夜のスウィンガー
2002年8月
壊れた人間を描いてみる事が目標でした。盛り上がりに欠けると言う指摘。設定は面白いが……という感想。実のところかなり自信満々の投稿だったので(ごめんなさい、この程度でも今の自分としては会心の出来なんです。情けないです。)人知れずかなりへこみました。インパクトがないよなあ、と冷静に反省しつつ、また同じ間違いを犯しそうです。あ、そうだ。また票が入りました。うれしい。
あの日、世界は歪んでしまったのだと思う。
空の彼方から飛来して地球の自転をほんの少し狂わせた「物体」のせいで、誰も未来について確信を持てなくなった。
あの衝突−−実のところ「物体」の正体はおろか、それがよく言われるように衝突して貫通したのか、それとも地球のすぐそばをかすめただけなのかすらよくわかっていないのだ−−でこの惑星の人間の一割が死んだ。その後も気候の変動によってその何倍かが死に、また死につつある。
僕は世間では一応大学生ということになっている。この国では今のところそれほどひどいことは起きていないが、不幸なことに僕だって多少の想像力はある……正直、ゲームでもしなければやってられない。
不安を紛らわせてくれるのはネットワークを使った仮想現実ゲーム。熱中するのは僕らのようなろくでなしの若者だけだ。
それは僕だって「あんなものに夢中になるのはまともな人間ではない」と学校で習ったけど、自分がまともではないとわかった今は先生も時には本当のことを言うのだなと感心するだけだ。
僕はもうまともではない。そして、その種の人間の周りにはまともではないことが色々と起きる。
今朝も目の前で人が殺された。
最初はちょっとした交通事故の様だった。早朝の交差点で乗用車が自転車の男を出会い頭にはねとばした。
自転車の男は、見たところ命に別状はなさそうだった。その自動車が間髪を入れずにバックしてきて、彼と彼の自転車を挽きつぶすまでは。
僕はその通りに面したアパートの窓から一部始終を見ていた。
ひどい話だ。
僕は眼を細めて、何事もなかったかのように走り去る自動車を見送る。
はね飛ばすときも全く減速しなかった。おまけに自転車ごと轢いたはずなのにバンパーが脱落する気配すらなかった。おおかた人を轢き殺すために改造された乗用車。乗っていたのはその車にふさわしい人間に違いない。
誰かの通報で警察がやってくる前に、僕は出かけることにする。
実のところ殺された男は知り合いだったし、僕自身が目撃者で、おまけに警察とはあまり相性が良くない。
おまけに、今日はこれからバイトなのだ。ゲームに参加するには金が要る。だから柄にもなく早起きして、まずいコーヒーに賞味期限の切れた牛乳を混ぜながら、外の景色をぼんやりと見ていたのだ。おかげで、知り合いが殺されるところを見てしまったけど。
忘れ物がないか頭の中で指さし確認をしながら、安アパートの狭い玄関で黒のスニーカを履く。その日は黒のジーンズに胸に石油ライターのロゴが入った黒いTシャツを着ていた。仕事の性質上ジャケットが必要だったが、代わりに半袖の黒いカッターシャツをはおってごまかすことにした。まあ、上着らしきものがあれば文句はないだろう。
下駄箱の横にある姿見には黒ずくめの、しかし安っぽい格好をした若い男がショルダーバックを斜に掛けて映っていた。僕は片手を上げて挨拶をする。向こうも反対の手を挙げて挨拶を返した。
お巡りさんと鉢合わせしないように裏通りに面したドアから出ると、バイクを預けているガレージまで歩くことにした。
ガレージの親父は無口でここ半年ほど声を聞いていない。僕の出したくしゃくしゃの札を受け取ると、今朝も無言でキーを渡してくれた。
僕も無言でキーを受け取る。親父は丁寧に札のしわを伸ばしていた。もう僕の方を見もしない。
お気に入りに赤いバイクは排気量105cc。非力なようだが意外によく走る。どこか遠い国で羊を追う牧童達が馬の代わりに乗っていたバイクだという話を富田から聞いたことがある。真偽のほどははっきりしないが、売りこんできた当の本人の話だから案外本当かも知れない。
ヤツは自分では自動車にもバイクにも乗らないのに、どこからか中古車やガラクタのバイク、おまけに粗悪なガソリンや軽油まで仕入れてきては僕らの仲間に売りつけていた……売りつけていた。
僕は不意に富田のことを過去形で考えていたことに気づいた。
さっき殺された自転車の男が富田だ。
僕がこれから行くバイトも富田の紹介だ、というより、僕や宏一はいつもあいつの仕切で仕事をしていた。
黒いヘルメットをかぶるとバイクにまたがりエンジン始動、セミオートマチックのミッションをローに入れる。
バイクの調子はよかった。
富田にはルームメイトの女性がいたはずだ。一度会っただけだが、たしか僕と同じ大学だ。仕事の帰りによって知らせてやらなければならない。多分、嘘をつかなければならないだろう。いくらろくでなしでも、恋人を見殺しにした男として女性に会うのはごめんだ。
十五分ほどでバイト先のそばについた。あらかじめ探してあったガレージにバイクを預けると、目的地まで十分ほど歩く。
目的地は雑居ビルの最上階にある非合法の金融業者。建物の見取り図も脱出口の合い鍵も富田が用意してくれてあった。見取り図はもう頭に入っているし、鍵はジーンズのポケットの中だ。
五階建てのビルの一階はエネルギー法の規制で名前通り夜十一時に閉まるコンビニ、二階は喫茶店だった。その上は夕方に開店する大人のお店が二軒。
二階の喫茶店に入る。
モーニングを紅茶で頼み、スポーツ新聞を読んで三十分ほど時間をつぶした。
同じように朝食を取る一団が入ってくるタイミングで席を立つと、レジで金を払い、マスターの注意が入ってきた連中に向けられている事を確認して、入り口付近のトイレに滑り込む。
トイレの天井にあるメンテナンスハッチから天井裏に潜り込むまで二十秒ほどかかった。もし、僕がトイレに入って行くのを見た者がいたらちょっとまずいことになる。下の様子をうかがうがそんな気配はない。カッターシャツを脱ぎバッグに入れる。Tシャツの上につけた仰々しいハーネス、それに腰の後ろへ水平に固定されたコンバットナイフの鞘はあまり人に見せたいものじゃない。
ここまでは順調。そして後は待った。
午前中は静かだった上の階も、午後早くから人が出入りをし始める。夕方になると、顔を見たわけではないので断言は出来ないが、綺麗なお姉さん達が出勤してきたことが聞き取れた。
下の方は夕食の時間を過ぎた頃からまた混み始めた。この店はバイトのウェイトレスが常時二人ほど、それにマスターが料理を作る。閉店時間は午後十時のはずだ。
階下の閉店に近づくにつれ、上の方はいよいよ騒がしくなった。入り口の看板によれば、ほんの一時間ほどで万単位の金を使うシステムらしい。無意味で享楽的な時間だ。僕らがゲームをするのと同じようなものだろうと思う。だから、上の階にいる客の連中には共感できた。彼らにしてみればそんな共感なんて迷惑だろうが。
午前零時、下が完全に静かになってから暗視鏡を装着しトイレに降りる。
一日分の尿をビニールパックからトイレに流す。
店のカウンター後ろの食材保存用のコンテナを動かして壁紙の一部をはがすと、見取り図通りエレベータの跡があった。
もともと、このビルは三階から上が一軒の居酒屋で二階が厨房だったらしい。そのとき使った運搬用のエレベータシャフトが残っているのだ。扉もゴンドラも取り外されて、シャフトしか残っていないという富田の調査は正しかった。
カッターを使ってベニヤ板を取り除く。あらわれた金属板は四隅をネジでとめられていた。
バックからラチェットドライバを取り出して、四隅のネジをはずす。店の開店は七時で、マスターが現れるのはその二時間ほど前のはずだ。あと五時間半。
シャフトの底に当たる空間に入り込み、苦労してコンテナを動かすと入り口を塞ぐ。一種の気休めだ。
腕と脚をシャフトの壁に突っ張って、僕は注意深く上へと登り始めた。シャフトの最上部まで八メートルほど。
四階の床レベルくらいまで登ったとき、壁の一部が腐食していたのか、いやな音が出た。軽いパニック。
バランスを崩し掛けて、頭が壁に当たる形になった。鈍い音。
「あ? なんだあの音は」
壁越しに声が聞こえる。背中をいやな汗が流れる。
「さあ……色々いるからね古いビルだし」
お姉さんとお客の会話。いいぞ、お嬢さん。
程なくお客は詮索を辞めて、もっと楽しいことを始めたようだ。どうやら助かった。
幸運なことに脳震盪もさけられた。そしてただひたすら登る。
最上部には取り外したモータの台座と屋上に抜けるメンテナンスハッチがあった。図面通りだ。
台座に引っかけたカラビナにザイルを通してハーネスにつなぎ、ザイルをたぐりながら今度はゆっくりと下降する。
五階のエレベータドア−−正確にはかつてのドア−−の前でザイルを固定する。
また軽いパニックに襲われた。
人の声がする。
あわてて頭上を見上げる。間違いない。ここは五階だ。
富田の情報では、ここの営業時間は午前十時から夜の七時。十時以降朝の六時までは一人しかいないはずだ。たまたま残った若い連中が酒盛りか……それとも……。
僕はもう逃げる方法を考えていた。
下降するためにザイルの固定を解除したとき、女性の声がした。どこかで聞いた声だ。
引きつった声にかぶって、何人かの男の声がする。かなり不穏なムードだ。
耳を塞ぎたかったが、そんなことをすれば僕は落下してしまう。聞きたくもない話を聞かされた。
「富田のことを聞きたいんだが……」
涙声で何か言っているのは、間違いなく彼女。富田のルームメイトだ。
「……何でも屋が聞いてあきれるぜ……」
何かをたたく音がした。続いて何かが床に倒れる音。
僕はもう聞いていられなくなり、ザイルをたぐって下降する。
三十分後、僕はビルの外にいた。カラビナは回収できなかったけど、まあ大丈夫だろう。喫茶店の壁面を完全に修復することは不可能だったが、注意してみなければわからない程度にはなった。富田の鍵はちゃんと喫茶店のドアに合っていた。ここまでは予定通りというヤツだ。
予定外だったのは、仕事が出来なかったことだけだ。
だからまだ僕はこの場を立ち去らずにいた。路地の暗がりに座り込んでそのビルを見上げていた。
富田は「何でも屋」といわれて、この街ではちょっとした「顔」だった。ヤツは頼めば大概のものを持ってきてくれた。もちろん最高級のものではなかったが、なんとか使用に耐えるものを妥当な値段で用意してくれた。
富田のやっていたことはどちらかといえば非合法だが(一応古物商の免許は持っていたようだが)、やくざに恨まれるような仕事とは言い難かった。武器やクスリに偽カードなどといった「おいしい」品物には手を出さなかった。知り合いのやくざに言わせれば「分を知っている」と言うことになるのだそうだ。
しかし富田は殺された。おそらく、ヤツが最後に持ってきた仕事のターゲットに。そしてルームメイトが拉致されている。
正直、家に帰って一眠りしてそしてゲームがしたかった。面倒なことになったのは間違いない。
さっき宏一にはメールを入れた。あいつはこれで大丈夫だろう。彼女は宏一を知らない。
僕は違う。一度会ってしまった。
コンビニ横の出口から若い男が二人出てくる。多分車を回すのだろう。
僕は腰を上げた。
男達と入れ違いに階段の踊り場に入る。
数分後踊り場に入ってきた男を背後から口を押さえ、腰の後ろの鞘からナイフを抜きざま首筋を切る。手を離すと、二三度痙攣して絶命したようだ。
物音に気づきもう一人が飛び込んできた。死体に気を取られてくれたおかげで後ろに回るのは簡単だった。
二人目を殺すと僕はそこを離れた。ナイフを代える。
富田が裏通りの人間からも隠れてしていた仕事がこれだった。金を受け取って人を殺す……殺し屋というわけだ。
「何でも屋が殺しもやるだけの話だ」
別に気負った風もなく富田は言った。
サリーという殺し屋のエージェントで、名前はすみれ。
すみれは富田が、サリーは三人で演じた。
「おい、どうした?」
どうやらもう一人が心配して降りてきたらしい。
「どうかしましたか」
僕は姿を現した。
「てめえか? 動く……」
その男は自動拳銃を構えた。
僕はそのまま間合いを詰め、そいつがしゃべり終わる前にナイフを抜くと拳銃を構えた利き腕の腱を切った。
銃声。
僕は舌打ちをしながら、男の首筋を切った。拳銃は九ミリの自動式。ジャムった弾を取り除くとスライドを轢いて薬室に装填する。
エレベータ(こちらは人間用だ)に乗ると、五階を押した。
ドアが閉まる前に降りると、階段を全速力で駆け上がる。
僕と宏一、そして富田は、非合法のネットゲームで知り合った。あの衝突で消え去った国の戦闘訓練用プログラムというふれこみだった。
宏一はいつも可愛い彼女を連れていたが、彼女はそのゲームはあまり好きではなかったようだ。
「演じられないゲームは好みじゃない」
それを英語で言うと面白い、と富田が笑っていたのを不意に思い出す。
僕は何にせよ刺激が欲しかった。そしてナイフをつかった格闘術にのめり込んだ。
息が上がりそうになって、ようやく五階についた。
エレベータのドアが丁度開くところだ。ドアに前には拳銃を構えた男、そして彼女。
開いたドアに発砲しようとした瞬間、男は僕の意図に気づいたようだ。彼女を突き飛ばすとこちらに銃口を向ける。
その前に僕が発砲した。男がもんどり打って倒れる。
「てめえ……」
多分依頼者の背後にいた男だ。そして富田を殺させた男。
以前の仕事でどういうミスがあったのか知らないが、ともかく富田は目をつけられていたようだ。ヤツは自分を殺す依頼を使って富田の動きを見張っていたのだろう。ただし仲間がいるとは思わなかったに違いない。同じソフトで鍛えた僕らは手口だけ見たら三つ子の殺し屋みたいなものだ。行動科学課のお巡りさんに言わせれば「同じサイン」というわけだ。
富田の掴まされた偽の情報ではここで寝起きをする街金のオーナー。多分どこかの組のそれなりの男だろう。心当たりは多すぎる。
事情はどうあれ、僕の仕事はこの男を殺すことだった。
彼女をそっと横に押しのけて、僕はそのまま男に歩み寄る。膝を撃ち抜いたようだ。痛みで拳銃を離している。
何か言葉ならない叫びが聞こえたが、無視して引き金を絞る。
僕は彼女の方を見た。かなり殴られている。
持っていた拳銃の弾を調べる。十発はいる弾倉に六発そして薬室に一発。
「富田の秘密の仕事のことわかったろう、それとも最初から知ってた?」
僕は安全装置を掛けて彼女の方に拳銃を放った。
「どちらにしろ、君は僕の正体を知っているただ一人の生きた人間ってわけだ」
訝しげな顔で彼女はそれを拾い上げた。
「安全装置をはずさないと弾は出ないよ」
僕はゆっくりとナイフを抜いた。
「僕は二十四時間近くろくにものを食っていないし、ついさっき四人殺してへとへとだ」
僕の意図に気づいたようだ、拳銃の安全装置を探している。
「君も奴らにやられた様子だけど、武器のハンデも考えると五分五分かな」
両手で拳銃を構えた。悪くない。ハンデを与えすぎたかも。
「始めようか」
僕は右手でナイフを構えたまま左手で小さく指を鳴らした。
完