「僕」と「僕ら」の間から

〜ささのみちる ソロデビューに寄せて〜


東京少年解散から数年して、笹野みちるがソロデビューした時に書いた文章

この後、レズビアン宣言が出て、少年前田はひっくり返った。

(その後「カミング・アウト」のサイン会にも行ったが、

女の子同士で盛り上がっていて、めちゃめちゃ悲しかった)

ミュージシャンは、もうやめてしまったのだろうか............................


ささのみちる、が帰ってくる。
まだ音も情報も何も無いのだけど、あいつがもういちど歌い出す。
そのことだけで、僕もなにか言わずにはいられない。
そんな人はそうはいない。
そんな気持ちにさせてくれる人が帰ってくるのだから、
僕も語らずにはいられない。

    *      *

たとえば、卒業アルバムなんかを肩を寄せ合ってのぞき込んで
「あの頃は無茶苦茶やったけど、楽しかったなぁ」なんて言っている風景。
振り返る景色はいつも輝いていて、心通じた仲間がいたような気がしている。
そんな感じは悪くはない、悪くはないのだけど、
すこし引っかかるものがある。
それも本当だ。

    *      *

東京少年としての笹野の売りは、
なんといってもそういった「あの頃の僕ら」的な世界であった。
それはそれで心地よかったし、
狙いとしても間違ってはいなかった。と思う。
なにより中高生を惹きつけるのに、そういったテーマは効果的であった。
だけど、笹野がマーケティングとして、戦略として歌っていたのなら
その歌に僕はなんのリアリティも感じなかっただろう。
笹野が学校にこだわり続けたのは、まったく別の切実さがあったように僕には思える。
それはただの若年性ノスタルジーではなかったはずなのだ。
「ほんとうに学校が好きなんです」
そう語る笹野にとって、学校とは何だったのだろうか。
どうしてそこにこだわり続けなければならなかったのだろうか。

    *      *

外れていく感じと、なにか一体であるような感じ。
それが学校であったような気がする。
集団があって、一緒になりたいのにどんどん外れていってしまう。
ひざを抱えていると、同じような奴らがそこにはいて、また一つの集まりができていく。
僕にとって、学校はそんなところであったようにおぼえている。
良くも悪くも学校というのは
「僕」が「僕ら」として存在できる、存在していた、そんな気持ちになれる場所だった。
気持ちになれるだけで、「僕」はどこまでいっても「僕」でしかないのかもしれないが
それはわかっているのだけれど、
そんな感じを幻想として切り捨てることも出来ない、そんな場所だった。

    *      *

そこは、たぶん世界に対する違和を人一倍感じる、
どうしてもズレて、外れていってしまう笹野という「僕」が「僕ら」になれる
なれたと言うように感じた、そんな場所だったのではないか。
そしてその日の光景をもう一度、明日の景色として描こうとすること
それが東京少年で笹野みちるが目指したものだったのだ。
「俺にとっての<少年>は過去ではない」と言ったビートたけしのように
笹野にとっての「学校」は、振り返るものではなく、
目指すものとしての切実さを持っていたのではないか。
自分の事だけを歌うのではなく、相手のことだけを歌うのでもなく
自分と誰かの間にわき上がるもの、それをつかまえて歌っていきたい。
笹野はそう語っていた。
「僕」が「僕ら」につながっていくような場所、
それが笹野にとっての「学校」だったのだ。
しかし、そう考えると東京少年での笹野の挫折はあまりに痛すぎるものとして浮かんでくる。

    *      *

東京少年の解散を、笹野は「卒業」という言葉で表現した。
結局ビジネスライクな関係な、
解散を告げて「早めに言ってくれて助かった」と感謝されてしまうような関係を変えられなかった
「東京少年」という集団。笹野は解散インタビューで、
自分が関係を築いていけると思っていてけど、かなわなかった、そう語った。
「最初から最後までよそよそしいままでしたね」そう振り返ったのだ。
そんな東京少年を学校に模して終わらせなければならなかったということ、
それはなによりも、笹野の表現してきた世界に対する痛烈な皮肉であったように思えた。
そこには卒業という儀式で終わらせることによって
すべてをいい思い出として封じ込めようとするような痛々しさしか感じられなかった。
「僕らの時」を明日に向けて見つけていこうとしていた笹野にとって
それは完全な敗北であったはずなのだ。

    *      *

だけど、そんなことはもう昔の話だ。
東京少年ではなく、「ささのみちる」としてあいつは歌い出す。
新しい歌が今はただ待ち遠しい。
どんな歌をあいつは歌うのだろう。
女性ボーカリストブームという状況は、
東京少年のころと同じような危うさを感じたりもする。
だけど、とりあえず今は再び歌い出すということは喜んでいたい。
歌いたいことなんか何もない。
そう言って去っていった人が、もう一度歌い出すというのだから
今は単純にエールを送りたい気持ちなんだ。

がんばれよぉ!!



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