誰でも何か悲しいことをもっている
それを誰にも黙ってかくしている
ははは
誰でも何か許されぬことをもっている
それを許されぬままでもっている
ははは
夜 寝床に入る前に
誰でも一度は悲しそうな目つきをする
兔のような蛇のような
何も見ていない目つきをする
ははは
だれでも何か口で云えないことをもっている
何と云っていいかわからず
ひとりでそれをもっている
ははははははははは
だから時々急に女に接吻したくなったりする
相手の舌を自分の舌でおさえつけて
しばらくじっとしている
それから残酷に目を開けて
遠い空や丘の方を見たりする
そして私はいつか
どこからか来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ
騒がしい友だちが帰った夜おそく 食卓の上で何か書こうとして
三十年あまり昔のある朝のことを思い出した
違う家の違うテーブルで やはりぼくは「何か」を書いていた
夏の間に知り合った女に宛てた「別れ」という題ののそれは
未練がましい手紙のように いつまで書いてもきりがなかった
そのときもラジオから音楽が流れていて
その旋律を 今でもぼくはおぼろげに覚えている
そのときはそれでよかった
ぼくは若かったから
だがいまだにこんなふうにして「何か」を書いていいのだろうか
ぼくはマルクスもドストエフスキーも読まずに
モーツアルトを聴きながら年をとった
ぼくには人の苦しみに共感する能力が欠けていた
一生懸命生きて自分勝手に幸福だった
ぼくはよく話しよく笑ったけど ほんとうは静かなものを愛した
そよかぜ 墓場 ダルシマー
いつかこの世から消え失せる自分.......
だが沈黙と隣り合わせの詩とアンダンテだけを信じていていいのだろうか
日常の散文と劇にひそむ荒々しい欲望と情熱の騒々しさに気圧されて
それとももう手遅れなのか
ぼくは詩人でしかないのか三十年あまりの昔のあの朝からずっと
無疵で
こどもは しろいとびらをあける
とても おそろしいことを
こころのなかで かんがえるが
そのことは だれにもいわない
こどもは おちていたまりをひろう
うでのうぶげに きりのしずくが
にぶく ひかっている
いちどだけ たった いちどだけ
それでいいんだと こどもはおもう
だが いちどだけですむものか
たんぽぽのはなの さくたびに
こどもは かわべりでゆめみる
ほんとうに そのことをしたあとの
とりかえしのつかぬ かなしみを
にわかにいくつか詩みたいなものを書いたんだ こういう文体をつかんでね一応 君はウツ病で寝てるっていうけど ぼくはウツ病でまだ起きている 何をしていいか分からないから起きて書いている 書いているからウツ病じゃないのかな でも何もかもつまらないよ モーツアルトまできらいになるんだ せめて何かにさわりたいよ いい細工の白木の箱か何かにね さわれたら撫でたいし もし撫でられたら次にはつかみたいよ つかめてもたたきつけるかもしれないが きみはどうなんだ きみの手の指はどうしてる 親指はまだ親指かい? ちゃんとウンコはふけてるかい 弱虫野郎め