



| 自分史って何? 現代史って何? かくて誰もが 散歩者の夢想MLで連載した読み物 内容の時代順 自伝抄録・祖父の肖像 明治17年浅草生まれの商人の自伝。大正関東地震被災の描写も。 随想 繊維問屋にて 昭和32年春千葉県市川市から東京神田に移り、繊維問屋で育った男の子の中高時代の回想と、住込従業員ヤスサンの死。 随想 中町にて 「繊維問屋にて」の続編。管理人の職業生活について。サイト内では抜粋を「聳え立つ市庁舎」と題して掲載。 随想 橡の木の葉 重篤な肺ガンに挑んだ老夫婦を子の立場から、三世代家族の交流を交えて描写。紙の本では、連載時に内容を重複して記述した部分を整理。 旅・八十歳と出かけたスペイン旅行 南スペインの、太陽を浴び空気を吸うだけでよかったのですが、出発の機内から思わぬ出来事に遭遇、オロオロの連続に。 散歩者の夢想MLのサイトに載せた画像 遠い昔の「舞台」写真 大正末〜昭和30年代の神田の商家の写真集とこぼれ話。 鉄塔の聳える村・七道河村 中国遼寧省の僻村。村では電子メールや携帯電話が食糧や燃料に相当します。 季節の表情 春爛漫、夏の日、江戸川など関東平野の季節の写真集。 管理人の輪郭 ブログ 梟の森 |
| 紙の本の時代 随想の日付は出版月 | ||
| 随想 春の夜の、青い闇 | 1987-01 | 4879210412 |
| 随想 赤い穂 | 1987-04 | 4879210455 |
| 随想 ある終末 | 1987-09 | 4879210471 |
| 随想 叙事詩 | 1988-02 | 4879210595 |
| 随想 新世紀 | 1988-07 | 487921065X |
| 随想 錬金術 | 1989-02 | 4879210722 |
| 随想 野生のセロリ | 1989-10 | 4879210765 |
| 随想 二重生活 | 1990-08 | 4879210846 |
| 随想 花伝書 | 1991-09 | 4879210900 |
| 随想 完成された機械 | 1993-07 | 4879211079 |
私がはじめて三信図書(1947年設立の小さな出版社)にお世話になったのは1986年の春です。当時の代表は青山鉞治でした。青山さんは「横浜事件」(1942〜45年の言論弾圧事件)に雑誌「改造」の編集者として連座、治安維持法違反に問われ有罪判決を受けた人で、1986年7月に、氏を含む関係者9人が再審請求を申し立てましたが、許否の決まる前の1988年2月に逝去。朝日新聞の2月14日付朝刊の社会面死亡記事にそのことが載っています。その後、三信図書の代表は編集担当の荒牧三恵さんが引き継がれました。荒牧さんも1998年3月に引退。引退後も「随想 繊維問屋にて」は荒巻さんのお骨折りです。荒牧さんが東京を引き払われてからは、私も三信図書とはまったく往き来が……誤字も訂正しないで欲しい 二冊目は一冊目の、三冊目は二冊目、四冊目、五冊目は三冊目、四冊目の上がりに負っています。それが優遇された条件かどうかは、本の業界に無知なので分かりません。出版洪水に阻まれてからは、荒牧さんの好意なしでは挫折したでしょう。憶測ですが、青山さんも荒牧さんも、ご本業とは違った分野への拘りが、あったのかも知れません。過去十冊の出版を両親は知りません。「繊維問屋にて・中町にて・橡の木の葉」の三冊は、両親へ贈るための出版です。「繊維問屋にて」の見本を届けた際、病床の父は、手にする気力もなかったです。十冊の随想を献本した際、ご返事を頂いた顔触れは予想に反していました。献本の都度ご返事を頂き、中町にもご来店、中町を引き払った際は、宛先不明で届かなかったお葉書を……ヘンなこと言わないで下さい マクロはもうたくさん、という感想を私はもっています。世の中を震撼とさせている金融不安も、組織に属そうと個人であろうと、個々の人間のお金儲け、ないしその職責が結果したものではありますまいか。「自然労働――、および棄民と負民の人間労働」を搾取しながらマネーゲームに奔走する加民の誰もが無知と貪欲の虜、というのであれば、まだ理解もできますが、高度の知性を有し、先端技術を駆使する姿をみてしまいますと……インターネットは顔が見えない 先の「借景の演出」は、前にも触れましたが嘘です。写真機が動いただけで馬脚が、いえ、空缶やポリ袋や青い天幕が表われ、写真機がもう少し動きますと、東京の通勤圏一般の状態に戻ってしまいます。動画も静止画も、事実を反映しながら嘘をつきます。情報化社会……なんですね〜。情報がつく嘘のため、画面の前は操り人形。ヒト一人一人が、現場から発する情報の重みが増しています。 私の執筆は息子の一人が、背中を丸めて苦しむ姿を目(ま)の当たりにしたのがきっかけです。不登校ではないですよ。三年次に発生、四年次の一時期、小学校へ通う恐怖心から、義務感に反して、体が登校を拒否したのです。当時の文集にその痕跡が残っています。鉛筆を残らず裂かれるなどを繰り返し、手足まで傷つけられた側の登校拒否を「非」として取り上げ、班単位で批判させた文集です。担任は進級時、県内の遠方の学区へ移りましたが、原因(←実に多様)を直視せず、登校拒否を難ずる風潮が、学校にも社会にもあったのです。 とり繕(つくろ)うのはやめて欲しいです学校も会社も役所も政治家も。上辺だけ繕(つくろ)った言行を、島嶼の外の、誰が評価できるのですか。苦しむ様子は散文詩で表わしました。確か「お前のほうが本当だ」に続いて、我が身には「あんたも大人さ」……らららラララめ〜りか! | ||