折々の文章


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クリスマスの季節 −78−
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滅びゆくもの 名残(なごり)のミズキ

最初の写真は中央がミズキ、下辺は植樹されたアジサイ。
最初と二番目の向かって右上は植樹された並木のカツラ。


ミズキは、今もフジ同様、何処にでもある木。
しかしミズキは、今やフジ同様、滅びゆく木。


カツラは黄葉。フジは、建物にも高木にも取り付く逞(たくま)
しさ。ミズキは冬の枝先。エゴノキの開花期は、視覚ではなく
嗅覚のエゴイズム。黄葉は筑波実験植物園。フジ(?)はアラン
ブラ宮殿(スペイン)観光の際。ミズキは流山市総合運動公園
脇。お届けしているエゴノキの香りは、早朝に駆け抜けるで
昨年収録しました。えっ? 匂いません?


 ※


今朝(八日)は真夏の荒天。強風。雲の晴れ間がどこまでも見
渡せ、首が痛くならず、ヒトにもクルマにも出合わずに走れる
場所があります。ジェット機での旅感覚が蘇(よみがえ)りウッ
トリ。ヒバリの囀(さえず)りで、地表に降りたのを知りました。

仕立てられたフジにも、市街のミズキにも、街路のカツラにも、
植物園のエゴノキにも飽きてしまいました。ホントウの楽しみ
に値しません。庭園のフジの名木も、花園の大輪のボタンも客
席の自然は、飲食店や専門店があればなくてもよいです。しか
し私は、専門店や飲食店に出かける機会が少ないです。面白く
も楽しくもありますが、戦慄が走るほどの自由を知らないので
す。まして子らに、チマチマした自然モドキが魅力かどうか? 
鑑賞する花壇や、バーベキューに供される広場や加者の租界は、
子らの自由度と肌での感受に難があり、まあ、適当にお付き合
いしています。

関東地方全域で、潮騒(しおさい)を聴きながら暮らしたいです。
好きですね〜、稲田の戦(そよ)ぎに樹木の騒ぎ。

  
 ※


普遍なるもの「父と子、パリ」   135年前の落しもの
自律なるもの「浮世絵復興の新世紀58年前の忘れもの


 ※


家人、某郊外スポーツ品店に出かけ、中年の店員に尋ねて曰く

 アノ〜、もっと安い寝袋、ありませんか?

 ここにあるのはこれだけです。
 私はお教えできる立場ではないのですが、
 ジョイフル○○に行けば・・・、あっ、店長!

店員に尋ねられた若い店長、来客に答えて曰く

 私はお知らせできる立場ではないのですが、
 ジョイフル○○なら三千円程度で売っています。

孫聞き(?)で探していた寝袋も三千ナンボ。しかしことは急を
要します。近在のジョイフル○○はアソコとアソコ。家人の運
転では日帰りドライブ。泣く泣く+五千円もの余分な出費。

寝袋を、登山やキャンプ以外で使うとは知りませんでした。

一人は仕事で毎日が午前様。それがある日、仕事に便利とかで
同僚が住む街へ。それっきりウントモスントモ。

先週の昼休みに家人から携帯電話。一瞬、何事かと心配しまし
た。話を聞いてもっとビックリ! なんと、ウントモスントモ
からお花が届いた! 家人はあの娘さんの配慮と憶測。ソレ以
外はあり得ないと私も同意。

やはり仕事で、一人は毎日が午前様のチョット前。出勤は午前
様の六時前。加えて休日が分からない。さらに一人は、締め切
り厳守で週○日の寝袋生活。

不景気です。経営者の裁量も限られます。関東地方全域が閑静
な緑地とゴミ箱モドキの差で、関東平野全域が景観美と○○○
町雑居ビルモドキの違いで、何よりも大切なヒト一人一人の暮
らしが(=ヒト一人一人の気持ちが)変わってしまいます。島
嶼でも、庶民一人一人の日々の暮らしは、壇上やコクサイ化や
世界大会の、添え物ではありませんよ。


 ※


下絵の「父と子」は、父の前を歩いていた親子です。両親は八
十六年五月、Tさんが催行するスペイン・ポルトガル旅行に出
かけています。そのスペインとパリ部分を、我々と出かけた二
千年春の旅行が上書きしてしまい

「ほら、あなたの前を歩いていたでしょう」

前を行く子の歩く様子に惹かれ、父が写真を撮りました。実際
に落ち葉を集め、実際に枝振りを観察しながら描いた「戦場ヶ
原」同様、実際に舗装の表面を調べ、実際に幹を観察しながら
描くのですから、徒(ただ)でさえ時間がかかります。下絵を描
く間に岩絵の具の色と粒子も決めます。ナイル河では波一つ一
つに、「戦場ヶ原」では木立一本一本に番号を付与、組み立て
るように塗っていました。

写真を撮った時は笑顔を返してくれたそうです。しかしナイル
河の二点同様、母が描く顔は、自ずと別人になります。

ナイル河は、二点とも民族衣裳ではなく(←細部が判らず描け
なかった)過去に型紙を起こした衣服です。「父と子」も、自
らがデザインしたトレンチコートを思い起こしながら描いてい
ます。母の最初のトレンチは高校生の私が試着。同級生の団地
へ向け、同級生のオンナノコと歩いていた時、学生に冷やかさ
れたあの折です。

昔の山谷は今とは別物。その山谷の曾祖母の脚が萎(な)えたの
は、明治四十三年八月の出水で、長時間、水に浸(つ)かったの
が原因です。私は久しく、京都時代からと思っていました。

昨晩、母は祖父に会えたのですよ。祖父が亡くなって半世紀以
上経ちますが、母が父親に会えたのはこれが最初(?)。祖父、
笑って曰く

「お富や、よかったね」

記憶を乱す暮らしは高年者に酷。近年は事故と犯罪がその最た
るもの。

国がイチバンとは、経済と軍備の規模がイチバンなのではなく、
庶民の暮らしの、水準が第一級の意味です。今の島嶼の庶民の
暮らしは、気持ちの点で、規模大国の仲間入りできない牧歌立
国よりも(←規模大国の環境的損失を認識できている小国より
も)、あるいは島嶼の昔日(せきじつ)よりも(←私の場合は昭
和三十年の縁側よりも)劣っていると思いますよ。

袖振れ合う一日百回の「ありがとう・失礼します」も、街路や
車内での穏やかな表情も、見ず知らず相互の思いやりも、行儀
作法も美意識も羞恥心も、子や孫の未来に対する親としての義
務感も責任ある選択態度も、窓を鏡で塞(ふさ)ぎ、自由と放縦
を履き違え、衆知と烏合を取り違え、この舟、梶(かじ)を外し
てしまいました。海図がないのですから、海図の必要性さえ認
識できていないのですから、無理ないか……

「父と子、パリ」の、父親が右手で握っているのは、傘ではな
く乳母車の取っ手です。


 ※鉄塔の聳(そび)える村」をご覧になりました?

島嶼内千キロ離れた市街にトラックで出かけ、自ら工業用重機
を積み込み、眉一つ動かさず全員解雇、産業の空洞化に「寄与」
する現場は、立派か粗末かは知りませんが、どこから見ても国
際社会の一員であり、どう控え目に見ても国際社会に貢献して
いると思いますよ。政壇や論壇で、もし国際貢献が足りないと
思われるのでしたら、各大陸の僻地事業所に単身赴任、長期駐
在員として末永くお働き下さい。

この舟、未来の稼ぎも吸い上げ、低所得層や高年者の負担増ま
で提案しながら、今もコクサイに生気を向ける薄衣(うすぎぬ)
の蜉蝣(かげろう)。

小二の帰り、ツルバラの小道で窪みを掬(すく)い、掌に軽く包
み、砂地の命を実感しました。


 ※


街も、崖も、庭も、山も、車窓も、耕地も、廃屋も「観光資源」
です。足許のすべてが観光に値する暮らしも、国際社会では珍
しくありません。ところがコクサイ化に奔走した島嶼では、吸
殻、空缶、廃土廃材、看板、自販機、バラバラの家並みを好み、
観光の、点から点へ移動する際は目隠しを要するほどですから、
庶民一人一人の暮らしに借景美を望むなど夢のまた夢。雪月花
の土壌がとても哀れ。




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