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クリスマスの季節 −64−
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サイトに掲載するため、写真を撮り始めた当初は、草花を意識
しました。筆頭はバラです。次いでクレマチス。やがて草花で
あれば何でも。しかし程なく、草花は気分転換に撮るだけ。
草花は柄ではなかったです。花壇や花園に飽きっぽかった。前
頁の文章と矛盾すること、書いているかも?
ここは何処?と似た処があるのです、草花を撮ることや、花壇
や花園の草花には。
草花も公園も花園も、窓と鏡があったのですね。上の街は「橡
の木の葉展/第三回のサロン」で載せた写真の一枚、靖国通り
の小川町交差点です。中学時代は通学路。
スポーツ用品の販売店Kが、随分昔に右手から消え、販売店M
が近年、奥の左手から消えたのが、強いて掘り起こした感傷で
す。二つのお店の、従業員と家族の影は、理性が素通りを妨げ
ます。
小川町も、日本橋も(←中学時代から巣立つまで、最寄りのお
店屋さんはこの地のヨロズヤ屋)、赤坂も(←お勤めの頃、事
務所が赤坂の新ビルに引っ越しました)、六本木も(←現在の
周辺には、六本木に通う会社員も)、青山も(←高校時代のお
休みに、T君やY君と泊まったのが団地内友人の部屋)、新宿
も(←繊維問屋から通学した頃、新宿のお得意さまに納品のお
手伝い)、渋谷も(←お勤めしてから、開設した給与振込口座
は渋谷の駅前)、殺伐さえ遠慮する味気なさですし、市川も行
徳も佐倉も筑波も、窓が鏡に替わっていました。
上の林は、幼稚園から小五までの通学路に(三ないし四通りの、
一人の時に利用した通学路に)そっくりです。
帰り道、朽ちてしまった生け垣で、イモムシに角(つの)を出さ
せて遊んだり、臭気を浴びて辟易(へきえき)したり。
ある日、生け垣の棘(とげ)を避けて持ち帰り、ヘナヘナの紙箱
で育てました(←カラタチの葉を与えただけ)。蛹(さなぎ)に
なり、羽化したときは驚きました。キアゲハと思っていたのが、
なんと真っ黒!
漫画に描(えが)かれていた未来の都市が、実現するとは思わな
かったです。惹(ひ)かれなかったから。しかし、豊かになると
は信じていました。半世紀後は街全体が緑で覆われ、倹(つま)
しくも瀟洒(しょうしゃ)な家並みが、緑の随(まにま)に現われ
る、その広がりを豊かさと信じていました。
建物も公園も、波と岸の狭間(はざま)まで、鏡で覆われてしま
いましたね。ヒトも組織も、中枢も末端も挙(こぞ)って競った
泡期の地上げは、あの時だけ膨(ふく)らんだのではなく、過去
半世紀も、これからの半世紀も膨らみ続け、島嶼は隈(くま)な
く鏡(かがみ)化される。
雪月花は鏡の世界、だったのですね〜。どこの子も自分の意思
と自分の足で、遊ぶことのできるお花畑が、窓に値する草花で
す。大人が言う「美しい島嶼」とは、鏡の世界の言葉の綾。
※
鉄塔の聳える村(七道河村)の「村の表情→次頁」でご紹介し
た韓鈴さんは、お母さんが初診から二ヶ月で逝去、お父さんは
食堂も、電脳バーも、銀行のお仕事もやめ、鈴さんを連れ村を
離れ、音信不通になりました。
※
私にとって、房総半島と伊豆半島の違いは長閑(のどか)さです。
房総半島は、日帰りできる距離だからでしょう、泊まっても落
ち着きません。九十九年の春、父と出かけた熱海から四年目の
先週末(二十五、二十六日)、お膳立てされた旅行に便乗して
東伊豆へ。
新婚時代にカミサンと出かけた東伊豆や、子連れで出かけた西
伊豆も忘れられません。宿泊施設は、記憶はありますが印象が
薄いです。宿と食べ物は「よいほうが悪いよりよい」程度の位
置付けでした。
子らが大きくなった今は、食事は「その場で注文・別料金」の
宿泊施設に傾斜。
最寄りの都会で宿泊するようになりますと、五百年かけても景
観美を返して欲しい。
※
八MBのメモリを搭載したタワー型のパソコンが、秋葉原で実
売21万8千円の時代に(九十五年九月)、ゴッキューパ(5
万9千8百円)の、初心者用一体型の新古品を購入、一年半後
に開設したのがこのサイトです。ゴッキューパは今も滑(なめ)
らか。小さな画面は今も綺麗。それ以前は灰色画面のキューハ
チノートと、ハードディスクなしで黒白画面のAX規格。
都心に較べますと出遅れの感は否めませんが、我が家一帯でも、
今月末から某ADSL○○が開通になり、同じ規格でアチコチ
の古機を準備しています。
ところが私がよく使う古機は、ノートの画面が黒いため(←修
理するたびに液晶が停電?するPCを子から借り上げ)外部の
モニターを使用、また、私はノートのキーボードとノートのマ
ウスに適応できず、やはり外部の部品を利用していますので、
接続口は見たところ余っていますが、不要な部位を削っただけ
では足りない模様。
相性とか性能とかは知りませんが、大昔から、PCにLANは
当たり前だったんじゃないのかなあ? その点、バイト代を貯
めて買った子のマックは親切。
中国では、某僻村に携帯電話の鉄塔が建った翌年、僻村に隣接
する町の回線もISDNに替わり、町に所在する事務所のFA
Xが一挙に倍に!
郵電局長さん曰く「ADSLは隣りの町まで入っています。こ
の町もスグですよ。」 因みにスグとは、ISDN導入の時は
隣りの町から二ヶ月後でしたので、ADSLでも今春を想定し
ています。
※
子がマックで制作した作品は、面積が襖(ふすま)二枚分弱。で
すと学内の機器では印刷できず外部に委託。印刷費と、被膜加
工と搬入代で、新品のパソコン本体が買えます。
カミサンとの会話が、夢の中で聞こえていました。
今年度の展示はホテルを借りるのでお金がタイヘン。会場で作
品集を買って下さ〜い!
場所も狭いので、各自一、二点減らさないと飾れません。アタ
シは一つでしょう。減らすコトはできません。縦に長いからよ
いのだけれど、作品の何処かを削ろうかと冗談言ったら、友達
が「ソウシナヨ!」
留学生の○さんから「国に持ち帰りたいから売って欲しい」と
頼まれました。「いいよ、印刷代を回収したいから、※万円で
どう?」と応じたら、○さんは真顔になって「えっ! 本当に
いいの?」だって。嬉しかったよ。
※
今朝(三十日)も冷えました。畦道も凍結。
起動後も、液晶が真っ黒なノートパソコンは、内装部位を外せ
るだけ外してしまい、事務所に持ち込んでADSLの接続テス
ト。不具合解消。が……、これがノート?
蛸(たこ)の足ほどではないです。所謂(いわゆる)ノートパソコ
ンとは総花性が違います。もしかして、これが私の理想機種?
ノートは苦手でした。デスクトップは携行する気持ちになれま
せん。日々の立ち寄り先で欲しかったのは
自由に使える『並みのモニターと、普通のキーボードと、マウ
スと、インターネットの常時接続口と、家庭的な電源』でした。
件(くだん)のノートには、液晶画面も、キーボードも、マウス
もありますが、装着されている機器は使いません。それらを削
りますと、チッポケで薄っぺらな黒箱一個。サッパリ!
我が家が、当地に転居した当初から親しんでいるお店では、伴
侶に先立たれた高年の親御さんを、お子が日々、泊り掛けでお
世話しています。親御さんのお宅に泊まるのはお一人ですが、
お子にはご家族があり、お子の「暮らしの拠点」は二ヶ所にな
っています。
我が家の親戚に、伴侶に先立たれ親御さんを、ご商売ぐるみで
日々、お世話しているお子がいます。泊り掛けではなく通いで
すが、お子にはご家族があり、やはり「暮らしの拠点」が二ヶ
所になっています。
我が家でも「暮らしの拠点」が複数になっています。朝の走路
も拠点ごとに選んであります。
我が家界隈では、明日からADSL○○のサービス開始……を
知ったのは偶然です。我が家のことは万事、カミサンにおんぶ
に抱っこ。開始を知らなかったら、庭木の刈り込み同様、AD
SLへの切り替えも、もっとズルズルした筈です。
※
BBではなくSS……、なんですね〜私の場合は。パソ通の時
代から「接続時間はできるだけ短く、支払いはできるだけ少な
く」を心掛けてきました。今も変わりません。ところが昨今、
速度競争に遭遇して、何がなんだか解らなくなり、ウロウロオ
ロオロの毎日です。
リース流れをタダ同然で(やがてタダで)、入手したAX規格
から植え付けられた強迫観念……こりゃ視力がダメになる……
がモトです、青い空!白い雲!への傾斜は。
AX規格では、二枚のフロッピーで、ウィンドウズ2テン1を
試しました。涙が出るほど嬉しかったですよ、キュウハチノー
トの、灰色画面と日本語の全角文字。私にはとても高価。迷い
に迷った挙句の衝動買い(←矛盾した記述)。
本当に涙が出ました。キュウハチノートの、明るさと滑らかさ
が気に入ってしまい、一生ものと信じた矢先の3テン1です。
これからは間違っても、絶対に、パソコンに愛着を抱く愚を犯
すまい!
九十五年に入手した新古品のPC、狭い我が家ですから邪魔な
のに、今も手放せません。
無線も光も関係ないです。私のはプロードバンドではなく、ス
モールマネーとショートステイ(小銭と短時間)ですから。
程度(←どの程度?)を超えた速度は、肝腎のパソコンが古い
ので意味ありません。私が要るのは、内外何処でも、「理想機
種」が使える環境(インターネットの常時接続口)と小銭です。
先端になればなるほど、「理想機種」が、悲鳴を上げるのでは
ないかと心配です。
TVを見なくなりました。私がTVの前に坐ると、カミサンも
子も喜ばないのを知っています。我が家には、PCは○台あり
ますが、TV受像機は一台限り。その一台を、朝も晩も、数分
置きにガチャガチャやるのですからハタが迷惑。おとなしくし
ているのは、異国の、ドラマと映画と二種の変形球技。関心度
は、十点満点で、ドラマ9、映画7、球技5。
BBの恩恵は、家庭でも職場でも巨大です。実感しています。
しかし私の場合はSSとしてです。通信に縛られる費用と時間
が減り、家庭でも職場でも、考え、行動する時間が増加します。
インターネットへの回帰を生む番組が、もっと増えるとよいで
すね。
※
今日から二月です。二月の声を聞きますと、なぜか亡くなった
方が浮かんできます。俺は薄情なのかなあ〜、身内ではありま
せん。親父の仏壇に、手を合わせた記憶は数えるほど。お墓の
前でもあっけらかん。
昔、献本した知識人も、亡くなった方が何人か。女性も数人。
我が家の、下の子が、上がり込んで遊んでもらったご夫婦は、
お二人ともご病気で。子育ての時期は一部、我が家と重なって
いましたので、昨年亡くなった奥さまは、まだこれからのお歳。
ご主人が亡くなった時は、今の私より若かった筈。
同じご近所で、毎日お顔を拝見していたご主人は、お子が自立
された頃、ご病気で。
上の子の小学生時代、同期のお子のお母さんもご病気で。我が
家から、ご家族の姿が見えたお宅では、幼い子らと母親に、出
火を伴う不幸な出来事。
昭和二十六年の暮れ、中卒で就職、職場結婚、半世紀間就労し
たSさんは先月逝去。先立たれた奥さんと同じご病気。
※
夢! 皆さんはお持ちでしょう?
私にもありました。←過去形。
※
行きたかったなあ〜、飲み屋へ。
えっ、な〜んだ!ですって。家族と飲みに行く以外に、どんな
夢があるのです? カミサンとは、結婚前から飲みに行きまし
たので、夢の対象外。
切実に願ったのではありません。やがては我が子と飲みに行く
であろう、それが唯一無二の、最大にして最高の夢。
さて、我が子らがお酒に強いか弱いか。その答が判る遥か以前
に、お酒をやめたのが過去形の最初の理由。
お酒をやめたのは、痛みの予防と(←効果は不明)痛みの衝撃
を忘れるために(←痛みという言葉を、痛みを知らないヒトは、
軽々に口にして欲しくありません)中学からお酒を飲み始めた
結果、生涯の総飲酒量を超えたからです。
今も、お祝いごとではワインを、我が家でも、淀んだ澱(おり)
を流す折はビールを、前者はその都度、後者は週に一、二度、
いずれも一、二杯飲みますが、自立した子らは、その量では満
足しません。過去形の第二の理由。
カミサンと部屋住みの子が、折々「飲み屋で一杯」は知ってい
ました。制作のため、昼夜が入れ替わっていた部屋住みの子と、
言葉を交わす機会がなく、気になっていたのですが、カミサン
が伝えたその子の言葉は
三人で飲みに行こうよ。オトーサンの会社帰りに、○○駅で待
ち合わせて、×××ではどうですか。翌朝はお母さんが駅まで
送ってくれます。都合のよい日を教えて下さい。
最高の夢の水準で、権力を行使してくれたらと願っています、
あらゆる分野で。
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