「イッツ・オンリー・トーク」(文學界六月号掲載)感想文です。


 
不機嫌というのではなく、無表情というのとも違う、
なんだかむっとしたような表情でその人は六本木の本屋の前に立っていた。
僕は絲山さんの顔は知らなかったけれど「たぶん、あれが絲山さんなんだろうなぁ」と思った。
思ったけれど声を掛ける事はできずに、横目でチラチラと見ていた。
怒っているわけでもなく、無関心なわけでもない、
「ふーん。そうなんだ」頭の中で何か違う事を考えながら、それでもしっかりと目の前を通り過ぎる物事を眺めている。
初めて会った絲山さんの姿はそんな風に見えた。
(結局僕は知人が来るまで、声をかける事ができなかった)
 
 
絲山さんの文学界新人賞「イッツ・オンリー・トーク」を読んだ。
もちろんフィクションであるから、直接的に絲山さんと物語を重ねる事はできないだろうけど、
浮かんで来たのは、絲山さんのあの表情だ。
鬱病を持つ主人公の女性と、都議を目指す勃起不全な同級生や、ネットで知り合った痴漢やヤクザなどが絡む物語。
選評でも誰かが書いていたけれど、ともすれば病気自慢や堕落自慢の自意識バリバリの世界になってしまう所だけれど
文体と主人公の視線はハードボイルドのように乾いている。
性的な描写も理科の実験のような冷たさを保っている。
物語を紡ぐ事が、自分が特別である事を認めさせる手段でなく、
自分の現状に対するエクスキューズでもないのだろう。
自分には世界はこんな風に見える。こういうスタンスで自分は立っている。
それがこの小説が伝えたい事であるように思う。
そして、その世界観とはなにか。
 
基本的に主人公は深入りしない。
自分に唯一意見できた友人はすでに死んでいるし、その他の男は勃起不全であり、痴漢であり、従兄弟である。
性的な意味だけではない。それぞれの人物の内面に踏み込む事を主人公はしない。
それだけではなく、自分自身の過去や病気についても淡白だ。
無関心ではないが、淡白。それが基本スタンスだ。
物語の終わり、危険な仕事に向かうヤクザの友人との別れの会話が印象に残る。
 
 
 「私に関係あること?」
 「いや俺のメンツに関係あることです」
 「まぁ、私はなにも言わないよ」
 「優子さんはそういうと思ってました」
 
 
しかし淡白な態度は、冷たい印象を抱かせる事は無い。
むしろ平行線な関係の中でのわずかな交わりの瞬間が輝く。
銭湯の壁を挟んで従兄弟と話すユーモラスなシーンや、痴漢と分かち合う奇妙な共感。
本当は、私達は互いに理解しあう事も交わる事なんてできない。
自分と他人との間にある断絶は、物理的に存在する。銭湯の壁のように。
それでも絲山さんが見つめるのはコミュニケーションへの絶望ではなく、
その壁を通したコミュニケーションの中にある滑稽さや美しさだ。
 
これからも繰り返すだろう、別れや、病いや、痛み。
否応なしに付き合い続けて行かなければならない、悲しみや苦しみ。
それらをありのままに見つめていったら、結構笑える所もあるじゃないの。
そんな風に語っているように思えた。
治る事のない病気と付き合うように、人生と付き合う。
それが冷たくも暖かい、この小説の温度のように思えた。
 
 
共通の友達がやってきて、僕は絲山さんに挨拶した。
僕らは日曜日の六本木ヒルズを冷やかした。
気が狂ったような騒ぎの六本木を、絲山さんはやっぱり同じような表情で眺めていた。
レストランで嫌な顔をされながらビールを一杯だけ飲んで、5月の風が吹くなかを、浜松町までほろ酔いで歩いた。
散々酔っぱらった後のカラオケで絲山さんが歌ったのはキャロル・キングの「You've Got A friend」
終電になる前に僕らは別れた。
 
 

 TOP