ドアは半分だけ開いている
(ドレミふぁんくしょんドロップ/実業之日本社 刊)
たとえば外国で生活することになれば、
周りの人のふるまい方を観察して
人との接し方や、日々の過ごし方を勉強するだろう。
どんな時に相手が喜んだり、怒ったりするのか、
あるいは、どんな時に自分は笑えばいいのか、怒ればいいのか。
インドでは子供の頭に手を置いたら怒られるし、
南米じゃ、1時間ぐらいの遅刻は当たり前だ。(たぶんね)
自分の感覚とはあわなくても、違う人間、違う世界なんだから仕方ないって
そんなふうに納得して生活していくんだろう
違う人間、違う世界なんだからって
いつだって距離感は
自分自身が一歩身を引くことから始まる。
「他人への怒り」を「自分のかなしみ」として受け入れる。
感情をすこしだけやり過ごせば、たいていの事は受け入れて、消化できる。
僕たちは、それをすることができる。
そして、僕たちはそれを繰り返してきた。
この作者と共有するのは、その距離感覚なんだと思う。
社会との、恋人との、自分の痛みとの「距離のとり方」
「クール」なのではない。それは選びとったスタイルではないから。
あえて言うなら、水くさい奴とかそんな感じなのだろう。
どこかに飛び込もうとして
持ち上げた足と、飛び込もうとしている新しい地平と、
考えている自分(と、それを見つめている自分も)
その瞬間にフリーズした世界が歌われている