お姉さんの眼鏡

(2002年10月)


 FCでもおなじみの丸出朝顔さんから、サイトのトップ絵をご提供いただきました。丸出さんの真似はとても無理なので(すごいですよ。是非確かめてください……といっても丸出さんのサイトはもう閉鎖されています。ただしブランバーでも作品を読むことが出来ます)自分の土俵に引っ張ってきました。絵のイメージに合わないかも……
 投稿するためにほんの少し改稿したバージョンもあります。

 ゴールデンウィークに帰省したのは単なる偶然だった。
 大学院の入試や卒論でいつもは帰る夏休みもアパートで過ごす予定だった。
 実家に電話で夏休みに帰れない事を伝えると、それなら一度顔を出せという親父の言葉。珍しく素直に電車に乗った。
 ふるさとの駅に着くとコンコースで蝶野に会った。
 懐かしさに手を挙げて合図する。
「奇遇だね」
 蝶野の口調が妙に懐かしかった。
「ああ、久しぶり」
「どうしたの、こんな時期に帰ってきて」
「蝶ちゃんこそ……」
「GW明けから教育実習に行くんだ」
「へえ、馬場さん元気かな」
「元気元気、春に手続きにいったときは結構ハッパかけられたよ」
 母校の担任や古びた校舎のたわいもない話。蝶野が乗るバスターミナルの前に来たときふと思いついて声をかける。
「親父が迎えに来てくれるけど、乗ってく?」
「ラッキー、頼むよ」
 携帯が鳴った。実家の番号だ。
「はい」
「辰巳か?」
 親父の声。
「ああ、どうしたの? 迎え来れないならいいよ」
 蝶野には悪いと思ったが仕方ない。
「サトル君のこと聞いてるか」
「何?」
 空気が静かに凍り付いた。
「どうしたの?」
 何回かの生返事で電話を切ると蝶野が心配そうに声をかけてきた。
「サトルが死んだみたい」
 自分の声が遠くに聞こえた。

 葬式には昔の仲間の顔が並んだ。
 サトルのお姉さんに会うのは三年ぶりだった。
「明後日くらいにお線香を上げにいっても良いでしょうか?」
 意を決して口にする。
「ご迷惑ですか」
「大丈夫、来る前に電話してね……いつものように蝶野君と一緒に来るんでしょ」
 やっとの事で絞り出した僕の小さな返事に彼女は昔と同じように笑ってから、ちょっと眼鏡を直した。

「女の子と待ち合わせしてたらしいの」
 葬式の時、見覚えのない娘がずっと泣いていた。多分彼女だろう。
「いつまでたっても来ないし、電話にも出ないから部屋に行ったんだって」
 彼女が見つけたのは、もう冷たくなったサトルの体だった。
「心不全っていっても、結局原因がよくわからないってことみたい」
 ほんの一月前、高校時代の仲間でやっているメーリングリストでサトルの発言を読んでいた。
「あっけないね」
 院の入試で悩んでいる僕と違ってあいつの悩みはそこから先の話だった。
「頭が良くて自慢の弟だったのにな」
 高校時代、蝶野とよくこのうちに遊びに来た。中学の養護教諭をしているお姉さんと二人暮らしの家には亡くなったご両親の残した本がそれこそ何千冊もある。
 サトルは進学することでお姉さんに負担をかけることをかなり気にしていたのを思い出す。
 それからしばらく他愛のないことを喋った後、お姉さんが不意に奥へはいるとノートパソコンを持ってきた。
「二人にだけは見せちゃおうっと」
 そういってマシンを立ち上げる。
 訝しげな顔の二人を前にスタートアップスクリーンにアイコンが並んでゆく。
「これ、サトルのウォールストリートでしょ、いいんですか」
「いいの」
 マシンが立ち上がるとデスクトップの中央にヘタウマの不思議な絵。スキンヘッドの男が泣きながらよだれを垂らしている。
「この絵なんだろね……」
 言いながらお姉さんはなにやらソフトを立ち上げた。
「あの子さ……」
 画面に現れたのはHTML編集ソフトだった。
「Webサイト立ち上げてたらしいの」
 初耳だった。蝶野も知らなかったらしい。驚いた様な顔をしている。
「それもさあ……」
「アダルトサイト」
 飲んでいたジュースを吹きそうになった。
「ええ?」
「笑っちゃうでしょ、彼女には内緒でこんなことしてたのよ」
 プレビューモードにすると画面にはサトルの主催していたサイトのホームページが現れる。アダルトサイトといってもいわゆるそれらしい画像もなく、ちょっと見た感じはありふれたテキストサイトだ。
「スケベな小説ばっか……知ってる」
「俺知ってる」
 蝶野がぼそっとつぶやいた。
「かなり有名な18禁テキストサイト……サトルだったのか」
 言ってから蝶野はちょっとばつが悪そうだった。
「『迷路の部屋』だってさ……あんたの頭ん中が迷路だって言うの……」
 お姉さんは蝶野の方を見てちょっと笑って眼鏡を直した。このサイトは実は僕も知っていた。もちろんサトルがやっているなんて今初めて知ったのだが。
「あの子才能あったのよね」
 同感だった。人には言えないが僕もかなり夢中になって読んだもんだ。ヒット数もかなりのものだ。
「よくさあ、若くして亡くなった人の遺稿集なんか家族が本にすんじゃない?」
 お姉さんはソフトを閉じると、眼鏡を外した。
「……出来ないって、これじゃ」
 そう言ってなぜか彼女は優しい笑顔になった。
 僕は何を言って良いのかわからなかった。多分蝶野も同じだったろう。
 ぎこちなく僕が話を変えるとそれからしばらく他愛のない話をした。
「お体に気をつけて下さい」
 帰り際、僕が声をかける
「ありがとう」
「あんまり無理しないで下さい」
 蝶野が低い声で言った。
「大丈夫」
 彼女は自分に言い聞かせるように言った。
「結構参ったけど、私には生徒がいるから」
 そういって笑うとまた眼鏡を直した。
「蝶野君、教員採用試験がんばれよ」
 蝶野は無言で頷く。
 テーブルの上のサトルのマシンにそっと触れてみる。サスペンドが解除され、デスクトップが現れた。
 多分、サトルがマウスで描いた絵に心の中で別れを告げる。
「辰ちゃんも元気でね」
「はい」
 僕は小さな声で応えた。

 僕はその後すぐ大学に戻り、翌年大学院に進学した。
 蝶野は実習の後採用試験をパスし中学の教員になったらしい。
 「迷路の部屋」はその後一年ほど残っていたが、更新されないせいで訪れる人もめっきり減ったある日、不意に閉鎖された。
 お姉さんとも蝶野ともあれ以来会っていない。

(完)