散歩の道順
神田明神を経由して昌平坂、相生坂、聖橋、
茗渓通り、かえで通り、女坂、男坂、猿楽通
り、錦華公園(錦華坂は小六時代の帰り道)
駿河台下、神保町、爼橋(まないたばし)、九
段坂、千鳥ヶ淵の緑道、内堀通りの「墓苑入
口」、同「千鳥ヶ淵」、代官町、紀伊国坂、
竹橋、雉子橋(きじばし)、一ツ橋、すずらん
通り(すずらん通りは、中学時代の帰り道)



写真は「男坂、千鳥ヶ淵のボート乗り場、紀
伊国坂から竹橋」です。この界隈で思い出さ
れる出来事は、市川から通った小六時代と、
往きは都電、帰りは徒歩で通学した中学時代
がほとんどですが、他にも一、二あります。
神田界隈の問屋の子弟は先ずこの学校、とい
う図式でもあったのでしょう、私の親族や縁
者にも、四人ほど、この地の大学を卒業した
者がおります。その一人で、三十年代の初頭
に、大学付属の中学に通った子が朱に交わっ
て赤くなったことがあります。非行を真似る
集団を抑えるため「面倒見がよく義侠心のあ
る子を送り込んだ」が担任の先生の説明でし
たが、母親は、息子の態度や服装の変わり様
に驚いてしまい、学校に駆け込んだのです。
当時、私が見た飛び出しナイフは二通りでし
た。手の平に収まる大きさで、鞘に平行に飛
び出す種類は、工具の代わりになるほど使い
勝手がよかったです。今一つは、二つに折っ
て鞘に収める種類で、刃渡りが長く、人を傷
つける以外の用途は思いつかなかったです。
校外で喧嘩、上半身、包帯姿で登校した生徒
がいたのは公立の中学でした。担任の先生に
指導力があったのでしょう、進学した中学の
教室には番長と副長格が一緒でした。彼らは
一年次の教室でも、二つ折りの飛び出しナイ
フを投げ、床や机を疵つけていましたが、侮
辱するなど彼らの気持ちを侵さない限り平穏
で、教室や学校が荒れた記憶はありません。
工具を落としたり旋盤の汚れが目につきます
と、鉄拳をふるい罵声を浴びせる古兵のよう
な教師が、ことあるごとに番長役の生徒を、
固めた拳で殴りつけていましたが、人間性に
逸脱を感じたのは、番長にではなく、その教
師に対してです。一方、三年間、私の担任だ
った先生は、卒業後暫くして、奥様と二人の
お子を遺され、亡くなられてしまいました。
※
九段坂には破綻した銀行もありました。学生
時代の夏、同期と米国人留学生の合わせて四
人で、ユースホステルに泊まりながら北海道
を旅したことがあります。その旅行に誘って
くれた友人の就職先がこの銀行でした。行政
官庁に出向後、転勤を重ね、責任ある役職に
つきましたが破綻に遭遇、再生された銀行に
再び勤務、しかし今年の一月、創業十年未満
で資本系列の異なる銀行に転職されました。
※
今年の四月、東京国立近代美術館、京都国立
近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術
館を併せた「独立行政法人国立美術館」が発
足したそうです。しかし京都や大阪は訪れる
機会がほとんどなく、関心は増改築中で本館
を閉じている竹橋に向いています。来年一月
から、散歩中に休む場所が増えるでしょう。
※
注)内堀通りの「千鳥ヶ淵」信号から竹橋方
面へ向かう時は、国立近代美術館「工芸館」
近くまでは、舗装された歩道ではなく、北側
の土手上の、木立を歩くのがおすすめです。
難が一つあります。内堀通り「千鳥ヶ淵」信
号の警察官詰所の脇では、土手に這い登るか
土手からすべり落ちる必要があることです。
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