ドアは半分だけ開いている



他人への 怒りはすべてかなしみに 変えて自分で癒してみせる

しゃぶるのを やめては僕がどんな顔 しているのかを確かめる君

あくびして 頬に涙がたれたとき 泣き叫びたい自分に気づく

書くことは 呼吸だだからいつだって ただただ呼吸困難だった

どっち道 どの道どうせ結局は とどのつまりは所詮やっぱり

ストローの 袋みたいに軽薄な 俺の苦笑が風に転がる

思い出を つくっておこう寝たきりの 老後に夢をみられるように

おぼろげな 記憶によれば「フリッパーズギター」は別れの言葉

五年後に 仕返しされて殺される 覚悟があればいじめてもよい

遠ざかる 紙ヒコーキの航跡を なぞるがごとく飛びおりた君

ビクビクと 食うな畜生 ゴミ置き場なんかジャンジャン散らかして食え


バイバイと 鳴く動物がアフリカの 砂漠で昨夜発見された

(ドレミふぁんくしょんドロップ/実業之日本社 刊)



たとえば外国で生活することになれば、
周りの人のふるまい方を観察して
人との接し方や、日々の過ごし方を勉強するだろう。
どんな時に相手が喜んだり、怒ったりするのか、
あるいは、どんな時に自分は笑えばいいのか、怒ればいいのか。

インドでは子供の頭に手を置いたら怒られるし、
南米じゃ、1時間ぐらいの遅刻は当たり前だ。(たぶんね)
自分の感覚とはあわなくても、違う人間、違う世界なんだから仕方ないって
そんなふうに納得して生活していくんだろう

違う人間、違う世界なんだからって


いつだって距離感は
自分自身が一歩身を引くことから始まる。
「他人への怒り」を「自分のかなしみ」として受け入れる。
感情をすこしだけやり過ごせば、たいていの事は受け入れて、消化できる。

僕たちは、それをすることができる。
そして、僕たちはそれを繰り返してきた。

この作者と共有するのは、その距離感覚なんだと思う。
社会との、恋人との、自分の痛みとの「距離のとり方」
「クール」なのではない。それは選びとったスタイルではないから。
あえて言うなら、水くさい奴とかそんな感じなのだろう。

どこかに飛び込もうとして
持ち上げた足と、飛び込もうとしている新しい地平と、
考えている自分(と、それを見つめている自分も)

その瞬間にフリーズした世界が歌われている


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