折々の文章


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クリスマスの季節 −80−
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関東平野は広いのね〜」ですって。これならお米(こめ)は大丈
夫!」なんだそうです。母は関東平野の水田を陸々(ろくろく)
見たことがなかったのです。リハビリの開始直後に、茨城県の
水田地帯を四方八方に飛ばしたことが、母が関東地方を知る切
っ掛けでした。八方は大袈裟。車を飛ばす気力は疾うに喪失。

今朝、ミドリのミも見えない市街を駆けていましたところ、ド
ブ川を蓋した歩道に猫。

全面舗装地帯の犬猫に泣かされます。昨日は鳩の死骸(内蔵の
一部と散乱した羽根)を掃除。猫が伝書鳩を持ち込む場所がご
近所にあるとかで、そこの住人もお困りの様子。

他家門前の植え込みを排泄物処理場に決めている犬の飼い主。
畑と道路の境の芝や、他家生け垣の下に排泄物を押し込む犬の
飼い主。ご自身の、癒やしのためにお飼いになる犬猫を甘やか
すより、癒やしを必要としない世の中のために(=ご自身のお
孫さんや、ご自身のお孫さんのお子さんが、気持ちよく暮らせ
る世の中のために)犬猫を躾(しつ)けるほうが大切ですよ。

歩道の猫は毛並み良好、態度温厚。犬猫は、好きでも嫌いでも
ありません。駆けているとき警戒を要するのは、野犬、攻撃的
な野良犬、躾不足の放し飼い犬、飼い主を引き摺る犬。

繊維問屋時代は、裏口から忍び寄る猫とじゃれていました。我
が子の一人は犬を飼いたがっていました。後者は、自分で世話
しなさい」で課題解消。甘やかす気持ちは、犬猫に対してもあ
りません。

カニ、そう、蟹。シオマネキの四〜六倍。雰囲気は、脚をほっ
そりさせ藻屑を除いたモクズガニ。ハサミを一杯に広げ猫を威
嚇。はじめはザリガニと見間違え。えーっ? ナンデ〜? 都
境の内陸舗道に蟹!

猫、蟹めがけて顔をグイ! 両ハサミ万歳状の蟹、仰(の)け反
(ぞ)ってひっくり返って脚バタバタ。そこで行司が待ったを掛
けた。いえ、単に覗き込んだだけです。猫、一瞬飛び退きナゼ
の表情。

ハサミを挙げ、大仰に威嚇していた蟹が、簡単に裏返った様子
がなんとも可笑(おか)しく、オイ! どうした」なんて気持ち。
安心したのでしょう、猫、尻尾をくねらせ私への警戒を解除、
体勢を立て直し蟹へ接近、走り去る私を振り返りもせず。


 ※


昨日(きのう)のお昼、電車で転(うた)た寝、降車駅間近で離席、
寝惚け眼(ねぼけまなこ)で扉に寄りかかっていましたところ、
連結部の窓越しに赤ん坊の笑顔。

若い母親は立っていました。抱かれていた赤ん坊は手を振って
いました。

最後尾の空車選びが私の習性、乗客は眠っているわずか数人、
なのに赤ん坊、手を振り続け、気づいた母親がこちらを向いた
瞬間、電車の扉が開きました。初めての随想でも「ほら! ご
覧なさい」と書いたことがあるのですよ。


 ※


関東平野を走っていますと、都道府県て何だろうと思います。
東京とか埼玉とか茨城ではなく、東京都とか埼玉県とか茨城県
て何なんでしょうね。千代田とか松戸とか水戸ではなく、千代
田区とか松戸市とか水戸市って何なのですか。不思議に思いま
せん、市議会や市役所や町議会や町役場。例えば

一つの市の市街化緑化が、別の市の市街化緑化と別々になされ
るのは何故ですか。二十一世紀の今も「天守閣」が割拠、未だ
に「藩政」が続く理由が解りません。何処も台所は火の車の筈。
庶民は貢ぐために、働いているのではありませんよ。

関東平野の景観が失われてしまった訳は、関東平野の水運網が
観光資源として活かされなかった訳は、島嶼のヒト一人一人の
視野の狭さ。

いえ、違うと思います。観光も老後も他者の足許を望む不思議。
視線がセカイやコクサイに上滑りして、足許を見失った日々の
暮らし。


 ※


乳母車は全画面表示でご覧下さい。

下絵の、父親の体に隠れている乳母車は写真の乳母車と同じ形
式、多分ですが。下絵の父親の視線は、幼い頃、私が父に見出
した視線と同じでした。子が下げている腕の力加減も、下絵と
写真は似ています。

乳母車の周囲は、写真は上野動物園に向かう家族連れ。下絵の
三人は、地図を見ながら話し合っている観光客か移民。横断し
ている姿は、鞄を背負った若い女性。

今朝(二十三日)の出社時、私と同年輩の、お勤めでしょう、
整った身形(みなり)の会社員が、俯(うつむ)き加減、硬い表情
で歩いていました。動物園の枕詞(まくらことば)はここまで。

動物園内の暮らしに、思われてしまうのですよ、島嶼の日々は
凡(およ)そ半世紀ほど。神田の育ちよ、寿司食いね〜」の割に
はヘンですね。


 ※


公園巡りの帰りはスーパーで食品と日用雑貨を補充、お昼も購
入、帰ってから食べます。現像はこの折です。

現像所の顔触れは三人。普段は二人か一人。その一人の時に始
まったのが大判の無料サービス。女性不在の時は責任者でしょ
う、様子を知った男性一人も同じサービス。

現像所では大判の無料サービス券が一枚付きます。使ったこと
がなかった私に、もったいないとお店が選択。参考になります。
今回はアメリカシャクナゲでした。

  私も庭にクレマチスを植えています。
  写真は筑波ジッケン植物園ですよ。
  じっけん?
  試しの実験です。

筑波実験植物園の門前は感応式信号です。通りを隔て、右手一
帯は筑波大学の鬱蒼(うっそう)とした樹木。左手一帯は関東平
野の無辺動物園。信号機を見下ろす赤地白抜きの巨大立て看板
も、屋根を囲む黄地赤文字の巨大横看板も、出入り自由の動物
園では標準仕様、今の島嶼で食べて行くには、誰もが率先する
イロハです。


 ※


毎年訪れるクレマチス展は通路の雰囲気が好きです。今までに
訪れた関東地方のツツジ園やシャクナゲ園は鏡でした。ノイバ
ラが窓。

美術の「鏡と窓」の別が、花にも歌にもあるのをご存知でした
か。無辺動物園のヒト山で頂点を極めましても、滅び行く普遍
植物園から仰ぎ見ますと、勝利の拳は、恥ずかしいことでなけ
れば哀しいことです。

草深い庭でノイバラを見つけますと嬉しくなります。ノイバラ
の窓から眺める世界は抒情と神秘、静寂と幻想に時を忘れます。

通路まで檻化した無辺動物園暮らしの、抑圧感と欲求不満と攻
撃心を宥(なだ)めるために、鏡歌に酔い、鏡酒に溺れ、鏡花に
耽(ふけ)り、薬品で瀟洒(しょうしゃ)を擬する教育とは違った
自由が、普遍植物園にはあるのですよ。儲かりますでしょう鏡
歌の売上。巨富を築くのも可能でしょう鏡舎の建築。栄誉も得
られます鏡の芸術。

ミツバツツジを撮った折は観光バスが停まっていました。出合
った団体は初老の男女。狭い園内をゾロゾロ。躱(かわ)しても
躱しても「何があります?」が煩(わずら)わしかった。樹木の
ほかに何があったろうか。

草地も木屑を敷いて通路にするなど、近年の植物園には鏡化の
理念が感じられます。学園都市の陸橋にも「クレマチス展」の
横断幕。

梅雨の晴れ間に似た日曜でしたが、半袖の大柄なカメラマンと、
我々と、中年女性と、地元訛(なま)りの初老の夫婦が、横断幕
やポスターで見かけるクレマチス展の断面でした。

ノイバラのほかにも窓。草地の写真二点がそれです。

鏡に耽(ふけ)る無辺動物園暮らしを制御、未来の子らの植物園
復興のために、ヒトの叡智を使って欲しい。


 ※


乳母車の、下絵の子の視線は舗装路面。父親は前方。もう一人
は……判りません。写真の子は一人が左前方。一人はやや右前
方。中の子は左右の子が離れないように気を取られている様子。
母親はコンタクトの間に砂埃(すなぼこり)。

動物園に出かけた折は、子らの眼差(まなざ)しに気づきません
でした。動物園へ向け「サア! 行こう」と追い立てたかも。

上野の、駅から動物園に向かう一帯は好奇心の対象に不自由し
ません。広い。会館がある。案内所がある。美術館がある。交
番がある。ハトが群れている。緑が濃い。屋台がある。食堂が
ある。いろんなヒトがいる。

動物園内は拵(こしら)えもの、動物園の入口までが足許です。
物心(ものごころ)は、足許と拵えの違いを読みとってしまうの
ですよ、多分ですが。←写真。親の気持ちも汲み取ってしまい
ます、恐らくですが。←下絵。

通勤時の大人は下を向いていませんか? 立ち話の大人は話題
に夢中になり、職場の大人は仕事に、家庭の大人は家事に追わ
れ、団欒の大人はテレビか新聞。壇上に限らず大人は内向きで
す。他者他人の観察力と、他者家族を想う心は、大人は子に遠
く及びません。←昔「あんたも大人さ」と書いた意味はこんな
ところ。


 ※


また同じ質問を繰り返して悪いのだけど、経営者も事務員も、
中国の招待客はなぜ行きたがるの? 歴史は知っているのでし
ょう。今でも特別な気持ちが残っているの?

いえ、気持ちではなく好奇心です。毎年大きく報道されますの
で、日本と言えば富士山と同じくらい有名になっています。あ
れほど話題になるのですから。

中国では政治の報道に強い関心を持っています。残業者は無理
ですが、七時からの報道はとてもよく見るのですよ。

三十分だったら日本の報道も同じじゃない?

日本はアザラシや野球の話題が一緒ですね。日本を観光する皆
は、一度は見ておきたいのです。


 ※


今朝(二十九日)は快晴。真夏の日の出。畑にはまだかまだか
のエダマメと、盛り上がったタマネギと、ジャガイモの白と赤
紫の花。

私にとって、近世の黎明(れいめい)は「枕草子」でした。「徒
然草」ではなかったです。しかし薄明かりは消えてしまった。
動力は火車(かしゃ)、大見得を演じる竜骨、それが今までの千
年でした。

放逸の是正を抜きにしたまま、尻拭いを庶民に押し付ける壇上
気質は改めて欲しいです。鏡化を加速する火車(かしゃ)で、植
物園を焼き尽くすのも止(や)めて欲しいです。

千年も経ちますと綻(ほころ)びが芯まで達するのでしょう、潰
す植物園にも限りが見えます。航行できるのはアト何世紀でし
ょうか。それ迄に乗船者相当数の小舟を用意、準備が整った家
族から乗り移り、生々流転する海図を頼りに、合議で長(おさ)
舟を選び、他者の庇護に甘えるのはやめ、各自が操る各自の舟
で新たな千年を漕ぎ進む、一艘(いっそう)一艘の憩(いこ)う湊
(みなと)が植物園の樹木と草花。


 ※


今朝(三十日)はオレンジがかった澄んだ空。四時半頃、飛行
機雲に出合うことがあります。漂っている痕跡ではなく、ぐん
ぐん伸びて行く複々線です。先頭に銀色の機影。遥か高空です
が、エンジンから少し離れて発生する雲の様子も判ります。無
風。ごくごく微(かす)かにエンジンの響き。←気のせいかも。

アジサイの花が色付くのもすぐです。

またまた昔ですが、会社ばかり儲けて、労働者が痩せたままの
社会はオカシイ、寄越せ遣(よこ)せと、労働組合や労働団体が
盛んに叫んでいた時代があったのですよ。その後、ある有名な
経営者も「その通りだ」と発言して、物議(?)をかもしたこと
もありました。

労働条件も、労働環境も、足許に照らした賃金水準も、マダマ
ダだな〜」という呟(つぶや)きが、客観的指標抜きで納得でき
てしまう世の中が情けない。乳母車の下絵と乳母車の写真を見
ていますと、今や三人は論外、二人でも、育てる勇気が湧きま
せん。オカシナオカシナ島嶼ですが、もっとオカシイと思うこ
とがあります。

子とは、国際競争力や、労働力や、年金を下支えする手段なの
かなあ〜、と思ってしまうのです。子育てこそ最高の歓びとい
う立場なり思想なり環境なりが、財や政や官だけでなく、学校
にも報道にも自意識にも「要素」として見えて来ません。見え
るのは、鏡に見惚(みと)れる自我の乱舞か各界壇上のお騒がせ
で、窓とは程遠い情景が視野を塞ぎ、さて、経営者から、政治
家から、芸能人から、知識人から、子育てをどのように学べば
よいのやら?

ヒトも動物ですから、子育ては譲れない一線です。しかしヒト
の社会はヒトの創造物ですから、子育てにも、教育と独習(報
道)は欠かせません。島嶼でも日々の画面に「父と子」が……
外連(けれん)のない子育てが……溢れるとよいですね。


 ※


今日から六月。在りし日、見渡す限り瓦礫様式だった関東平野
市街地も、たっぷり水分を含んだ樹木に覆われ緑一色。




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