使われなかった機体
(2001年12月)
テーマは「正直さ」です。今回も色々と感想をいただきました。好意的に「独自の世界観」といってくださった方もいましたが、やはり読みにくい様です。独自性を失わずに、読みやすく面白い話を書くなんて……夢ですね。
「まるでおもちゃ箱だね」
息子の言葉に智子は苦笑する。家を建てるとき、夫の希望で作った二階の書斎。その床から、中二階の書庫への扉が開く。高さ1.5メートルほどの空間には、必ずしも本だけで満たされているわけではなかった。
買っただけで開けた形跡のないプラモデルの山、亜鉛合金製のロボット一個師団。説明書通りにくみ上げるとサスペンション可動のキャタピラ式自走砲? になるはずのペーパーモデルの型紙は、買ったときに比べてほんの少し黄ばんでいた。
「父さんはこれ、いつ作るつもりだったんだろう?」
かつて何度同じ質問を本人にぶつけたことだろう。
「私に聞いても知らないよ」
低めの書架の奥にはやけに重い段ボール。開けてみると古い雑誌とビデオテープ。息子の頬がゆるんだ。
「やっぱり飛行機の雑誌だ」
うれしそうな声。こんな父を家族の中で一番好きなのが彼であることを、母親は知っていた。
「康志は飛行機好きだね」
息子は曖昧に首を振った。確かに彼の父親を基準にすれば飛行機が好きなどと簡単に言える人間は少ないだろう。
「この表紙の飛行機きれいだな」
彼の手にする古い雑誌の表紙は、純白の三角翼機が巡航する写真だった。巨大な機体だ。超音速旅客機の様にも見えるが、旅客用の窓が一切見えない。
「これ何?」
彼の指さす機首近くには、小さな一対の翼が見えた。
「カナード、確かね……」
エンテだったかな。カナードとエンテ……確か、アヒルと鴨? 実を言うと智子は飛行機にはあまり興味がない。飛行機好きには興味があったが。
「大きな翼が下に折れてるのも変わってるよね」
いつか聞いたことがある話だ。
「その機体はね、自分が起こす衝撃波を利用するの。それを逃さないように主翼の先端を可変させるらしいよ」
確かウェーブライダー。格好いい名前だけは覚えている。
「衝撃波に乗っていくなんて、なんか格好いいな」
智子はもう一度苦笑する。夫が自分の説明を聞いていたら確実に詳しい訂正が入るだろう。彼女の興味は内容ではなく語り手にあったから、いつも内容は上の空だった。
いずれにしろ、この調子では日が暮れてしまう。
「さあ、ぐずぐずしないで」
大掃除の最中に、夫は不意に外出した。風呂場のスノコの裏を歯ブラシで磨いている最中にかかっていた電話が原因だ。
「でもさあ、本当にこの中にあるの?」
大学院時代に書いた論文のコピーがこのおもちゃ箱のどこかにあるらしい。呼び出された理由その他一切言わず、ただ論文を探してファクシミリで送れとという簡潔な電話連絡のなかで、洲崎明助教授はそう話した。
「お父さんがそう言ったなら多分そうなんでしょ」
めんどくさそうなことを言いながら、息子は明らかに作業を楽しんでいた。普段は決してさわらせてもらえない父の宝物を見るチャンス。このガラクタのどこが大事なのか長年不思議だったが、息子にもきちんと彼の血は流れていたようだ。
「あ、このバインダーは? ホコリすごいけど」
どうやら黄ばんだ表紙の年代から見て、目的地は近そうだ。
「貸してごらん」
ここ何年かの仕事はほとんど電子化されている。それ以前のものだって重要なものは彼女も協力してデータベース化したはずだった。
しかし、学生時代の論文で普段の仕事と関連が薄ければ紙のままであっても不思議ではない。不思議なのは、そんな些細な仕事まで記憶している夫の性格だ。
「これじゃないわ。でも時代的にはこのくらいだから、そこらにあるわよ」
康志はさらに何冊かのファイルを見つけだした。
「でも、内容なんて母さんにわかるの?」
「そりゃわかんないよ。でも一応題名と概略は聞いているから」
二人は同じ大学で学んだが専攻は全く違う。智子はメーカ勤務のプログラマだ。
「あとは、これくらいかな」
息子がそれらしいバインダーを何冊か持ってきた。
積み上げられたファイルをめくっていくとどうやら目的のものが見つかった。
「あったよ、康志」
答えがない。古い雑誌に夢中だ。
論文をファクシミリで送ると、程なく電話が鳴り、夫から例によってぶっきらぼうな礼の言葉が返ってきた。
「高いよ」
明がこのくらいで恐れ入るとは思わなかったが、一応冗談めかして言っておく。頭に来て怒鳴っても、きっといつものように不思議そうにこちらを見るだけだ。その様子が妙に可笑しくて、けんかはいつもそこで終わってしまう。
考えてみると、夫が私的に怒ったことは一度も見たことがない。当然妻である智子に怒りをぶつけたことなど一度もなかった。不思議な気がしたが、このことを本人に話しても、逆に不思議そうに見つめられてこっちが笑ってしまうだけだろう。
書庫の片づけを考えると頭が痛いが、放っておくのも気に入らない。
もう一度二階に上がると、息子はまだ雑誌に見入っていた。
「ほら、もうそれくらいにしな」
母の言葉にやっと雑誌から目を上げる。
「母さん」
「何?」
段ボールを片づけながら息子が訊く。
「あの飛行機、爆撃機なんだね」
記事を読めばすぐわかることだ。
「そうだよ」
XB-70バルキリー、初めてこの機体の話を聞いたとき、そのときの明の悲しげな顔を思い出した。考えてみればデートの時はいつも変な話を聞かされた。
「旅客機だと思った」
昔流行した超音速旅客機か、その試作機。誰でもそう思う。
「あの飛行機は爆撃機だよ康志。あなたの読んだとおり」
巨大な機体の中に人間はたったの四人。残りのほとんどは燃料だ。マッハ3でとぶ純白の、そして破壊の女神。
「父さんあの飛行機好きなのかなあ」
智子はファイルを書架に戻しながら答える。
「好きだったみたいよ。少なくともある時期はかなり気に入ってた」
多分今でも好きだろう。様々な意味で明が好む機体だ。
「つくられたのが試作機だけで、一度も使われなかったから?」
智子はどう答えようか考えながら片づけを続けた。
「あの白い機体が迷彩色なんかに塗られて本当に使われたら、きっと好きになれなかったよね」
「それは違うよ、康志」
智子は手を止めた。些細なことだが、これは掃除を中断しても話しておくべきことだった。小さなことだが、他のことを止めて専念する価値はあった。
「第一、あの白い塗装は試作機だからじゃない」
不思議そうな顔。確かに汚れのない天翔ける乙女にはあの白さはよく似合う。
「あれは熱核爆弾爆発の光から機体を守るための塗装なの」
プラモデルの山を見ながら言葉を継ぐ。
「だからあの飛行機は、場合によっては純白のきれいな姿のまま、幾つかの都市を灰にする可能性があったの」
プラモデルの箱を一つ手に取る。
「それにこれも父さんの好きな機体。これは実際に使われて、それこそ何万人も殺しているわ」
何万人というのは大げさかも知れないと、内心智子は思う。しかし、子供の教育のためだ。このくらいの演出は夫も許すだろう。
康志は無言だった。
「何で、こんな格好いいのかしらね」
軍用銃器、戦闘用刀剣、戦闘車両、軍用艦船、それに軍用機。人を傷つける道具なのに、同時に人を魅了する美しさを持つものも少なくない。
「なぜ?」
彼女自身、解答を持っていなかった。おそらく彼女の聡明な夫も。
「わからない。母さんにはわからない」
何も生み出さない不毛の道具。たとえば戦闘機の目的は「戦闘機を破壊」すること。多くの兵器は「戦闘能力を奪う」ことを目的として設計されている。
求められる機能に純粋だから美しく感じるのだと彼女はかつて明に答えたことがある。
『それはウィルスの美しさかな?』
明の言葉に、彼女はうなずいた。最小限のリソースしかもたないシンプルで強力なシステム−−そのとき智子は答を見つけたつもりだった。
ところが、明の顔を見ている内に急に自信がなくなったのを覚えている。
「康志が自分で見つけなさい」
彼は思わずやっぱりという顔をした。父も母もどうやら大切らしいことに限って最後の答えを言いたがらない。いつも自分で決めろ、自分で見つけろと言う。
「また?」
彼の母親はすでに作業を再開していた。当然答えはない。
「ちぇっ……わかったよ」
作業に戻った息子を横目に書架を片づけながら、智子はあのときの明の顔を思い出していた。
なぜあのとき急に自信がなくなったんだろう。兵器を作る技術者? 兵器によって解放された人民? いや、そんなきれいな話をしようとした顔ではなかった。
なぜか明は口を閉ざした。彼ほどは兵器の類に惹かれることのない自分には、もしかしたら見つけることの出来ない理由からなのかも知れない。
ふと記憶はジャンプし、別の日の話を思い出す。話の中で一度だけ明にしては珍しいことだが、幾分不機嫌な口調になった。
「XB-70が使われなかったのは人類にとって幸運だったとか、あの機体にとっても幸運だったという言葉には、うなずける点もある。でも、僕の意見とは違う」
「僕はあの機体を美しいと思う気持ちをどのような意味においても正当化したくない。そのことをずっと悩んでいたい」
まったく、照れ屋で理屈っぽいんだからあの人は−−智子は心の中でつぶやいた。そして、半分だけきれいになったまま放置されている風呂場のスノコをどうするべきか考えていた。
仕事から帰れば何事もなかったように作業を再開することは確実だったが夜中にうるさくされるのは困る。
智子は軽くため息をついた。この問題もかなり厄介だ。
文中の用語等は正確を期していますが、間違っていたら、智子の聞きかじりの知識のせいだと解釈してください。
なお写真はすべてこちらからいただきました。