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クリスマスの季節 −84−
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利根川沿いの道から離れ、房総風土記の丘を通り過ぎ、成田市
街で51号線に入り、佐原方面へ少し走ったゴルフ場辺りで窓
を開け、滑走路に進入するジェット機の車輪に触ってみました。
セブンイレブン(←記憶曖昧)を遣り過ごし、ローソン(←も
っと曖昧)の信号を右折して道形(みちなり)に。飛行場側から
出かけますといつも遭難。駐車も入園も無料。
帰りに十余三トンネルを抜ける時、閉めた窓もなんのその、離
陸滑走直前の最大出力音に遭遇しました。風向きで離陸位置が
変わるのでしょう、見えない時もありますが、千葉県花植木セ
ンターの西側に機影が現われるのは、十余三トンネル真上から
の轟音(ごうおん)が合図。
※
ガラスで囲われた角型のハウスや、樹脂で覆われた蒲鉾型のハ
ウスなど、毎朝出合う温室がいくつかあります。夏はベゴニア。
冬はシクラメン。今は黄花のキュウリとドテドテぶら下がった
緑のトマト。四季を通じて切り花用のキク。
埼玉県南の住宅密集地にも農家のハウスが残っています。ハウ
スだけでなく、昭和二、三十年代に見たような、古びた屋根瓦
に銹(さび)たトタン張りの、平屋で、戸建ての貸家様式や社宅
様式に出合った時も、立ち止まって見てしまいます。
花植木センターでは、作業服の男性や被り物の女性も見かけま
す。雑草抜きや落ち葉の掃除。ハウスやレールの鉢花には、水
遣り、土の手入れ、あるいは出荷。
花植木センターに出かけるのは季節折々の土曜か日曜ですが、
来園者数は写真の通り(←少ない)ですから、働いている場所
でも厭な顔はされません。先日はハウスの出口で、二トン車に
花を積み込む青年と鉢合わせしました。奥へ下がった我々に対
して、わざわざ台車を片側に寄せ、道を譲ってくれたのですよ。
離陸する機影を待つのは、部外者(我々)だけかも。
※
離陸する飛行機の轟音も、散歩していた成田山公園には届かな
かったので、島嶼全域にはとても伝わらないでしょう。反対に
当の機内では、音が消えたら落ちるんじゃないかと不安になり
ます。機の足下は梅雨雲が気になる程度。
出発前も到着後も、ヒトは足許以外に居場所はないのですよ。
見落としているのではないのかな〜、涙国の機上では「父と子」
の暮らしを。
住宅密集地で見出した平屋の社宅様式と平屋の長屋様式は、整
列四棟と変則六棟でした。どの棟も南向きの塀なしでしたから、
板戸やガラス戸の縁側は、幼児も悪ガキも出入り自由。因みに
悪ガキとは私の場合、普通の子を指しています。
ヒト一人一人の気持ちは違うと思いますが、住宅と住宅の「隙
間」は無視されてしまったのでしょう、涙国の今の家並みには、
排除の力学が働いています。
同じ密集地では、残りの田畑がさらに削られ、六棟も七棟も洒
落たアパートが建ちました。そのアパート群で、目についた工
夫が一つ。我が家用ではなくある事情から、中古中層大規模な
住宅街で部屋を手当て、そのゴミの出し方が、新築アパートの
ほうが見目も機能も優れていました。
我々の世代はご記憶でしょう辻々のゴミ箱を。タールの(←間
違っていたらご免なさい)臭いと一緒に、塗り直している情景
が浮かんできます。
野良猫の正餐、烏の饗宴、楼閣は聳え、賢者は黙し、見苦しさ
にも慣れてしまった涙国は哀しいかな。
機上の自適にお邪魔ですか。ゴミ箱を置く辻々は出入り自由の
隙間と一緒に、遠い昔に消えたままです。
※
今朝(十二日)も同じ夢を見ました。痩身(そうしん)白髪の背
広姿が、濡れた鞄と濡れた雨傘を網棚に上げたのです。一駅一
駅車内の密度は高まりましたが、経済新聞の面積は変わりませ
んでした。表情を盗み見ますと、やはり鏡人間のお代官さま。
距離を置きないなあ〜と望んでも、身の置き所のない車内です。
せめて顔の向きはと、首を六十度、さらに六十度と回転させま
すと、誰も彼もがお代官さま化した鏡人間! ワッ!と叫んだ
瞬間、目が覚めました。
結婚の決まった母が、祖母(母の母)と一緒に、初めて父の実
家(父は分家の実質末子)を訪れた際、間違って本家を訪れ歓
待されたそうです。
長屋門を潜(くぐ)りますと、玄関前数メートルに細長い石が置
かれ、小作人は跪(ひざまず)いて言上(ごんじょう)、玄関へは
上がれなかった時代もあったとか。床の間には大きな掛け軸。
絵は裃(かみしも)姿など十五代全員の肖像。父の本家は代官の
家系でした。
転職直前に二度、海外へ出張したお話も何回目かの繰り返しで
す。稟議(りんぎ)書の予算欄は一人分で間に合いましたが、欧
州六ヶ国では駐在員と社外代理人の、米国(一都市のみ)では
社外代理人と地元の銀行の支援を得て、欧州では家庭的な会社
延べ数十社、米国ではある社の役員全員と家庭的に、および副
頭取の紹介先数社は各々の社長室でお会いしました。その折、
欧州では戸建てや集合住宅に、米国では戸建てのお住まいに招
かれました。
米国でお宅に向かう途中、運転していた経営者が窓を開けて叫
んだ相手は、芝生で練習していたスーパースターだったのです
よ。相手も手を振って挨拶。塀や垣根はなかったです。
市川市菅野時代の私道は三軒の共有でした。一軒はご隠居一家、
もう一軒は表通りに(大人が見れば広めの路地に)面した門を
使っていましたので、私道は我が家の遊び場同然でした。石造
りの防火用水桶。黒いゴミ箱。東西のお隣りには竹垣か板塀。
竹垣は上り下りして遊びました。お隣りに入ったボールは、板
塀の下半分を潜って取りました。ですが板塀も竹垣も、既にお
代官さま化の一途だったのですね〜。
やはり昔の仕事で、世田谷や神戸の邸宅街を訪れたことがあり
ます。豪邸や秀庭にうっとり。何よりも環境が……、ではなか
ったです。ここでも乾いた悲哀。
土地は、自然は、環境は誰のモノ? 勿論、私有地も私生活も
他者は侵入禁止。しかし「父と子」は、長屋門を潜(くぐ)り、
邸宅の玄関前で、お代官さまに跪く小作人なのでしょうか。秀
庭だけではないですよ。凡庭も、猫額庭(びょうがくてい)も塀
や垣根で囲われてしまい、一瞬の休みなく排他性を撒布、大人
は鏡に見惚れ、幼児と悪ガキは事故覚悟で舗装をウロウロ。
一軒だけではどうしようもないです。社会を満たしている「関
係の海」がそうなのですから、首を何回転させましても、誰も
彼もがお代官さま化した鏡人間。
※
農家の軒、棹(さお)と梯子(はしご)が横付けの土壁にタマネギ
の列。数個ごとに束ねてありました。
二重構造論が盛んだった昔も、雇用機会は圧倒的に中小企業が
支えていたと思いますよ。その中小企業の頼りは大小の銀行で
した。つまり
不動産と「個人」を担保に、借りたお金は永遠に借り続け、銀
行は永遠に金利を受け取り、中小企業は雇用の機会を維持する
仕組み。
完済できる優良企業ばかりですと、島嶼の経済は銀河系世界で
ナンバーワンになりますが、ヒト社会では、リチムシよりオレ
ガムシが強いのは今様政所で立証済み、大も小も、我が手の支
配権を自己の盛りに、より優れた他人に譲る自我は例外ですか
ら、成長すれば資金に詰まり、低迷すれば返済に困り、中小の
会社も、大小の銀行と固い絆(きずな)で結ばれていたのです。
戦後の繁栄は生産も消費も、この絆が下支えしたのでは?
流通革命の主役、当時の新たな取引形態も、会社個々の体質は
違っていました。同様に銀行の体質も、会社個々で違っていま
した。ですが世の中への影響力は、リチムシよりオレガムシが
勝(まさ)ってしまった点で、「泡」の過去は戦争同様、五百年
先千年先まで語り継ぐそれが歴史。
堅く有力な都市銀行の顧客係が「一歩踏み出さない者は馬鹿を
見る」と呟(つぶや)いた声の調子は、呆(あき)れを通り越して
嘆きでした。
ヘリコプターに投資して下さい、お金は貸します。仙台のマン
ションを買って下さい、お金は貸します」 ←過去に取引が一
度もなかった大手銀行の行員の言葉。マンションは一部屋では
なく一棟でした。本社には有資格者が○人おります、お手伝い
します、節税対策はご心配なく。
返済の根拠が「泡」の膨張だったのですね。構造の絆は絶ち切
られ、今も気の遠くなるお金が危機の回避に……
情けなくって哀しくって、書く気力がなくなりました。
誰にとっても不動産は「父と子」そのもの。地表の今の土地は
一坪残らず、暮らしのためにあるのですよ。工場用地も商業ビ
ルも、オレガムシの玩具(おもちゃ)ではありません。そんなの、
当たり前じゃないですか。
※
前々頁で触れた高級ホテル泊の旅行、つまり七十一年の研修旅
行では、勉強ばかりで時間も、新生活の準備で懐も、お土産を
買う余裕はありませんでした。それでも一つ、お目当てがあっ
たのですよ。何処の書店でも買えたのでしょう、しかし書名も
判らず、わざわざホテルの案内係に、料理の本はありますか?
その本が The Waldorf-Astoria Cookbook でした。
今も手元にあります。1969年の印刷。色刷りはお料理の写
真8頁だけ。モノクロ図版は絵や写真など20点弱。1902
年に開かれたドイツ協会(?)118周年晩餐会メニューの表紙
と会場、29年に取り壊された古いホテル(その地に建ったの
がエンパイア・ステート・ビルディング)、57年10月21
日開催の英国女王ご夫妻午餐会のプログラムとメニュー、ダグ
ラス・マッカーサー元帥ご夫妻など。B5判266頁 $12.50
※
週末の住宅密集地のハウスのトマトは、二、三個から五、六個
ごとに「身」を寄せ合っています。早く結果するからでしょう
か、地面に近いほうから色づき、色づいた実から引き離され、
重心は上へ上へと移って行きます。一つの固まりでは、上のト
マトが先に色づくようです。
父はトマトの色の違いを明度で別けていました。ザクロの早い
枝には実の膨らみも。グラナダの夜風が蘇ります。
海図の縦軸は自我、横軸は規模、風は時計回りか逆回り。
一つの舟、一つの舟団、さらには無数の舟団の航海です。
「凪(なぎ)」に踏みとどまることは、まずヒト技では達成でき
ないと思います。内外で仮に一瞬、安寧の域に達した再配分の
整合性も、風が吹けば乱れます。個体も社会も、地球の表層か
ら消えるまで舵を休めることはできません。
「采」は「勝利の拳」と言い換えることもできます。「闇→采」
は現実的な歩みですが、同時に多くの不幸も伴います。鏡への
耽溺が過ぎて「采」から「闇」への歴史も数多(あまた)。
「凪」での無為は、地表の相互性を忘れ「闇」に背を向けた単
独主義か、あるいは「采」へ漕ぎ出す拡張主義とその事大主義。
「凪」から「父と子」への舵さばきは、ヒトも状況の子ですか
ら、「闇」から「父と子」への舟旅以上に困難だと思います。
同じ理由から、自我と規模の位置が同時に変わる「凪→闇、闇
→凪」や「父と子→采、采→父と子」も、ヒトの努力を越えて
います。
島嶼では「闇→采」に達した段階で、海図のない哀しさ、内需
の意味を取り違え、「采→凪」さらには「凪→父と子」への舵
さばきを見落としました。むしろ今は、低緯度の「凪」から大
規模な「采」へと、直(ひた)走っているようにも思われます。
ヒトの絶望感は、絶対額に因るのではなく、一つの社会内での
相対です。ヒトは倒れるまで働かせる牛馬でもないですよ。島
嶼の産業社会は「関係の海」全体でヒトの暮らしを忘れていま
す。←父親としての素朴な感想。島嶼の「父の日」は、父親が
子のこれからを憂(うれ)える日。 ※2005-01-09に別図を加筆
※
先ほどの「料理の本」には、新しいホテルは31年10月1日
に開業、大恐慌を乗り切る米国の勇気の象徴になったとありま
す。ナンカいいですね〜。
同ホテルでは、しばしば一日に数ダースものV.I.P.が重な
り、63年5月23日には、パレードを終えホテルを発つ五人
と新一人の宇宙飛行士、自分の誕生祝いに出席するケネディ大
統領、大統領をもてなす米国で最も有名なスター八人、それぞ
れ別の会合に現われた二人の大統領経験者、前の英国王と米国
生まれのご夫人、前副大統領のニクソン氏、副大統領、マッカ
ーサー元帥と有名な軍指導者、……、……、および各々に関係
随行するあれこれの著名人。←それぞれバラバラなのも魅力で
すね〜。そしてお料理が気になりません?
※
流山市
川口市立グリーンセンター
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