一時期狂ったように聴いたバンド。
NEWEST MODEL と共に日本のロックの未知の扉を開けまくっていた。
水くさい奴だなぁ 最初っから、最後までカステラは腹を割ってくれなかった。 無口なクラスメートが夏休み明けにいきなり自殺してしまった。 そんな感じである。 いやぁ何考えてるかわかんない奴でしたねぇ。 そんな談話がとれそうな世界なのだ。 なにも共有してなかったのである。 その事にあらためて気づかされた結末だった。 意味や情緒を提示することを拒否し、 しかしナンセンスというセンスや、空虚という内実を 世代として共感することにも、彼らは興味を持っていなかった。 僕たちはカステラの何を聴いていたのだろうか。 何を受け取っていたのだろうか。 ★ ★ 大学に入学したての頃は、一日下宿でゴロゴロしていた。 やることもなく、まだ友達もできずに、 ただ本を読んだり、CDを流していた。 不思議だったのはどうってことない自分だった。 誰とも話もせずに過ぎていく日々を、空しくも寂しくも感じない自分だった。 トモがケラケラと歌う「ハッピー」なんかを聴きながら、 「ひとりでもオッケーかなぁ」なんて思えたのだ。 こいつらは無人島に4人でも、ニヤニヤしながらバンドやってるんだろうな、 そんな事を考えて、なぜか嬉しくなったりもした。 ★ ★ 「(自分の問題意識みたいなことを)あんまり他人に言わないんだよなぁ。 そういうのを言う間柄じゃないっていうのかなぁ。 僕はけっこう自分の考えは、自分の中でだけ解決していこうと思う奴だから」 (大木知之) ★ ★ カステラとは、つまりこの「よそよそしさ」だったのではないか。 彼らのメッセージの無さは、「言いたいことは何もない」という空虚でも 「音楽では何も変えられない」というニヒリズムでも無かった。 そこにあったのは「あんたはあんた。俺は俺」という単純な拒絶だったのだ。 彼らは空っぽではなかった。コミュニケーションへの絶望を抱えたわけではなかった。 ただ興味がなかったのだ。自閉でも対人恐怖でも無い、ナチュラルな孤独。 それでもいいじゃん、こんなに気持ちがいいんだもん。 それが一番好きなんだからほっといてくれよ。やけくそでも、開き直りでもなく 彼らはそう歌っていたのだ。 そんな在り方が、彼らの新しさだったのだ。 お葬式の時、どれだけの人が泣いてくれるかが、その人の本当の価値なのだと 道徳の時間に先生が言っていた。 だけど僕たちは泣くわけにはいかない。 安易な感情を拒否すること、それこそが出発点だったはずだから。 俺の死はお前のものではない、勝手に悲しんでもらっては困る。 あいつらならそういうだろう。 そういってたぶん、どこかでニヤニヤしているのだろう。