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クリスマスの季節 −87−
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早朝、叫び声を発する森が二ヶ所あったのですよ。一ヶ所は声
だけ。一ヶ所は丸太の天辺(てっぺん)に影。同様の影を数年前、
団地の北側道路で見ました。私が走り出すと、森の奥から飛ん
できて電線に留まったのです。重さで電線が切れた! いえ、
垂れ下がることもなかったです。姿を見たのはそれが最後。今
は叫び声も絶えました。
涙目涙科涙鳥(ルイドリ)のお話です。梟(ふくろう)同様、涙鳥
も二通りの声音(こわね)で鳴きます。一般に知られた鳴き方は
「どきん、ホ〜」です。しかし未明は、胸が裂けるように泣き
ます。
※
六年前の十月、このMLで、暗闇で梟の叫び声を聞くと身の毛
がよだつ」と発言したことがあります。折り返し
「……阿鼻叫喚……に思わず反応してしまいました。忘れられ
ない戦時中の空爆の光景です。……高女生だった私は学徒動員
で愛知県の豊川海軍工廠にいました。爆風で頭、足、手、みん
なバラバラになって鉄兜をかぶった顔だけで確認……」[216]
↑大町自然観察園(千葉県市川市)
↓清水公園 花ファンタジア(千葉県野田市)
昨年三月に開園した清水公園「花ファンタジア」は、入園に大
人780円(初夏)〜350円(冬期)かかります。駐車場料
金700円〜800円(←季節で変化?)を加えますと、大人
二人が花を見るのに二千円前後、子連れで、他の有料施設も利
用しますと、お弁当持参でも敷居が高いです。
我が子が幼かった頃の清水公園は、林を間仕切る柵もなく、一
日タダで遊べました。大町自然公園は、私が小五まで(主に小
学校二、三年まで)親しんだ自然と同じ風土。貧しかった時代
の子育ては、島嶼の至る土地で緑が(戸外に親しむ機会均等が)
約束されていました。
大人は春爛漫の桜を満喫、子は酒宴の足手まとい。アジサイを
誇る寺院は拝観料を集め、近所の子もタダ入り禁止。
初めての随想ではクマゲラとトキでした。今は里山と湿原も加
えなければなりません、欠けてしまった「対照」に。
キツツキはまだ欠けていません。里山も湿原もまだ保護できま
す。しかし「子の自然」は何処にあります? 囲われたり、お
金を要求されたり、保護されてしまっては、自由に踏み込むこ
とは不可能です。戦前も今も、「父と子」は何処に消えてしま
ったのだろう。
※
新線工事の風前の風土は、写真の建設現場から数分ですが、新
線新駅への所要時間も大して変わらないと思います。風前の林
からさらに数分歩いた場所が次↓の二点。公園ではありません。
島嶼の足許を写真の緑で覆うのに、ヒト一人一人に換算して、
いくら借金しなければならないのだろう。海図さえ備えていれ
ば、誰も借金する必要はなかったのでは? 経済を大規模化し
て山河を滅ぼし、巨額の借金を後々まで丸投げにする。
朝の走路の最初に、比較的新しい大学(以前は短大だけ)があ
ります。歩道の際(きわ)は高く堅牢な柵。週末の密集地の走路
にも、伝統ある文科系大学があります。川に囲われ、数ヶ所の
出入り口に厳(いか)めしい門扉。
草花の、花はあってもなくても関係なく、欲しかったのは無造
作な植物の写真(↑)一点。都心に大学があります。関連する建
物の改築中は、大学の構内も殺伐としていましたが、完成しま
すと、ごく緩(ゆる)いS字状の歩道が、道路の歩道沿いに現わ
れました。S字を覆う樹木に無造作な下草。厳めしい門扉も堅
牢な柵もなかった……
大学構内の樹木と下草から、ヨチヨチ歩きの幼児を排除するの
が島嶼最高学府一般の使命? 足許の母子を、大学構内の樹木
と下草に寄せつけないのが、島嶼学生一般の自由?
※
戦前の涙鳥(ルイドリ)は居場所がなかったです。戦後も生まれ
た瞬間から単身赴任、伴侶と子から引き離されました。
涙鳥の人生、いえ、鳥生は単純です。前文の一は子育て、前文
の二も子育て、前文の最後も子育て。涙鳥は一から十まで子育
てを歓び、子育てに希望を見出しています。竜骨と海図の話で
す。実子の有無も、老後と学生の別も関係ありません。
涙鳥にも(経済民主化の仕組みにも)伴侶と(十前後の地方政
府が、互いに暮らしの政治を競う仕組みと)子育ての自由が要
るのですよ。
※
アベコベでしたね〜何もかも。知恵と技術が約束したのは地表
の凹凸? 未来都市の空想は、旧約聖書創世記の件(くだり)と
何ら違っていませんでした。聖書との違いは、誰も「どうぞご
自由に」とさえ言わず語らず。采、あるいは勝利の拳」に邁進
(まいしん)するのも、父と子」の状況および環境に腐心するの
も、たった一つの科を除いて、宇宙の誰も関与しません。
知恵と技術は、不細工な地表の凹凸を約束しました。しかし普
遍植物園に瀟洒(しょうしゃ)な平屋も約束しているのですよ。
中高層建築の枠組みは、経済の仕組みごと小規模化して地面の
下へ。農場は地上のまま。住宅と工場と商店と事務所と娯楽施
設はできるだけ地上の平屋か屋外で。小規模化は主体的に選ば
なければとても無理。←それは今までの轍(わだち)で明らか。
暮らしの政(まつりごと)が一つである「必要」はないのですよ。
関東平野は「足許規模」が実感です。やめて欲しいですね〜地
方内の重複の無駄、地方と中央の凭(もた)れ合い・主従の力学。
大規模金融機関も地方業務と中央業務に分離分散、地方の暮ら
しは各地方に本社を置く金融機関本位でお願いしたい。
競争は、父と子」の地方政府相互でも生まれます。中央の顔触
れはその成果を見て選びます。
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