日本スポーツとジェンダー学会第5回大会シンポジゥム資料「ジェンダー視点からみた日本のスポーツと女性の政策」

 

     2006.7.1 日本体育大学 森川貞夫

 

はじめに

 

 当初、担当理事來田享子さんから私に求められているものを私なりに整理すると、第一は、日本のスポーツ政策は、誰を対象に、何を目標として立案され、実施されてきたか、第二は、戦後のスポーツ政策は国民に対し平等に実施されてきたか(その場合は、憲法第14条 法の下に平等に依拠するのか)、ジェンダー平等・公平についてどのような配慮がなされているか、もしないとすれば、ジェンダー視点がなかったのは何故か、であった。また橋本ヒロ子さんとの交差するところでは、女性の、ひいては多様な人々のためのスポーツを具体化するためのスポーツ政策の在り方を検討することであった。

 

1.                        日本の「スポーツ政策」をどうとらえるか

 「スポーツ政策」を関春南が唱えるように「スポーツ問題解決のための手段の体系」あるいは「スポーツの価値を実現するための方策の体系」ととらえ、かつ「支配権力のスポーツに対する要求と被支配権力である国民のスポーツに対する要求との矛盾の統一」(関春南、1997年)ととらえるならば具体的にはどのようにみることができるであろうか。

 これまでの日本のスポーツの歴史を通していくつかの画期となることを述べてみたい。

 

2.1924(大正13)年はスポーツにとってどんな年であったか

 この年は映画「炎のランナー」に描かれている第8回パリ・オリンピック大会が開催された年であった。同時に国内にあっては政府がオリンピック代表団に初めて補助金6万円を支出し、また内務省は第1回明治神宮競技(体育)大会を開催、文部省は全国体育デーを主催した。したがって、この1924年は「日本で初めて国レベルでスポーツが『政策』として取り上げられた年」ととらえることができよう。

 問題は何故政府、内務省、文部省がスポーツを「政策」として取り上げたかである。結論的にはスポーツがスポーツとして認められたのではなく、それは「国威発揚」「思想善導政策」「国民の体力・体力向上」政策に役立つと考えられたからであった。

 同じ年、早・慶・明の3大学陸上競技部によるオリンピック選手選考をめぐる不満に端を発し、大日本体育協会への「決議文」を支持した13大学学生スポーツマンによる「体協改革」要求(「13校問題」)は、「体協組織改造」」へと発展した。しかし、財政的にも社会的にも政府・財界に「寄生」せざるを得なかった体協の歴史的・社会的性格は変わらず今日まで続いている。  

この頃に岡谷の製糸女工たちが「体育および娯楽要求」を嘆願という形で提起していたことは記憶されていい。これが後の山一大争議の発端であった。同時に、戦前のスポーツ民主化闘争は「15年戦争」・第二次世界大戦の激化と共に弾圧され、スポーツ史からもかき消されていった。しかしこうした民衆の娯楽・スポーツ要求運動が今日の「権利としてのスポーツ」論に地下水のごとく受け継がれ繋がっているといえよう。

 

3.戦後の日本のスポーツ政策を点検するジェンダー的視点

 

仮に「スポーツのあらゆる面において、女性が最大限に関わることを可能にし、尊重するような、スポーツ文化を発展させる」という1944年「ブライトン宣言」を「ものさし」とすると、

(1)すべての女性が、個人の権利や威厳を保護し敬意を表するような、安全で支援的な環境でスポーツに参加することができる機会を保証すること

 (「理念」としてこうしたことはこれまでのスポーツ施策・事業に表明されたことがあるのか?スポーツ施設・設備へのジェンダー的配慮?) 

(2)すべてのレベルにおいて、また、すべての職務や役割においてのスポーツへの女性の参加を増やすこと

(国が関わる国体その他のスポーツ大会等での「実績」、 肝心の文部科学省の体育局、青少年・スポーツ局専門職員に女性担当者が配置されたことがあるのか?)

(3)スポーツの発展に寄与する女性の知識、経験、そして価値を重んじること

(4)スポーツの本質的な価値と、スポーツの持つ個人の成長や健康的なライフスタイルに対する貢献への女性の認識度を高めること

 さらに具体的なチェックポイントとして例えばNAGWS(全国女性スポーツ協会、アメリカ)の男女共同参画特別委員会「体育・スポーツにおける男女共同参画手引き書」(1995年)のチェックリスト(『女性スポーツ白書』328329頁)を利用すると何が見えてくるのであろうかか?

 

おわりにーー「ジェンダー視点から見たスポーツ振興」のイメージをどのように描くか?

 

 仮に女性が安心してスポーツを享受できる状況をどうつくるかという視点で見た場合に

 例えば、@妊産婦がスポーツ活動に自由に参加できる。A出産しても社会的に復帰して活動できる。Bスポーツ団体・組織における女性の社会的進出を容易にする。

と考えたときに、同時に国民一般、とりわけ勤労国民大衆のスポーツ条件が著しく阻害され、スポーツの客観的条件を欠くという状況では「女性のスポーツ」の発展を誰と、どのような人々と連帯し、共同の事業として取り組んでいくかの展望が必要となる。

そのために第一は、「権利としてのスポーツ」の実現をめざしている「みんなのスポーツ」運動や国際的な勤労者スポーツ運動などとの連携・共同が大事であろう。第二に、スポーツにおける商業主義の発展・拡大や市場原理を優先する新自由主義的スポーツ市場の拡大は同時に「消費としてのスポーツ」(健康・美容、体力、いきがいのためのスポーツに見られる問題性)論の実践的克服が問題となろう。

 

【参考文献】

井谷恵子・田原淳子・来田享子編著『女性スポーツ白書』大修館書店、2001

関春南『戦後日本のスポーツ政策』大修館書店、1997

森川貞夫『スポーツ社会学』青木書店、1980

森川貞夫「今日の日本のスポーツ状況と非営利・協同への期待」『いのちとくらし』第8号、2004

さわいの会「地域スポーツのいま・むかし・これから」2006

 

(当日配布資料)

@          戦後地域スポーツ振興策年表

A          「最近10年間の地域スポーツの流れ」

B          ユネスコ「体育・スポーツ国際憲章」

C          スポーツと国家(行政)、市場、コミュニティとの関わり

D          スポーツ活動への参加・消費の実態(2005

E          その他