|
平成19年5月21日、旅行2日目。昨20日はマルマル移動についやしたので本格的な史跡巡りは本日より開始。ゆえに廻国記は本日に起筆す。
この日は午前4時30分に起床し、松阪駅(松阪市)からアサイチの電車で池の浦駅(伊勢市二見町松下)までまず移動。駅から国道42号線に出るまで旅行そうそう10分ちかく迷いながら、国道にて歩きながらの朝食を摂る。お行儀は悪いが時も惜しいので勘弁々々。
とりあえず今回の旅行は「神宮関係の神社や本居宣長ないし国文関係の史跡をばまわろう」という方針のもと、事前に調べたところによって林春信の詩碑にまず到着[右写真左]。下記の読み下し文は自己流につき、正誤については自信なし。
池浦月 林春信
生浦千里水 (池の浦、千里の水)
溶々流不窮 (溶々と流れてつきず)
却疑梨花発 (却って疑う、梨花の開けるかと)
月白夜来風 (月白く、夜来の風)
林春信は林鵞峰の長男で林羅山の孫にあたる人物。一般には「梅洞」ないし「勉亭」の号、「愨」の字(あざな)でもって知られる漢詩人。歳二十四で没した早熟の秀才で、林家の代表的著作『本朝通鑑』の編纂にも父鵞峰をたすけて従事した。なお、写真むかって左の説明碑には、春信について「林羅山の三男に生まれ」と刻されているが「それって親(林鵞峰)じゃない?」と思わずいぶかしむ。春信と鵞峰の伝を取り違えているのか、あるいは詩が鵞峰のもので春信の名が誤刻なのか、そこいら辺は当方よく知りません。
ついで旅荘海の蝶の裏手にある皇大神宮摂社「粟皇子神社」[右上写真右]にいたり参拝。祭神は「須佐乃乎命御玉道主命(すさのおのみことのみたまのみちぬしのみこと)」で、別名「淡海子神(あわみこのかみ)」。手元のパンフレット(JR東海作)によると、アマテラスとスサノヲの誓約によって誕生した海岸鎮護の女神だというから、神格的には所謂「宗像三女神」の一神タキツヒメの別名だろうか。
とりあえず海岸鎮護にまつわる願い事のほか、神社にお参りの際に毎回願う事としているテンプレ的願掛けして退き。国道にもどってしばらく北上。蘇民将来伝説ゆかりの松下社、皇大神宮摂社「江神社」、同「神前神社」(+御同座二社)をまわる。

■1.伊勢市二見町松下

松下社の一角に鎮座する蘇民祠。『備後国風土記』逸文などにみえる蘇民将来をまつる社。蘇民信仰は後世祇園信仰とも習合し全国に分布するが、私の地方ではなじみがうすい。ただし伊勢地方では同信仰がさかんらしく、家の玄関などにその注連をかける例はホント多い。正直いささか感心した。
|

■2.伊勢市二見町松下

地元では「蘇民の森」とも呼ばれる松下社の拝殿。祭神は不詳一座・スサノヲノミコト・菅原道真公の計三神。
正体不明の「不詳一座」も気になるが、スサノヲと道真、この取り合わせもまた珍しい気はする。
|

■3.伊勢市二見町江

松下地区の西、江地区に鎮座する皇大神宮摂社 江神社。祭神は長口女命(ながくちめのみこと)、大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと)、宇加乃御玉命(うかのみたまのみこと)の三神。同地における五穀守護の神々で、五十鈴川の河口(入江、巻江)ちかくに鎮座することから「蒔絵の明神」とも称されるらしい。
|

■4.伊勢市二見町松下

神前岬山頂に鎮座する皇大神宮摂社 神前神社。祭神は荒前比賣命(あらさきひめのみこと)。皇大神宮の末社として許母利神社と荒前神社を御同座とするが社殿はない。それぞれ粟嶋神御魂(あわしまのかみのみたま)と荒前比賣命(あらさきひめのみこと)をまつる。神格としてはともに海岸守護の土地神とか。
|
途中、電柱広告に散見される赤福の文字に、いかにも「伊勢に来てるんだな〜」と感じながら各社を歴訪。江神社の場所については通りかかりのおじいさんに道たずね、参道にて迂闊にもころぶ。神前神社については山にのぼる道をさがし無駄足をかさね、浜辺と山のあいだをウロウロすること30分以上。まさかペット火葬場の奥に参道があるとは思わなんだ。
ついで二見シーパラダイスの駐車場から夫婦岩で知られる二見興玉神社へいたる。
|