岸田衿子

        「くるあさごとに くるくるしごと 

くるまはぐるま くるわばくるえ」の岸田衿子さんです。

マイペースという言葉では語りきれないような、揺るぎ無い世界観です。

こんな女性には憧れるような、ちょっと怖いような、そんな感じもします。

ちなみに、谷川俊太郎と結婚していた時期もあります。



南の絵本

いそがなくたっていいんだよ
オリイブ畑の 1ぽん1ぽんの
オリイブの木が そう云っている
汽車に乗りおくれたら
ジプシイの横穴に 眠ってもいい
ウサギにも 馬にもなれなかったので
ろばは村に残って 荷物をはこんでいる

ゆっくり歩いていけば
明日には間に合わなくても
来世の村に辿りつくだろう
葉書を出し忘れたら 歩いて届けてもいい
走っても 走っても オリイブ畑は
つきないのだから
いそがなくてもいいんだよ
種をまく人の歩く速度で
あるいてゆけばいい


棗(なつめ)のうた

まいばん棗を一つずつ食べたので
まいばん棗が一つずつ減りました
もしも 棗が一つもなくなったら
わたしはなにをして
夜をすごせばよのでしょう

時計塔の下で一目惚れする恋いもなく
泣く泣く別れを惜しむ 古里もなく
子犬もなく

まいばん棗は一つずつ減って
まいばん夜更けは一つずつ去って
わたしは最後に一つの棗を食べました


吉原幸子

 

私小説的な恋愛詩でも有名な吉原さんですが、僕はこの人の「孤独」の感覚がとても好きです。

ナルシズムに陥いりながら、他人に救いを求めていくような、

そんな自分の「不完全な孤独」をテーマにした詩に共感していました。


北へ

 

独房の壁に 名を刻む
北へゆく者が
南へゆく者に
すれちがひざま 名を告げる
詩とはそのやうな行為だ
とあなたは言われた
 
 
わたしはいま
北へ向かっている とおもふ
白い太平洋をわたる鳥のやうに
もう だまりたい
 
 
(北極はどこだ
 高すぎて 
 遠心力で地球からはがれさうだ)
 
 
わたしがいた といふことを
みんなが忘れてしまっても
わたしが記憶しておかう
けれど
 
 
南へゆく鳥たちよ
うつくしいふるさとに
よろしく
 
 


発車

 

こはれた目覚し時計のやうに
もう ながいこと
わたしのなかで
発車のベルが なりやまない
柱の傍らに化石して ボタンを押す
不きげんな車掌は わたし
うすぐらい座席の隅に目をつぶって待つ
不きげんな乗客も わたしだ
発たう 青い海辺へ
囚われない ひとりの空へ
屋根々々の 夕ぐれの
このまとひつく風景を 捨てて
 
発たう
ただ あのベルがなりやんだら---- 
 


陽のあたるのはいい
スクランブル交差点で 誰の足もとにも濃い影をおとし
かなしみにも 陽があたる

屋上のハトは人間をこはがらない
回転木馬はいい
アイスクリームはいい
子供たち 老夫婦 うつくしい

さうして かなしみにも陽があたる


瞬間

海が死ぬ
けふも死ぬ
日が暮れる
月が死ぬ
けふも死ぬ
夜が明ける

時が死ぬ
けふが死ぬ
人も 死ね

死ぬ海の
死ぬ月の
うつくしさ

色あせず
暮れもせず
のこるなら

人だけが
醜くからう

 


街.

 
 
こどくが欲しかったので
街をあるいた
 
 
夜がながれる
ネオンと 喧噪と 退屈と
 
 
一生けんめいになればなるほど みんな似てしまふ
それでふてくされて
なげやりになればなるほど やはり似てしまふ
じぶんだけはちがふと思っている
そのくせ けちくさい類推にすべてを眺める
 
 
行きずりの 誰かが誰かに話しかける
この人があの人で
あの人がこの人であってもいいのだ
こんなにいるのに たった1人のひとがいない
 
 
ネオンのついたり消えたりする
むずかしい順序を覚えてみようか
無駄ときまっていることが いまはなつかしい
 
 
とり残された 並木のこだち
魂の一ひらのやうに
いつか街灯に舞っていた
みどり色の蛾を さがしに行かうか
 
 
酔った目をして
頬のあかい小学生からピーナツを買ほうか
 
 
意味もなく あの
かうかうと来るヘッドライトに
をどりこまうか ドンキホーテ
 
 
こんなにいるから さびしいのだ 完璧に
しびれるほどに
(こんなに似ていて 誰かは誰かをわからないから)
 
 
 
何をしてもわかられる心配はないから
みち足りて こどくなのだ

 

これから

わたしは 生まれてしまった
わたしは 途中まで歩いてしまった
 
わたしは あちこちに書いてしまった
余白 もう
余白しか 残っていない
 
ぜんぶまっ白の紙が欲しい 何も書いていない
 
いつも 何も書いていない紙
いつも これから書ける紙
 
 (書いてしまえば書けないことが
  書かないうちなら 書かれようとしているのだ)
 
雲にでも みのムシにでも バラにでも
何にでも これからなれる いのちが欲しい
 
出さなかった手紙 
うけとらなかった 手紙が欲しい
 
これから歩こうとする
青い青い野原が欲しい
 

 工藤直子     「哲学のライオン」「のはらうた」の工藤さん。 博報堂の女性初のコピーライターでもあります。 「まるごと好きです」(ちくま文庫)とか「とうちゃんと」といったエッセイも、とても素敵です。    徹底したポジティビティと人間性への信頼で、 悪意や孤独も囲んでしまおうと言う姿勢は常に一貫しています。 、 たぶんこの人は、芯のところで強い人なんだろうと思います。   性格の悪い谷川俊太郎(笑)との対談はこちら

 なくなよ なあ
(もう なくなよ)と ワニはいった
だれにも かまってもらえず 百万年ものあいだ さびしいワニが
自分に(なくなよ なあ)と いいきかせた
 
 
おれだって はずかしがりのワニ 知りたがりのワニ
あそびたがりのワニ 会いたがりのワニ なんだけど
百万年ふりつもった さびしさが かたいウロコになっちまい
それを すっかり かくしちまった
 
 
(なくなよ なあ)と ワニはいい 水にもぐって 目をあらう
(なくなよ なあ)と ワニはいい 心のなかに なみだをながす
 

    
たいくつか 心 
たいくつなら
まりになれ 心
わたしの手まりになって
おどれ 心
 
 
 
まるい まりをついて
わたしは 畠にでかけよう

あけまして おめでとう
みんなに今年の計画を たずねた
太陽は 光にみがきをかけるぞ!と胸をはる
雲は もくもく沈黙 「不言実行」だそうです
風は 聞くひまもなく吹きぬけて.... ツメタイやつ
柿の木は はっくしょんしながら
「今年は体力つけて 実をどっさりつくるぞ」と にんまり
はたけに耳をよせて たずねたら
「白菜のあと トマトト おつきあいしたい」と
ひそひそ はなしてくれた
うぐいすは ケキョケキョの30回連続鳴きをねらい
みみずは おいしい土さがしの旅に出るとか
落葉をかきわけ てんとうむしに たずねたら
「いま眠いから また あとで」
 
 

また あいたくて
さよなら三角
またきて四角
またあえるね とうたってた
 
さよなら春 さよなら夏
さよなら秋 さよなら冬
 
さよならを くりかえし
さよならを つみかさね
 
また あいたくて なにかに
きょうも あるいていく


茨木のり子


  汲む -Y.Yに-
大人になるというのは
すれっからしになるとことだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
 
 
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
 
 
私はどきんとし
そして深く悟りました
 
 
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷付いてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと........
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
 

知らないことが
大学の階段教室で
ひとりの学生が口をひらく
ぱくりぱくりと鰐のようにひらく
意志とはなんのかかわりもなく
 
戦場である恐怖に出会ってから
この発作ははじまったのだ
電車のなかでも
銀杏の下でも
ところかまわず目をさます
錐体外路系統の疾患
 
 
学生は恥じてうつむき口を覆う
しかし 年若い友らにまじり
学ぶ姿勢をいささかも崩そうとはしない
 
 
ひとりの青年を切りさいてすぎたもの
それはどんな恐怖であったのか
ひとりの青年を起きあがらせたもの
それはどんな敬虔な願いであったのか
 
 
かれがうっすらと口をあけ
ささやかな眠りにはいったとき
できることなら ああそっと
彼の夢の中にしのびこんで
すこし生意気な姉のように
“あなたを知らないでいてごめんなさい”と
静かに髪をなでていたい
 
 
精密な受信機はふえてゆくばかりなのに
世界のできごとは一日でわかるのに
“知らないことが多すぎる”と
あなたにだけは告げてみたい
 
 


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