1943年に開店した支店、以来〜






一ヶ月後の八月二十七日、銀行の支店の一つ
が統合のため消えます。私は昭和三十二年の
春、東京に越して来ましたが、その翌日か翌
翌日、頼まれた品物を届けるため、街の有力
者で、両親の仲人だったメリヤス問屋の主人
宅(店舗兼居宅)を訪ねたことがあります。

徒歩十分の行程を、裏通りを伝って出かけた
のですが、店頭にも道路にも品物が溢れ、歩
くのがやっとで、店員と仕入客(小売店)の
熱気に圧倒されてしまい、先方に着いた時は
声がかすれ、挨拶の言葉も出ませんでした。

品物の溢れる情景は他でも浮かんできます。
納入業者が数字を見せ合い、受注総額を試算
しますと、仕入先の消化能力を大幅に上回っ
ていましたが、未納は罰金を科せられ、買取
の発注書も渡されていますので、減産困難。

売り場まで不良在庫が溢れていました。それ
を来客や寡占媒体は繁栄と見ましたが、内実
は大幅値引の通達、過剰分を返品後再納品さ
せる費用と手間の発生、仕入の翌年への繰越
など商取引からの逸脱でした。仕入の繰越は
引取拒否に進み、一度も納品できない買取品
まで現われ、売り場の係は、過剰在庫を返品
するため、商品の山を土足で踏みつける場面
も。なぜ? そう、なぜだったのでしょう?

納品運賃も返品運賃も再納品運賃も、納入業
者が負担するその支払先は注文主の関連する
運送会社。確かに、運賃を含めた取引総額は
膨れます。もう一つは協賛金です。実納品額
だけが対象ではなく、返品額は計算対象額か
ら控除されず、返品の再納品は対象額に二重
加算、一度も納品できない「買取品」にも協
賛金が課せられますから、発注総額の過剰も
過剰ではなかったのでしょう。未納品を転売
する? 新取引商の、商標を縫い込んで生産
した商品を、転売することは許されません。

やはり昔になりましたが、新取引商の社会的
評価が定着した頃、商側は「銘柄」にこだわ
り始め、以前は見下され門前払いされていた
大手業者に納入を要請、扱い枠を拡大、しま
しても客層は容易に変わる筈もなく、不良在
庫が、割高な銘柄品に集中する事態に発展。

大手納入業者は簡単には協賛金の支払いに応
じません。不良在庫率が高まり、しかも協賛
金の入金総額が低下すれば、銘柄志向は根底
から崩れてしまいます。必然的に、客筋を把
握していた回転率の妥当な従来品を削り、値
引きして販売した銘柄品の「欠損」および協
賛金は、当事者の大手納入業者ではなく、微
塵も関係のない糟糠の業者を狙い撃ち、「良
品」の値入率を引き下げさせ、名目も抜きに
して協賛金を要求する、その「お願い行脚」
に、新取引商の、やがて消えて行った「生え
抜き」の仕入係が糟糠の業者に頭を下げる。

指導も規制も非力? いいえ、迷惑です。机
上の作文や壇上の大見得は見飽きています。
もっと地味で、緻密で、現場に根ざした実効
のある対応、に値する徹底した情報の開示。

ハンネロクガケという言葉があります。二重
価格の正当化は再販側の問題であり、納入業
者は与り知らぬことです。半値とは、一重価
格であれ二重価格であれ、ある時期に、実売
の再販価格を半値に下げること。六掛とは、
納入業者に対し、代金決済を終えた商品の納
入価格を、従前実売価格の半値の6掛に下げ
させること。新取引商の先行が陰ってからは
初回納入時にも、半値六掛が横行しました。

来客は喜びますでしょう。仕入側は収益を維
持できます。しかし納入側は打撃を蒙り、そ
の従業員と家族も、生活の不安を抱えます。

値引の決済は、当初は赤伝の束を手渡される
だけでした。片手で掴める厚さです。次いで
一枚の伝票に、返品の赤字と再納品の黒字が
記されるようになりました。台帳上は、返品
後に再納品されたと記録されます。この段階
で、渡される伝票の束は抱えるほどになりま
した。それでも指導には応えられなかったの
でしょう。実際に商品が返品され、実際に再
納品を指示されるまでに変化。配送先および
品番数は十や二十の話ではありません。それ
も実売中の商品の値引ですから、即再納品が
絶対条件。我々の社会は、よく働く訳です。

この段階で、オンラインで受信した再納品伝
票を印刷するため、朝八時からお昼過ぎまで
プリンタが唸っていました。因みに、伝票の
用紙代、伝票の発行手数料、オンライン・ソ
フトの使用料も払わなければなりません。迷
惑なことです、現場から遊離した口出しは。

新取引商の極めたとされる栄華も、泡の発生
以前から虚像だったのではありますまいか。
一ヶ月後に消えて行く銀行の支店を挟んで、
周囲広域の一帯で、繁栄を極めた無数の中小
問屋と無数の中小小売店も、新取引商種の出
現で表舞台から一掃され、線と点を除く随所
に廃屋と駐車場を現出、往時の裏通りは、偲
ぶ術もありません。同様に、新取引商の往時
の繁栄も、やがては忘れられてしまいます。
しかし私には一つだけ違いが見えています。





中小の問屋や街の小売店全盛時は、どんなに
安い品物でも、商品を土足で踏む真似だけは
しなかったです。いや、できなかったです。




廃止になる支店から東へ六、七分歩くと隅田
川にかかる両国橋(写真)。今年は明日の土
曜(七月二十八日)が花火大会。だからでし
ょう、両国橋手前の、水際の遊歩道へは、階
段を鉄板でふさがれ降りられませんでした。

両国の花火は1962年(昭和37年)に廃
止されましたが、1978年に「隅田川花火
大会」として復活しました。花火だけではあ
りますまい。共有媒体が浸透すれば、個人や
SOHOなど、新たな零細や新たな中小が復
活し、社会の大規模志向を緩めてくれます。



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自分史って何?
現代史って何?
かくて誰もが



  
散歩者の夢想MLで連載した読み物
内容の時代順

自伝抄録・祖父の肖像

明治17年浅草生まれの商人の自伝。大正関東地震被災の描写も。


随想 繊維問屋にて

昭和32年春千葉県市川市から東京神田に移り、繊維問屋で育った男の子の中高時代の回想と、住込従業員ヤスサンの死。


随想 中町にて

「繊維問屋にて」の続編。管理人の職業生活について。サイト内では抜粋を「聳え立つ市庁舎」と題して掲載。


随想 橡の木の葉

重篤な肺ガンに挑んだ老夫婦を子の立場から、三世代家族の交流を交えて描写。紙の本では、連載時に内容を重複して記述した部分を整理。


旅・八十歳と出かけたスペイン旅行

南スペインの、太陽を浴び空気を吸うだけでよかったのですが、出発の機内から思わぬ出来事に遭遇、オロオロの連続に。



散歩者の夢想MLのサイトに載せた画像

遠い昔の「舞台」写真

大正末〜昭和30年代の神田の商家の写真集とこぼれ話。


鉄塔の聳える村・七道河村

中国遼寧省の僻村。村では電子メールや携帯電話が食糧や燃料に相当します。


季節の表情

春爛漫、夏の日、江戸川など関東平野の季節の写真集。






管理人の輪郭
ブログ 梟の森





紙の本の時代  随想の日付は出版月

随想 春の夜の、青い闇1987-014879210412
随想 赤い穂1987-044879210455
随想 ある終末1987-094879210471
随想 叙事詩1988-024879210595
随想 新世紀1988-07487921065X
随想 錬金術1989-024879210722
随想 野生のセロリ1989-104879210765
随想 二重生活1990-084879210846
随想 花伝書1991-094879210900
随想 完成された機械1993-074879211079



私がはじめて三信図書(1947年設立の小さな出版社)にお世話になったのは1986年の春です。当時の代表は青山鉞治でした。青山さんは「横浜事件」(1942〜45年の言論弾圧事件)に雑誌「改造」の編集者として連座、治安維持法違反に問われ有罪判決を受けた人で、1986年7月に、氏を含む関係者9人が再審請求を申し立てましたが、許否の決まる前の1988年2月に逝去。朝日新聞の2月14日付朝刊の社会面死亡記事にそのことが載っています。その後、三信図書の代表は編集担当の荒牧三恵さんが引き継がれました。荒牧さんも1998年3月に引退。引退後も「随想 繊維問屋にて」は荒巻さんのお骨折りです。荒牧さんが東京を引き払われてからは、私も三信図書とはまったく往き来が……誤字も訂正しないで欲しい



二冊目は一冊目の、三冊目は二冊目、四冊目、五冊目は三冊目、四冊目の上がりに負っています。それが優遇された条件かどうかは、本の業界に無知なので分かりません。出版洪水に阻まれてからは、荒牧さんの好意なしでは挫折したでしょう。憶測ですが、青山さんも荒牧さんも、ご本業とは違った分野への拘りが、あったのかも知れません。過去十冊の出版を両親は知りません。「繊維問屋にて・中町にて・橡の木の葉」の三冊は、両親へ贈るための出版です。「繊維問屋にて」の見本を届けた際、病床の父は、手にする気力もなかったです。十冊の随想を献本した際、ご返事を頂いた顔触れは予想に反していました。献本の都度ご返事を頂き、中町にもご来店、中町を引き払った際は、宛先不明で届かなかったお葉書を……ヘンなこと言わないで下さい



マクロはもうたくさん、という感想を私はもっています。世の中を震撼とさせている金融不安も、組織に属そうと個人であろうと、個々の人間のお金儲け、ないしその職責が結果したものではありますまいか。「自然労働――、および棄民と負民の人間労働」を搾取しながらマネーゲームに奔走する加民の誰もが無知と貪欲の虜、というのであれば、まだ理解もできますが、高度の知性を有し、先端技術を駆使する姿をみてしまいますと……インターネットは顔が見えない



先の「借景の演出」は、前にも触れましたが嘘です。写真機が動いただけで馬脚が、いえ、空缶やポリ袋や青い天幕が表われ、写真機がもう少し動きますと、東京の通勤圏一般の状態に戻ってしまいます。動画も静止画も、事実を反映しながら嘘をつきます。情報化社会……なんですね〜。情報がつく嘘のため、画面の前は操り人形。ヒト一人一人が、現場から発する情報の重みが増しています。

私の執筆は息子の一人が、背中を丸めて苦しむ姿を目(ま)の当たりにしたのがきっかけです。不登校ではないですよ。三年次に発生、四年次の一時期、小学校へ通う恐怖心から、義務感に反して、体が登校を拒否したのです。当時の文集にその痕跡が残っています。鉛筆を残らず裂かれるなどを繰り返し、手足まで傷つけられた側の登校拒否を「非」として取り上げ、班単位で批判させた文集です。担任は進級時、県内の遠方の学区へ移りましたが、原因(←実に多様)を直視せず、登校拒否を難ずる風潮が、学校にも社会にもあったのです。

とり繕(つくろ)うのはやめて欲しいです学校も会社も役所も政治家も。上辺だけ繕(つくろ)った言行を、島嶼の外の、誰が評価できるのですか。苦しむ様子は散文詩で表わしました。確か「お前のほうが本当だ」に続いて、我が身には「あんたも大人さ」……らららラララめ〜りか!