展の主(あるじ)は、作品ではありません。新緑を、黄葉を
揺るがす一陣の風。美は、景の側にあるのです。美術作品が映
える暮らし。
新緑の環境や、黄葉の様式を顧みない社会は貧しいです。美は
ますます高価になり、美はますます遠退きます。
※
昼食時は、受付が不在になりますので私が留守番。その折、来
展されたお客さまから「このサロンの持ち主ですか」と聞かれ
ました。走り込んでいますから体形は控え目、笑顔も絶やしま
せんので「俺、態度がデカカッタのかな〜」
サロンと画廊の違いも、浮き彫りなっています。
橡三の最終日、年輩者と中年女性が、号数も額縁も同じ作品を
端から開梱、「とりあえず奥半分をお使い下さい」と譲った床
面に隙間なく並べていました。憶測で「出品料×作品数−諸費
用」を目算、ふ〜ん、儲かる!
額縁は事務局所有? 定期開催? 発表会も、絵画教室の大切
な収益事業。
教室単位で開く発表会に、満足できなくなった上級者は公募展
に挑戦、入選する常連の中から入賞者も現われますが、本職と
伍する公募展の入選は難しいですから、引き続き絵画教室に在
籍、優越意識で皆に接する? 公募展で受賞しますと、高低は
様々でしょうが、気持ちに敷居が生まれるかも。
趣味で描き上げた作品を、酷評できる鑑賞者は先ずいないと思
います。一方、美術を学ぶ高校生や大学生は、ヨイショだけさ
れる訳ではないでしょう。生徒相互でも、先生の居並ぶ中でも、
酷評され、泣く子があっても不思議はないです。
屈折がなければ、見て欲しい気持ちは強弱の違い程度。
評価して欲しい気持ちは一筋縄では行きますまい。
売れて欲しい気持ちはもっと厄介。
いずれも本職と素人の別なく、表現者本位の印象。
※
どんな青写真をお持ちですか。
家計の事情から、出かける機会のない子らが、遠方の、遺産の
自然に親しむのは大事(おおごと)です。
俺さえよければよいヒトも、鞭打たれる環境で営む「租界暮ら
し」の贅沢より、日々緑に囲まれ、日々開放された暮らしの方
がどれほどよいか。環境の恵みは機会均等。私は美術も足許が
大切。
どんな青写真をお持ちですか、一世紀後の?
疲れましたね〜、傑作詣でに。絵画も花壇のように、どの家で
も咲き誇る環境が夢。サロンを借りるのは、身の丈に「自然」
がないから仕方ないです。
今の世の中に外挿法を当てはめますと、集中化の指数曲線が跳
ね上がり、一世紀後は、天文学的数値で取引される傑作展が火
星→木星→土星で開かれ、一握りの勝利者が、専有の宇宙船で
鑑賞に出かける図式……はあり得ないでしょう。変曲点は、越
えたのかも。
※
橡三でも、嬉しかった出来事がいくつかあります。悩んだり思
い巡らす出来事も。
小学生の頃、夢に見た光景があります。洋館とアトリエです。
当時は平屋と素朴が当たり前でしたので、点の想いが面でも生
きていました。今は洋館とアトリエに
堅固な城壁と、館(やかた)と庭を覆う空気清浄機と、城の四方
を遮蔽する銀幕と、田園と青空を演出する映写機……はあまり
に強欲、夢とは呼べません。
暮らしでは
洋館の板壁に映える絵はありますが、和室の漆喰壁を演出でき
る絵はありません。暮らしでは、和室の漆喰壁に映える絵はあ
りますが、洋館の板壁を演出できる絵もありません。何事にも
例外はあります。特定の絵に合わせて、住まいを建てるヒトも
ない訳ではありません。絵を隙間なく並べて壁とする粋狂も、
あるのかも知れません。しかし絵に合わせて、身の丈を暮らす
趣味は私にはありません。
展覧会へ出かける際は、建物への接近から退出後の最寄駅まで、
気持ちを豊かにしてくれる雰囲気を大切にしています。鑑賞者、
職員、歩行者などの日頃の暮らし振りが(物腰作法、社会性が)
反映します。展覧会に訪れる前、中、後で豊かな気分に浸れそ
うな美術館には、勇んで出かけます。
私は日々の暮らしで
家族に次ぐ身近で、家族に次ぐ大切な席を美術に与えています。
美術が、ではありませんよ。「銀閣寺」も「ゲルニカ」もこの
席には入れません。大きな新作が、壁面びっしりに並んだナニ
ナニ公募展も同様です。ただ例えば、身近な誰かが受賞したと
きには、一瞬でも豊かな気持ちになれますので喜色満面、一族
郎等(ろうどう)を引き連れて出かけます。
入賞の機会は、生涯に一度あればよい方でしょう。そこで、親
しみを抱いている作家を除き、常設展や公募展の美術も、庭園
や劇場やテレビ番組と同列、あるいは後列に置き、身は一つで
すから、個展も企画展も、よい想いのできそうな会場に限って
訪れ、普段は通勤電車で、「ありもしない風景」に憧れながら
暮らしています。
大切な美術には、今一つの期待、あるいは幻想も籠めています。
※
サイトに写真を載せてから、文字だけで表現していた今までが、
不自由の極みだったことに気づいています。寡占媒体単独の時
代には、想像もできなかった表現の自由が、共有媒体を利用し
て実現できるのですから有り難いです。
音声の利用はまだ試みたことがありません。休日や夜分は、昔
ながらの電気製品で、好きな音楽を流しながら作文しています。
パソコンが発する各種の音は、作文中は煩わしいです。
橡展で、作品に添えてもらった文章は私の場合、作品への親近
感が深まるのにとても役立っています。トテモだけでは調子が
弱いです。表現者の心を解く公開鍵を手にした気分。たった一
行の文にも「そうなんだ! いいなあ〜、その気持ち」などと
興奮気味。絵を観てから文章に移る時は、ドキドキします。
※
絵も文も舞台も教育も、一人でこなす芸術家が、表現を尽くし
ているとは必ずしも言えないと思います。いくつもの傑作画を
世に送り、内容の濃い、洗練された文章を著わし、演出家や舞
台人としても、特筆すべき足跡を残し、最高学府で、卓越した
芸術教育を実践したとしましても、個々単独の分野で成し得た
偉業以上の表現は、先ずなかったと思います。媒体の制約が、
それを許さなかったのです。
絵は一点ごとに展示され鑑賞されます。本は一冊ごとに販売さ
れ読まれます。絵一点に、あるいは本一冊に、「その作品」に
関わる表現が悉く籠められているのでしたら、確かに充分と言
えますが、表現の情報量は、その程度で尽くされてしまうほど
少なくはない筈です。例えば
大きな新作が、びっしり並んだ公募展では、丁寧に観れば観る
ほど疲労蓄積、私の場合は、やがて「証拠作り」に落ち着いて
しまいます。では、熱心に眺めた入口近くの数点だけは、充分
に鑑賞できたかと言いますと、最初に見た作品でさえはっきり
否、「展示」の方法が、古風に過ぎるのです。
※
橡展では、二通りの鑑賞者に気づいています。
もともと三番目と四番目の壁面は、来展者の関心が下がりまし
たが、第一回は、四番目の壁面の最後に掛けた作品(受付の頭
にかかり、観づらい場所)、第二回は、展示場所が足りず、二
番目の壁面の、そこだけ二段に展示した上の作品、第三回は、
四番目の壁面の最初の二点が(残りの壁面は、展示時間に遅れ
て到着した作品)富の新作でした。その新作の、特に四番目の
壁面への関心が、はっきり二分されたのです。
展示順に、丁寧に観て行かれるお客さまは、四番目の壁面はご
覧になっても素通りに近く、観ないで帰られるお客さまも珍し
くなかったです。絵だけでなく富についても、事前に知らなか
ったお客さまでしょう。
一回目も二回目も三回目もそうでしたが、受付も管理人も驚い
たお客さまの典型は
お昼時間やお仕事の合間に(←服装から判断)、他の作品は流
してしまい、富の作品を腕組みされじっとご覧になり、足早に
帰られてしまうお客さまです。中には商談の携帯電話が入り、
慌てて退出されたお客さまや、サロンを一目見て、富の作品に
直行されたお客さまも。
絵画関係者は別ですが、富の親しい人々も、会場で案内される
まで富の作品は知りませんでした。昔話が弾んで、富の作品を
観ないまま帰られたお客さまも……何人いたかな〜?
第二回と第三回は経費削減のため、作品入り案内状を省きまし
たので、このサイトを見ない限り、二、三十点の中の奥の一、
二点が、注目される確率は低いです。
わずか数点の絵で、作者を表現するのは不可能でしょう。作品
だけ評価されれば、表現者は関係ないのかなあ〜。
心を籠め、力の限り描いた絵を、是非観て欲しい気持ちに応え
るには、絵を観るだけでは難しいです。
※
橡展の折、一階で草土舎のMさんに尋ねて曰く「この景気です
が、ご商売はいかがです」
消費財には、家庭市場、法人市場、業務市場、贈答市場などが
考えられます。絵画や額縁はどうなのでしょう。
商品本体は基本的に変わらず、各市場に応じて容器や包装や取
引方法が変わる例えばお酒と、顧客如何で、商品そのものが違
ってしまう例えば「吊るしの背広と指定学生服」の、仮に絵画
が後者に属しますと、つまり法人の事務所用、贈答用、個人の
所蔵用、家庭の装飾用、美術館の展示用など「用途」の違いに
より、描く基調や作品の個性に一般的な変化が現われるとなり
ますと、私の頭は混乱、身近で大切な絵について、何も書けな
くなってしまいます。
自分の貧しい見聞を振り返って見ます。その一つは、注文主の
課題に応え、日本画数十点の連作を受注した例です。つまり絵
画には、特定の目的を意識した、工芸的作品や装飾的作品もあ
るのですね。
個展では展の性格如何で、作品の「品揃え」が変わることも今
頃になって解ってきました。例えばお正月前、お目出度い図柄
の日本画を取り揃えた百貨店画廊での個展。一作ごとに、画風
も描き方も異なる作品を、描いた順に並べた銀座の画廊での趣
味の個展。同じ銀座でも、作家は直接関与せず、個性も活躍の
場も異なる作家を並べ、画商の営業員が立ち会い、事務所然と
した画廊で開くグループ展などです。文化・伝統を基調とする
一般には目の触れない絵画展(市場)もあるのでしょうか。銀
座の老舗の画商と面談したお話は、この連載でも触れました。
どのような作家にも共通項がある筈です。名なしの漆器や名な
しの磁器を制作する伝統工芸の継承者も中学時代、絵を自由に
描いた思い出があるのでは? 本職の画家も高校時代、自分の
望む通りを、思う存分制作した記憶あるのでは? 絵も文も私
の原点はココ。あるいは終着駅かも。
秋
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