琉球フェスティバル 2007 in 京セラドーム大阪 鑑 賞 の 記 録 (2007.10.21) はじめに 今年も琉球フェスティバルを観に大阪に行ってきました。 琉フェス大阪への参加は今年で4年連続。いつものように開催日の前日に大阪入りし、開催の翌日に戻るという2泊3日の行程。 今回は初日に新大阪駅の足元、かつて「被差別部落」といわれた地域を深々と探索し、開催日当日の午前中は岸和田まで足を伸ばし、歴史を感じさせる街並みや岸和田城、だんじり会館などを見てきました。 それらの合間には、牛スジの入ったネギ焼(お好み焼き)や、船場カリーのすじネギカリー(スジばっか!)、つるつるシコシコのけつねうどんなども食べて、満足満足。 で、琉フェス。 1995年に復活した琉フェスも、今年で数えて13回目。 まず思うのは、総合プロデューサーの知名定男や主催者のFM大阪、H.I.P大阪などがよくぞここまで続けてきてくれたなということ。 これも興行ですから、山や谷がある中で、1年も休まずに続けることは容易なことではなかったことでしょう。島唄フリークの一人として、関係者に対して深く感謝しなければならないなあ。 今回の琉フェスですが、1970年代に竹中労が中心となって催されたという第1期を支えていた照屋林助、嘉手苅林昌、登川誠仁、大城美佐子、国吉源次、山里勇吉といった沖縄民謡界の重鎮は、亡くなったり年をとったりですっかり姿を消してしまいました。また、今回は、大工哲弘、大島保克といった“常連組”も残念ながら不参加。 今回の参加者は、まずは、総帥知名をはじめ、彼をハブとして活躍するネーネーズ、鳩間可奈子、チナサダオ楽団、ごとうゆうぞうなど。 ベテラン組としては、金城実、山里ユキ、饒辺勝子、金城恵子。このあたりはビセカツの影響が大きいでしょうか。 そして若手常連組からは、新良幸人withサンデー、下地勇、よなは徹など。 さらに、初出場組として加治工勇、池田卓、やなわらばー、かりゆし58。 このほか、今回は琉球民謡登川流保存会の関与が濃厚で、同保存会の宮里政則、伊礼哲&サンクルバーナーも初出場。 奄美からはRIKKI、貴島康男、山元俊治(としはる)です。 チケット発売時に発表されたときには決まっていなかった大勢の唄者が出演し、ずいぶんと多彩な顔ぶれになりました。 会場や観客席のつくりはというと、これまたずいぶんと様変わり。 去年まではセンターの守備位置付近に設えられていたステージがバックスクリーン付近まで後退してしまい、そのためにアリーナ席はかなり広くなりました。ステージ両脇にあった売店は、ホームベース付近、アリーナ席とスタンド席の間にまとめて設営されています。 まあ、アリーナ席が人気なので仕方ないのでしょうが、これではスタンド席の人(ワタシらですね)にとっては臨場感が薄れ、かなり物足りない感じ。実際に演奏が始まってみると、やはりステージは距離以上に遠く感じられ、アリーナの歓声も届かず、高揚感が得られにくいようでした。 また、4つ設えられたオーロラビジョンのうちより画面の大きい上の2つは、天井から下がっている照明器具などがかぶってよく見えず、がっくり。席の値段はアリーナもスタンドも同じなのですが、ずいぶんと待遇に差がついてしまっています。 今後琉フェスに参加しようとしてどちらの席にすべきか悩んだときは、迷わずアリーナ席にしたほうが得策でしょう。でも、どうしてもじっくりと鑑賞したいという向きは、やはりスタンド席。ただしオペラグラスは必携ですが・・・。 琉ゆう会 午後3時を過ぎて、いよいよ開幕です。 まずは「イーヤーサーサー!!」の掛け声。獅子舞とともに京都のエイサー団体、琉ゆう会が入場し、獅子舞とともにエイサーの演舞を繰り広げます。 太鼓タタチャーたちは白の上下に水色のハッピ、赤、紺のサージを頭に巻き、女性の手踊り部隊はふくらはぎが見える程度の短めの紺絣。これらは本場園田青年会の衣裳とほぼ同じ。 演奏スタイルも園田青年会のそれを取り入れているようで、「南嶽節」のイントロをバックに、仲順流り〜クーダーカー〜トゥータンカーニー〜海ヤカラー〜テンヨー節〜いちゅび小〜固み節〜花の風車〜唐船ドーイとグルービーな演奏、演舞を展開しました。 オープニング 演舞が終わるや、場内は暗転。 琉球芝居風の口調で、「かりゆしぬ遊(あし)び うち晴りてからや 夜(ゆ)ぬ明きて太陽(てぃだ)ぬ 上がるまでぃん 昔(んかし)から今(なま)に受けとぅたる想い 大阪ん遊び 幾世(いくゆ)までぃん!」――と、開幕宣言をする玉城満の大きな声が会場に響きます。 そしてぱっとライトが照らし出したのは、ステージ上に並ぶたくさんの三線奏者。お〜、すごい! これは琉フェスとしては新しい趣向。 ずらり並んだのは、琉球民謡協会登川流保存会関西支部の100人! 100人がステージにズラ〜リですよ、ナント。 うたうは、師匠登川誠仁の十八番「ゆしぐとぅぬ宝」。 浮世を渡るなら「義理」、「誠」、「情」を忘れずに肝に銘じ、心に染めよ――との、沖縄のうたごころにも相通じる教訓歌です。 そして「新デンサー節」。いずれも登川流の練習曲なのでしょう。とても豪華でしたよ、拍手拍手〜♪ その唄三線が終わるや、スポットライトを浴びて紋付袴姿の知名定男が登場。ステージ中央に正座し、出演者、主催者を代表して深々と一礼。 琉フェスを復活させた当初は今回まで回数を重ねるとは誰が思ったことか、それが今日までやって来ることができたのもひとえに島唄ファンの皆さんのおかげ、これから5年、10年、100年、1万年と続くようご支援をお願いしたい――と語ります。 一人の島唄ファンとしてはまったく同感。特に「ここまで回数を重ねるとは誰が思ったことか」というところが。(笑) こちらも知名定男のもとに歩み寄り、彼の手をとって本人はじめ関係者の熱意に深甚なる謝意を申し上げたいくらいです。 知名はさらに、大先輩方が育んできた財産を引き継いでいく真っ只中に身を置けるのは幸せであること、“沖縄”がブームではなくブランドになったことなどを述べます。 “13回記念”と言うべきところを“登川誠仁の17回忌”と言って笑いを誘うあたりはなかなかです。 ちなみに、“17回”は知名の勘違い、知名の師匠に当たる誠グヮーはもちろんまだご存命です。 最後は、ゆっくりと鑑賞していってほしいと、またもや両手をついて一礼を。 やんちゃだった知名セーネンも、今年で齢62。もう長老の仲間入りなのですね。 ステージ全体が明るくなると、いつの間にかバックはチナサダオ楽団に変わっていて、彼らの演奏する「てぃんさぐぬ花」のメロディに乗って、ここでようやく司会の玉城満、谷口キヨコのおなじみ2氏が登場。 まずいつものように、こちら側は八重山の皆さん、こちらは宮古の皆さん・・・と観客席を区分けしておいて、参加者を一組ずつステージに呼び込んで紹介をします。 呼ばれた順番は、鳩間可奈子、池田卓、下地勇、山元俊治、RIKKI、貴島康男、饒辺勝子、山里ゆき、知名定男、金城実、金城恵子、加治工勇、宮里政則&かりゆしバンド、伊礼哲&サンクルバーナー、よなは徹、ネーネーズ、やなわらばー、かりゆし58、大西ゆかりの順。 登場順なのかと思って見ていましたが、後からわかりますがそうでもなく、何の順なのかはいまだに不明。 あれ? 新良幸人&サンデーの紹介って、あったっけ? 全員が揃ったところで、「てぃんさぐぬ花」を3番までしっかり大合唱。 なんかもう、フィナーレみたいな状況ですね。(笑) ネーネーズ うたい終えて、ステージにはネーネーズだけが残ります。今年のスターティングはネーネーズ! 何種類かある衣裳のうち、今回は白が基調の紅型衣裳。花鳥をあしらったきらきら模様に襟元の濃紺、足元の赤が華やかさを添えています。 1曲目は、♪ 麦藁帽子を あみだにかぶって 腰をふりふり カチャーシー踊れば・・・ という、初めて聴く曲。 根っからのネーネーズファンでありながら曲名を知らないというのは、自分としては大問題。これは事件だ! あとで調べたら「オキナワ・パッション」という曲で、かつて知名定男がうたっていたもののカバーなのだそうです。 うたう姿は堂に入ったもので、緊張している様子もなく、笑顔はいいし、振付けの動きもいいし、むしろ大きなステージを楽しんでいるような印象さえ受けました。 続いては「ノー・ウーマン・ノークライ」。 オーロラビジョンに大写しになった金城泉のシャープな顎のラインにゾクッ! この曲の特徴部分である高音ソロパートを與那覇歩がうたいます。その響きはとても秀逸で、初代の比屋根幸乃のそれにもひけをとらないものでした。成長したんだね、みんな。 ライブハウス島唄では4人が交代で毎日3回のステージのMCをやっているようですが、今回の大舞台は例年どおり比嘉綾乃がMCを担当。 昨日の10月20日に久々に新曲を発表することができたことを報告し、3曲目はそのうたを。 「新北風(ミーニシ)」という、知名が奄美をイメージしてつくった曲だそうで、貴島康男がイントロの奄美の三線を奏でて始まりました。 ♪ 島を離れて幾年か 言葉も忘れた唄さえも ・・・ 二度と帰りはしないと誓ったさ ・・・ 子供の頃の島暮らしを思い出せば、身に沁みるミーニシは奄美の「まんこい節」や「むちゃ加那節」のようだ――というモチーフのうた。知名の感じた回顧調のしみじみさがよくでている感じです。 ネーネーズは琉フェスの際に新曲を発表することにとても意欲的。 3代目として初出場した第10回(2004年)では「SUN−KANI」と「恋西陽(くいいりひ)」を初披露したし、第11回では「山河、今は遠く」のリメイクをうたったのでした。 最後はタンッ、タンッ、ターン、タンタンというラテン音楽独特のクラベス(拍子木)の音が鳴り響いて、「ヨーアフィ小」を。 ♪ 汝(やー)とぅ 我んとぅ ヨーアフィ小(ぐゎー) ・・・ ヨーアフィ小とは許婚のこと。知名が自身のメジャーデビュー作「赤花」でうたい、初代ネーネーズもデビュー作「IKAWU」でうたった恋人同士の語らいのうたを、時空を超えて彼女たちがうたいます。 元気に踊る上原渚がとってもかわいかった! 比較的持ち時間が長かったとはいえ、もう終わり?という終わり方でネーネーズが袖に下がると、琉フェスの十三祝いに駆けつけたといういずみ&やよいが登場。 玉城満の主宰する笑築過激団の女性団員で、1990年前半に沖縄中を席巻したといわれるローカルテレビ番組「お笑いポーポー」にレギュラー出演していた漫才コンビなのだそうです。 「定男センセにクルザーター(黒砂糖)をあげたら、琉フェスに出てみたらどうかと言われて、今日の十三祝いに駆けつけました〜!」とのこと。賑やかなネーネーターです。 池田 卓 そのネーネーターにいいカーギーと紹介されて登場したのは、初出場、池田卓です。 西表島船浮出身の28歳。高校時代は沖縄水産高校で投手として活躍した経歴を持つ好青年です。 電子ピアノとアコギをバックにまずうたうのは、彼のデビュー曲「島の人よ」。 純白のカッターシャツに洗いざらしのジーンズ、これに三線をストラップで肩にかけた出で立ち。その白いシャツがトップライトに映えわたります。 右足をやや前に出して半身でうたう姿勢は新良幸人に似ていなくもないですが、彼の頭髪はフサフサですから、見間違えようもありません。(笑) ♪ 生まれ島を離れ暮らす 島の人よ 覚えてますか 生まれ島の祭唄を ・・・ 観客が感動している様子は、うたい終えた後の拍手がじわじわとさざ波のように湧きあがり徐々に大きくなっていくことで実感できます。 「まさか、うたでドームに来るとは思っていませんでした」と語る元野球少年は、三線を別のものに持ち替えて、西表島に行きたいなぁ、島のおじいになりたいなぁ・・・という「なりたいな」をうたいます。 曲調はカントリー風、三線をバンジョーのように掻き鳴らし、軽快な感じ。 最後は、代表曲のひとつ「おばあちゃんの唄」を。 大好きなおばあちゃんに、元気にしてますか? お変わりないですか? と語りかけ、そのおばあちゃんが亡くなったおじいちゃんに、見てますか、あの子の晴れ姿を、聴いてますか、この子のあの唄をと呟く――というモチーフ。 これには泣かせられました。今回の琉フェス中一番の感動でした。 うたのつくりそのものやヤマトグチの歌詞は沖縄風とは言えませんが、そこに流れる肝心(チムグクル)はまさにオキナワ。その素晴らしさは八重山の離島で生まれ育った者でなければ出せない味わいです。 こういうのもオキナワンミュージックのひとつのかたちなのでしょうね。 やなわらばー ネクストは、これまた初出場のやなわらばー。 登場するや「月ぬかいしゃ」の導入部分をうたい、まずそのハーモニーのすばらしさで観客の度肝を抜きます。 そしてそのまま三線の爪弾きに乗せて ♪ 青い空 青い海 青い風がある あの場所に また行きたい また戻りたい 青があふれるあの場所で また笑いたい ・・・ と、透明感あふれる歌声を聴かせてくれました。この曲、「青い宝」というのだそう。 彼女たちは初めて見るのだけど、いいなあ! このハーモニーはすごく魅力的。不思議と心がなごんでしまいます。 そうなぁ、このなごみの魅力は例えれば、エンヤの「オリノコフロウ」を初めて聴いたときの感動に似ている、と言ったら褒めすぎでしょうか。 白基調のワンピースにハーフブーツで三線を持ってうたうのは石垣優。 ギターは東里梨生。緑のTシャツ風に短いジーンズとカジュアルなスタイルです。 二人は石垣島時代からの幼馴染み。後で鳩間可奈子と話していましたが、彼女たち3人は八重山高校の同級生だったらしいです。 2曲目は、皆さんにありがとうの気持ちを伝えたいということでできたという「拝啓○○さん」。 彼女たちのことはよく知らなかったけど、この曲、どこかで耳にしていますね。 3曲目は「空をこえて 海をこえて」。 石垣島での少女時代を過ぎ、大切な夢を実現するために生まれ島から遠く離れた空の下で始めた生活のことを、情感たっぷりにうたいます。オカリナやハーモニカも奏し、多彩ぶりも発揮しました。 となりで聴いていたオバサンは、「声がきれいだし、しゃべり方もかわいいね、これは売れるよね」と言っていました。 しかし、やなわらばーって、すごいネーミングですよね。 沖縄では、母親が子どもを叱るときは「クヌ、ヤナワラバーヒャー!」とどやしつけるのですよ。(笑) RIKKI、貴島康男、山下俊治 初出場2人のあとは、RIKKI、貴島康男、山元俊治の3人が登場して奄美タイムです。 奄美民謡は、沖縄民謡のようにあっけらかんとしたところがなく、うたのメリハリは声の強弱と裏声に頼らざるを得ません。 かつて奄美民謡だけの唄会を観たことがありましたが、その時に感じたのは、観客側にそれぞれの唄者のうたを本気でじっくり聴く姿勢がなければ、奄美の民謡は退屈に聴こえてしまううらみがあるのだなということ。 琉フェスにおける奄美の唄者の扱いが毎回このようにひとつのグループとしてまとめられてしまうのは少々残念ですが、こういうお祭りのような雰囲気の中ではやむを得ないのかもしれません。 はじめにうたったのは「雨黒み節」。 1番を山元がうたいます。この唄者は初めて聴きます。黒のTシャツに黒のチノパン風というそのへんの兄ちゃんスタイルには初々しささえ感じます。 1977年生まれの30歳。幼い頃から島唄が流れる“親子ラジオ”を聴いて育つも、高校卒業後に島を離れ、それでも島唄が忘れられずに、同級生で友人でもある貴島康男のCDを聴きながら暮らし、昨年奄美に戻って坪山豊に師事。昨年、今年と奄美民謡大賞で連続入賞したという大器なのだそう。 これに返しをかぶせていくのが、白いTシャツに赤系の襟付きシャツを羽織ったかっこうの貴島。 貴島はうたい終えた後、「ウガミショーラ!」とあいさつして、RIKKIに「むちゃ加那節」をうたうよう促します。 RIKKIといえば「むちゃ加那節」。 彼女は15歳のとき、この曲で日本民謡大賞のグランプリを獲得しています。 美貌ゆえにまわりから妬まれ海に突き落とされてしまう女性の、残酷で悲しい物語。 RIKKIの魅力は、透明な歌声。それに奄美民謡独特のこぶしと、感情の高まりの瞬間に違和感なく挿入されるファルセットがすばらしい。 しかし、彼女は三線のほうがイマイチ得意でないようで、今回も唄だけでした。 これを彼女ひとりで唄三線できるようならもっとすばらしいのにと考える私はちょっと贅沢ですかね? 小柄な体に黒基調のゴージャス系のドレス姿。 オーロラビジョンには、彼女が首に巻いた黒真珠風のネックレスや、左手の薬指に輝く新妻の証のリングがアップで映し出されます。映像ディレクター、なかなかやりますね。 うたい終えてRIKKIも、「アリガッサマリョータ!」と。Ummm、奄美ですねぇ。 最後は、みなさんも踊ってほしいと観客に促す貴島を中心に、3人でお決まりの「ワイド節」を。よなは徹がこれを太鼓でバックアップしています。 アリーナではようやく前方で踊りだす人たちが発生。今年の観客はわりと大人しめな感じでしょうか。いや、スタンド席が遠いから、盛り上がりが伝わってこないのかも・・・。 なかなか楽しめた奄美コーナーでしたが、中村瑞希が御大坪山豊を喰ってしまった去年のようなインパクトとまではいかなかったようです。 鳩間可奈子 ステージの模様替えの間に玉城が、「八重山のみなさ〜ん、元気ですか〜!」というアレと、指笛の練習を観客に促う時間があって、次に登場したのは、水色のラメと紅型模様をあしらったステージ衣裳(!)を着た鳩間可奈子です。いままで彼女がこんなに着飾ったのを見たことがありません。(笑) のっけから持ち味のハイトーンボイスで「つぃんだら節」を正調でうたいます。 その声たるや、高音のうえに声量があり、マイクを遠慮なく使うので(笑)、なにかこう、脳髄のあたりを刺激されると言うか、聴いている側が尋常ならざる精神状態に陥ってしまうような感じです。 別の表現をすると、このうたの持つしみじみ感がうまく表現されていないと言うか・・・。 ですがまぁ、一人で唄三線をしている姿は、大人の女になったからなのか、いつの間にか堂々としたものになっていますね。 うたはそのまま「九場山越路節」へと進みます。 「つぃんだら節」が睦まじい2人の仲を島別れで裂かれたという悲恋話を物語調にうたったものなら、こちらのほうは、山行きも磯降りもいつも2人だったのに・・・というように、「つぃんだら節」と同じ話を男のほうからの呼びかけにしたもの。 3曲目に「与那国の猫小」をうたって、「鳩間可奈子です〜! 24歳に見えますか〜!!」と不思議なあいさつを。 「イメチェンしてカッコよくなったでしょ」とも。ネーネーズにメークを施してもらったらしいです。 そして、「一緒にうたってみたい人がいる」と言って、やなわらばーの2人を呼び寄せます。この3人、八重山高校の同級生なのだそう。 高校の先輩のうたをということで、大島保克の持ちうたの「イラヨイ月夜浜」を3人でうたいました。 これ、可奈子もよかったけど、やなわらばーのハモリは最高! しっとりとしていて、なかなか聴かせました。 やなわらばー、主役を喰っちゃったかな? 加治工 勇 お次は、鳩間島つながりで加治工勇の登場です。 年配ですが、芸歴は比較的短く、本格的に音楽活動を始めたのは1997年で、ラジオ沖縄の「新唄大賞」で作曲賞を受賞したこともあるのだそうです。 鳩間島在住で、島最大の十字路付近(笑)に民宿「まるだい」と並んで建つ「いだふに」という民宿を経営中。 2002年、2004年にオリジナルCDを発表し、毎年開催される鳩間島音楽祭などでも活躍中です。 さて、初出場の加治工おじさんは、ピンクのかりゆしウエアに黒のスラックスという、沖縄を歩いていてよく見かけるおじさんタイプの服装。 バックに従えた3人がギター、三線、笛、ドラムなどを奏でます。この方も、私は初めて聴きます。 1曲目は、鳩間可奈子が寄り添って、代表作の「イダ舟」を。 舟が南風の中、島を渡っていくさまを悠然とうたいます。 笛の音が入ると八重山らしくていいなあ、鳩間の海が目に浮かぶなあ、などと思いながら緩やかな曲調に浸っていると、いつしかそれはだんだんと早くなり、観客たちの踊りが再燃! なかなか盛り上げ方がうまいオジサンなのですね。 「イダ舟」が終わると、ステージにはスタッフ風の人たちが手に手にティサージを持ち、踊りながら登場しました。おそろいの黄色いTシャツは加治工商店で売られている「浮き玉Tシャツ」というのだそう。 その中で始まったのは、鳩間島名物のおなじみ「鳩間の港」です。 彼ら、彼女らは総勢50人ほど! 一列にずらりと並び、ティサージを振り振り見ていてわかりやすい踊りを踊ります。これは壮観! ♪ さよならさよなら 手を振れば 舟は行く行く 鳩間の港 ・・・ これには会場内大盛り上がりで、とうとう総立ちに。ああ、お祭りって感じだなあ。これは第13回琉フェスの語り草になるぞ、きっと。 一昨年の琉フェスでは鳩間ファミリーがこれをやって盛り上がりましたが、今回はそれを軽々と凌駕していたでしょうか。 終わって、司会の玉城は、「わずか50人の島のダンスがこれほどポピュラー化しているとは。この鳩間島ダンスを日本中に流行らせていただきたい」と発言し、会場またまた大喜びでした。 かりゆし会 踊ったためか少し一服感があって、次はかりゆし会のエイサー演舞です。今年は個別のエイサー団体に単独で演舞させる趣向なのですね。 白基調の上下に水色の法被姿は園田青年会風。男女各1人ずつの地謡の演奏で、安波節〜瀧落とし〜仲順流り〜クーダーカー〜トゥータンカーニー〜スーリー東〜繁盛節〜固み節〜いちゅび小〜安里屋ユンタ〜豊年音頭を踊りました。 しかし、演舞のほうは、足の上がり方に力強さがあまり感じられず、後半には乱れ気味。太鼓の叩き方も曲に遅れないようにとにかく叩いているだけのような感じがして、正直言ってまだまだという印象。 がんばれ、大東市かりゆし会。 宮里政則 さて、次からは沖縄民謡の師範たちによる民謡タイムです。 まずは宮里政則。玉城の「宮里政則とかりゆしバンド!」の紹介で登場です。 全部で5人。宮里サンはもちろん三線。もう一人の男性はギター、女性の3人は三線、三板、太鼓です。 1曲目は、通好みのする「やっちゃー小」。 この曲独特のウタムチで始まりました。古くからの民謡は、やっぱりいいなあ。 男性は辛子色の和服に足袋、女性陣はそれよりやや蜜柑色に近い絣模様の着物。頭髪は真結いの琉球カラジです。 2曲目は「国頭(くんじゃん)ジントヨー」。 70年代の民謡CDで、竹中労がまわりの唄者に促されてこの唄をうたったのを聴いたことがありましたが、その当時の唄会の雰囲気が今、このドームに甦る!という印象。 ♪ 如何な山原ぬ 枯木島やてんヨー いもりいもり里前 ジントヨー 花ん咲ちゅさ ・・・ さすが登川流、唄三線の特徴や歌詞は誠グヮーのそれと同じです。 宮里サン、現在は大正駅近くで「かりゆし」という沖縄料理店を開いており、また、民謡研究所も持っているそう。 で、実は、初代ネーネーズの宮里奈美子の一番上のお兄さんなのです。 2人のお父さんは宮里政昌といい(故人)、嘉手納の屋良の一地区でエイサーの地謡をしていたといいます。前々から民謡一家だったのですね。 3曲目は「孝行口説」。皆様、親孝行をよろしくお願いします――という意味の長い口説囃子が入ります。この唄もまた誠グヮーの十八番です。 唄三線は渋系で、実にステディ。面白みこそ少ないですが、えもいわれぬ深みが漂ってきたステージでした。 伊礼哲&サンクルバーナー 続いて、これまた登川流師範の伊礼哲と、サンクルバーナー。 伊礼サンは、伊是名島生まれで、尼崎で三線店と民謡研究所を経営し、この5月には梅田に民謡酒場「琉球」をオープンして毎夜ステージに立っているのだそう。 ひゃあ、真っ赤な和服を着て登場しました。 伊是名島方言で“山つつじ”を意味するサンクルバーナーは、女性3人組。 琉球カラジで、水色に紅型模様の入った着物姿はとてもあでやか。 このうち2人(かな?)は伊礼サンの実の娘だそうで、たいへんにチュラカーギー。お初にお目にかかる私は、オペラグラスでじっくりとお顔を拝見させていただきました。 また本日は、孫まで登場。 なにやら亀田興毅のリングコスチュームのようなド派手な衣裳を着て、一丁前に三線を弾いています。 男の子のように見えますが、ジュリちゃんという女の子のようです。 1曲目(曲名不明)が終わって2曲目は、ジュリちゃんお得意の――ということで「ヒヤミカチ節」を。 そしてここからは大人の出番。伊礼サンが三線を弾いて「美童花染小」をサンクルバーナーが主になってうたいます。 少女の恋へのあこがれを数え歌でうたう、知名定男の作曲によるもので、玉城一美が自分のCDでこの曲をうたうのを聴いたことがあります。 で、フィニッシュは、伊礼サンが実力を遺憾なく発揮して、「アッチャメー小」の早弾きを披露。 ごつい顔や体つきにふさわしくない優しげな声はちょっと意外。 ♪ サァ〜〜〜〜! と盛り上がってきたところで、「終わりぃ!」といきなりうたを終了。 このようなうたい終わり方は嘉手苅のおとうもよくやったもの。きっと、おとうを意識していたのかもしれません。 かりゆし58 本格民謡の次は、これまた初出場、かりゆし58が登場です。 民謡と若手ロック系バンドというミスマッチをものともしないこのようなステージ構成も、琉フェスのひとつの特徴でしょうか!?(笑) 1曲目は、「安里屋ユンタ」をロック調にアレンジしたもの。 ギターとドラム、それにボーカルがベースを担当する3人組。 彼らのことを知らずにいて今回初めてそのうたを聴くおじさんは、正直言ってどうせラップ系か何かのにぎやかなだけの若者たちなのだろうと考えていました。 しかし、それだけでない何かを持っていることはすぐにわかりました。 それは、うたい終わっての沖縄の自慢話。 沖縄のいいところは、青い海や青い空ばかりでなく、沖縄の人々が戦争などであんなにつらい思いをしたのに、誰にでもやさしくすることができるところである――と、ボーカルの前川真悟クンは発言。 なるほど、そのとおり。 そして、その心根のやさしさがあるからこそ、沖縄にはすばらしいうたや芸能が息づくのでしょう。 彼らもまた、そういうことをよく知っているから、いい歌詞やいい曲を生み出すことができるのではないか。 食わず嫌いをしていた私が悪うございました。 2曲目は、「ウージの唄」。 ♪ 南の海の小さな島 こんなにも美しいのは 命の喜びを唄う あなたがいるから ・・・ 前川クンはうたの途中で、「平和が大切と言うとよくわからないけど、日曜日にこうして集まって、みんなで沖縄のうたを歌えることが、ものすごい平和と言うことなんじゃないか」と。 それを聞き、私は心の中で「いぇい! オマエ、よくわかってるじゃないか!」と彼に呼びかけます。 で、3曲目は、「この世に生を与えてくれた、オレとみんなの母ちゃんに捧げます!」と宣して、代表曲の「アンマー」をうたってくれました。 ♪ アンマーよ〜! と叫ぶサビの部分は、うたごころを爽やかに、そして熱く表現できていて、感動! いいユニットにめぐり会えたシアワセを感じましたよ。 よなは徹 お次は、よなは徹。彼が琉フェスの流れをまた民謡に引き戻します。(笑) よなは自身が奏する笛の音がドーム内に鳴り響き、それにかぶさるように浜辺にたゆたう波の音がザザーッ・・・。 そして暗い場内に“イョォーッ、イョォーッ、オーーーッ、イッヤーー!”という、おそらく組踊りで挿入されるのであろう掛け声が何回か響きわたって、その中で登場です。 紺絣の着物姿なので、今回は本格民謡路線で臨むのだなということがわかります。 太鼓伴奏者に一礼してからうたう1曲目は、「ナークニー」。 おぉ、これは数日前に北谷のえぐち祭りで演っていたのと同じものではないか! ジャーガルビラ(謝苅坂)をへだてて山手と海手それぞれに住んでいる男女が互いに思いを馳せる物語が歌詞に織り込まれている「北谷ナークニー」といわれるもの。 いいですねぇ。沖縄民謡を代表する名曲ですね。 おや? 太鼓のリズムや音色がずいぶん独特だなと思ったら、叩いているのはごとうゆうぞうではないか。 よく見ると、琉球太鼓セットの前に立つ彼は、丸い腹の前にコンガまで下げています。 ははぁ、コンガを叩いていたのか。ナルホドね。 ちらしに「汀間当」を配してうたいあげましたが、とりわけよなはの三線の刻みは完璧! 見事と言うしかありません。かなり練習しているのでしょう。 しかし、驚くのは早いのでした。 次にうたった「北谷舞方」ではもっと速くて正確でした。 ♪ 立ちみそり舞方ヨー 我んや唄さびらヨー ・・・ という、毛遊びが最高潮に達したときにうたわれた唄です。 うたの後半になるにしたがってだんだんテンポが速くなっていきますが、唄三線はまったく乱れないのですね。 スクリーンに大写しになった彼の右手の動きは、速いこと速いこと。 小さい頃から三線を弾き始め、県立芸術大学でしっかりとした古典のベースを身につけ、太鼓、笛、三板などにも精通し、エイサーの地謡やミーウタまでこなすスーパースター。 また、毎月1回は大阪で唄三線を指導しているそうです。 彼がいるうちは沖縄民謡の行く末も、一定程度は安心というものです。 あ、そうそう、ごとうサンはここでは琉球太鼓を叩いていました。 しかし、彼のうたはこの2曲だけ。 三線や太鼓で他の出演者をサポートしなければならず大変だからなのでしょうが、よなはのうたを聴きたい向きには圧倒的にボリューム不足です。 えぐち祭りでは5〜6曲は間違いなくうたっていましたからね。 考えてみればえぐち祭りは、無料だったし、沖縄民謡ファンにとっては贅沢なお祭りだったのですね。 金城実、山里ゆき ここで、模様替えの間に知名定男が登場して、玉城満が知名に恒例のインタビューを。 玉城は、琉フェスも毎年ちがった盛り上がりを見せるが、今年は沖縄音楽に精通した人が多いようで、指笛の数もずいぶん多くなってきたと発言。 知名は、過去回想型の性格や考え方をここでも垣間見せ、かつて琉フェスのステージを彩った嘉手苅林昌、登川誠仁、津波恒徳、照屋林助らの名を挙げて回顧し、お祭りもいよいよピークなので、最後まで楽しんでいってくれとアピールしました。 で、次に登場したのは金城実と山里ゆき。なるほど、ピーク。今年度、最重鎮の出番です。ともに本部の出身。 1曲目は、金城実の十八番の「南洋帰り」。 きりりとした濃紺の着物がよく似合うンナルー(実)は、“キミとボクとは南洋帰りの義兄弟、ああ、また行きたいなあ、テニアン、サイパン、ロタ、パラオへ・・・”という内容の、少々すっとぼけた感のあるうたを真顔でうたいます。 それに合いの手を入れるのは、ベージュのウシンチーの山里。いや〜、いつ見ても貫禄十分だなあ。 これをよなはが太鼓でフォロー。ンナルーはよなはの師でもあるので。 うん、これは、ビセカツ主宰のキャンパスレコードつながりのユニットでしょうかね。 2曲目は、今度は山里が「無情の唄」を。 “貴方は故郷に、私は海を隔ててままならない恋路。浮世は無情なものですね・・・”という、戦前にチコンキー(蓄音機)こと普久原朝喜が作詞・作曲した名曲です。 山里は1937年生まれの御年70歳。芸歴を重ねて鍛え上げてきたやたらとハリのある声には、すっかりハマってしまいます。 ちなみにンナルーは34年生まれだそう。2人とも年齢のわりに若いですね。 おわって、2人はチンダミ(調弦)を。 お互いが上半身を寄せ合って聞き耳を立て、チントンテン・・・と、あっという間にあわせてしまうさまは、なかなかカッコイイ。 3曲目は、山里の代表曲「遊び仲風」。 仲風とは上句が七・五調、下句が八・六調の句形のことで、ヤマトと琉球風の中間的なもののこと。 “互いに親しく馴染んだ玉のようなご縁は、忘れようとしても忘れられない・・・”という、情感たっぷりのうたです。 しかし、こういうしみじみ調でスローなうたは琉フェスにはふさわしくないらしく、会場のざわめきばかりが耳につきます。 1998年、東京開催の琉フェスで、嘉手苅林昌が「下千鳥」をうたったときですらざわついたものなあ。 饒辺勝子、金城恵子 続いては、“女三人(イナグミッチャイ)花じゃかい”の3人うちの2人という紹介で、まず饒辺勝子が登場します。 饒辺は、「5年ぶりでございます。防空壕で生まれた勝子です。女心は忘れられません」とあいさつ。 そうだった。饒辺勝子が初出場した2002年の琉フェスでは、司会のガレッジセールが彼女を「なんと、防空壕で生まれた・・・」と紹介したのでした。 ということは、饒辺は1945年生まれとなり、62歳なのですね。 饒辺は、あいさつの内容にふさわしい若づくりの橙色のウシンチー姿で、持ち歌の「想いションカネー」を。 よなは徹が三線でしっかりサポート。勝子本人も三線は弾いていますが、その音は聴こえてきません。 この曲、彼女にお目にかかるたびに聴いています。 振り返ってみると饒辺は02年の琉フェス時には未録音のミーウタですと説明し、その3年後、05年末の民謡紅白の録画時には06年春にはCD化されると言っていたのでした。・・・・。 はて、実際のところどうなったのでしょうか。 そして、「妹を紹介します」と金城恵子を招きいれ、金城が「想いお受けさびら」という曲をうたいます。 こちらのウシンチーはピンク色。なんか、ネーネーズみたい。 妹とは言え60前後だゾ。 そののちは、この2人に山里が加わりイナグミッチャイが勢ぞろいして、「女三人花じゃかい」をうたいました。 これはよなはのアシストはありません。やはり山里ゆきが入ると三線も、うたも、ぐっとグレードが上がるような気がします。3人の中では一枚上を行っていますね。しかし・・・。 ♪ 我ったーミッチャイ 我ったーミッチャイ イナグ花じゃかい〜 ・・・ んーー、どうでしょう?? イマイチでしたですかねー。(笑) 琉鼓会 ここで再びエイサーの演舞です。 尼崎市の琉鼓会がアリーナに展開。黒の法被に、太鼓は赤、締太鼓は紫のサージ。諸見里エイサーの流れを汲んでいるとのことで、チョンダラーも道化ぶりを発揮してなかなか本格的です。 ステージ上には地謡が一人だけなので大丈夫かなと思っていたら、安定した三線とよく通る大きな歌声が。ほほー、これはよなは徹だったのですね。それなら安心。 繁盛節〜仲順流り〜クーダーカー〜トゥータンカーニー〜安里屋ユンタ〜テンヨー節〜スーリー東〜海ヤカラー〜固み節〜いちゅび小〜唐船ドーイ。 演舞には十分な練習を積んでいるようで、さきほどのかりゆし会よりも隊列の動きに統一感、持続感があり、好感がもてます。 軽快な三線と相まって、アリーナはまたまた総立ち。人々のこねり手がひらひらと動くのがきらきらと光って見えます。 下地 勇 司会の谷口キヨコが登場し、「次は、宮古島から・・・」と話し出すと、会場の人々はすべてがわかってやんやの喝采、声援。そう、次は下地勇です。すごい人気ですね〜♪ オリジナル曲のほとんどを宮古島方言で、レゲエやブルース、ボサノバなどワールドワイドなジャンルの音楽にのせて歌う異色のアーチストです。 白の開襟シャツの上に深緑色のジャケットを着た下地を、強烈な赤色のライトが照らし出します。バックは、いつものようにウッドベースのガチャピンと打楽器のノーリーの2人がサポート。 1曲目は「黄金の言葉」でスタート。ラテン風のシリアスな感じの曲調。 ♪ ザンザカザンザン、ッチャッチャ、ザンザカザンザン、ッチャッチャ、・・・ を繰り返すアコギのストロークプレイが特徴です。歌詞は、ミャークフツ(宮古口)だし、スピードは速いし、歌詞の内容は相変わらずよくわかりません。(苦笑) 2曲目は、ティーチ、ターチ、ミーチ、ユーチという沖縄風の掛け声でスタートして「世持つ雨」を。 ♪ ウリササ シッタイササ 雨、雨よ〜! ・・・ と、みんなで大合唱。 このノリのルーツは、宮古の伝統曲クイチャーと同じですね。 これら2曲は5枚目のCD「ATARAKA」から。今年の夏、宮城県七ヶ浜のコンサートでもうたっていました。 3曲目は「狭道小(イバンツガマ)からぴらす舟」。 後半曲のスピードが上がり、その中でアコギを掻き鳴らす下地はなかなかの迫力。 近くの席で見ていたオバサンもすごいすごいと大喜び。演奏が終わる頃には「男前やね〜!」と。すぐさまファンになっていたようでした。 歌詞がわからないのでうまく説明できないのですが、下地を聴いていていつも思うのは、心にズシンと訴えてくるような何かがあります。それは、特に女性にはごっつう響くようで。 新良幸人 with サンデー クライマックスに向けて盛り上がってきたところで、次に登場するのは新良幸人 with サンデー。うん、なかなかいい演奏順ですね。 新良の弾く三線音が闇に力強く響いて、1曲目は「月ぬマピローマ」。 ゆったりとしたうたい出し。ポツポツと爪弾く三線と新良の声だけで十分に聴かせるものになっています。 今回の新良のシャツは、珍しく赤ではなく紫色。サンデーはいつものとおりTシャツ姿で太鼓を前にあぐらをかいています。 観客席にせり出すようにしてうたっている新良の前には、もう既に何十人かのかぶりつきの人垣ができています。 うたい終えたところで新良は「うお〜い!!」と大声を発します。 素っ頓狂なこの声に、場内あちこちから笑い声、指笛、声援が湧き上がります。 2曲目は、出身地である石垣島の白保に伝わる「白保節」を軽快な三線プレイとともに。 その後、「乾杯してもいい?」と言いつつ、携えてきた泡盛の瓶を持ち上げ、グビグビグビッと。 おいおい、そんなに飲んで大丈夫か? 喉仏が何回か上下していたゾ! 「白保節」の歌詞どおり、 ♪ 泡盛ん 生(ま)らしょうり ウミシャグん 造りょうり ・・・ ということでしょうか。 飲んでまた「ぅお〜い!」と呼びかけ、「この夏、白保に帰ったときに海に行ってみたら、珊瑚が真っ白だった!」と叫びます。これにも会場はワイワイと。 それに対して新良は、「ここで盛り上がるな、馬鹿!!」と一喝。また大笑いです。 そこで、これからも魚がいっぱい獲れたらいいねと思いを込めて――ということで、 ♪ 荒波超えて 新川ニセーターの鰹船 海の男の大漁節 ・・・ という「新川大漁節」をシャウト。 さらに飲んだせいか、うたう本人が一番盛り上がってはしゃいでいる感じです。(笑) 続いては、「ミャ〜オ〜〜ン!」と叫んで、「与那国の猫小」をうたおうとしたようですが、サンデーが「あ、これ、可奈子がうたったな」と水をさし途中でやめ、「春になると、大きな蝶々と小さな蝶々が、前へ行ったり、後ろへ行ったり、・・・いいなぁ!」といういつもの前置きをして「パピル節」をやってくれました。 エイサーソング「スーリー東」の八重山バージョン。十八番の曲なので、いくら酔っていても三線の刻みは正確で力強いし、歌詞も間違わずにしっかりうたってくれました。 「まだまだ続くよ! あとで飲もうね! バナナホールで待ってるからね!」と叫んでステージをあとに。 盛り上げるのが上手。盛り上げるには、まずは自分が盛り上がらないと、ということなのでしょうね。 知名定男 さあ、今年の琉フェスもいよいよ大トリ。 2004年以降では大工哲弘、登川誠仁、津波恒徳が担ってきた大トリでしたが、今年はとうとうプロデューサーの知名定男自身が務めることになりました。 ステージに設えられた一段高い台の上に和装で正座しての唄三線、1曲目は「屋嘉節」です。 ♪ 懐かさやウチナー いくさ場になやい 世間御万人(しけんうまんちゅ)ぬ 流す涙 ・・・ 私のイメージにある知名と比べると、今回は音程がやや不安定気味。もしかしたら彼も緊張しているのでしょうか。 大写しになった知名を見ると、髪も、髭も、ずいぶん白くなりました。 そこに沖縄民謡の次世代への繋ぎ手として、また新しいウチナーポップの創造者として、ずっと歩み続けてきた時間の長さや歴史を感じてしまうのは私だけでしょうか。 このうたにはずいぶん励まされました。 今年1月、自宅が火災に遭い、焼け出されてのアパート生活。1年で最も寒いし積雪の多いこの時期、巡り来た不幸や震えながらの生活に打ちひしがれそうになったこともありましたが、この屋嘉節を思い出し、口ずさみ、虜囚となった沖縄県民が収容所内で明日への希望を持って笑顔で暮らしている姿を想い、“おれもこの程度でくじけてたまるか”と自分に言い聞かせたことがたびたびあったものでした。 このうたや「南洋小唄」など、彼のうたうこの当時のうたは実に味があり、ますます心に響きます。 うたい終えて知名は、「最後くらい盛り下がって終わるのもいいやろう」と自嘲気味に語ります。 彼は、これまで長年琉フェスをプロデュースしてきて、本格的な民謡ではこれだけの数の観客のテンションを高めるのは難しいということをよく知っているのでしょう。 また、多くの先輩方を立てなければならなかったのでしょう。 だからこそ彼は、これまでトリを務めようとしなかったのではないでしょうか。 しかし、彼が今回のメンバーを見渡したとき、自分がこれまで祭り上げてきた沖縄民謡の先輩たちがすっかりいなくなってしまったことに気づき、主催者からの促しもあって、とうとうトリを受けることを決意したのではないでしょうか。 さて、本当のところはどうなのでしょう? 2曲目は、「ヒンスー尾類小」。 ♪ ヒンスー尾類小 呼びならち 呼びならち ・・・ 味がありますねぇ・・・。 嘉手苅林昌や古謝美佐子もうたってきたこのうたですが、こういううたをうたえる人はすっかりいなくなってしまったよう。 そして今度は、大阪の愛人を紹介する――ということで、大西ユカリを呼び入れます。 この人のことはよく知らないのですが、1000円で買った公式プログラムによると、2000年に「大西ユカリと新世界」を結成、リズム歌謡、R&B、ソウル、ディスコなど雑多な音楽を昭和テイストでコーティングしたショー展開は毎回大盛況――という“大阪のゴッドねーちゃん”なのだそう。 比較的大柄な体躯、白いスーツにアフロヘアーは、なかなか存在感があります。 彼女は、沖縄のうたをうたいたいと言い、チナサダオバンドが入って「キジムナー・ブルース」をうたいます。 これがなかなかソウルフルでグッド。しかし、知名が伴奏する三線の音は電子音にすっかりかき消されてしまったのは少々残念。 何箇所か出だしを間違えたりしたところなどありましたが、ご愛嬌。 その後いったん知名が下がり、その間彼女がもう1曲、「南部の女」というモータウン・ミュージック風のうたをうたってくれました。 再び登場した知名は、今度はアロハシャツ姿。 椅子に座って「私も負けじと・・・」と言いながら、「私のつくったうたで気に入っているものを2つ、聴いてほしい」と、うたい始めました。 それは、まずは「ウムカジ(面影)」。 ネーネーズがうたった名曲のひとつで、私も大好きな曲です。 これを作詞・作曲した知名本人がうたうのを聴くのは、2004年11月、宜野湾のライブハウス島唄で現ネーネーズのCD「愁」の発売記念ライブをやったとき以来。 色とりどりのウシンチーに着替えたネーネーズも登場してバックコーラスを受け持ちます。 高音部分の発声が少々辛そうな知名センセイでしたが、なかなかのデキでした。 his favorite の2曲目は、特に団塊の世代の人々に捧げたいと語って、今のネーネーズもよくうたっている「山河、今は遠く」を。 スローテンポでしっかりと、表情から察するに万感の想いを込めてうたっているようです。 岡本おさみの詞に知名が曲をつけたもの。 ♪ 祭囃子が聞こえてくると 親父のことなど思い出す 浴衣姿にねじり鉢巻で 幼い俺を肩に乗せ 山なみの見える街 老いた母が一人で 陽のあたる縁側で 眠りこけてはいないか ・・・ 人間ある程度齢を重ねてくると、小さい頃には何においても踏み台にしてきた父や母がいとおしく感じられてたまらなくなったりする――ということは、我が身にも覚えがないではない。 ♪ 故郷が遠ざかる 想い出は近くなる 口になど出さないが がんばれよ、がんばれよ ・・・ 「がんばれよ――」は、同世代へのエールなのか、それとも自分自身に言い聞かせるものか。 このフレーズをうたいながら知名は、右手で握りこぶしをつくり、それを振り上げてみせました。 内なる感動をこぶしで表現してみせた知名に、聴いているオジサンとしても静かに感動。 そして思うのは、かつて嘉手苅林昌、照屋林助、登川誠仁といった戦後の沖縄民謡界を長く牽引してきた大物たちが担ってきた琉フェスにおける特別な立ち位置が、とうとう戦後世代の知名や大工哲弘へと回ってきたしまったという時間の流れ。 1974年に産声を上げた琉フェスも、また沖縄音楽そのものも、遥か遠くへと来てしまった――ということなのでしょう。 フィナーレ 深く感傷に浸っているいとまなどなく琉フェスは続きます。 ステージに全出演者が登場して、いよいよフィナーレのカチャーシー! まずはRIKKIが口火を切って「奄美六調」を。 小さな体に大きな笑顔、両手を挙げてひらひら踊るRIKKIがいじらしくかわいい。 奄美六調は、曲のテンポこそ速いけれど、爆発するような明るさ、パワーがイマイチ。そのせいか、次の「唐船ドーィ」ではぐっとテンションが上がります。 金城実とよなは徹が中心になって唄三線を。よなはの声はハリがあって、扇情的ですらあります。伊礼哲はジュリちゃんを片手で担ぎ上げながらうれしそう。 次は八重山組の「八重山六調」・・・のはずなのですが、今回はなし。 どうやら新良は酔っ払ってしまった模様で、ステージにこそ出ているものの、みんなが「ホレ、次、オマエ」という顔で彼を見ますが、もうダメのよう。(笑) カチャーシーが終わり、最後は玉城の「一緒にうたいましょう!」の声で、「黄金の花」を大合唱です。 ネーネーズが前面に出てリード。イナグミッチャイのみなさんも歌詞カードを見ながらうたいます。 その後ろにいるやなわらばー、鳩間可奈子、いずみ&やよい、サンクルバーナーの面々は、両手を挙げてそれを右に左に動かして笑っています。 それに合わせて加治工のおじさんも一緒に右に、左に・・・。金城実も片手をポケットにつっこんでカッコよくうたいます。 その「黄金の花」に乗せて、玉城が出場者一組一組を紹介していきます。これって、1999年のネーネーズの卒業コンサートのフィナーレとそっくりで、またまた密かに感動。 大きな拍手がドーム全体を覆います。でも、琉フェスはまだ終わりではありません。 玉城は「もちろん、これでは終われませんよね、さあ、はじけましょう!!」と叫び、オーラスは恒例の「豊年音頭」で大騒ぎです。 アリーナ席はもう大バクハツ! アリーナ全体の人たちが揺れています。オリオンや泡盛を飲みながら観ていた人はもうこれでヘロヘロでしょう。(笑) 音楽が速くなって、これまた恒例、ごとうゆうぞうが大きなドラを手にして中央に登場し、ガンガン鳴らして祭りを締めたのでした。 時間は21時30分。6時間半に及ぶ一大イベントはこうして幕を閉じたのでした。 おわりに 知名が語ったように、琉フェスはこれから5年、10年と続けていってほしいことは言うまでもありません。 しかし、ひとつ心配なのは、今回知名がトリを務めたことで、70年代の頃からの琉フェスメンバーがほぼすべてメインを張り終えてしまったこと。 ということは、来年以降は琉フェスの草創期を知るメインイベンターがもういないことになるわけで、これからは新たな形で琉フェスを組み立てていくことが求められるのではないかと思います。 そのためには、琉フェスが中から変貌していかなければならないことになりますが、その際、民謡の担い手が少なくなってきていることにどう対処していくのか――ということが大きな課題となってくるのでしょう。 また一方で、これは考えすぎなのかもしれませんが、知名がメインを務めたことで、琉フェスにおける自分の位置取りを見失い、琉フェスのプロデュースそのものを誰かに譲ってしまうようなことにならないか、多少不安になります。2000年頃に一度そういうことがあったものだから・・・。 知名は、かつて多くのシージャ方(先輩たち)から教え込まれた沖縄民謡の真髄を次世代につなげていくという大切な役割を担っているキーマン。 だから知名には、自身の立場や役割を改めてしっかりとかみ締めてもらい、大阪開催ならではの民謡主体の琉フェスのあり方を形づくっていってほしいと切に願うものです。 いずれにしても、今年もまたすばらしい夢を見させてもらいました。 唄者のみなさん、来年また、大阪でお会いしましょう。