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七道河村


 遼寧省大連から高速道路を1時間半ほど走りますと熊岳(約十万人)に着きます。熊岳の北には営口開発区、さらに営口市(約六十万人)がありますが、北ではなく東南に向きを変え、一般道を車で三十分ほど行きますと楊運鎮(約三万人)に到着、七道河村(数千人、百年ほどの歴史)は楊運鎮に所在する村の一つ。なお、半年前まで楊運鎮は楊運郷と呼ばれていました。郷には田舎の、鎮には賑やかな響きがあります。

 七道河村には四季が認められます。夏は摂氏三十度程度、ですが盆地のため蒸し暑く、冬は零下十五度、今冬は零下三十度を記録しました。

 普段の
七道河は水無し川です。梅雨時に出水、橋が冠水することもあります。村の名前になった道河は、小川程度の川幅から約百m幅まで九つあります。七、八年前にその一つが氾濫、死者不明者を数百人出しました。

 この辺りの村は、牛や羊の牧畜と、林檎(主に富士)や葡萄の栽培に依存、果樹は大連、北京、日本などに出荷、九道河村の貯水池から氷を切り出し、氷室を作り、林檎の出荷を調整するなど収入増を図っています。

 数年前、営口開発区内の合弁工場の隣りに、現地銀行系の木材工場が進出(一年後に倒産)、粉塵と騒音で環境が悪化しましたが、現代でも力関係は健在ですので、開発区側は解決を棚上げ、合弁工場は転出を検討、その話を聞きつけた郷と市の長(おさ)が七道河村への誘致を懇請。

 移転した三ヶ月後に開発区の区長は更迭、その事由の一つに、日中合弁工場を保護しなかったことが記されていました。開発区内の力関係は、政庁の本意ではなかったのです。

 開発区を出ることは一つの賭です。最大の難問は従業員。全員引っ越しましたが、数年後の今、管理職を除き現地採用に替わっています。開発区では古い体質も残っていますので、政庁の関係者が頻繁に会社を訪問、とても交際費が嵩みます。一方、素朴な村には開発区の慣行はありません。無論、村と開発区の費用効率は比較になりません。

 村ではインターネットの電子メールが、なぜか国際間だけ不通でした。問い合わせても、村の郵電局長(当時の窓口、局員ゼロ)は、インターネットの言葉も知らず埒が明かない。郷の長が即座に動き、数日後には国際間でも電子メールが通じました。しかしまだ何かが足りません。市内外および国際間の、携帯電話が通じなかったのです。郷と市の長が一年後の解決を約束、きっかり一年目の同じ日に、建設された鉄塔が前頁の写真です。

 七道河村では、ITは演出や泡ではなく生きるための必需品です。村では、インターネットや携帯電話が食糧や燃料に相当します。 
(2001-02-14)
 

村の表情・旧正月からひと月後 
(2001-03-09)
通勤風景・営口開発区から村へ (2001-04-23)
部内旅行・五月の連休に南京へ (2001-07-24)



クリスマスの季節−172−(2004年1月)