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クリスマスの季節 −76−
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筑波にも足利にも花園があります。野田の花園は近年開園。季
節により入場料が上下する園も。足利の冬は無料でした。
立地の影響でしょう、駐車場が有料なのは野田の清水公園。但
し、違法ではなく、ご近所の迷惑にもならずに、工夫の余地が
あるのですよ。←教えません。花園(有料)を見ないときは、
有料駐車場の開く時刻に帰ります。清水公園は、遊戯施設を避
け、自然を楽しむだけなら無料で済みます。
催事の季節は工夫の余地も満杯のため、有料駐車場を利用しま
す。清水公園の有料駐車場は、一律ナンボですから、短時間で
すと釈然としません。そこで係二、三人の一人に、お願いした
ことがあるのですよ。結果は忘れました。
筑波には、花園内の牡丹とは別に「牡丹と百合」園もあります。
「牡丹と百合」園は、花園の規模とは比較になりません。距離
も離れています。栃木の井頭公園内にも、武蔵丘陵森林公園の
近く(?)にも、牡丹園があります。母が描いた庭の牡丹は、健
在だった父が、ある団体に除草作業(有料)をお願いした折、
枯れ枝に間違われ、伐(き)られてしまいました。
初夏から初秋までの花園は疲れます。紫外線と脱水に注意。前
頁の牡丹園でも、見事な気持ちが次第に休み場探しへ。幼児を
遊ばせる気持ちにはなれません。右も左も牡丹ですから、児が
遊ぶには、株に入り込むか花をむしるか。手放しの児には魅力。
身近な自然では、老夫婦が日がな一日、幼児を眺めていられる
のですよ。クスノキは父も好きでした。勿論、若い男女にも恰
好の場所。
今の季節はクスノキも衣替え。なのに、写真のクスノキは、や
がて伐(き)り詰められ日陰が減ります(←今までの観察ではそ
うでした。樹を育むより予算を消化?)。休みの翌朝は飲み食
いの滓(かす)が散乱。夏場は花火の殻。冬場の闇はエンジンを
かけた不審車。早朝は駐車場にたむろする影。急発進急停車の
爆音とタイヤの焦げる臭い。
豪庭(豪邸?)で寝起きする暮らしは、判りませんので無視し
ます。ズルズル落ちる状態は経済より先でした。掘り起こした
のは、荒地ではなく雪月花です。世界に誇る観光資源、侘助一
輪が映える土壌に、大量消費の華麗な宴。電飾の夢見心地。足
許から遊離した伝統文化。ハテ、未来の子に何を誇ろうか。誇
る前に、オレは、何処で安らげばよいのだろうか。
※
今日から五月です。快晴。向かい風に牛歩の脚走。水田に水。
いつもの水面に、シラサギが戻っていました。
はじめて清水公園へ出かけたのは電車でした。下矢切から京成
バスで松戸へ出て、常磐線柏駅経由東武野田線。最初の子を乳
母車に乗せ、駅から公園に向かう途中
カミサン、乳母車を私に預け、走り寄ったのですね〜。年輩の
男性。濁色の上下。饐(す)えた汚れに熟柿の臭い。顔と地面に
血糊。倒れた弾みに血を流した様子。私も、目の前の中華料理
店に声を掛け、救急車を頼もうとしたのですが相手は固辞、カ
ミサンに礼を言い駅方面へ。記憶は薄れ、書くたびに情景は変
わりますが、そのとき知ったのですね〜カミサンの資質。カミ
サンは見ず知らずのヒトに駆け寄り、助け起こせる「資質」で
した。
かなり前から、消えた笑いに気づいていました。しかし確信し
たのはカミサンです、学校で何かがあると。
程なくはっきりしました。同様の子が他にもいたのです。ナア
ナアで遣り過ごせば災いは去る、それが私の態度でしたが、我
慢強さを反抗と取られたのでしょう、傷口が深まり、カミサン、
意を決して学校へ。私もそれで解決できると思いましたよ。
同じ学校の子らと、その子らを指導した親御さん何人かのお蔭
です。簡単でしたので、我々もその後、他の例で同様の手立て。
しかし、解消の道程で「なんと教師が!」
表沙汰にされたことが不快だったのでしょうか。栄進の妨げに
なるのでしょうか。教育の、当然の課題の一つに対して、返さ
れた教師の意思は、原因への対応ではなかったです。原因へは
カミサンが訪問、はじめは反発されましたが次第に認め、ある
時から目に見える傷は止みました。
○君が登校しないから皆が迷惑!
学校から帰ってきたある日、カミサン、憤慨していましたよ。
そして学期末に渡された文集です。文集の出来事は、ほかの生
徒もヘンに思ったのでしょう、作文を目にする前から、他の親
御さん経由で知っていました。当人は自分の落ち度と思い込み、
貝になってしまい、自分からは口にしませんでした。
転出した経緯は不明です。噂では、移った学区は郷里とか。資
質ということ。
教師聖職論が記憶にあります。聖職と一般職の違いではなく資
質です。資質の多様性が自己主張を(=存在を)実現させたと
思っています。しかし教壇の資質の数は、あるいは頂点の資質
の数は限られています。美術科一学級の講師の数に触れるのも、
政(まつりごと)をヒトではなくカイシャに託して欲しいと書く
のも、合議を回避した意思と手続きに閉塞を見るのも、同じ理
由からです。
※
五月二日です。今朝も爽やか。
以前どこかで、書き物を「最終頁」から読むことがあると書き
ました。本当です。「あとがき」部分ではありません。本文を、
最終頁の冒頭から読み、次いで最終頁の前頁冒頭へと進みます。
実存主義哲学の著作を読み漁(あさ)っていたとき、どうにも眠
くなってしまい、試したのがこの方法でした。紙面の言葉を拾
いながら、自分で組み立ててしまった方が解り易いです。
共有媒体を用いた表現は多彩です。自由です。私の随想は小説
ではありません。研究でもありません。随筆? 試論? エッ
セイ? 言葉のタダシイ意味は分かりません。ただ、私は不惑
の頃から、随想の「想」に想いを寄せ書き続けています。でも、
紙の本は不自由でした。
美術に、具象でなければ罷(まか)りならんという主張が通らな
いのと同じです。ヒトの頭脳は、思惟も想念も自由そのもの。
むしろ、演出された筋書きは、対象をより強く曲げてしまう?
整合性とは掛け離れた誤字、矛盾、混沌、滅裂の世界に、文字
の表現も棲めるとよいです。次も主語と場所を省きました。
成田に着いた時(一日)は、何もやっていないので驚きました。
高速道路百六十キロ間で、宇宙服状の兵士に二度もバスを停め
られました。いつもは五十〜七十人乗りですが今回は十人だけ。
体温計測。三十七度以上が一人でもいると全員山へ移され隔離。
費用は本人持ち。
鉄道はもっと厳しいです。広州から到着した乗客は体温も計ら
ないで隔離。新聞には来訪を断わりなさいの全頁広告。役所は
経営者を呼び寄せその徹底を指示。北京から逃げて来た一人が
到着時に死亡。死者はほかにも(←同じ地方都市)。二件とも
報道されていません。会社は互いに往来禁止を連絡し合ってい
ます。
成田に着いた時(一日)は、何もやっていないので驚きました。
※
五月四日。休耕田内にヤマドリの雄。離れた畦(あぜ)にヤマド
リの雌。
早朝に駆け抜けた公園に再び出かけました。連休なのに家族連
れは多くはなかった。自転車の子はほとんどゼロ。先週の日曜
日同時刻も同じ状態。
幻を見たのですよ。木陰に子の自転車があふれていました。
今は車から降りる子とバーベキューを準備する大人。公園部分
の昔は近所の子の遊び場でした。昨日(三日の土曜)房総風土
記の丘に出かけた時も、施設前の駐車場は満車でしたが、林間
で出合った子連れは数組程度。
老若男女が所狭(ところせ)しと、水辺や緑地で憩(いこ)う絵を
ご覧になったことがありますでしょう。二番目の子が生まれた
頃、出張先の休日に北上中、名所の草上で休息、晴れた五月、
老若男女が寛いでいる隙間にドブ色の背広で割り込み、ネズミ
の悲哀に、脂(あぶら)汗を流したことがあるのですよ。景勝の
主(あるじ)は地元の暮らし、歓びの御裾分けに与(あずか)るの
が観光客。さて、関東地方は景勝か否かについて。
※
父が寝室の前に植えた花木。
背景の緑は写真の嘘。
児童公園の石のベンチ。
転(うた)た寝は「山頂」のベンチがおすすめ。
このフジ……、昔は
悪ガキどもが棚に登ろうとしてドサッ!でした。
今の満開は喜んでよいのやら?
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