死んでもいいのよ
その夜
女ひとり
働いて四十に近い声をきけば
私を横に寝かせて起こさない
重い病気が恋人のようだ
どんなにうめこうと
心を痛めるしたしい人もここにはいない
三等病室のすみのベッドで
貧しければ親族にも甘えかねた
さみしい心が解けてゆく、
あしたは背骨を手術される
そのとき私はやさしく、病気に向かっていう
死んでもいいのよ
ねむれない夜の苦しみも
このさき生きてゆくそれにくらべたら
どうして大きいと言えよう
ああ疲れた
ほんとうに疲れた
シーツが黙って差し出す白い手の中で
いたい、いたい、とたわむれている
にぎやかな夜は
まるで私ひとりの祝祭日だ。
旅情
ふと覚めた枕もとに
秋がきていた。
遠くから来た、という
去年からか、ときく
もっと前だ、と答える。
あととしか、ときく
いやもっと遠い、という。
では去年私のところにきた秋は何なのか
ときく。
あの秋は別の秋だ、
去年の秋はもうずっと先のほうへ行っている
という。
先の方というと未来か、ときく。
いや違う、
未来とはこれからくるものを指すのだろう?
ときかれる。
返事にこまる。
では過去の方へ行ったのか、ときく。
過去へは戻れない、
そのことはお前と同じだ、という。
秋
がきていた。
遠くからきた、という。
遠くへ行こう、という。
幻の花
庭に
今年の菊が咲いた。
子供のとき、
季節は目の前に
ひとつしか展開しなかった。
今は見える
去年の菊。
おととしの菊。
十年前の菊。
遠くから
まぼろしの花たちがあらわれ
今年の花を
連れ去ろうとしているのが見える。
ああこの菊も!
そうして別れる
私もまた何かの手にひかれて。
峠
時に 人が通る、それだけ
三日に一度、あるいはいつか、十日にひとり、ふたり、通るという、
それだけの------
----- それだけでいつも 峠には人の思いが懸かる。
そこをこえてゆく人
そこをこえてくる人
あの高い山の
あの深い木陰の
それとわかぬ小径を通って
姿もみえぬそのゆきかい
峠よ、
あれは峠だ、と呼んで もう幾年こえない人が
向こうの村に こちらの村に 住んでいることだろう
あれは峠だ、と 朝夕こころに呼んで。
back