「忠犬」はいるけれど、「忠猫」はいない。そう思っている人間は多いだろうが、ルソーたちは立派な「忠猫」である。気まぐれなところは微塵もない。
いつも、妙に聞き分けが良く、こちらの考えていることを即座に理解しようと務めているようだ。私たちが初代猫ミロ(ルソーの父)からずっと、この血を守り続けているのは、この愛らしい「忠猫」の血を絶やしたくないからである。
理想の猫を作ろうと、方々から優秀血統の美猫(メス)を迎えたが、「入れ替え」は一切しない主義を通しているため、子孫はどんどん増えていったというわけだ。
思えば、彼らとの付き合いは長い。海を渡って来た頃からなのか。彼らは、いつも私のそばにいた。勝ち目のない戦でも、最後まで忠誠心を忘れることなく、ある者は私たちの身代わりに、ある者は海の藻屑となって散っていった。彼らのおかげで、私たちは滅亡を免れることができた。(その代償として、罪を背負って没落していったのだが・・・)
彼らは、次の時代も、その次の時代も、姿を変え、私を守ってくれたのである。ある時は馬、ある時は犬、そして猫へと。
中には、私同様、「家」に翻弄され、犠牲となった者たちも数多くいる。
私たちが、今、平和な世に生を受け、平凡な暮らしを送っていることに感謝しつつ、いくつかの前世を振り返ってみる。
「あの世で待っていてくれ」「来世でも必ず会おう」と約束交わした者たちの姿が思い浮かぶのであった。
私たち人間の生きている時間は短い。動物の寿命はさらに短い。限られた時間の中で、私たちはそれぞれに与えられた役目を全うしなければならない。どんな生き物でも、生まれて来る限り、必ず何か意味があるものだ。数々の犠牲があるからこそ、私たちの生は成り立っているのだということを忘れてはならない。クローン猫が大量生産される世の中になったとしても、同じ魂は一つとして存在しないのである。肉体を複製することができたとしても、魂を複製し、量産することはできない。
犬猫に限らず、動物は飼い主を選べない。たとえ粗末な餌を与えられて、病気がちになっていても、感謝して食べ続けるのである。「飼えなくなったから」と放り出されても、飼い主を恋しく思うのである。人間が動物を傷つけても、大した罪に問われないのが現実である。しかし、それは「この世」での話であって、動物を粗末に扱うような人間は、死んで「あの世」にも行けずに、永遠にもがき苦しむのである。
家族同様に慈しんで育てられた動物は、必ずそれに報いるものである。「うちのバカ猫(犬)はダメだわ」と思われる方もいるかもしれないが、そんなことはない。今は見込みがなくとも、来世で必ず恩返ししようと考えているのかもしれないのだ。そう信じて、今日も明日も、食事に気を配りながら、トイレ掃除に励んでいただきたい・・・