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人傑篇(一) |
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坂本龍馬 |
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戯れて曰く
「坂本君、君は才物なり」

早急な武力討幕を諭す龍馬に対し
「龍馬君は、さすが才子なり」
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武市半平太 |
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藩の半平太に対する処遇を評し
「瑞山[半平太]君は如何の訳をもて、唯今[文久三年六月]の様にくさらし置候事かな。上京も候得者、きっと天朝の御為にも相成る人に候を止め候は如何、実に可慨の至に候事」

西郷隆盛を評し
「その誠実、武市に似」

半平太の死に様を聞き
「瑞山先生、死に臨て従容の事実を聞、おもわず感動」
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間崎哲馬 |
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「私など師匠間崎哲馬儀、この節借賦など出来、至極気の毒、かつ御国の人才を見す見すけがす儀、甚だもって堪えがたく」
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新井竹次郎 |
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竹次郎を新井家の養嗣に勧誘する書中
「君、志を御立成被、我道を大成せんとて天下に横行し、虎穴にはいりて虎児を得んと成被、じつに彼士丈夫、千万石の禄をゆずり、妻すに天下第一の美女をもてすとも、附不の御本意にて俗吏の知るあたわざる所なり。然るに方今、親戚の家主物故、実子病故によって家跡滅せんとするが為に親類集議し、君に非ずんば興す可き人なし。よって君の遠遊を防ぐ、僕など御気毒、御心事察し奉り候。[中略]ある人君を言う『彼、志あり、読書将に名門貴族を継がんとするか』と、僕いう『何ぞ一時、貴賎のもって心動かさんや。継がんと欲する所の者は大道のみ。一家一族の比に非ず。且また人の世に在る今朝貴といえども明朝賎を知らず。今朝賎といえども明日貴を知らず。また家門貴しといえども君子に非ず。君子小人は人に在り、家に在らず、これ等の儀は僕などの拙言を待たざるなり』。なにぶん君は大道に志ある御方にて、必ず御志は御遂げ成被可、[中略]なにぶん志の儀は僕といえども未だ廃すをえず。いわんや君に於いてをや」
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山内容堂 |
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「この節[文久三年一月]容堂様の御英名、天下人心の帰する処、すなわち今日、神州の命脈もまたこれに係る」
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乾退助 |
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「この節[文久三年九月頃]乾退[乾退助]などが組も一和致したき様子に付き、上楠[上田楠次]おりおり出掛け、彼等が論を聞くに、御国の論はすこぶる同意、しかるとも彼等は天下の事に目明き申さず候ゆえ、事により論のあわぬことござ候。この度の一義も彼等が論を聞くに彼の組の中にても我輩とも同論の人もござ候。また乾が論はしかと合点参らぬ事もござ候」
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後藤象二郎 |
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「落西第一の人物なる西郷隆盛よりも一里多く歩む者」
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福岡藤次 |
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神山左多衛 |
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桂小五郎 |
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「桂小五郎、山口より参り面会仕り候所、惣分長州の論とはかわり、余程大丈夫にてたのもしく存じ候。当時[慶応元年五月]小五郎は大に用いられ国論をも取り定め候事[中略]ともにともにヨ喜び候事にござ候」

「当時[慶応元年冬]の人物を論じ候えば[中略]これ[西郷吉之助]に次で胆有、識有、思慮周密、廟堂の論に耐ゆる者は長州の桂小五郎」
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 | 其之一 |
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