第31話 「夕日」
・・・赤い夕焼けに、僕は身をさらしていた。
「・・・」
激しい綾子お母さんの胸の内を聞いたあの後、
元気くんの葬儀場からそれこそ逃げ出す様に帰って来た僕は、
何故か自然に元気くんを殺してしまったあの病院の屋上へと来ていたのだった。
そして、その手には綾子お母さんから貰った、元気くんの書いた一枚の絵を握ぎられ、
その絵は、僕を一緒に見に行こうと約束した、あの飛行機の絵が書いてあった。
「元気くん・・・」
僕は、僕のした事は・・・、正しかったのだろうか・・・。
母はその事について何も言わなかった。
・・・というより、元気くんを殺したという事実を知っているのは、この僕と綾子お母さんだけで、
元気くんを殺したのは別に居た変質者となっていた。
恐らく、綾子お母さんが気を回して僕をかくまってくれたのだろう・・・。
そこまでして、あの人は僕を赦してくれようとしていたのだ。
そんなあの人の下から、僕は逃げ帰って来たのだ・・・。
「もう・・・、嫌だよ・・・」
僕は、夕焼けで赤く染まった柵をよじ登って超える。
遥か下には仕事の終わった若い看護婦さん達がワイワイと楽しそうに歩いている。
『ここからなら・・・』
もう僕は生きていく気力が無くなっていた・・・。
もう生きている価値すら無いように思えた・・・。
この苦しみから逃れたかった・・・。
「終わりにしよう」
僕は目をつぶり、湿気を含んだ生暖かい風に身を乗せようとしていた・・・。
この行為が「逃避」と言うのなら、そう言われても僕は一向に構わなかった。
ここまで追い込まれて正気な人はいるのだろうか?
確かに意志の強い人は言うだろう。
「罪を背負って生きる事こそ、罪を償(つぐな)う事」なのだと。
でもそれは、罪を償う為に何かをやり遂げられる人に贈る言葉なのだ。
僕には、その何かをしてあげられる相手はもうこの世にいないのだ。
いや、確かにしてあげられる人はいるが、
多分その人は僕の顔など二度と見たくないと思っているだろう。
それ程の罪を僕は犯してしまったのだから、それは当然だと思う。
だからこそ、そんな大罪を犯してしまった僕だからこそ、
「逃げ」の行動をとるしか選択肢は残されていなかったのだ。
そんな僕の事を、一体誰が止める事をできるのだろうか・・・。
そう思っていた。 だが、一人だけいたのだ。
『ダメだよ、あにー・・・』
その声は、懐かしいさと悲しみの入り混じった幼い声だった。
「え?」
僕は耳を疑った。
だが、その声の持ち主は、僕の身を案じて更に声を掛けてきた。
『あにー、死んじゃダメだよ』
間違いなかった。 この声の持ち主は・・・
「元気くん?!」
僕はためらいも無く振り返ると、そこには心配そうに僕を見つめる元気くんの姿があった。
「し、死んでなかった・・・の?」
・・・と、聞いてみたが、それはおかしな質問だった。
だって、彼の身体は微かにすすけ、向こう側の風景が見えていたからだ。
そう。 それは、俗に言う「幽霊」であった。
『ううん、やっぱ死んじゃった』
あははと、無邪気に笑う元気くんの顔は、とても眩しくて優しい顔だった。
しかし元気くんは、また心配そうな目で僕を見つめ、声を掛けてきた。
『ダメだよ、あにー。 何で死のうとするの?』
「な、何故ってそれは・・・」
僕は返答に戸惑ってしまった。
だって、「元気くんを殺してしまった」からこそ、僕は自殺をしようとしたのだから。
その殺してしまった本人に「何故」と言われても・・・。
『もしかして、僕を殺しちゃった事で死のうとしたの?』
「あ・・・、うー」
『やっぱ・・・ね』
どうやら元気くんに見透かされていたらしい。
だからこそ、彼は僕を止めに来たのだろう。
『いいよ、もう。 あれは僕がいけなかったんだから』
「で、でも!!」
『ううん、実はね、僕、死んじゃって良かったと・・・、思ってるんだ』
「え?」
一瞬耳を疑ってしまった。 だが、その訳はすぐに判った。
『始めまして』
ゆらゆらと揺れる元気くんの背後から声が聴こえ、もう一人の幽霊が現れたのだった。
その幽霊に僕は会ったことはなかったが、見たことはあった。
『あのね・・・、僕、お母さんに会えたんだ』
『元気の母の篠原志保です』
そう言って、元気くんのお母さんはお辞儀をした。
「あ、は、始めまして・・・」
思わず見入ってしまった僕は、慌ててお辞儀を返した。
元気くんの本当のお母さん、篠原志保さんは、「悪魔の力」をくれたあの御婆さん、
そう言えば僕が気を失ってる時、あの御婆さんは「バンシー」と呼ばれていたっけかな?
そのバンシーさんが持っていた変な道具で彼女の姿を見たのだ。
その時の彼女は、真っ白、いや、真っ青な顔色で頬が栄養失調のようにやつれてた。
だが、今僕の前にいる志保さんは、柔らかそうな少し赤みを帯びた頬をし、
その瞳は暖かく優しい瞳で元気くんと手を握っていた。
これが本来の志保さんなのだろう。
死んでからの方の彼女に好感がもてるってのも変だけどね。
『だから、あにーが気にすることはないんだよ』
「で、でも・・・そう言われても、僕は・・・」
こういう時、僕はどう行動すればいいのだろう・・・。
僕には判らなかった。
その時、僕に救いの手を差し出してくれたのは、暖かい笑みの志保さんだった。
『そんなに悩まないで下さい。 本当にいけないのは私達の方なんですから』
「私・・・たち?」
『そう、私達です』
その瞳の色に悲しみが少し混ざったのはこの瞬間からだった。
『元気が彼方に殺されたのは悲しい出来事ですが、それはこの子が早とちりをしたせい。
それに、あの時彼方が元気を本当に殺そうと思ってたのではないのも知っていますし』
「え?」
『私、あの時の事を見ていたのです』
ビックリ発言だった!
だが、志保さんは僕の驚いた姿に少し笑っただけで話を続けた。
『最初、この子も落ち込んでいたのです。 「死んじゃった」って』
そう言って、志保さんは元気くんの方を向く。
『だから、私はすぐにこの子の下に行ったのです。 そして、言いました。
「彼方は殺されるだけの事をしたのですよ」・・・と』
志保さんの左手が優しく元気くんの頭を撫でる。
元気くんも気持ちの良さそうな顔だ。
『彼方達は騙されたのですよ』
「え?」
それは唐突な内容であった。
『彼方達が見たあの光景、あれを見てどう思いました?』
僕の頭の中で、あの時の光景が甦る。
チューブに身を縛られやせ細った志保さんは、
「生」を象徴する様な綾子お母さんの手を必死に握っていた。
まるで命乞いをするように。
だが、そんな綾子さんは彼女の思いを立ち切るがのように、
志保さんの命を留めるチューブを引き抜いたのであった。
これはどう見ても・・・
「ええっと、確か、綾子お母さんに志保お母さんが殺される・・・ところですか?」
少し言いづらかったが、意を決めて僕は言ってみた。
だが、それを聞いた志保さんの顔色は変わらなかった。
いや、むしろ余計に悲しそうな感情が彼女の心と身を包んだようであった。
『違うのです』
「え?」
『あれは、私が求めたのです』
「え? え?」
僕には意味が判らなかった。
『あの光景、声が出ていなかったから分からなかったと思いますが、
実はあの時、私は綾子さんにこう言っていたのです。 「私を殺して」・・・と』
「・・・」
僕は確かに胸の中に雷が落ちたのを感じた。
それ程衝撃的な一言だった。
『私はあの時、とても辛かったのです』
志保さんはゆっくりと歩きながら僕の横を通り抜け、夕日に染まる鉄柵に手を添えた。
『全身を包む痛み、苦しみ、そして・・・、元気を残すやるせなさ・・・』
鉄柵を握られた彼女の手に力が入る。
『そんな私は、身勝手なお願いを彼女に言ってしまったのです。
「私の代わりに元気を育てて」・・・と』
彼女とは勿論綾子さんの事だろう。 その辺は僕にも分かる。
実際綾子さんが今まで元気くんを育ててきたって事も知っているし。
だが、衝撃は終わらなかった。
『そして、最も辛いお願いをしてしまったの。 「私を殺して」・・・と』
一筋の光が志保さんの瞳から流れ出た。
それは、夕日に映し出された彼女の辛い思い出なのだろう。
『元気が不憫で。 いつも私の為に看病してくれて・・・。 自分も辛い筈なのに。
そう思ったら、私は迷わなかったの。 「生きる」ことに執着することを』
それは、「逃げる」のと同じ事なのだろうか?
僕には判らなかった・・・。
『私には自殺する勇気が無かった。 でも、私は自分が赦せなかったの。
元気を縛り付ける事、苦しめる事に!』
「志保さん・・・」
彼女は興奮していた。 興奮する程に自分の事が赦せなかったのだろう。
だけど、僕には志保さんに掛ける言葉を知らなかった・・・。
『彼女は了解してくれたわ。 嫌々だったのは判っていましたが・・・』
そう振り返った志保さんの姿は、もうすぐ落ちる夕日に赤く染まっていた。
『だから、彼方達が彼女を恨む必要は無いのです。 恨むなら、私を恨んで下さい』
「い、いや・・・、恨むなんて・・・」
僕はそう言うだけで顔を下に向けて背けてしまった。
『元気もその話を聞いたら判ってくれましたわ。 自分が悪かったんだって』
『そうだよ! 勘違いだったんだよ、あにー。 だから、あにーは悩む事はないんだよ!』
『彼方は利用されたのですよ。 あの老婆達に。 だから、気に病むことはありません。
ほら、元気もあんなにいい笑顔で笑っているではありませんか』
「元気くん・・・」
元気くんの顔は笑っていた。 そしてそれは、心の底から幸せそうな笑みだった。
それだけに、僕は複雑な思いで黙る。
『僕ね、謝りたかったんだ。 あにーと・・・、あのお母さんに』
照れ笑いしながら元気くんは頭をかきつつ話す。
『あの時、止めてくれてありがとう・・・ってね』
「そんな・・・」
僕は居たたまれない気分で胸が一杯になった。
『あ、泣かないで、あにー』
僕の頬に涙が流れた。
それは心の奥から溢れてる、熱い、何かを思い出さす涙であった・・・。
・・・別れの時がやってきた。
『さ、行きましょうか』
『え?もう?』
『ええ、もう日も沈んでしまうでしょ?』
『う〜ん・・・、はい、分かったよ』
少し残念がる元気くんの手を優しく志保さんが掴む。
「もう行ってしまうのですか?!」
『ええ、このままここにいても仕方の無い事ですし』
確かにそうであった。
生きている人には生きている人の、
死んでしまった人には死んでしまった人の「道」ってものがあるのだ。
それは分かっていた。 分かっているつもりであった。
だけど、僕は言わずにはいられなかった。
「行かないで下さい!!」
だが、その気持ちは受けいられなかった。
『ごめんさない。 私達はもう、死んでいるのです。
これ以上彼方に迷惑は掛けられません』
「迷惑じゃないよ! 迷惑なんか・・・」
むしろ居てくれた方が救いなのだ。
そして、それは志保さんも判っている様子であった。
それだけに、彼女は僕に言ったのだ。 「ありがとう」・・・と。
『あ! その絵、あの飛行機だ!』
沈黙を破るかのように明るい元気くんの声が聴こえた。
『お母さん、これに乗って行こうよ! 飛行機! 飛行機!』
それは、僕が手に持っていた、元気くん作のサウス・ペンギン号の絵であった。
『そうね、それもいいわね』
そう言って、志保さんは僕に向かってウインクをした。
ちょっとだけ照れつつも志保さんの考えを読み取った僕は、
早速その絵の書かれた画用紙を使ってある物を作った。
「じゃぁ〜ん!!」
それは、大きな大きな紙飛行機であった。
『うわぁーー!! すげぇーーカッコいいーー!!』
『本当、格好良いですわ』
「あはは!」
自分では不恰好に出来ちゃったかなと思っていたのだけど、
元気くんと志保さんは喜んでくれた。
『じゃあ行くね! あにーー!!』
「うん、またね!」
そう言うのも変な事だったかも知れないけど。
でも、その言葉が一番今の状況にあっている気がしたのだ。
『では真さん、お願い致します』
「はい、では」
僕は思いっきりの力で紙飛行機を投げた。
『それ!!』
それと同時に元気くんと志保さんが飛び出す。
だが、紙飛行機に掴み掛かる前に、彼らの姿は見えなくなってしまった。
でも、元気くんの声は最後まで聴こえたのであった。
『あにーー!! ばいばぁーーい!!!』
「元気くんーー!! またねーーー!!!」
僕は紙飛行機が夕日に包まれて見えなくなるまで、
その場所を離れなかったのだった・・・。
そして、これは後日僕が知った事なのだが、
この時に投げた紙飛行機は綾子さんの所にまで届き、
そこには元気くんの字でこう書かれていたという。
「お母さん、ごめんさない。 そして、ありがとう」・・・と。
To Be Continued・・・
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神の左手 悪魔の右手