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■ Racing Kart の歴史
<カート誕生>
カートの歴史は、1950年代半ば芝刈り機のエンジンを使った“GO KART”という商品がアメリカで生まれたことから始まる。

CART(荷車などの意)ではなくKARTとなったのも“GO KART”が原点だといわれている。
その後、ヨーロッパに渡った“GO KART”は、レース用に洗練され現在のRacing Kartへと進化してゆくこととなる。
<カート日本上陸>
1950年代後半、駐留していた米兵によって“GO KART”が日本に持ち込まれ国内カートの幕が上がる。
レースは米軍基地や駐車場で開催され、アメリカ製エンジン以外に国産エンジンのトーハツも使用された。
<赤木圭一郎の事故死>
1961年2月、日活の人気俳優だった赤木圭一郎は、連日のハードスケジュールで疲労困ぱいしていた。
そこに注文していたゴーカートが撮影所に届いたと連絡を受け撮影所に赴きゴーカートを試乗する。
赤木は撮影所の直線道路を数百メートル疾走後、鉄扉に激突し数日後に帰らぬ人となった。
盛り上がりの兆しを見せていた国内カート界にとって、「カートは危険である」というレッテルを貼られたことはカート普及の重い足かせとなった。
“激流”赤木圭一郎を偲ぶ会
<汎用エンジン苦戦>
60年代のレースでは、汎用エンジンのロビン(富士重工製)やヤマハが使用された。
しかし、イアメ・パリラなどイタリア製カートエンジンに苦汁を飲まされたようで、次第にクラスを分けてレースが行われるようになる。
60年代後半には、国産フレームメーカー数社が誕生するなどカートの勢いが衰えることはなかった。
<JAFが統括組織に>
1972年JAF(日本自動車連盟)が国内カートレースの統轄組織となり、競技規則の統一やコースの公認を行うようになる。
1973年YAMAHAがコンプリートカート(RC100)を発売。翌74年SLカートクラブが誕生、カートコースも続々オープンとなり全国的にカートが普及する。
70年代はエンジン競争が激化し、ヤマハ、カーレル、ナック、スガヤなどのエンジンが火花を散らした時代であった。
また、70年代後半にはダンロップとブリヂストンのタイヤ戦争も勃発し、当時の全日本選手権では、使用本数などに制限がなかったため走行ごとにニュータイヤに交換していたという。

全日本選手権を走る鈴木亜久里選手
<SLタイヤ制定>
80年代にはタイヤコンパウンドの制定が行われ SL83、SL86 と呼ばれるタイヤが誕生、レギュレーションで使用コンパウンドとメーカーが指定されレースが行われるようになる。
国内で制定されたSLコンパウンドだが、海外でもSLタイヤ指定のレース開催や海外メーカーがSLコンパウンドタイヤを生産販売するなど国際標準化する動きがあった。
<F1ブームの到来>
中嶋悟や鈴木亜久里がF1に参戦、F1ブームの到来によりレーシングカートも記録的な販売の伸びを記録する。
バブル崩壊後の景気低迷により販売の伸びは鈍ったが、大人の遊びであったカートは低年齢化が進み、レーシングカートの認知と普及は着実に進んだ。
<カートアニメ放映>
2005年秋、レーシングカートをキッカケにモータースポーツ界を駆け登って行くという「カペタ」(月刊少年マガジン連載作品)がアニメ化されTV放映される。
実存するカートコースを元に忠実に描くなど、カートレースやモータースポーツの姿を知ることができる貴重な作品となっている。
原作は「め組の大吾」などを手がけた曽田正人。
<YAMAHA フレーム販売から撤退>
入門者用として、SLストッククラスを支えてきたYAMAHAがコンプリートカート販売から撤退。エンジン供給に的を絞った体制へと移行した。
TIA、TRYモデルの供給は現在 birel PACIFICが引き継いでいる。
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