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①第15回全国教育研究交流集会
と き:10月8日(日)~9日(月)
テーマ:自由・自治・人権の教育を学校と地域に
場 所:明治大学駿河台校舎
参加費:2,500円(1日参加・学生・院生・賛助会員は1,500円)
第1日 13:00~17:30
全体集会 講演・・・堀尾輝久(民主教育研究所代表)
基調報告・佐貫 浩(法政大学)
シンポジウム
第2日 9:00~15:30
分科会
問い合わせ先:民主教育研究所 Tel:03-3261-1931 E-mail:office@minken-jp.org
②介護予防実践指導員養成講座(問い合わせ:コープかながわ Tel:045-912-5252)
10月15日(日)午前10時40分~12時10分 新横浜・金子第2ビル2Fユウホール
「行動科学(健康行動変容)~楽しく安全に健康・体力の維持方法~」 森川貞夫
③秋田県総合型地域スポーツクラブマネージャー養成講習会
10月21日(土)10時~12時 講義「地域スポーツ環境の掘りおこしについて」
秋田県スポーツ科学センター 講師 森川貞夫
④
澤地久枝さんの講演がお薦めです。042-735-6866へ。
⑤みんなのスポーツ全国大会 in 高知
日 時:11月25(土)、26日(日)
会 場:高知市文化プラザ「かるぽーと」内高知市中央公民館
テーマ:「これからの地方と地域のスポーツを考えよう」
主 催:みんなのスポーツ全国研究会
問い合わせ:高知大学教育学部/稲田俊治
(Tel/Fax:088-844-8392,E-mail:inada@cc.kochi-u.ac.jp)
⑥葛飾区スポーツ指導員養成講座
11月26日(日)午前10時~12時
葛飾区総合スポーツセンター
「今、スポーツ指導者に求められているもの」 講師 森川貞夫
【大予告】(2007年3月21日)
松浦正行記念ユネスコ国際友好・平和コンサート&ラン in 河津(企画案)
(Matsuura Memorial International Friendship and Peace Concert & Run in Kawatsu)
趣旨
故松浦正行さんは私たちたまりばユネスコ倶楽部のかけがえのない会員でした。しかし彼は2004年5月1 日、空を飛びたいという長年の夢であったパラグライダーの飛行訓練中に不慮の事故に遭い帰らぬ人とな りました。
定年退職後の生活を趣味活動だけではなく社会貢献活動に情熱を燃やしていた松浦さんの活動の一つが バングラディッシュでのボランティア活動だったのです。また彼はいつもお気に入りの帽子に「STOP WAR NOW」をつけ飄々とした振る舞いで周りの人々を和ませ励ましてくれていました。
私たちはこれまでの松浦正行さんの民間ユネスコ運動と国際ボランティア活動に賭けた熱い思いとその 遺志を受け継ぎ、多くの若い人たちにも託していきたいと考え、次のようなイベントを思い立ちました。 多くのみなさんのご理解とご協力、参加を心からよびかけます。
記
期日 2007年3月21日(水)春分の日
場所 伊豆・河津浜、いりあい村
日程 11:00 5KMミニレース(ランニング) スタート
13:00 ランニング教室(山西哲郎と走ろう)
講師 山西哲郎 群馬大学教授・日本ランニング学会会長
15:00 笠木透コンサート
17:00 懇親会・パーティ
会費 3000円(それに懇親会費を少々)
宿泊 本部 いりあい村30名、その他に周辺の民宿多数あり。斡旋します。
主催 たまりばユネスコ倶楽部・
後援 全国ユ連、東京都ユ連、静岡県ユ連、日本スポーツ学会(スポーツネットワーク)
日本ランニング学会、静岡県河津町教委他
(画面をクリックしてください、上映情報が出ます)
【以下のイベントは終了しました。】
スポーツを語り合う会9月例会「W杯総括とオシムジャパンの展望」
講師 後藤健生氏(サッカージャーナリスト)
時 9月14日(木)午後6時30分~9時
「地域スポーツクラブ育成のための勉強会」(出席者14名で終了)
主旨:本年秋に予定されるスポーツ振興基本計画の中間見直しにあわせ、スポーツ振興計画の5年間を評価し、今後にむ け施策提案等を行うことを目的とします。
テーマ:スポーツ振興基本計画の改定案について
今後も定期的に研究会を行う予定です。参加を希望される方は、できるだけ事前に、以下HPよりお申し込みください。
http://clubnetz.or.jp/06news/benkyo06.htm
第1回 テーマ:「スポーツ振興基本計画5年間の成果の検証」は8月4日(金)26名の参加で無事終了しました。
(問い合わせはクラブネッツへ)
関東承風会無二の会還暦記念「青春グラフティ」(5.25大江戸温泉物語)
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<私の日誌>
コーナー(Vol.2、4月より)今までの日誌2(06年4月~06年6月30日)
今までの日誌1(05年5月~06年3月31日)
9月30日(土)
朝のNHK連続ドラマ「純情きらり」最終回は主人公・桜子が結核で死んでいく場面で終わりました。最終週のタイトルは「命輝いて」でしたが、「音楽の中に私は生きている」「お母さんに会いたくなったらピアノを弾きなさい」と、生んでから決して抱くことができなかった我が子・輝一を病室に映し出される画面に手をさしのべていくところがラストシーンでした。味噌づくりという食品メーカーでおカミさんが結核なんてことになればそれこそ大騒ぎになり味噌屋はまずまちがいなくつぶれたでしょう。ですからこういう想定は当時では考えられないことです。それに16㎜フイルムの映写機ならともかく撮影用カメラなどはごくごく限られたところでしか無かった時代でした。
朝のテレビ小説では明るさが一番ですから主人公が最後に死んでいくというのはまことに珍しいことだけに、この最終週だけは違和感をもちました。もっとも桜子の夫となる達彦が突如生きて帰ってくるところからが不思議でしたが、これは「達彦を殺さないで」という多くの視聴者の投書によって脚本を変えたということですから、脚本家も予定のシナリオというか展開が狂ってきたにちがいない。それでいて次の朝ドラの予定が決まっており、回数というか最終日は最初から今日だと決まっていたのですから。ですから途中の戦争や戦時中の生活の描き方も甘いといえば甘いのですが、NHKとしてはこの辺が限界というべきなのでしょう。「今住んでいる、この時代・社会でよかった」と思い込ませるというか、現実を直視させるのではなく、むしろそこから目を逸らさせて「天下泰平」「豊かさ」幻想を強調(強要)するためのテレビだということをあらためて再認識させられた思いで、何か最後になってこれまで「騙されてきた」のではないかと悔しさがにじみ出てきます。まあこれが「朝ドラ」だということでしょうか。「騙されるあなたが悪いのよ」「今まで信じていたなんて、それこそ信じられなーい」という声が聞こえてきました。悔しい!
元々このドラマは「原作」ではなく「原案」「火の山─山猿記」(津島佑子)というところがミソ。舞台も小説の甲府ではなく岡崎というのだからドラマはっまたく別物と考えるべきでしょう。しかしややこしいのは笛子の夫・冬吾が津軽弁をしゃべり、ドラマでも途中津軽の実家に帰るところがありました。ネットで探しましたら、やはり「杉冬吾のモデルは、原案の作者・津島佑子の父親・太宰治、といわれています」とありました。したがって「寄せ木細工」でつくられたというべきかもしれません。一度、「原作」『火の山─山猿記』(講談社文庫、上下2冊)を読んでみたいものです。
9月29日(金)
昨日、うっかりここに誕生日だということを書いたせいで何人かの方にメールをいただいてしまった。気を遣わせたことになってしまってたいへん申し訳ない。午後になって豊田まで出かけたのですが、懇親会終了後、やはり駅近くでKm、Igさんと燗酒を飲む。もう秋だなぁ、と実感。
さて昨日書いた遠藤周作さんの「クイズ」「○○○の○になって」の○には次の答えでした。「読む人の身になって」です。当たりましたか?「あいての身になって」というのも正解でしょうね。
ここから周作さんは「手紙の書き方」の実例を示しながら説明を加え、やさしく手ほどきしてくれています。それは同時に「 」のような、「 」のように、などの文章の「 」に所謂慣用語になっている「形容(名詞)を絶対に使わない」というルールで入れていくゲーム遊び感覚の文章修業法も紹介しています。「手アカでよごれた表現」を排して「自分でキャッチした、オリジナルな言葉を」ちょっとした時間に考えることから文章が生き生きとしていくというのです。
しかもラブレターの書き方や病気の友人への見舞いの手紙の書き方、「恋愛を断る手紙の書き方で大切な一寸したこと」など、ユーモアをまじえての周作流「文章読本」でもあります。奥様や恋人どうしの場合には最後に「優しい言葉を一行だけ書く」、例えば「明後日、夜、十時にて戻るから風呂たのむ。ビール二本たのむ」では余り味も素っ気もないのでつけ加えるにたった一行、
「留守中、病気はしていないか。心配です」
たった一行----書いておおきなさい。たとえ、あなたが心の中で「うちの山の神が病気などするものか」と思っていても------。といった具合です。
先の「 」のような(に)----ゲームには例えば「大きな太陽が屋根の向こうに○○○○---のように沈んでいく」の場合、「燃える火の玉」などような手垢で汚れた、陳腐な形容ではダメだと言うことはおわかりでしょう。あなたならどう表現しますか?
9月28日(木)
今日は私の67回目の誕生日です。誕生祝いをしてもらうほどのことはないのですが、昨年、OBGなどに図られてディズニー・シーから後楽園のサウナ休憩室で一夜を明かしたことを思い出しました。参加者たちと近くのファミリーレストランで朝定食を食べて帰宅した時はすっかり疲れ切っていましたっけ。今年はその手の話には乗らないように警戒していましたが、今のところなんにも起こっていない。それよりも昨日からニフティのメールが送信できないので困っています。どうも接続するJcom@のシステムの変更のせいらしいことがやっと判明、復旧に2、3日かかりそうです。今使用中のWZエディターでは対応できないようなので他のものに変更する必要があると息子が言うのでしばらくは手がつけられない(私の能力を超えています)。
先日ここにも書きましたが、NHKの解説委員Yhさんに「とんでもない願い事」したところ、早速の返事というか、手紙をつけて「ダビングテープ」が届きました。「打てば響く」というのはこういうことでしょうね。嬉しい限りです。そういえば、たまたま一昨日小田急の三省堂書店で見つけた遠藤周作の「遺稿」が本になりました。題して『十頁だけ読んでごらんください。十頁たって飽いたらこの本を捨ててくださって宜しい』(海竜社)という長ったらしい本を読んでいたら、「一寸したことで人生が変る」というところでは「もの臭」を直すコツと次の「手紙を書く時に大切な一寸したこと」の冒頭でいきなりクイズです。「○○○の○になって」の○を埋めなさい、というのです。周作さんらしい茶目っ気というか、遊び心です。明日解答を書きますので一日お考えください。
一昨日のダンスと音楽(四重奏)とのコラボレーションについて、早速、関係者から「クレーム」というか「弁明」というか、そんなものが届いたので一応の私の考えていたことを返事で答えておきました。一部差し支えのない範囲だけですが、少し「議論」を提供する意味で私の「コメント」をコピーします。
「学生を中心にしていることは重々承知の上で、ある意味では「無いものねだり」というか、今の学生のレベルでは要求が高いと言われるかもしれませんが、舞踊科をもつ専門(芸大の学生のレベルを想像してください)の学生たちであるという前提です。
ですから入学までに基本的なトレーニング(身体の動きだけでなく、表現する・できる身体的基礎と、いわゆる芸術的素養)を受けてくることが必須ですし、もしそれがなくて入学してきた場合にはいち早くそれを身につけさせるのが「プロ」の卵(入場料を取るので)としては当然と思うわけです。
要は、こういう類の芸術・表現形式ではプログラムに「解説」をつけて理解させることではなくて出来上がった作品そのもので観る者に理解・共感させるというのが「プロ」の腕前だと思うわけです。
体力や動きのスピードや身体能力だけで相手を納得させるやり方はかえって芸術性を阻害すると思うわけです。同じことですが、音と照明と身体表現、空間構成など、おしなべて総合的表現形式を重んじるこの種の分野では一人ひとりの表現力と集団的表現力とが問われると思います。
具体的に先日のメンバーの「表現力」・「芸術性」で言えば、足先、手の指先、歩き方に至るまで神経の行き届いた「動き」を表現できていた学生は数人しか居ないように見受けられましたが実際にはどうだったんでしょうか?
今回の「作品」の場合は、主として構成・振り付け・制作を担当した側の問題だと思います。というのは踊り手、表現する学生の力量はあらかじめ承知してのことだからです。
いずれにしてもこの手の評価はそれぞれの見方・考え方があるので、あくまで素人の感想という風に受けとめていただければ幸いです。」
どうですか、やはりきびし過ぎますでしょうか?
9月26日(火)
朝一番にW大のTmさんの紹介で大学の地域貢献について修論の相談、すでに埼玉県内の私立大学で運動部の面倒を見ながら職員として勤めておられる関係で問題意識もはっきりしていて特別に指導するということでもないので理念的にやるよりは事例研究を多様しながら自分の大学での可能性を追求していく方がやりがいがあるし、自分の現在の仕事との関係もふくめていかに地域に支えられた大学に変わっていけるかということだけアドバイスをしておいた。12月までにまとめるというには時間が少なすぎる感じだ。
珍しく時間が取れたので散髪(いつもの烏山のたちばな)、府中市役所に10月からのゴミ分別収集によるご近所のアパートの住民の理解・指導、その他地域生活に関わることの陳情、最後に金子園によってお茶の購入、夕方からは横浜の馬車道までNgさんのご招待でNj体のダンスと東京交響楽団有志の四重奏とのコラボレーション「鉄と身体」(ちょっと観念的解釈による即物的テーマの感がする)を1時間ほど鑑賞、若さいっぱいの、体力を効かした動き、確かにそのエネルギーには驚かされるが、芸術性というか洗練された表現やストーリー性と構成力に難ありというのが素人の率直な感想、Adさんたちの四重奏がすばらしかっただけに何かもったいないという感じだ。
帰りはNgさんの奥様と友人のMrさん、その妹さんのSbさんと「馬車道十番館」でワイン+かんたんな食事、Mrさんとは大学新聞会時代の縁で昔からの共通の知り合いということになる。この3人はすでに教員生活を終えて地域の活動でお忙しい由、羨ましい限りだ。肝心のNg氏は後片づけと慰労を兼ねた打ち上げで我々の席には来れない。残念!

9月25日(月)
いよいよ後期の始まり。世間ではとっくに夏は終わっているのでしょうが、大学はやっと長期休暇が終わり、授業が再開となります。2カ月半ぶりに授業、とくに今日月曜日の夕方からは昨年同様に神田駿河台での明治大学商学部授業なのですが、新たに「スポーツビジネス論」が加わりました。学生は商学部以外にも受講可能なようで他学部からも数名が受講、6時限(6時~7時30分)にもかかわらず51名が登録(実際には減るかも?)、おそらくカリキュラムとしては明治開学以来の「スポーツビジネス論」登場だと思われるので学生はもちろんですが、私も気合いが入りました。授業の内容は旧通産省時代にはじまった「スポーツ産業研究会」(私も分科会メンバーとして参加)報告を元にした『スポーツビジョン21』(1990年10月刊)を批判的に取り上げていくことを基本に進めていく予定。
何しろバブル絶頂期に策定されたものだけに2000年のスポーツ産業規模は22.3兆円(GNP予測742.8兆円の1.64%)、実質のスポーツ産業市場規模でも12.2兆円読まれていた(実際の数字は余暇市場全体で85.6兆円、スポーツ産業市場規模は5兆円弱であった)。このことから見てもいかにバブルであったかがわかろうというものです。これから厳密に検証していかなければいけませんが、学生たちが期待しているほどにスポーツビジネスが安定的に成長しているかどうかは疑問です。その一つの証が昨年のスポーツ活動への参加・消費の実態です。多くの種目が前年度より下がっていました(『レジャー白書2006』)。
帰りの神保町から自宅までの距離は物理的時間以上に遠かった感じです。やはりどんな仕事もきついですね。休みが長かった分だけ平時に返るまでにはそれなりの時間と努力が必要のようです。
9月24日(日)
一昨日の「日誌」を一部訂正して加筆しなければなりません。「ドイツW杯総括」にはマニアックな読者の支持を得ている『サッカー批評』32号が特集「日本サッカー批評~我々は惨敗を直視する」、同様に『フットボールライフ・ジュニオール』Vol.2
が「サッカークラブの未来図」と共に緊急企画「大マスコミの悪しき風潮に流されるな!だから、ジーコジャパンは惨敗した」を組んでいます。いわゆる大手マスコミの全国紙・スポーツ紙には載らない記事・論評が次々に出ていました。ついこういう「ミニコミ」的な情報を見逃しがちな自分に恥じ入ります。
どこで見つけたかというと富士吉田のカトウ書店(ここは結構珍しい本を並べている)なのですが、その前に何回か新宿の紀伊国屋書店などを覗いていたのに目に入らなかったでしょうか。

二三日前からいい薫りをさせていたと思っていた庭の金木犀、今日見たらもう終わりに近い。「花の命は短くて」と言えば森光子さんの「放浪記」、80を過ぎてもあの「でんぐり返り」、一度観に行きたいと思いつつ、切符も手に入りにくいことをいいことに未だ実現できずにいます。思い立ったらすぐに行動に移さないとどんどん時は過ぎていく感覚がますます強く感じられるのですが、これも人生の残り時間を計算する歳になったせいなのだろうかと、こんな風にやや被害妄想的になってきた自分をどう抑えるのか----なんて考える自分が嫌ですね(いつかは達観するようになるのでしょうが)。
これから日野へ出かけます。K弁護士さんたちとよんどころない相談事、地域の問題は地域の専門家やいろいろな人たちの知恵と力を借りること、そして話し合いが一番です。
9月23日(土)
アクセス10000件達成。人知れず読んでくださっているあなたに感謝感謝。
世の中、満更でもないといつも思うことがあるのですが、一昨日の東京地裁の「日の丸・君が代」の強制は「内心の自由」を侵すということで違憲・違法であるという判決は、久しぶりに司法の良心・良識が残っていることを示すもので快哉を叫びたい気分です。私の知っている何人かの教員もこの原告団に加わっています。懲戒処分の取り消しと慰謝料の支払いを即刻やるべきなのに石原都知事は控訴するといきまいていました。教育長も早速校長を緊急召集して従来どおりだと指示するというのも酷すぎます。日本は法治国家だということを平気で無視する厚顔さは、安部首相誕生ですぐにでも教育基本法「改正」と憲法「改正」ができると思っているのでしょうね。
昨日から忍野に行って夏の終わりの作業を少々、台風が来るので窓・その他戸締まりを念入りにして帰る。午後はテアトロ・エコー劇場(恵比寿)でミュージカル(?)「ピンク」をやろう会の「楽しむ会」メンバーAs,Fk,Kn等と「観賞」、座席200足らずの劇場なのでアットホームというか、舞台と客席とが即座に一体化し、笑い、拍手、時に歌って「参加」するもなんとなく消化不良というよりも欲求不満、それを解消すべく新宿「ともしび」へ、5時一番乗りかと思ったらとんでもない、今日は祭日なので4時から開店とか、3時間4ステージつき合ってお開きと相成りました。

久しぶりに「さらば恋人よ」(原名Bella Ciao、イタリア・パルチザンの愛唱歌)、「青春」、その他。調子に乗って寺谷宏さんの初CDを買いました。寺谷さんが学生時代にあの坂本堤弁護士(オウ事件で一家が悲惨な目に遭った)と親友であったことをこのCdの解説で知りました。一緒に歌ったという「白いブランコ」も入っています。
9月21日(木)
ついに出ました。究極の「ドイツW杯総括」です。昨日渋谷に行ったついでに東急デパート傍の「ブック・ナンバーワン?」とかいう、相当大きな「ブック・ビル」に出くわしたので覗いてみたら、1階の新刊コーナーに平積みになっていたのが、セジオ越後『日本サッカーと「世界基準」』(祥伝社新書)でした。一気に読み上げてあらためて今思うのは予想通りというか、「厳しさ」が足りなかったということです。日本代表にも、ジーコにも、川淵キャプテンにも、サッカー協会にも、サポーターにも、そしてなによりもスポーツマスコミにも私たちは「優しすぎた」ということです。「世界基準」どころの話ではないのです。
「反省すべきところはしっかり反省し、足許を見つめ、世界を見据えていかなければ、本当に”100年経っても勝てない国”になってしまう。」「日本サッカー界は、もっともっと努力しなければいけません。わたしだって休むつもりはありません。辛口だ、厳しすぎるといわれようとも、勝つためにはっきりと言うべきことを言っていくつもりです。日本が世界チャンピオンになる、その日まで-----。」
その言や良し。おそらくこれで「セジオ越後外し」は日本サッカー界のみならずマスコミ界に及ぶであろうが、それに負けないぐらいに勝手連的サポーターを組織していけば明るい展望も開けてくるというもの、それが真の意味でサッカーを愛しているという証になることを確信したい。

9月20日(水)
このHPを開設してまもなく1年半となります。今日現在アクセス数が9915、ということはここ二三日ぐらいで1万を越えることになります。最初、開設当時に考えたことは「老後の楽しみ」を増やすことでしたが、一方で1万を越えると何か情報発信に変化が起きるのではないかと期待していました。というのはこれまでは既成の(スポーツ)マスコミ、具体的には活字メディアでいえば全国紙、誌等、放送・映像メディアでいえば主としてテレビということになりますが、いずれも私は「受け手」の側に置かれます。
だからというべきでしょうが、ささやかでもいいから自らが「送り手」になり、「つくられ(る)た自分」から「つくる自分」へ、すなわち、ユネスコ学習権宣言(1985年)でいうところの「想像し、創造する権利」「自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利」の主体でありたいという思いもありました。したがってこのHPは歴史的主体の一人として自らもそれを実践し、それを行使する手だてとしての「ツール」を得るためにはじめたことということでもあります。
そのことの成果は未だ確定できていませんが、日々自分から何かメッセージを送りたいという気持ちは決して小さくはありません。ですが以前にも書いたように無理はしない、無理にひねり出すようなことはしないというスタンスはこれからも維持していきたいと思っています。ですから第一に日々の自分のやっていることの記録(あるいは備忘録)、それに加えて何か感じたことを自然に出せればいいかな、ぐらいに考えていますのでお気軽に「情報」「感想」などを寄せていただければありがたい。たとえそれが小さな「情報」であってもそこには大手マスコミには見ることの出来ない一人ひとりの「生きる証」であったり、「営み」であったり、またそこから新たな「つながり」や「絆」が築かれればそれに越したことはないと思っています。
というわけで「トピックス」に伊藤恵造君の山形・高畠町の有機農業を媒介にした都市と農村の協同の記録を映画にした「いのちを耕す人々」を掲げました。全国各地での上映会や自主上映の申し込みもリンクから可能です。私も来年の3月23日の「河津のつどい」で上映したいと願っています。
一日中K区の「答申」の文章に手を入れる作業をしていたのですが、切りもないので夕方一応の区切りをつけて京王線で渋谷へと出かける。飛田給(最近は味の素スタジアム前というんですが)駅で電車に乗ったところ知った顔、誰かと思いきや、FC東京のGMをやっているMb氏、同時に同じ電車で鉢合わせした彼の知人というのがこれまた加圧トレーニングで有名なサトウスポーツプラザのK氏、もっぱら府中市の、ローカルな話で盛り上がっていました。ここではオフレコなんですが、陸上競技場も野球場も建て替え時期に来ているのだけれど、大所高所から計画図面を描ける人が居ないということ、古い土地柄なので「よそ者」は迂闊に口出しできないこと、多摩国体・東京オリンピックにひっかけて旧関東村のスポーツ用地を早く計画・実行に移すしていかないとダメだということなど、問題は誰が口火を切っていくかということなんですが、糸口見えず、限りなく視界不良ってとこですか。
渋谷でMilvaの来日記念版CD(2枚組)を衝動買い、1980年在伊時代に彼女のテープ(たぶんレコード「レジスタンスを歌う」のコピー?)でBella Ciaoやミュージカル「エヴィータ」の中でペロン大統領夫人となったエヴィータが大統領就任の朝、バルコニーから民衆に向かって歌って有名になったNon
piangere piu Arzentina(Don't cry for me Arzentina)などに親しんでいたのを思い出したからかもしれない。彼女は私と同い年だから67歳ということになるが、その迫力は彼女の生命そのものだろう。

9月19日(火)
昨日の「日誌」の一部をNHKのスポーツ解説を担当しているYmさんにメールで送って「とんでもないお願い」をしたところ、「Ykにこれから出発直前なので明日戻ってから探します」というありがたい返事、「捨てる神あれば拾う神あり」というか、私にとっては「地獄に仏」という感じです。これまでも何度か経験しましたが、日頃一番忙しく仕事をしているほど返事というか、反応が早い。私も最近は物忘れもあるので頼まれモノはすぐにやるように心がけているつもりだが、それでもどこか抜けることがある。それで自衛策として一応その場でメモはとりますが、必ず念のため「メールでもう一度自宅に催促をして欲しい」と相手にお願いすることにしています。でないと肝心の書いたメモがどこかにいって忘れることがあるから、学生には朝大学に出かける前に電話をして持ってきて欲しい資料・本を確認してくれということにしています。
今日は朝から授業の準備をしていたのですが、「レジャー白書」の数値(例えばスポーツ市場の年次推移)が各年度版によって違うことがあるので、(財)社会経済生産性本部に問い合わせをしたところ実にあっさりと「そうなんです。業界によって統計がしっかりと取れていないところがあって、例えばパチンコ業界は何兆円という数字が変わることもあります」という。余暇産業関連連市場が80兆円というのですからこれはちょっと参ったなぁ、「スポーツ市場の年次推移を30年以上見るとすれば正確な資料はありませんよね」と問いかけると「そうです」(!?)と、これまたあっさりと受け入れられてしまいました。こうなると1980年代バブル期から崩壊後の数値の比較をしようと思っても難しいことになりそう、「○○白書」類の数字をむやみに信用したらえらいことになるということがこれではっきりしたことになります。
途中でテレビのスイッチを入れたらすでに最後の朝青龍戦、教え子の垣添は押していながら最後の詰めが甘く安美錦に引き落としで負け(5勝5敗)、嘉風(大西)は勝ったようでこちらは4勝6敗、関取になったときのお祝いの席で前からのファンであった尾車親方(元大関琴風)にきびしく鍛えて欲しいとお願いしてあったのですが、もうちょっとがんばってくれないと。

9月18日(月)「敬老の日」
昔から「敬老の日」というのはうさんくさい感じがしていたが、自分が十分に「敬老」される歳が来たので余計に実感としてこの日一日だけ「年寄りを大事にしよう」ということでふだんの扱いを免罪にしてもらう「特別の日」ではないかと思ってしまう。超低金利に年金支給率の引き下げ、医療保険の高齢者負担率の引き上げにしろ(東都知事から美濃部都知事に変わる時の「老人医療費無料」「都バス無料」などは昔々の話)、まさに「地獄の沙汰も金次第」、「貧乏人は麦を食え」から「貧乏老人は死ね」と言わんばかりのご時世に「老人は怒ってるぞ!」(「怒っているぞ」と言えば13日の都地裁判決、国立二小卒業式の「日の丸」掲揚問題の「判決」は凄まじい!これぞ怒らなくて何を怒るかという噴飯ものです))と声高に叫べないというのも悔しい。そういう人たちがネット上のバーチャル政党「老人党」に託す気持ちはよくわかります。でもそれぞれの地域でできることからやっていかないとやはり流れは変わらないのではと思います。毎日が日曜日という同期の連中の話を聞いていてそう思いました。若い人はどう思っているのでしょうか?
今朝は珍しく朝寝坊、それというのもU-17のアジア選手権で日本代表が決勝で前半0対2で北朝鮮に負けていたのを後半に対にし、延長後半投入の河野(東京Vユース)が2得点で1994年以来の優勝をBSで朝方まで見ていたせいです。卓越した個人技で最初に得点した柿谷(C大阪)、同点シュートの端戸(横浜マリノスユース)のゴールセンスは本家本物のA代表に見せてやりたいものです。これで来年のユースW杯(韓国)が楽しみだし、オシムジャパンに明るい「希望の星」たちの登場ではないかと、満足して寝入った次第。
昨日はひの社教センターで「介護予防実践運動指導員養成講座」(ちょっと長ったらしいのでいいキャッチコピーありませんか?)朝一番に「行動科学」(健康行動の変容)論を担当、ワークショップ形式であっという間の90分、時間が足りないぐらい。講演というか講義はこれぐらいでちょうどいいと思う。おそらく聴いている方も「もう少し聴きたい」と、余韻が残るぐらいがいいのじゃないかと長年のカンでそう思うのですが、実際にはどうだったんでしょうか。いずれ受講生の評価・感想が届くはずですので確かめてみよう。
帰りは久しぶりに大学時代からの親友・Tb宅を訪ねる。一時体調が思わしくないと言っていたのに今日はご機嫌、少し食欲がないとかで痩せた感じだが、思ったより元気なので安心。ご近所からの赤飯をご相伴に預かる。土産に自家製の自慢の味噌(まさに「手前味噌」)と庭で取り立てのモロヘイヤをいっぱいもらう。
45年来の親友Tb夫妻、たまにはツーショットもいいネ。
家に帰るとどの部屋もバルサンをたいたらしく、居場所がない。新宿で本屋を周り、しこたま買い込む。雨の中のJリーグ川崎フロンターレ対ジュビロ磐田、前半1対1、後半も2対2でもつれる。時間切れ寸前に中山ゴンが決勝ゴールを決めたと思いきや、まだその後があった。最終的には4対3で久しぶりにジュビロが勝った。首位を狙うフロンターレには痛い敗戦だろう。それにしても途中で得点を決めるゴンはいくつになったんだろう(えっ、38歳!「中年の星」は山本博君だけではないのですね)。
9月17日(日)

GALAC(ぎゃらく)10月号の第2特集「スポーツ中継にダメだし!」の隅井孝雄氏(元NTVインターナショナル社長、現龍谷大講師)の「ワールドカップとナショナリズム」には今回のW杯を通してドイツ、中国、韓国におけるナショナリズムの問題を分析しながら「インターナショナリズムに向かって」メディアの果たす役割を書いている。
私がとくに共感したのはW杯期間前後の動きで日本でもTBSの「ドイツサッカーとナチス」(5月7日、ニュース23)、NHK「ドイツに見るサッカーと愛国心」(7月10日、BSきょうの世界)などで取り上げられたことを紹介しながら、「私たちはスポーツの分野でも歴史認識を深める必要があるという教訓を、ドイツやフランスやイタリアの動きから学ぶことがができたということが言えるだろう」と書いておられるところである。
残念ながら私はNHKの番組を見落としたが、同様に準々決勝でジダン、ベッカムらスター選手による「プレーを見ている全世界の皆さんにお願いがあります。社会から人種差別をなくすため声を上げましょう」というメッセージを読み上げた場面も見ていない。試合期間中ヨーロッパ全土では移民の子であるアンリ選手らがプラカードを持ち、「フットボールが好きだ、チャレンジが好きだ、ボールを蹴る音、観客の声援、喜びの歓声、すべてが好きだ。しかしいまだに肌の色での侮辱が続く。皆さんの声が必要です。レイシズムをなくすために、差別を見つけたら、Say
No, Stand Up Speak Up」(これがナイキをスポンサーとする、あの黒と白のリストバンド販売と結びついたキャーンペーンの言葉であったのだが、これをどう読むかは悩ましくも別の問題が生じる)というメッセージが流れたという。
この隅井氏をのぞいては残念ながらこうした「動き」をきちんと記憶に残るように伝えた
「ドイツW杯総括」は無かったように思うのですが(例外としてメディア総研『放送レポート』9月号の「検証・サッカーW杯報道」があるが、ここでも杉山茂・谷口源太郎氏からの問題提起的発言で終わっており、私としては満足しかねる)、もしかして私の見過ごしがあるかもしれないので他にあれば教えて欲しい。とりあえずは忘れないようにここに記録しておこう。
明日は「敬老の日」だが、午後から「グラムシ没後70周年記念イベント」の準備会もあり、更新はできないかもしれない。不悪。
9月16日(土)
昨夜の京王プラザホテル2階のグラスコートは窓際一番の特等席でした。緑の木々が窓越しに見え、テーブルにはロウソクの火がほんのりと、という雰囲気でした。手術後の経過を見ながらイタリア行きを案じているMk氏の快気祝いを兼ねるはずのミニミニ「壮行会」はローマ縁のOhさんとの3人でバイキング料理を楽しみました。食欲もアルコールも術前よりは少し細いかなという程度で一安心でした。シニアは1000円引きなのだが、ワインがお高いようで白・赤一本ずつで結局一人8000円近くかかりましたが、割り勘ということでMk氏にはちょっと気の毒な感じがして悔いが残ります。まあ一年後の完全な快気祝いの時は盛大にお祝いしたいものです。元気で行ってらっしゃい!
ちょっぴり療養やつれ(?)のMk氏に対し、かたや元気印のOhさん、好対照の二人。
今日は午後から原宿・岸記念体育館・スポーツマンクラブでスポーツ法学会の理事会だけだが、明日のひの社会教育センターでの介護予防実践運動指導員養成講座2期で私の出番のため少しだけ準備しなければいけない。ここのところ急ピッチで後期の授業準備や新たに始まるスポーツビジネス論(明治大学)など、やることは多い。長い夏休みもいよいよおしまい。来週からは完全にギアチェンジして年末まで精を出すことにしなければ-----。
9月15日(金)
息子からいい映画だから絶対に見るようにと言われていた「グッドナイト&グッドラック」を昨日、下高井戸シネマで見ました。前評判どおりというか、1950年前後のアメリカのことですが、とくに1953年東西冷戦下で「共産主義の脅威から国を守る」という名目で始まった「赤狩り」、いわゆるマッカーシズムの嵐の中で映画俳優チャップリンはアメリカを追われ、全米最優秀選手に選ばれたフットボーラーでありかつ「オールマンリバー」や「黒人霊歌」で名高いテノール歌手であったポール・ロブソン(伝記『私はここに立つ』)を襲った恐怖政治の元凶に真っ正面から闘った元CBSの花形キャスターのエド・マローの実話をドキュメンタリータッチで描いた、しかもモノクロのこの映画は、息もつかせぬシーンの連続であっという間にラストシーンになっていました。一人のジャーナリスト(今やこの言葉も朝日の「ジャーナリスト宣言」によって手垢に汚れた薄汚い言葉になりさがってしまった観がしますが、それはさておき)の「最初の一歩」を進める勇気が、多くの視聴者を励まし勇気づけ、さらにアメリカの良心をよみがえらせ、流れを変える力になりましたが、その「勝利」もほろ苦いものでやがて商業主義の大きな流れの中でマロー自身もこの業界から去っていくことを暗示する。右下の「もしテレビが娯楽と逃避のためだけの道具なら、もともと何の価値もない。テレビは人間を教育し、啓発し、情熱を与える可能性を秘めている。だが、それはあくまでも使い手の自覚次第だ。そうでなければ、テレビはメカの詰まった
”ただの箱”だ。」というセリフは今のテレビのあり方をも示唆しているであろう。

夜は久しぶりのスポーツ学会のスポーツを語り合う会9月例会「W杯総括とオシムジャパンの展望」、講師は後藤健生氏(サッカージャーナリスト)でした。実は後藤さんは本学会代表理事のお一人である池井先生の元勤務校慶應大学法学部政治学科で学部・大学院時代の教え子でありかつゼミ生であった由、それで池井先生が講師紹介をされたが、「一番優秀であったが、研究者に向く人と向かない人が居るが彼は後者だった」「自分の好きなサッカーで飯をくえるのは一番いい」と、それに対して後藤さんは「池井ゼミの良さは放し飼いなので好きなことができること」と切り返す。
今の日本サッカーの一つの問題は川淵キャプテンの「独裁」に誰も異議を唱えることができないことではないかと、ソフトな物言いながらズバリと切り込むところが清々しい。ジーコ批判が川淵批判につながるのでいち早くその流れを切ったのも川淵さんだとも。オシムジャパン(こういう言い方には抵抗があるが、と断って)はトルシェとはちがって日本選手の実際の力を見極めながら問題点を修正して見える形で変えていくので数ヶ月すれば結果が見えてくるし、成長・変化をよく見ていて欲しい。その点、トルシェは一つひとつ部品をつくってそれを組み立てていくので完成して全体を見ないと、途中ではよくわからないやり方だという。これで日本サッカーはクラマー(旧西ドイツ)からオフト(オランダ)トルシェ(フランス)、ジーコ(ブラジル)、そして今回のオシム(ボスニア・ヘツェゴビナ)と外国人コーチを雇った。ぼつぼつ答えを出してもいい時期かもしれない。後4年をどのようにつみかさねながらゴール(W杯出場権の獲得)するか、興味はつきない。
師弟対決(!?)実は------。(本文参照)
9月14日(木)
昨日、古い知り合いから絵はがきが届いた。なんと韓国・安東市河回村に仮面劇を観に出かけたという。ここは古くからの伝統文化を残し、「両班(ヤンバン)文化の里 」とよばれるところでもあるのです。秋には安東国際仮面劇祝祭(フェスティバル)が開かれます。一度訪ねてみたいところです。2000年10月に釜山・東亜大学での韓国スポーツ情報学会設立記念講演に招待された時のことを思い出しました。海岸沿いのリゾート地は夏とはちがって人影も少なく実に穏やかな趣で、確かその時に大学の広場で韓国の太鼓の名手の演奏と踊りを観て感動したのを覚えています。後に東京・文化村でだったか元鼓童の林英哲との競(響)演も観ました。異国情調たっぷりなのですが、この民族的なものがまた同時に国際的というか普遍的だということも文化の特性でありおもしろさかと思います。




9月13日(水)
お約束の(!?)「城丸さんについて」の私の「メモ」(ゼミ合宿で学生から質問されて答えたもの)ができましたので掲載します。学生用に書いたもので多少読みずらく、また少し長いかもしれませんが、率直な私のコメントです。お許しください。
三年生からの「質問」に答えて
2006.9.12 森川貞夫
先日のゼミ合宿で三年生から大きくは三つの「質問」を受けました。今回はその質問に答える形で「夏ゼミ合宿を終えて」の私の感想に変えます。
質問1.何故、テキストに城丸章夫『体育教育の本質』(明治図書、1960)を選んだか?
私がこの城丸さんの本に出会ったのは大学3年の12月でした(私の持っている、もう製本がボロボロになっている本の裏表紙のところには1960.12.6 神田にて、と書き込みがあります)。この年は後に「60年安保」と言われた歴史的な「安保闘争」(日米安全保障条約に反対し2000万人以上が参加したと言われている国民的大闘争)のあった年です。私の学んだ東京教育大学体育学部でも多くの体育専攻学生が初めてデモに参加しました。
戦後日本の民主主義の高揚期であったといえます。大学入学以来、ひたすら部活動(ハンドボール)に熱中していた私もこれまでの日本の体育やスポーツのあり方について真面目に考えはじめたころであったと想像します。ですから城丸さんのこの本に出会った時は「まさにここに書いてあるとおりだ」という驚きと、同時にどうして自分の大学ではこうしたことが教えられないのだろうかと不思議に思いました。後に同じ大学に体育原理の丹下保夫先生(学校体育研究同志会の設立に貢献した)が居られることを知りましたが、当時は体育の先生たちはみな保守的だと思っていました。
ですから大学の講義はただ卒業単位を取るために仕方なく出席するということで真面目に勉強するということではありませんでした。しかし城丸さんの本を読み始めてみて今さらながら今まで自分の専門領域である体育のことやスポーツのことをまったく知らないということを思い知らされました。書いてある内容がほとんどわからないことだらけで自分自身で驚くありさまでした。
それで先ず友達を誘って城丸さんを読んで学習会をやろうと計画しました。まったく無鉄砲というか、何も知らないということは恐ろしいことで、城丸さんに直接手紙を書いて頼んだところ(本の奥付に住所が書いてあった)すぐにOKということで京王線のどこだったか今は忘れましたが、体育学部の数名で学習会と称して城丸さんを講師におよびしたことを覚えています。その時にどれぐらい理解したかははっきりとは思い出せませんが、たぶん体育やスポーツのことを勉強しようと思い立ったことは確かでしょう。
その後、40年以上もこの本とつきあっていることになりますね。読むたびに新しい発見があるというのも珍しいことですが、この本はそういう本だと思います。自分が高校に勤めるようになってからもまた大学院に席を置くようになってからも、また今の日体大に勤めるようになってからも経験を深めるごとに内容の奥深さが思い知らされるのです。それは大きな鐘はそれをつく人の大きさによって大きな音が出るというのに似ています。
ですから、いつでも、だれでも、どこからでも読み始めても構わないというこの本のすばらしさを多くの人に知って欲しい、それはきっと日本の体育やスポーツを発展させていくのに役立つという願いと期待をこめているからだと思います。
質問2.今も『体育教育の本質』を使う理由は?
40年も前の資料を使うことの意味は? 何故、「今」の教材を使わないのか?
どうしてでしょうかね。たぶん、きっとこのような本が他に無いからだということかもしれません。しかも40年経ってもその書いてある内容が古くない、というかその価値が変わらないばかりか、ますますそこに込められている価値が高まっていくものだからだと思います。
さらに、私自身が初めに意図していたわけではありませんが、今となって振り返れば毎年こうして同じテキストで読み続けていくことはいつの卒業生たちとも、また現役の学生たちとも共通して話ができる、あるいは共通して体育やスポーツを考え合えるという関係、もっと言えば共に体育・スポーツを学んでいく思想的基盤を共有できているってことでしょう。今回あらためてそのことはすごいことなんだと(第1期の卒業生と30数年の歳の隔たりがあってもですよ!)深く感じ入りました。
質問3.城丸さんを超えることは難しい----何で?
城丸さんの凄さとは?
すでにふれましたが、この本の内容は年を重ね経験を踏んでいけばいくほど読みとれる内容もまたいっそう深まっていくものなので、城丸さんに追いついたと思った時には城丸さんの方はもっと先を行っているという感じになります。そういう意味では「超える」なんてことはなかなか言えないと思ってしまいます。しかしだからといって城丸さんの書いていることが一言一句正しくてすべて変えることのできないものだととらえてしまうのは危険です。城丸さんと言えども時代の制約を受けているわけですから、しかもまだ40代の前半(ということはそれから46年、つまり今城丸先生は89歳!)で書いたものですからその後の日本社会、日本の教育、ひいては日本の体育やスポーツの変化の中でふれていない問題や現象もあるわけです。
大事なことは城丸さんの提起した「問題」やそれに対する城丸さんの「解答」を教条的にとらえないで、どのような論理、物の見方・考え方で解いていったかを追いながら、今なら城丸さんはどう考えるだろうか、さらにできればそれを発展させていくという姿勢・態度が必要ではないかと思います。
とは言ってもまだまだこの本の中に書いてあることでも読みこなせない内容がたくさん残っています。例えば「五章 体育と愛国心」のところなどはヨーロッパの歴史、日本の戦前の歴史を知っていないと理解し難いところが次々に出てきます。城丸さんの教養の深さ、とりわけ教育史や軍事史的事実について私たちがまったく学んで来なかったことがたくさんあります。ですから一つひとつずつ「わからない」「知らない」ことを自分でこつこつと調べ学び続けていくことでいつか城丸さんに追いつき追い越すことができるかもしれません。問題はその努力をいとわず続けていく強い意志があるかどうかです。
質問4.現在、『体育教育の本質』のような本はないのか?
残念ながらありません、と答えざるを得ないでしょう。もちろん、学校体育をふくめてその後もたくさんの本が出版されていますし、それぞれに城丸さんの書いたものよりも部分的にはくわしく、より深められた内容のものはたくさんあります。しかしこの本ほどに多面的に総合的に、そして原初的に、根本的に書かれたものは見当たりません。それ程にこの本は荒削りかも知れないけれどスケールの大きい、言ってみればまだ磨き上げられていない「原石」のような存在のように私には思えます。
城丸さんは1980年に『体育と人格形成ーー体育における民主主義の追求』(青木書店)を出しています。クラブ活動や部活動などを扱った『集団主義と教科外活動』(明治図書、1962年)を別にして、私は今でも体育やスポーツ問題を考える基本、出発点は『体育教育の本質』の方がすぐれているように思っています。その理由はすでに書いたようにこの本にはさまざまな体育やスポーツの問題を解く大事な視点、ヒントが隠されているからです。まだまだ学び続ける必要を感じます。学習会でも言いましたが、今回もあらためて城丸さんはこんなことを書いていたのかという「発見」がありました。それは「体育における認識」の重要性でした。
「体育が道徳に貢献するためには、やはりこの認識の独自性に導かれていくことが必要である」(64頁)とさりげなく書いてあるのですが、「この認識の独自性に導かれて」「子どものひとりひとりの体への願いを尊重し、この願いをなかだちとして、お互いの体や生活を認めあい、そこからまた進んで体育文化を批判的に摂取する態度を獲得する」(65頁)というのは、まさに現在のスポーツのありようを批判的に見ていく力、能力の形成そのものを問うています。どうです、凄いでしょう!
城丸さんの『体育教育の本質』を中心にした私の「城丸章夫の『民主体育』論」というタイトルのコメントは、中村敏雄編『戦後体育実践論 第一巻 民主体育の探究』(創文企画、1997年、197~205頁)にあります。もし興味のある方は図書館等で探して読んでみてください。私にとっては「渾身の」城丸章夫論です。(なお、1993年には青木書店から『城丸章夫著作集』全10卷が出版されています。またその際、別冊として『教育のちからーー城丸章夫著作集の刊行によせる』が編集委員会編で出ています。11人の方の小論と城丸さんと竹内常一さんの「対談 日本の教育のゆくえ」が掲載されており、いい手引き書になっていると思います。合わせてご参考に)
9月12日(火)
トピックスのトップに掲載しましたが、今週14日、15日の横浜でのシンクロのワールドカップの招待券をテレビ朝日のディレクター宮嶋泰子さんから提供されましたが、あまりにも時間が短く希望の方にこのニュースが届くかどうか、これも駄目もとです。
ところで「イラクとアフガニスタンで、アメリカやイギリスなどの欧米軍が敗北しそうな感じが、しだいに濃厚になってきている」という田中宇さんの国際ニュース解説は、読めば読むほど日本の多くの人がまったくの想定外のことで驚きであり、ショックを受けるかと思いす。イラク、アフガニスタンで今アメリカ軍やイギリス軍がどういう状態になっているのか、それがアメリカのドル失墜(大不況)とどう繋がっていくのか、日本はどう影響を受けるのかなどなど、「転換点に近づく世界」「多極化の2つのシナリオ」、そして「日本は核武装するのか?」、あらためて「世界の多極化と日本の行方(外交力)」私たちが知らない内に国際情勢は大変な変化をしているようです。ご関心のある方、一度、このリンクでお読みください。
9月11日(月)
朝のNHK連続テレビ小説「純情きらり」見ましたか?
もうまもなく終わりに近いので一回も見逃さないように7時30分からのBSで見ています。戦争から奇跡的に帰ってきた桜子の「約束の人」=達彦が戦争の後遺症で精神的に立ち直れないのを桜子が必死になんとかしたいと努力しているところが痛々しく、そして早くなんとかして欲しいという思いで毎朝見ています。最近になく「戦争の実態」をていねいに描いているので若い人たちに見て欲しいと願っています。
そう言えば今日は「9.11」から5年、その間、テロ対策と称しての戦争が紛れもなく途絶えることなく続いています。また日本でもかつての「戦争のできる」=「強い国」復活をめざす「憲法改正」を堂々と総裁選挙公約の第一に掲げている「首相候補」ナンバーワンも居ます。戦争経験も何も知らない若い人たちはこうした「勇ましい」言葉や「美しい国」などという美辞麗句に惹かれていくのでしょうか。戦争は人を獣以下にさせるような、惨たらしいものだということはかすかに戦争体験のある私たち大人には生理的にも感情的にもまた理性的にもわかりますが、映画やテレビ、ゲームなどを通してしか知らない人たちには「別物」あるいは「別世界」のように映るのでしょうね。そんなにかっこいいものでなかったことを、いざとなったら人間は何でもしてしまうんだということをよくよく伝えていく必要があります。
そして達彦が戦友の遺品を届けに豊川に行った時の、姉一人弟一人だった「姉思い」の弟の死に対してそれを救えなかったことを詫びる達彦に言った言葉は「弟には未来はありません。あなたには未来があります」、だから「私は(あなたを)許しません」でした。そして「弟を奪った戦争というもの、この戦争を正義の戦争だと言って戦場に駆り立てた人たちを許しません」、「この戦争をとめられなかった私も許しません」というものでした。この言葉は戦争を経験したすべての日本人に、そして二度と戦争のない世の中を願うすべての人にきびしくのしかかってくる言葉だと思いましたが、あなたはいかがでしょうか。
これからK区の社会教育委員の会議の仕事で出かけますが、夜は地元府中でユネスコ倶楽部の例会があります。ということで「城丸さんについて」はまたの機会に。
昨日の四谷シモンさんというのは人形作家で有名な方だそうです。Quasi ultima というのは直訳風には「ほとんど最後の」という意味のイタリア語なのですが、似た作品のタイトルにある「キリエ
エレイソン(Kyrie eleison)」が「主よあわれみ給え」という祈りの文句であるのでやはりキリストの最後の瞬間を表しているのでしょうか。それにしてもそこに生きているような表現の人形なのでびっくりします。人形館もあるようなので一度覗いてみようと思います。
9月10日(日)
8日に六日町に行ったのですが、授業には早過ぎるのでお昼を昨年も同じ頃に寄った駅近くの喫茶店に入って何気なくサンドイッチとスープ、コーヒーを注文したところ、オーナーがこの8月から替わったのだそうです。店の名は
Oneness-brot Café Niigata 、自家製天然酵母無添加ドイツパンとドイツケーキ、自家焙煎コーヒー、それにArt
Goods & Artが売り物、店内のポスターに一瞬ぎょっとしましたのは一枚の「キリスト」像、最初はイギリスのロックバンドかなにかのミュージシャンで生きている人間を撮したのだと思ったのですが、四谷シモンさんの作品をポスターにしたのだという。左下の「像」です。ネットで調べてみると「クウァジ・ウルティマ(Quasi ultima)」(1995)という作品のようです。

行きは中央道・八王子ICから圏央道・あきるICの経由で関越道六日町ICまで、途中眠くなってきたので赤城高原SAでコーヒーを一杯、それにブラック・ガムを噛みながらの運転、八海高校で授業(120分)の後、そのまま元の道に戻り、あきるのICから中央道・八王子経由で相模湖東ICまで実に6時間以上は運転していたことになりますか。そこからは学生たちの居るソワールデビュース相模湖クラブまで山道を迷いながら7時20分に無事到着、朝9時10分に家を出て10時間以上、我ながらよく動いたいたもんだと自己満足、風呂もシャワーも浴びる暇もなく夜の学習会に参加、Yd先生が公用で留守の間だけを私が担当ということでしたが、学生からは「城丸章夫さんについて聞きたいことがある」というので翌朝一番に話すことにしてこの夜は遅く駆けつけてくれたKn,SdそれにIt君、KjたちとKnさんの誕生日の前祝いでお開き。

9日は朝から1期生のAs,昨年まで助手をしてくれていたYh君など、それに伊豆のセミナーから戻ってきたYd先生と、21名も揃った賑やかなゼミ合宿となりました。「城丸さんについて」の私の話は後日に書きこみたいと思います。
9月 8日(金)
朝、出発前に「融合研」のMLを読んでいたら、下の議論に出くわしました。
W会員
「すべての公立小学校で放課後に児童を預かる事業が来年度から文部科学省の平成19年度概算要求を読みました。その名も放課後こどもプラン。
「地域子ども教室」→「放課後子ども教室」
お金の流れがかわり,民間への委託から都道府県などへの補助金に。
国,都道府県など,市町村で1/3ずつ負担するようです。
一番すごいのは,厚生労働省~放課後児童健全育成事業(学童保育)と抱き合わせることでしょうか。
何らかの調整が求められます。
楽しみですね。」
この「楽しみですね」という意見に対してS会員からは
果たして「楽しみ」そうなるでしょうか?。
来年度政府案のこの問題の詳細を今ここに書き連ねることは言葉足らずになったり、説明不足を生じたりする危険性がございますので、詳細を述べることが出来ないには残念ですが、「楽しみ」よりも「苦しみ」の多い政府案でなければ良いのだがと私は物凄く悩んでいます。
政府に限らず、県市町村は何処もかしこも、財政難で四苦八苦していますね。
社会教育関係予算は軒並み減額に次ぐ減額で、社会教育の将来、イヤ社会教育の明日は、何処へ行こうとしているのでございましょうか。
政府が破産管財人となる夕張市の来年度予算の編成内容に私は注目しています。特に社会教育関係費がどれだけ積んで呉れるのか。政府が本当にその地域に生活する人々の学ぶ機会をどう与えようとするのか。破産した夕張に注目です。
独り言“全く期待はしていません”理由はダメな政府だから!その人の住む町や村によって、同じ日本人として、甚だしい差別が生まれる危険性を未然に防止するために如何に闘うかは、指導者に求められる最大の責任です。
私は、今回の政府の動きは、“貧乏人は麦を食え”で有名な池田元総理の流れを汲む危険な考えが潜んでいると思います。
仮に総額小学校1校あたり150万円の経費を必要とするとした場合、今度の政府予算では、50万円は国が負担する。残りは、県が50万円、市町村が50万円負担しろというのです。
しかも、政令市の場合は、県は何もしてくれませんから、この場合100万円はそっくり政令市側が被ります。
仙台市の場合、小学校が126校ですから、全校でやるとなると1億2千600万円の新規予算を持ち出す必要があるのです。
夕張市には、小学校が7校あります。来年新規予算350万円を出してくれる保証はございますでしょうか。勿論夕張市が350万円出すというと、北海道庁も同額350万円出さねばならないのです。
そうなると、初めて政府が350万円夕張市へ出すという仕組みです。
これまでの子ども居場所づくり事業は、全額国が負担して来ました。
サテ、心配はございませんか。
セメントやアスファルトを食うのが大好きな首長さんのいる町や村で、教育なんか俺の懐が暖かくならない。とお考えになられたらどうします。
地方の苦しみが増す一方の今回の原案に立ち向かう戦術会議が必要なのです。それが今度の研修会の目的の一つなのです。
皆さんでお考え下さい。
心配性の老い耄れの戯言でした。」
どうです。こういう物の考え方、見方が自然に出てくるというのが凄いでしょう。このS会員はシルバー人材センターでパソコン指導を組織しておられることでも有名な方なんです。「老い耄れ」なんてとんでもない!私は恥ずかしながら、「目から鱗」でした。
9月 7日(木)
一昨日から忍野に野暮用で行っていて今朝方帰ってきたところです。その間、秋篠宮家に男児誕生で号外まで出てTVのワイドショウだけでなく特番までが-----といった状況をまったく知らずに過ごしていたので先ずびっくり、というのはどこの家庭でも子どもが生まれたらおめでたいのは当然だし、お祝いの一つや二つは言ってあげたいけれどここまで来ると「祝意のファシズム」という声も出てきて当然でしょう。なんだか日本中のマスコミが挙って(競い合って)「祝意」一色で他に報道するものが無いような状態はやはり心配です。それぞれがひっそりとお祝いの気持ちをもつのはいいけれどあたかも「全国民的」に「オリンピックの金メダルを願っています」という風に「強制」している感じで不自然さを感じますが、「主権在民」を謳ったの戦後の憲法の「改正」の先陣争いを演じている雰囲気にも見えてきます。時代は完全に戦前回帰(!?)。
昨晩のオシムジャパン・アウエー戦の第二戦、対イエーメン戦は最後の最後で我那覇が左隅に蹴りこんで辛くも1対0で逃げ切り、ただただよかったとしか言いようがないでしょう。相変わらず得点力不足で胃が痛くなります。高温多湿、ピッチ条件のひどさなど悪条件を挙げていけば切りがありません。強いチームはどんな条件でも敵を圧倒していくものじゃないですか、やはり「発展途上」ということでしょうか。最後になって「惜しむ(オシム)らくは-----」なんてことのないように願います。
と、おじんギャグが出たところで明日からまた新潟の八海高校への「出前授業」、ゼミ合宿など外に出ますのでHPの更新は難しいと思います。不悪。

恩師健在なり!Nrご夫妻のご招待で京王プラザホテル・グラスコートにて、73歳にしてなお現
役、その健啖ぶりにも一同驚きの声。ご本人は「65歳までまだ2年あるよ」とおとぼけ!?
9月 4日(月)
やっぱり見てしまいました。オシム・ジャパンのアウエー第一戦対サウジアラビア戦です。もっと走り、パスも回ると思っていたのに相手側陣営でのパスがかんたんにカットされてカウンターで攻め込まれる場面がしばしばであったが、後半の失点も中盤からの味方に当たったボールが相手のいいところにこぼれそれをGK川口のとどかぬゴール右上に見事に突き刺さるようなシュートを押し込まれてしまった感じだった。まあ真価はこれからというところか。
テレビはどの局もライブドア事件初公判を伝えている。唯一ケーブルTVの朝日ニュースターがかつての「噂の真相」岡留編集長を番組顧問に司会小西克哉、ゲストに中村慶一郎(政治評論家)、佐野眞一(ノンフィクション作家)、松田賢弥(ジャーナリスト)、マッド・アマノ(パロディー作家)を迎えて「小泉政治と安倍新政権で日本破局への途」をやっていた。正式の番組名は「TVウワサの真相」だそうだが、今日は再放送らしく、通常は土曜日の夜10時15分~11時55分、テレビには珍しく辛口でこの局の定番「ニュースの真相」「愛川欣也のパックイン・ジャーナル」など、「ジャーナリスト宣言」を出すほどにまったく落ちぶれてしまった系列新聞とはえらいちがいだ。
ところで2016年オリンピック国内立候補都市に東京が選ばれたが、加藤哲郎のネチズンカレッジ最新にも批判が出ていたし、ネット上ではいくらでも出ている。全国紙朝・毎・読・日経・産経では珍しく産経が署名入り記事(金子昌世、佐野慎輔)と寄稿記事(国立スポーツ科学センター長・笠原一也)が8月31日の紙面を飾り、他紙に比べて光っていた。また本日の「しんぶん赤旗」の主張「五輪招致 理念も合意もない『東京』選定」も政党機関紙でありながら唯一的をついていたと思われる。
9月 3日(日)
免許証更新、今回はゴールド!(優良ドライバー、我ながらちょっと驚きですが)日曜日の朝一番だから空いているだろうと思いきや、駐車場に入れない車がぎっしりと道路で待機、多磨墓地の中の木陰にとめて長い行列に並んだのはいいが、肝心の「通知葉書」が無い。電話の傍で開始時間を確かめた時はちゃんとあったのにカバンの中をいくら探してもない。列を離れて探していると行列をさばいていた整理員の警官(?)が声をかけてくれて「通知書のない方は大丈夫ですよ。○番窓口に行って下さい」と。ずいぶん親切になったもんだと感心するもあまりにも長い列なので明日出直ししようと家に帰る。
部屋の掃除をしながら机の上のメモや書類を整理、いくらやっても切りがないくらいに下から下から未整理の本や印刷物が出てくる。新聞の切り抜きやコピー類も整理されていないので読み始めるとこれまた切りがない。「整理術のコツは捨てること」わかっているけどそれができないのが凡人の常、先日の2016年オリンピック国内立候補都市関係の資料もいつのまにか山のようになっている。原稿化してしまえば大体の資料は角2の袋に詰めて右肩にタイトルをつけ時系列に本箱のところに並べて行くというのが「野口式」整理術だが、私の場合は授業関係(通常のものはA3もしくはB4の「資料」ファイル)のものは大学別教科ファイルの本箱に、その他とくに注意している「テーマ」関係(例えば今年は「スポーツビジネス」「メディア・リテラシー」「スポーツマスコミ」「介護保健・福祉」関連)はこれまたB4ファイルに入れている。
一番困るのは写真や手紙、その他旅先で得たパンフレットや地図、案内類、今のところ「宿」「グルメ」「地図」は特別コーナーのファイルに納めているが、分類しにくい雑多なものがとくに多い。どなたか知恵をお貸しください。
整理も厭きたので試験場に電話をすると空いているという。駐車場に入れない時のために息子を助手席に乗せて試験場へ、すぐに駐車場に止めることができた。空いてはいるが更新には優良免許でも30分の講習がいるという。仕方がないのでじっと我慢、講習会の講師は手慣れたもので「大きな声では言えませんが、ここに居られるみなさんは優良ドライバーですから目つきが非常にいいです。ところが向こうの違反者のところはみんな私をにらんでいる感じで目つきが悪いんですよ」と、ゴールド免許であることを強調して受講生の気持ちをくすぐる。それでいてあっという間に改正道路交通法の要点をうまく説明していく。さすがに講習会のプロ(毎日毎日同じことを繰り返し話す。今日は5回目だという)、いかに聞かせるかに日々工夫をしているのだろう。「うるせぇ、早く終われ」と、すごむ輩もいるらしい。2分を残して講習はおしまい、「5年後またここ(優良)でお会いしましょう」と、声をかけながら終了印を捺してくれた。交付された免許証には、バックに金色の入った欄に「平成23年10月28日まで有効」の文字がある。誕生日よりも一ヶ月延長で5年と1ヶ月の期間延長となりました。心配なのは70歳になった時のシルバーマークはどうするんでしょうね。
9月 2日(土)
2016年オリンピック大会の国内立候補都市に東京が福岡を33対22で破り決定しましたが、すでに書いたように初めから「デキ・レース」だということでコメントを控えていました。しかし石原知事の傍若無人の発言ぶり(例えば姜尚中・東大教授の「金持ちの、金持ちによる、金持ちのためのオリンピック」に激しく反発して「怪しげな外国人」などとかみついた) と今回の国内立候補決定を自らの東京都知事三選出馬表明にからめた「政治利用」には黙っているわけにはいきません。確信的アジア蔑視論者をいつまで首都の顔にしておくのでしょうか?「オリンピックの政治利用」は「オリンピック精神」に反していることは当然ですが、それを批判できないマスコミもどうかしています。オリンピック期間中に限らず日頃の取材姿勢が問われるところです
それに新聞各紙とテレビでの報道を比べてみましたが、テレビは一段と「金」まみれになっているようで街頭録画に出てくる一般人の発言もかなり「利益誘導」に誘い出された感じがしていやですね。
9月 1日(金)
一昨日は伊豆・河津いりあい村で菊地さんと再開、前回のユネスコの合宿でもそうでしたが、彼女の話を聞いただけで誰もがとりこになるほど素敵な方です。今回は私たちだけでなく「なまけもの倶楽部」の若いカップル(?)も将来のことをゆっくりと話し合うためにこんな不便な河津まで(羽田空港から横浜新道を抜けて茅ヶ崎、熱海、伊東、稲取を抜けて実に4時間!)来るんですから、どんなにか人生経験豊かな方だと確信できるでしょう。しばらくはこちらで過ごされるそうですが、いつまでもお元気で多くの人の話し相手になっていただけることを願いたいものです。

30日はMbたちは「踊り子温泉会館」、こちらは買い出しと片付け、地元の人たちが行くという居酒屋(?)「ろばた」で刺身定食を堪能しました。古民家に戻ってまたまた酒盛り(?)、菊地さんと先の若いカップルも一緒に夜半まで語る。
31日は10時前に河津駅前の魚屋さんでお刺身用の鯛といかなどの他にスーパー青木で秋刀魚(バーベキュウ用?)を買い求め、天城越え(途中河津七滝のいくつかを見て)、さらに三島から須走経由で忍野へ、幸いに天気は上々、Hgさんの娘さんも一緒で早めのバーベキュウ、午後から雲が出てまったく見えなかった富士山も夕暮れには靄が晴れてきて富士山がしっかりと姿を現し、暗くなってからは山小屋の灯が点々と見え、山の左肩上に三日月、右上に「宵の明星」、空は晴れ渡って明日は天気だと確信したのですが、-----。広島対巨人、黒田の勝ち星を確認して後片づけも早々に布団に潜り込んだのはいいのですが、なんと夜中に雨の音で目が覚めてしまいました。気温は16度、とんでもない寒さで上下長い冬用のトレパン・トレシャツに着替える始末でした。

Hgさん母娘 Mbなど瀬戸田組は赤ワインで乾杯!
8月30日(水)
今日から広島の高校時代の親友と知人が束の間の休暇で来てくれるので、羽田空港に出迎えその足で伊豆・河津のいりあい村に一泊、天城越えで忍野に案内し、富士五湖巡りを楽しんでもらって9月1日夕方にはまた羽田へ送る予定です。昨日は真夏が戻ってきた暑さですっかり顔も日焼けしましたが、友人たちのためにもいい天気でありますように。というわけでまたまた更新ができなくなるかもしれませんが、50年近い友情のためにお許しを。
今日、JOCによる国内オリンピック立候補の投票がありますが、こちらはすでに東京で「決定」済みなのですが(すでに石原の根回しでJOC内部は「買収済み」だそうです。知らぬは仏!)、自民党総裁選同様「できレース」で白けてしまいますよね。しかしいくら東京に決まっても2016年のオリンピックは日本には来ません。五輪の輪の意味がわかれば未だ開催していない南米・アフリカ大陸に譲ってこそ大義もあるというもので「開発」「経済的利益」「政治的延命」策というのでは大義も何もあったもんじゃないですね。五輪もなめられたもんです。2008年北京、2012年ロンドンと続いてどうして2016年東京なんですかね。国際感覚ゼロというのも小泉の外交感覚と同様、早く消えて行ってほしいものです。
8月29日(火)
今日は「無二会」(東京教育大学体育学部1962年卒業生の同期会)のゴルフ・コンペで桜ヶ丘CCに8時15分集合、かつての悪童連も今はそこそこの年齢を重ね、みんな人間が丸くなった感じ、ところがいざコンペが始まると結構スコアにこだわるのもやはり勝負の世界に生きてきた証でしょうか。幹事のKkさんはあまりのスコアに次回から幹事を降りると言い始め、一同なだめすかすのに大変でした。「飼い犬」ならぬ猫に噛まれて左手が使えないIbさん、それに目を痛めているYmさんはパーティのみの参加、終わり頃にNs氏の奥さんも駆けつけて大にぎわい、そこで会の代表を務めるKw氏から「来年の無二会は100名規模でやるぞ」号令がくだり、今から「生きている内の最後の同期会だから絶対何があっても集まる!」と、みんなで声を掛け合うことで衆議一致、やはり「生きている内が花です」、お互いにがんばりましょう。
さて成績は「言わぬが花」ですが、なんと本日最遠方より来たTk氏がネット70.8、しかもベストグロスで84(42、42)ダントツでトップ、トップ賞はKw氏の配慮でディズニーランドの招待券2枚、お孫さん同伴か、あるいは----?、楽しんできてください。驚いたことにパーキンソン氏病に苦労しているHk氏はネット73.6(グロスでも94)で第2位、こちらはディズニー・シーの招待券が2枚、おめでとうございます。小生のスコアは自称「百獣(110)の王」にふさわしく本日も107(52、55)でネットで4位でした。お土産にKw氏配慮の「ユーハイム」のお菓子セット(まだ中味は見ていません)でした。感謝!感謝!

ナイスショット!ちゃんと目が残っています。

8月28日(月)
真夜中というか今朝方というか、例のパブリックコメントをメールで送付したが、受付つけてもら得ない。確かに「27日必着」とあったので致し方ない。悔しいから以下に公開したい。かなり遠慮した物言いになっているが、ポイントはついたつもりだ。
スポーツ振興計画の改定案への意見
氏名 森川貞夫
性別 男 年齢 67歳
職業 大学教員
住所 〒183ー0012 東京都府中市押立町5-15-5
電話 0424-82-9004
意見
1,「基本計画」策定と実効のための財政的保障のために
現行の「スポーツ振興法」が議員立法によるために政府立法による学校教育法、社会教育法、都市公園法などとちがってスポーツ施設建設に対する補助金率は三分の一になっております。先ずこうしたスポーツ振興法のあり方を近い将来に見直す必要を今回の「改定」の中に文章として挿入願いたい。
2, 生涯スポーツにおける数値目標について
今回の「改定」(案)における生涯スポーツ政策は2000年の策定時のままで数値目標は変わっていません。このままだと「平成の大合併」による自治体数が半減した中では2010年までに「総合型地域スポーツクラブ」をすべての市町村に1カ所以上設立するという数値目標の「切り下げ」になりかねません。せめて元の3000以上あった市町村数に見合った数値目標に変えて欲しいと思います。
3, 生涯スポーツ政策の「目玉」である「成人の50%以上が週1回以上スポーツをする」という目標を実現・達成した時には現行の公共スポーツ施設、学校体育施設、その他のスポーツ施設数で間に合うのかどうか、あるいはどのような利用の仕方をすれば実現可能なのかを裏付けるデータの提示をして欲しいと思います。もしそれが不足するというのであれば施設整備・拡充計画を1972年保体審答申のように示すことが大事ではないかと思います。
4, 生涯スポーツ、地域スポーツと部活動などとの連携・教科のためにはボランティア的なスポーツ指導者だけに依存するのではなく、最低1名以上の専門職(スポーツ主事、スポーツ・コーディネイターなど名称はこだわらない)を近い将来すべての市町村教委もしくは担当部署に配置することを検討するような文章を取り入れて欲しいと思います。
8月26日(土)
「朝ドラのもりちゃん」という異名を持つ私の今の関心は「純情きらり」(NHK総合TV)の結末がどうつけられるかです。1945.3.10東京大空襲から岡崎の実家に戻ったのに岡崎にも空襲があったのですね。来週の予告にありました。最後まで目が離せません。
午後の「やまびこ」で菅原先生のお通夜のために仙台に向かいます。できれば東京駅のブックセンターで有田さんのお薦めの米原万里さんの『他諺の空似』(光文社)を買い電車の中で読みたいものです。
8月25日(金)
昨日から忍野の涼しさを満喫していたのですが、急に東京に舞い戻ることになりました。というのは元東京教育大学学部長・仙台大学学長・日本体育学会体育社会学専門分科会会長、なんといっても私の学部・大学院時代の恩師に当たる菅原禮先生の訃報が届いたからです。私の学部3年時に東北大学から転任されて来られたのですが、とくに大学院に戻ってきた1968年以降からさまざまなおつき合いとなった先生ですので、また現在私が専門分科会の会長なので仙台まで行かないわけにはいかないでしょう。
私たちの世代の者にとっては今も印象に残っているのは単身赴任だったせいか、授業が終わった後の先生との「夜のおつき合い」の方だと思います。大学院同期だったAr,Kn,Myそれに私の4人組は先生の意見になかなか納得せず、しょっちゅう先生を怒らせたもので、そんな時は一級上だったKd、Ns、Oh等がいつも取りなしにウイスキーのボトルを下げて高田馬場の先生の宿舎に夜訪ねたものです。すると先生はご機嫌を取り戻して新大久保駅周辺の韓国キャバレーなどに連れて行って飲ませてくれました。
1970年安保闘争・新宿騒動の折りにたまたまその帰りに遭遇し、ちょうど伊勢丹近くで機動隊の催涙弾の流れに会い、酒に酔ったKd先輩が機動隊向かって「突っ込め」とけしかけるのを残りのメンバーで必死に留めていたのを思い出します。みんな若かったのです。そのKdさんもArさんも今は亡くなってこの世に居ません。淋しさだけがつのります。
守能氏からの「スポーツ規範の社会学」をめぐっての「剽窃」批判問題や日本体育学会大会でのキーノトレクチャーをめぐってのトラブルなど、未だ尾を引いた問題も残っていますが、すべては「死人に口なし」ということになるのでしょうか。せめて先生の存命中にきちんとした解決をしておきたいと願ってそれなりに努力したにもかかわらず、今はそれもかなわぬことになってしまいました。すべてが闇というわけではありませんが、いつか守能氏の「名誉回復」もふくめてすっきりさせる日が来ることを祈りたいと思います。
菅原先生と竹之下先生はいつも比較対照されるのですから、菅原先生には結構意地も働いたような気がします。東京教育大学が国家によって閉学され筑波大学ができるまでの最後の体育学部長であったことや専門分科会会長を何期も続けられたこともそういった「意地」の表れではないかとも考えられます。先生のくわしい学問的評価は今はできませんが、たくさんのお弟子さんを残されたのですからやはり「偉大な先生」であったといえるでしょう。今はここに書けないいくつかの出版問題や論文改訂問題など、私にはあまり楽しくない思い出もあります。ですがそれはそれとして静かに手を合わせて来ようと思っています。
8月24日(木)
東京も暑いですね。弘前はきっと涼しいだろうと背広の上着までもって行ったのに36度、この夏一番の暑さだったとタクシーの運転手に言われましたが、東京に戻ってきてからもこの暑さ、昨日のK区の社会教育委員の起草委員会で「答申」の一応の目途が立ったので忍野に脱出します。
向こうでも論文審査のための資料読み込みという「ノルマ」があり、すべてフリーというわけにはいきませんが、それでもクーラーを使わなくてもいいので助かります。月末に広島から同級生とその知人が訪ねてくれるので伊豆辺りを回って忍野にも寄ってもらう予定です。そんなこんなでまたIT環境が悪いので本欄の更新が思うようにはいかないかもしれませんが、ご容赦を。
少し気が早いかも知れませんが、来年3月21日に「松浦正行記念国際友好・平和コンサート&ランin 河津」をやります。トピックス・トップをご覧ください。。すでに笠木透、山西哲郎さんには了解をとりつけています。伊豆を回る時に河津町教育委員会にもお願いに行ってみようと思っています。乞う、ご期待!
8月22日(火)
ついに早実勝ちましたね。今朝のスポーツ紙をまだ見ていませんが、きっと「王さん、おめでとう!」なんて記事が出ているのでしょう。ところで今朝のNHK総合TVのニュース特集で「戦火の中のレバノンからバスケットボール世界選手権に参加」が流れていました。
レバノンはアジア第二位での大会参加のはずだったのですが、「7月上旬のチーム招集の直後、イスラエル軍とレバノンの民兵組織の戦闘が本格化。選手たちは戦禍を避け、7月20日にシリア経由でヨルダンに脱出した。空港は封鎖され、バスで移動。3時間の距離に12時間かかった。その後1か月、イスタンブールやフィリピンなどを経由し飛行機で10回以上移動、17日夜に日本にたどり着いた」というのです。そして来日わずか2日目の19日、広島での対ベネズエラ戦で大逆転で勝利をおさめました。
一人で35点を挙げ大逆転劇の立て役者となったエースのエルシェイク・エルハティブ選手は幼いお子さんと妻を国に残しての参加ですが、「国民、特に戦争で亡くなった人たちにささげる勝利」
と語り、この大会に参加することを通して「スポーツで国民を勇気づける」ことが使命だと話していたのが印象的でした。すでにレバノン・チームは20日に対アルゼンチンに破れ、また21日には対モンテネグロにも負けましたが、残りの23日の対フランス、24日のナイジェリア戦に1勝以上して勝ち点を6以上にしAグループ上位4位以内に入れば決勝リーグに残る可能性が出てきます。
この大会は4年に1度しかなくしかもおそらくこれから半世紀以上は日本に来ることもないバスケットボール世界選手権ですが、今ひとつ盛り上がりに欠けるのが気になります。日本チームの初勝利、五十嵐圭選手(なかなかの「いけ面」!)だけに目が行きがちですが、レバノン・チームにも是非応援を。
ところで話は180度変わりますが、昨晩クラブ・ネッツの勉強会に参加しました。文科省が「スポーツ振興基本計画」の改定のためにパブリックコメント・意見を今月27日締めきりで求めています。これに対する自由な討論と、とくに今回は中教審の青少年・スポーツ部会の委員長代理をしておられる浅見俊雄先生を迎えての14名の参加者、遠くは宮城や神戸・大阪からも出席しているのにはほんとうにびっくりでした。
私もスポーツ振興法の抜本的見直しをふくめて施設整備、専門職制度の確立、NPO法の改正等によるスポーツクラブへの人的・物的支援を可能にする必要性などを「駄目もと」でお願いしておきました。しかし、率直に言って可能性は限りなく零に近いことを痛感しました。それは今回の改定の「目玉」はなんといっても「スポーツの振興を通じた子どもの体力の向上方策」にあり、生涯スポーツ政策にはまったく変化はないのですから、しかも当初(2000年)の「すべての市町村に一ケ所以上の総合型地域スポーツクラブの設立」という計画は3000を越えていた市町村数での計画だったはずですが、「平成の大合併」により1800に減った今は文案どおりだともしかしたら到達基準の「切り下げ」になりかねないものです。それもそのはず、当てにしていた「トト」の売上が予想以上に減ってしまい、今の文科省のキャリアたちには財務当局を動かしてまで日本のスポーツ全体の底上げをやろうなどという意欲はまったく期待できないからです。
したがってスポーツ振興議員連盟などの議員さんたちの要望も目先の「子どもの体力向上策」にだけ集中し、後はメダル獲得しかないといった状況だけが反映してしまうわけです。荻原健司事務所の秘書の方が参加していたので大いに尻を叩いて本格的なスポーツ政策を打ち出す努力をして欲しいと言っておきました。果たしてその効果はどれぐらい期待できるでしょうか?正直なところやらないよりはましかという気持ちが半分です。こうした状況に日本の体育学会をはじめとする体育・スポーツ研究者も団体もまったく関心を示さないといったことがいつまでも無策なスポーツ状況を放置しておくことになっているのでしょう。遅ればせながら私も駄目元で27日までに「意見」を出しておこうと思っています(関心のある方、上のリンクにアクセスしてみてください。とくに改定案の赤字部分をご覧ください。どういう状況が生まれるか一目瞭然です!)。
8月21日(月)
しばらく学会大会等の出張続きでゆっくりとHPを見直す作業が出来ていません。それでもカウンターを見ると9000を突破、昨年5月の開設ですから1年3ヶ月、1ヶ月平均600件、1日平均20件のアクセスということになります。私としてはこのHPを通して卒業生はもちろんこと、いろいろな分野の旧知の方々と交流が可能になりました。たまたま出会って「見ています」と言われると思わず笑みがこぼれます。照れくさい反面緊張もします。迂闊なことは書けないなと思いつつ、自由に自分の気持ちを書いていこうと思っています。
これまで一番驚いたのは中国の西北の方から私の所に留学したいというメールをもらった時です。このHPの私の論文・業績を見たからだというのです。日本語を独学で学習し、今は日本留学(政府からの奨学金が取れたとか)をめざして東北地方の外国語学校で日本語を磨いているそうです。またニュージランドに居る卒業生からも定期的にメールが入ります。私が大阪の高校教員時代の教え子の何人かも見てくれているようです。
私はいつもHP開設の理由として「老後の楽しみを増やすために始めました」と言っておりますが、今も結構楽しみになっています。意外なのは私のHPに貼ってあるリンク先が役に立つという声が多いことです。私なりにセレクトしているつもりですが、その中で有田芳生さんの「日誌」(酔醒漫録)が一時閉鎖された時は淋しいなと思っていました。それが最近になって再開されて内心ほっとしています。私自身はこれからも「遊び心」を基本に気張らずに続けて行きたいと願っている今日この頃です。
今、テレビでは高校野球選手権大会決勝の再試合が映っています。2点先制していた早稲田実業に駒沢大学苫小牧が5回にホームランで1点差に追いついたところです。昨日15回延長で1対1で引き分けた両チームですからどちらにも勝たせたいというか、両校優勝でもいいじゃないかと思うのですが、やはりどちらかに決めなければならないのでしょうか?また早実が1点入れて再び2点差、西東京代表だから早実に勝たせたいという思いがどこかにあるんでしょうかね。それとも早稲田への「身びいき」(非常勤で勤めている)でしょうか。試合前の駒大苫小牧香田監督の「昨日もいい試合をさせてもらってまた早実さんと試合できるというだけでも幸せです。だから決勝再試合を楽しんでやらしてもらいます」という、35歳の大人の言葉にちょっと感動しました。2連勝していてもこういう風に人を謙虚にさせるものなのかという思いです。みなさんはどちらを応援していますか?
8月20日(日)
午前中は体育社会学専門分科会シンポ「体育は学校教育を変えられるか」演者は杉本、松田会員に加えて玉木正之さん、司会は沢田会員、テーマと演者に刺激されてか、他の分科会からの参加者が結構居る。しかし流れはテーマにまともに答えたのは玉木さんのみ、彼は中村敏雄さんの「オフサイドはなぜ反則か」を例に出してサッカーのルールを考えればイギリス史に、ベースボールのルールを考えればアメリカ史になる、だから「体育は革命的な働きをする可能性がある」と、言い切った。打ち合わせが不十分なのか、あるいはテーマへのアプローチのしかたが詰められていないのか、まったくと言っていいほど、議論は噛み合わない。
先ず、テーマどおりに正攻法でぶつかるのなら、①「学校教育はなぜ変えられる必要があるのか」(「学校教育」を変える必要がないのならテーマ設定の意味が無くなる)②変える方向性を明らかにしつつ、③そのために「体育」がどのような働きをするのか、あるいは「変えるために」体育がどう変わる必要があるのかなどが問われなければならいのではないか。これは議論を進める前提だと思われるのだが、杉本厚夫さんの「教養を奪い取られた体育の悲劇」は魅力的なタイトルではあるが内容はイギリスー「個人のため、エリート教育、教養教育」、日本ー「国家のため、大衆教育、実用教育」といった、安易な二項対立的図式、結論は曖昧ではあるがどうも「体育は学校教育を変えられないのではないか」といった塩梅、松田恵示さんの「体育教師という『お仕事』-キャリアパターン-」は体育教師(主に部活動経験者による「体育会系」教師像にいくつかのヴァリエーション?を加えて)の「教師文化」の類型化(これ自体はおもしろいが)、イメージ化を手際よくみせてくれるが、肝心の「テーマ」への「解答」はあえて示そうとはしない。私の質問(先の三つの前提にテーマへの解答を示せというもの)には「その枠組みでは議論したくない」とまで断言された。個人的な意見の開示、あるいは個人の研究発表であればそれも許されようが、これでは議論を噛み合わせるシンポジウムにはならない。
したがって玉木氏の歯切れの良さだけが目立ったシンポになってしまって参加者にも欲求不満の残る内容ではなかったかと思う。終了後の玉木氏に挨拶したが、「最近はあまり怒らなくなった。まぁ、歳をとったせいでしょうかね」と言う。かつてスポーツマスコミ講座の帰りの二次会で渋谷・百軒店のバーで毎日の大野記者、フリーの谷口源太郎さんらと激しい論争になり、最後は「表に出ろ!」と大声で怒鳴っていた往年の面影はもはやない。偶然、帰りの飛行場で玉木氏に会ったので「学会の感想は?」と聞いてみたが、「学会は初めての経験なのでよくわからない」と、言葉を濁した。本心はどうだったのだろうか?

8月19日(土)
18日のお昼休み時間を利用した専門分科会評議員会も事務局の努力でつつがなく終了、午後の発表が終わるのを確認して大雨の降る中を酸ケ湯温泉へ、途中、土砂崩れで道路が水浸し、それでも時間通りに無事到着、JRも不通区間が出たりで、飛行機が遅れたりとそれぞれに大変だったようですが、遠来のJn先生をはじめSe,Ns,Mt氏もバスで到着、かなり硫黄分のきつい温泉にひたり疲れを落とす。部屋はかなり古くからのものらしく和室で年期を思わせる掛け軸や窓の下に川が雨を集めてごうごうと音をたてて流れている。
夕食後の宴会は珍しくカラオケもあるその名も「シュッポポ」という看板のかかったバーでした。元々歌を歌わしたら本職裸足のNsさんの独壇場かと思えば「歌はテクニックではなくハートだ」というMtさんが上手にとりしきる。それほど広いとも言えないフロアーの相客の歌を聞きながらお愛想に拍手したりして、これでも気をつかいながらみなさん結構やりますね。相変わらず茗渓関係の人脈・相関図など、実に記憶力抜群のJnさんの話には一同恐れ入りました、と。
今朝は夕べの大雨が嘘みたいにからりと晴れて一路弘前へ、Se、Mt両名も奥入瀬渓谷に続くはずの周りの景色に見とれながらドライブを楽しんでいる様子、こっちは脇目もふらずハンドルを握っているだけ、キーノートレクチャーには山本清洋さん、30年に及ぶ「子どもスポーツ」研究の成果を60分でまとめる。その後の総会は一苦労、ここでは書けない。夕方からYt、Yd、Kmさんを誘って津軽三味線を聞かせてくれる「あいや」へ、その後の二次会はホテル前のバーでこれまたHy,Swと鉢合わせ、酒癖の悪さを気にしながらジンフイズのお代わり。どうやら午前さまにならずにご帰館。

酸ケ湯温泉玄関前 「りんご節」

手踊り リンゴ娘(?)
8月18日(金)
昨日、羽田から青森空港着のJAL、レンタカーを借りて弘前へ、ホテルにチェックインしてすぐに弘前大学、次期理事の会、体育社会学専門分科会のプレセミナーと続く。
プレセミナーでは会長(えぇ、私が会長なんです!)の問題提起(「専門分科会は何処へ」という挑発的な提案?)を皮切りにスポーツ社会学会との関係も含めて、「今後どうするのか?」などを参加者で討論、大学院をもつ中堅以上の研究者がしっかりしないと専門分科会が駄目になるぞ、ということでしょうかね。
会員の個人発表の場の提供、研究誌の復刊の是非、体育史にならって(スポーツ史学会をもっていながらそれぞれに学会誌、合宿研究会をもっている)もうちょっと積極的に活動を行う、アジアとの交流をふくめた国際交流の推進、他の領域とのコラボレーションなど、今日の評議員会でも提案・討議する必要あり。
夕方からの懇親会には韓国・漢陽大学の趙教授(学会が招聘)も加えて若い人たちを中心に30名近くが参加、

二次会は場所を変えてMt、On、Ki、それに恵造君、私の4人、話は当然にこれまでの専門分科会の運営問題から学会「政治」、学内「政治」まで、ここでは書けないさまざまな問題ばかり、ふだんあまりこういったことにあえてふれないようにしている私にはちょっと辛い、今日からの学会での発言に注意しようと思う。
8月16日(水)
朝、忍野を出て東京へ、結構暑い。荷物を下ろしてその足で郵便局や銀行へ、明日からの体育学会大会出席に備えてのこと、弘前大学で20日まで。その間、Jさん、Seさん、Ngさん、それにMtさんを加えてSeさんの慰労会を兼ねて酸ケ湯温泉、私は理事会や専門分科会の評議員会、総会出席があり、合間を縫っての束の間の「命の洗濯」をするつもり。
午後から府中美術館で「カミーユ・クローデル展」へ、ロダンの弟子にして愛人、「巨匠ロダン」に対して「天才」と称された彼女がなんと30年間も精神病棟に幽閉されていたとは。映画もあるようですが、私は見ていません。作品は「ワルツ」「波」(あるいは沐浴する女たち)が印象に残りました。もちろん、「絵画の中のスポーツ」へ向けての話ですが。
波 ワルツ

8月15日(火)
朝から小泉首相の靖国参拝でテレビは大騒ぎ、こちらは静かに衛星放送で「二十四の瞳」(壷井栄原作、木下恵介脚色・監督、1954年)を観る。ご存知小豆島の岬の分教場を舞台に高峰秀子演ずる大石先生と12人の教え子たちとの戦前・戦後を通じての交流を描いた作品、見終わった後まで涙が出てきてたまらない。
戦争のむなしさ、悲しさを今の子どもたちにも伝えていくことこそ大人の仕事だと深く胸におさめたい。ネットで見ると1987年にも田中裕子主演で再映画化されているらしいが、この作品はまだ見たことはない。小泉純一郎にはこうした映画をじっくり味わい観る感性はたぶん無いにちがいない。しかし彼ならいかにも涙して「感動した」と演技するのがせいぜいであろう。
「終戦」61年、いまは「戦後」というよりは「戦前」といった方がいいぐらいに時流は進んでいるように思えてならない。この流れをどこでどのように食い止め得るのか、私たちの課題と悩みは大きいが、果たしてこのことをどれくらいの人たちと共有できるのだろうか。一方では夏の甲子園大会、大阪時代の教え子たちのMLではセリーグの中日対阪神戦の結果を見て「戦争と平和論はスポーツのシュミレーションでガス抜きしておくのが丁度エエと思うんやがね。
森川教授如何でしょうか? ホームページで語ってよ。とりあえず野球は終戦です。」と、私を挑発している。前々より「アヘンとしてのスポーツ」論を説いてきた私には「同感です!」としか言いようがない。いずれくわしく論じなければ----。
8月14日(月)
11日より忍野に長男夫婦が二歳の孫を連れてやってきたのでもっぱら「おじいちゃん」に徹していました。ブランコに乗せたり、二輪車(補助車付)を押したりと、いやぁ、ふだんやりつけてないことはとても疲れるものです。昨日の夕方に吉田より電車で帰っていきましたが、気が抜けた風船みたいにぐったりして朝まで寝てしましま下。
少し疲れもとれたので胃ガンで胃の三分の一を切り取ったというご主人のお見舞いを兼ねて陶芸家のMt夫妻を訪ね、しばらく「死から生還」の物語を聞いていました。手術はうまくいったようで昨日は友人と退院祝いにワインをグラス2杯飲んだとか、このまま順調に回復していくことを願っています。
あらためて菊地さんの「記録」を読んでいます。「ほんとうに凄い!」としかいいようのない人です。従軍カメラマンの経験もおありようで戦後はまったく「反戦平和」に徹し、東宝争議、レッドパージ、立川基地闘争を経験しつつ、それを映像化していくリアリストでもあったようです。その後、フリーとして数々の名作を残しながら、あっさりと伊豆に引っ込み、そこで土との暮らし・闘い、バブル絶頂期に「河津の自然と生命を守る会」代表としてゴルフ場建設反対の先頭に立ち、村を開発推進派と反対派に二分される中で地元民との交流を深め、ついにゴルフ場開発から撤退させることに成功、以後は亡くなるまで河津での「夢の国」建設を貫いた人生は「かくも長き不在の人」(日比谷で夫婦で見た反戦テーマの映画のタイトルだそうですが、観た後で二人してその「衝撃と感動でスクーターも置き忘れ、日比谷から日暮里のアパートまで喋り続けて歩いて帰った」というエピソードを先の文代さん編集の『菊地周の記録』の冒頭の「ごあいさつ」で記されています)と言わせるに十分でしょう。
8月12日(土)
台風接近の中を沼津から伊豆・河津に8日午後10時30分、無事着きました。途中の雨の中の天城越えはガソリンスタンドのお兄ちゃんが心配してくれるぐらいにスリリングで、とくにループ橋辺りは靄も出始めて前を行く車のテールランプの赤い灯だけが頼りという感じでした。
着いてからがまた一苦労で、「いりあい村」というのは入会地の協同開拓地の俗称なんですね。それでもどうにかナビのおかげでたどり着くことができました。ナビにもあったんです。
翌9日は台風の余波で午前中は「踊り子号」は運休、途中の道路も通行止めなどがあり、一時はどうなるかと危ぶまれましたが、午後になると台風はそれていったらしく(テレビもないのでラジオのニュースだけが頼り)、夕方6時の夕食を兼ねた晩餐会(地元産のお刺身がメインディッシュ!)には9名が揃い、またオーナーの菊地さんも加わって遅くまで懇親を深めることができました。
菊地さんの話は驚くことばかりでしたが、いずれくわしく報告したいものです(くわしくは2002年6月にガンのため死去、菊地文代『菊地周根の国いりあい記』、菊地周を偲ぶ会『菊地周の記録』2002年8月10日発行、参照)。いずれにしても記録映画のキャメラマン・演出・監督だったご主人が有機農業にはまって自らが実践をはじめたというのです。東京の事務所(会社)を弟子たちに譲り自分は河津の入会地に1万坪の土地を得て開墾し生活の拠点にしたというのです。
それになによりも驚いたのはなんでも加賀の白山近くの古民家を解体して運びこみ、こちらでそれを新たに組み建て直して再現したものなんですね。大黒柱といい天井にかかった柱といい、その太さは見事で圧倒されます。玄関から土間があって30畳の居間に囲炉裏が切ってあり、続く隣りの2部屋にはグランドピアノ、和太鼓、ドラムセット、オーディオ装置、その裏に床の間つきの和室が2部屋、二階は寝室、他の部屋、さらに屋根裏部屋が男の隠れ家(この部屋はKdさんの書庫になる)というか、台所は昔ながらの薪で炊く竈が二つ、土間には大きな餅つき用の臼がありました。
庭には桜、ムクゲの他何本かの花木、裏は竹林と続いています。畑には野菜の他にアボガド、ブルーベリー、みかんなどの果物の木、周りにはイノシシよけの高圧線が張ってあります。その電源は太陽光発電、有機農業のために堆肥づくりのコーナーがあり、家屋には床下に細いパイプを埋め込みそれが天井を循環して外気と3度差になるように工学院大学教授が設計したのだそうです。いずれにしても最新の科学と日本文化の粋をミックスされたものです。
世の中にはこうした人がいるんですね。ほんとうの贅沢というのはこういうことを指すのだろうと思います。それにしても夢途中でガンのために亡くなった周さんの後を引き継いだ奥さん文代さんもすごい方です。お子さんたちはすでに立派に成人として自立しておられて女手一つでこれまで1万坪の土地と古民家を守ってこられたというのですから。
吉田先生のお墓の前、長男裕さんから送ってくれました。 久しぶりの忍野からの富士山(10日)

8月 8日(火)
一晩寝て少し疲れがとれたようです。これから台風が近づいて来ているというのに沼津に講演で出かけます。その後はユネスコ倶楽部の恒例の夏合宿、今年は伊豆の河津近くの入会村です。4、50人は合宿も可能だという古い民家をKdさんが買い取ったか、借りたかしたのでみんなで下見を兼ねて(というのは良ければここでコンサートやセミナーを企画しようというわけです)の計画です。
台風がどうなりますか、心配です。
8月 7日(月)
長いロードの旅も今日で終わりです。
そこで昨年亡くなった私の大阪時代の先輩教師のお墓にお線香をあげに行きました。私には大変恩のある故吉田恒二先生の初盆ということでどうしてもお墓参りに行きたいと願っていたのがやっと実現しました。新大阪から福知山経由で八鹿へ、運良く息子さんが帰省中で駅まで車で迎えに来てくれました。
吉田先生は私が初めて大学を出て勤めた大阪府立池田高校の体育主任でしたが、当時から生徒たちがつけたあだ名はどういうわけか「おじいちゃん」でした。ふだんはとても優しい目をした好々爺風でしたが、一度怒るとものすごく迫力のある、文字どおりドスのきいた声で、生徒はもとより同僚教師たちからも一目も二目もおかれた先生でした。もちろん私も何度か怒られたことがあります。
私の赴任後しばらくして府教委に入られましたが、当時は同和問題で大揺れに揺れていた時代でしたので大層な苦労をされたと後で奥様からそのことを聞きました。後に校長として出られ、最後は私大の教授をされていました。
先生とは一昨年だったか関東での同窓会でお会いしましたが、その時はお元気そうでしたので誠に残念です。先生には体育教師のイロハから教わった他に、スキーと登山(北アルプスの山はほとんどが先生と一緒でした)、それにラグビーが専門でしたからラグビーの手ほどきも先生でした。それにサッカーでは教員チームで生徒たちと試合をしたり教員大会にも出ていつもいいところまで行き、服部緑地の芝のグラウンド(当時は珍しかった!)で決勝戦を建国高校チームと戦ったのもいい思い出です。
奥様から当時の懐かしい写真を見せてもらいました。今から40年以上も昔です。ということは先生はまだ40代の頃だったんですね。それを「おじいちゃん」とよんでいたのですから、申し訳ない話です。帰り際に息子のYさんが140年前に建てたという家の玄関先で撮ってくれました。

8月 6日(日)
朝あわてて飛び起きる。時計はすでに9時を回っている。よほど疲れたらしい。新大阪から天王寺、阿部野橋から近鉄で河内松原、羽曳野市の総合スポーツセンターはコロセアムへ、ウエイトリフティング会場で選手勧誘の挨拶、何故かって?私は部長なんです。
昨日から始まった全国私立大学教育研究集会テーマは「<真理と平和の拠点>としての大学づくりへ」(基調提案)、記念講演は小田実による「いま人間として~平和憲法のまがりかどで」、相変わらずの辛辣かつ熱いメッセージを送り続けるバイタリティに脱帽でした。
今日の分科会は「高等教育政策、私大団体の政策提言の批判的検討」中京女子大の新村洋史、蔵原清人両氏の報告に対する質疑応答、「知的共同体」としての大学が「知的経営体」へ変質しつつある今日の危機的状況がくわしく分析されていたが、それに対する対抗軸が「身を削るような思いで問われている」のに未だ明確にされていないもどかしさは互いの中に共有しているのであろうか。「知的共同体」どころか「痴的共同体」に転落していないだろうか、いくつか疑問点は浮かぶが質問するほどの勇気もない。

講演後、不躾な質問者には「答える必要はない」という言葉を残して降壇する小田実さん。
8月 4日(金)
本日、やっと集中講義が終わりました。
学生たちが最後の最後になって粘るのでレポートをすべて回収できないままに後はメールで添付で送るよう指示してSg氏に新山口まで送ってもらい、新幹線に飛び乗る。新神戸から有馬温泉へ、Yt氏、Sz氏の暖かいもてなしと会話を久しぶりに楽しむことができました。帰京後に楽しかった思い出の写真をアップします。
ということでいくつかのスナップ写真です。
瀬戸田港を出る 有馬温泉・古泉閣ロッジ
8月 3日
集中講義のため、山口に来ています。今やっとアクセスしておりますが、IT環境が悪いので失礼します。
東京から三原に行く途中、岡山乗換まで相席したのが、偶然にもイギリス・ラフバラ大学のDr.Basu Saha でした。専門はエンジニアリングシステム論だとか。集中講義のために九州まで行くのだそうです。おそらく今日(8月7日)辺りは帰国の途についているかもしれません。「旅は道連れ世は情け」というじゃありませんか、好漢に幸あれ!

7月30日(日)
今日から広島、山口、大阪、京都と出張です。出発は朝8時36分のひかりですが、岡山乗換で先ずは三原まで、今年満96歳になる母のところへ暑中お伺いというところでしょうか。完全に認知症ですのでどんな会話になるのか、正直なところ不安が先に来ます。
ところで昨日の「スポーツビジネス講座」はセミナー生募集のための「宣伝」の場だったとは、悔しい! 何か裏切られた感じです。肝心のところは「ここでは話せないので講座を受けて下さい」と言った風にうまくすり抜けられていくんですね。どうりで無料(ただより高いものはない!)だったんだと、納得させられました。しかし若い人たちが10数人は居ましたのでこういうスポーツビジネス系は人気なんでしょうか。朝飯を食べないで新富町まで出かけての「収穫」が以上のようだと余計腹が立ちます。悔しいけど「いい勉強」になりました。
午後遅めに食事とシャワーを浴びて旅行の準備、終わった段階でプジョウに乗って花子茶屋でAsさんとテニス仲間、それにどういうわけか「玉ちゃん」が浴衣で登場です。
口の悪い誰かが「馬子にも衣装」と冷やかしていましたが、結構、お酒はいける口のようでぐいぐいやっていました。
その後、早めに出てカフェスローへ、珍しく笠木透の「ピースコンサート」が7時開始なので快調にプジョウを飛ばす。再会の握手(昨年のフォークジャンボリー以来)、最近は体がぼろぼろで騙しだましやっているとか、でも本番が始まれば元気そのもの、歌は相方の増田さんと佐藤さんにかなり任している感じはしました。会場は30数名でも松浦さんのクッキングハウスのスタッフがほとんど参加でかけ声も入り、雰囲気を盛り上げてくれる。若い人にもアピールできそうな、新しいの歌なのか「言葉」(?)という曲(日本の朝鮮支配におけるにおける文化支配、日本語の強要、創氏改名などを静かに時に激しく、しかも鋭く批判する)がとくに印象に残ったので帰り際にCDを買おうと思ったら売り切れでした。人の心を揺さぶるのは同じなんですね。
「ピースナイン」踊り付
最後に、横田茂さん(?わらび座結成などにも関わった方らしい)が高齢にもかかわらず伸びのある声で「我が大地の歌」を奥さんの介添えで見事に歌われたときは場内拍手喝采でした。
いつまでもお元気で。
7月29日(土)
一昨日に東京を脱出し、忍野へ。除湿器の不具合で2階の和室の畳がすっかり駄目になってしまったのを新しく畳替えをするためでしたが、床がまだ湿っているために今回は測ってもらうだけでした。昨日はこの道42年という畳職人の鮮やかな仕事ぶりに驚嘆しながら、畳が部屋の湿気調整機能をいかに果たしているかなどの蘊蓄を聞かしてもらいました。そういえば子どもの頃の大掃除には必ず畳干しをして畳を叩いて埃をだしていたのを思い出しました。今はこういうことをまったく経験しない人がふえてしまってねぇ、とぼやいている職人さんの話から、昔の人の「匠の技」あるいは「職人の技」をどう継承していくか気になりました。
夕方、東京に戻りその足で新宿・番屋でさわいの会の「暑気払い」を兼ねた総会の「延長戦」でした。久しぶりのKiさんなどを迎え、これまた楽しいひとときでした。さわいの会の「お母さん」役のMdさんが80歳を越してもこうして元気に参加している限りは私もまだまだ----。「生涯一現役」を貫きたいものです。二次会は例によってマリセリーノへ代表のYkさん、事務局のSt・Abさんなどと共に出かけましたが、そこでまたまた意外(!?)というか、「月刊社会教育」の編集小委の流れというYz,Ns,Sj、それに日青協のNyさんと、遭遇、一気に盛り上がりました。


7月27日(木)
昨日は梅雨明けかなと、少しフェントをかけられた感じでしたが、今日はまた少し涼しいので戸惑っています。前期最後の教授会のため渋谷からバスで深沢へ、いよいろ本格的な夏到来だと思いましたよね。5時半から始まった教授会は延々3時間半、学長が司会・議長をやり、提案し、質問を受けと、この4月から始まった新しい(?)システムのために非効率的というか、私にはこうしてだらだらと会議を引き延ばしてメンバーの気持ちをずらすのが「一つの手」かと思うほどに集中しない(できない)会議にはうんざりしました。
「暑気払い」を兼ねて環八傍の中華・鴻龍でおいしい中華を食べて元気を取り戻しました。おまけにお車・運転手付で我が家の近くまで送ってもらえたのですから、終わりよければすべて良し、ということでしょうか。

30日には広島・山口・神戸・大阪・京都と長旅に出ます。帰京は8月8日の予定です。その間、ノートパソコンを持っていく予定ですが、IT環境が心配です。もし私にご用のある方、できるだけ今週末までにメールをください。お待ちしています。
7月25日(火)
久しぶりの深沢、なんとなく懐かしい気がするから不思議です。顔見知りの警備員さんに声をかけられました。2コマの特別補講、ぎっしりと詰めかけて真剣そのもの、時間いっぱいまで粘って「答案」を書いている姿はまったく別人みたいです。何故、、ふだんにこうした「真剣さ」があれば何も特別補講なんぞ受けなくてもすむものを。一人ひとりの「答案」を受け取ってざっと読んでやりながらOKを出すと、うれしそうな顔をして私を見る、その表情には純な若者らしさがみなぎっています。捨てたもんじゃないぞと思う一瞬です。いつもこうあって欲しいのですが------。
IOMのMさんがひの社会教育センターの企画をもって訪ねてくれました。昼食を誘われたのですが、夕方明大の助手さんやEt君たちとの会食があるのでそれはお断りして寒天ぜんざい(?)でダイエットって言うと、「甘いものでそれはないっじゃないですか」だってさ、まあ、なんでもいい、量を押さえただけです。会食前にTm君に会い、新学部構想について若干のアドバイス、全国で保健体育教員免許を出している私大が50、まだまだ増えそうな勢い、後発の明治がどのような「明治らしさ」を出すのか、アドバイスの中味は今は言えませんが、10年後に大学全体のスポーツ戦略と合わせて新学部構想が策定されることが望ましいことはいうまでもありません。問題はトップの人たちがどこまでそのことを理解するかに掛かっています。この点はどこでも一緒のようです。大雑把な見方で言えばわからん人が多いのは確かです。
いい気分で「うどんすき・屋島」を出て京王線改札に入った途端に国領・調布間で人身事故のため運転一時休止、何時に出るかわからないので振替輸送中ですというアナウンス、結局、待つこと1時間30分、お陰で電車の中で新書(刈部直『丸山眞男』)を半分ほど読んでしまいました。怪我の功名というやつですね。
7月24日(月)
梅雨明け宣言が無いだけでなく、各地で大雨被害が出ている。天災ではなく人災ではないかと思われるのは、大方が「想定外」の堤防設計だとか、土砂流の突発だとか報道されているからだ。すでに日本の山には人手が入らず荒れ放題で森林がもっている保水力も弱まっているということは周知の通りでしょう。今さら「想定外」などと言われても国民はなす術もないじゃないですか。被害にあった方々の絶望的な表情を見るにつけ、この国の政治は一体全体どうなってしまったんだと心から思う。「時代閉塞の現状」は啄木以後、今も続くが、とくに今の時代は大マスコミのひどさ加減が日に日に増していくので閉塞感はつのることはあっても減ることはない。
口では給料が減ったとか、保険料が上がったとか、住民税が倍以上にもなってひどいじゃないかと言いつつもデモ一つ起こらない(あったとしても小さくてニュースにも載らない)。北朝鮮のミサイル発射にあれだけ大騒ぎして「北朝鮮の脅威」を煽っていたマスコミなのにイスラエルのレバノンへの直接的なミサイル攻撃(すでに死者が民間人280人)にはなんと他人事のような報道姿勢、これに対する抗議の声も上がってこない「この国」の姿。疲れるよ、本当に。
明日は定期試験の後始末(予想以上に再履修者が出そうなので補講とテスト)のために久しぶりに深沢キャンパスに行きます。
昼間、某体育進学予備校の理事長と会って最近の体育系大学の全国的な情報を交換したが、体育系大学や学部・学科が増えているのにパイ(体育系への進学希望者数)は減ってきている、これに対して大学側が気づいていないか、なんの手も打たないのは何故かと質問されて返答に困った。協同してパイを大きくすることと教職以外の就職口の開拓(新たな資格認定も)にもっと努力してくれないと大しっぺ返しを受けることになると警鐘を打ち鳴らしても誰一人拍手する者も居ない。そこそこの受験者数を確保しているが学力もふくめて学生の質は着実に落ちてきている。このままじゃ、数年もするとつぶれる大学が出てきてもまったくおかしくはないとのこと、理事長の手元にはちらちらと見え隠れしているファイル、そのタイトルは「危ない体育系大学」であった。
先方は安心して入学させたい大学を選ばないと後で父母から激しい抗議を受け、生徒がドラスティックに減るのだそうだ。それで飯を食っているのだからシビアな見方になるのは当然か、それに引き替え大学人の「おめだい」楽天性(なんの根拠もない!)。
7月23日(日)
日本スポーツ法学会夏期合同研究会はスポーツ事故判例研究専門委員会との合同でサッカー競技における「落雷事故」とボート競技での「死亡事故」の二つ、とくに後者は北海道・茨戸漕艇場での高校生新人大会で横風に煽られて転覆死亡した生徒の父親も参加・発言された。
「私は漁業をやっているので海の怖さ、水の怖さはよくわかっているつもりだ。ところが娘のボート競技の関係者はほんとうのところ、自然の、水の怖さをわかっていない。私は事故の原因を追及し、再発防止のためにやむを得ず裁判で争わざるを得なかった」と、言われたときは一同、しーんとしてしばらくは声も出なかった。娘さんを失ったその悔しさというか、無念さはいくばくか。あらためてスポーツ法学がなんのためにあるのかを参加者一同に深く胸に刻まされた、普段にない緊張した研究会になりました。
昨日の「グラムシ没後70周年記念シンポ」準備会が遅くに終わったのですが、その後は新宿の歌声喫茶「ともしび」へ、やろう会のFさん、Yoさん、それにSt君が駆けつけ、「青春」をふくめて久しぶりに歌い踊りといったひとときをもてました。月に一度とは申しませんが、こうした「遊び」もたまには入れてもらわないと集まりが盛り上がらないですよね。セミリタイヤ宣言をしている私としては余計な口出しはできませんのでこれ以上は申しません。
7月22日(土)
長岡のSdさん、我が家の「外車」プジョー君使用についてに暖かいアドバイスありがとうございます。
「その一
カゴはやめましょう。荷物を載せるとバランスがくずれやすく、安定走行できません」「マウンテンバイクはオフロ ード悪路走行向きです。
その二
タイヤは太く、溝も深い物が通常です。 したがって街中走行には向きません。タイヤをオンロード走行用に履き かえることをお勧めします。
その三
デイパックを担いで乗ることをお勧めします。帽子&ヘルメット・グラブ・サングラス、ズボンのすそ止めバンド、着 脱可能なハロゲンライト、カッパは必須アイテムです。
その四
往復30~60分移動圏内は極力チャリンコを使いましょう。ウォーキング&チャリンコで健康づくり厚労省発表運動 指針2005によると
①身体活動量のめやすは一日1万歩
②運動量のめやすは週60分の有酸素運動
③プラス体力のめやすは握力など筋力の維持向上
だそうですが、NHKためしてガッテン昨年10月放送分のなかにはチャリンコの効用についての新たなエビデン スも紹介されていました。
その五
無公害で環境にやさしく、健康体力づくりに最適、ツーリングなど風に吹かれて自然との一体感は精神衛生上も 最高
その六
平均時速25kmは楽勝、40kmも下り坂を使えばすぐ出ます。快適走行で渋滞道路もなんのその、ランナーズハ イならぬサイクリングハイも快適です。
その七
今流行のピースチャリンコで平和活動にも貢献。憲法、教育基本法改定反対行動に平和行進ならぬ平和走行 で応えることもまた楽しみ」
最後に、「ますますおいしいお酒が飲めて困ってしまっても私の責任ではありませんので、あしからず」とありました。どうしましょう?!今日はこれからスポーツ法学会理事会、同夏期合同研究会、グラムシ会「グラムシ没後70年記念シンポジウム準備会」と続きます。
7月21日(金)
ついに我が家にも外車登場!どうですか、立派な「外車」でしょう。実は大阪時代の教え子のK君から送ってもらっていたフランス(おフランス!)製のプジョー、昨日、梅雨の合間の天気をかいくぐって自転車屋さんにもって行って登録やらカバー、ライト、その他頑丈なチェーンの鍵(何しろ外車ですから自転車泥棒に会うのは御免ですから)などをつけてもらって初のお披露目試運転と相成りました。ギヤーチェンジがペダルのところと後輪のところと二つ、まだ操作の具合がよくわかりませんが、この夏はこれで富士登山もめざそうかと思ったりしています。なにしろ車体が軽いの驚きました。それに前輪、後輪ともにかんたんにはずせて普通乗用車に乗せられるという(自転車屋さんによると高級車は最近国産車でもそうなっているとか、ただし、時々いたずらでそこのキーとやらをさわっていて、もし知らずに乗るとタイヤが突然はずれるから気をつけるようにとこと)。 写真のPEUGEOTという文字が見えますか!

午前中、試験監督で健志台キャンパスに行ったら、せっかくのマウンテンバイクに籠をつけるのは野暮だと笑われてしまいました。またOgさんからは「よくまあ、毎日出歩いているねぇ」と、感心(!?)されました。実は昨日も中央線豊田の(財)社会教育協会の会合に出てそのまま東京ユネスコ協会連合の理事会が地元開催だったので府中までとって返したのですが、さすがにこれは黙っていました。でもその後の懇親会には出ずに孫のところに差し入れなどを届けに高速道路で高井戸経由荻窪まで飛ばして行きました。「電車見る。総武線」と、懸命に私に教えてくれる孫を見ていると疲れも吹っ飛びます。
7月20日(木)
備忘録的に書いておきますが、遠藤周作さんのシリアスなものを2冊、『沈黙の海』『深い河』を立て続けに電車の中とかちょっとした時間の合間に途切れ途切れではありましたが、一週間前ぐらいに読み切りました。6月のユネスコ全国大会の記念講演での山伏哲郎さんの話の中に出てきた時に内容が今一ぴんとこなかったのでどうしても読んでみようと思ったわけです。2冊ともクリスチャンであった遠藤さんの内面におそらくいつも突きつけられた「問い」であったのでは(?)と思われます。自分が棄教・転向しなければ多くの信者が「穴吊り」にされて「鼾」のような呻き声をあげて死んでいく時、「外界はまるでそんなことがなかったように、先程と同じ営みを続けている。こんな馬鹿なことはない。これが殉教というのか。なぜ、あなたは黙っている。あなたは今、あの片眼の百姓がーーあなたのためにーー死んでいったということを知っておられる筈だ。なのに何故、こんな静かさを続ける。」「この真昼の静かさ。蠅の音、愚劣でむごたらしこととまるで無関係のように、あなたはそっぽを向く。それが----耐えられない。」
「それが-----耐えられない」というのは遠藤周作自身の内心の声であったのでしょうか?歴史小説としての叙述を通しての遠藤周作の「問いかけ」(神は果たして存在するのか)は、同時に今の時代に重ね合わせて私たちにも迫ってくるるものを感じました。『深い河』もフランスの神学校にまで留学した生真面目な男(ヒロインの一人美津子の同級生)が結局は彼の異端(キリスト教以外の宗教も認める(?)によって神父になれず最後はインド・ガンジス河の火葬の後始末をしながら生きながらえていた所に美津子たち一行と出くわす。最後の最後に勝手な日本人旅行者の不始末から大津が「犠牲」になっていくことを暗示するところで終わる。一章から十三章まで短編小説を集めたような構成だが、一章の扉に「深い河、神よ、わたしは河を渡って、/集いの地に行きたい」という「黒人霊歌」が掲げられている。最終章のタイトルは「彼は醜く威厳もなく」となっていますが、これはある意味では自由奔放な美津子との対比の中で遠藤周作の「反語」とも受け取れます。いずれにせよふだん専門書以外に余り小説などは読まない私が珍しく一気に(と言っても途切れ途切れに)読み上げたもので自分でも驚いています。
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昨日は葛飾区の社会教育委員会議の起草委員会でしたが、午後1時に京成高砂駅に集合、区内で最初の校庭を芝生化した高砂小の見学、あいにくの雨で子どもが芝生の校庭に入れず、肝心の子どもたちの様子を見る事が出来ませんでした。でも説明役に残ってくれた副校長先生の話では休み時間になると子どもたちが裸足で芝生の上で戯れる(ここはまだ芝が安定していないのでボール遊びは禁止)そうで、それが見れないのは誠に残念至極、でも写真を見てください。およそ1000ヘーベ(見た目25m×40mぐらい?)だそうですが、学校の雰囲気が変わりますね。

先日のクラブづくりシンポジウムでの杉並アヤックスサッカークラブの杉沢幹生さんの話を思い出しました。ここでは早くからグランウンドの芝生化を試み、成果を挙げているそうです。全国に広がっていくといいですね。やはり「論より証拠」、「百聞は一見にしかず」です。高砂社会教育館での会議の後、小雨降る柴又帝釈天を見学、「寅さんよ何処へ」。

7月19日(水)
昨日から前期の定期試験、試験監督は2コマ、久しぶりに見る学生の真摯な姿に日頃見せない、新しい発見をした気分になります。やるときはやるんだぞ!ということでしょうか。全国の体育系の大学・学部、さらに学科が増えているというのも不思議と言えば不思議ですが、今の若者には何が魅力なんでしょうかね。確かに好きなスポーツを思い切りやれるということは今時風かもしれない。新しい「大学案内」(NITTADAI2007)には有森裕子、北島康介がいい顔で登場している。有森さんは地雷撤去などのボランティア活動にも活躍中、スポーツ選手のロールモデルとしては最高ではないかと思いますが、どうでしょうか?

7月17日(月)(海の日)
久しぶりの連休でこんな時でないとゆっくり更新できないので今日は少し長目のコメントです。ジダンの「頭突き」問題をめぐってさまざまな意見がありましたが、それらは昨日紹介した「きっこのブログ」の7月16日付「挑発に乗るのは愚か者」に紹介されている多くの賛否意見にたぶん集約できると思われます。くわしくはご覧ください。そこで見落としできない「結論」は下記のところです。
「こんなこと(自分も唯一の肉親である母への侮辱)があったから、あたしは、言葉の暴力がどれほど人の心を傷つけるのかは分かってるつもりだし、当然、言葉の暴力なんかは認めてない。だけど、そのことと、カッとして短絡的に暴力を振るうこととは別の次元の問題だと思う。どんなに侮辱されても、どんなに言葉の暴力を振るわれても、そこでカッとして手を出したら、やっぱり手を出したほうの負けだと思う。言葉の暴力に実際の暴力で返すということは、くだらない相手のレベルにまで自分を下げることであって、自分自身を貶める行為でしかない。何を言われても、グッとガマンして、素晴らしいプレーを見せて、試合の勝敗で決着をつけてこそ、世界中の子供たちの見本になるんじゃないの?
だから、世界中の人が見てる場で暴力を振るったジタンが正しくて、挑発したほうのマテラッツィに問題がある、なんてことにでもなったら、世界中でサッカーの試合中に頭突きをする子供たちが続出しちゃいそうだ。
‥‥そんなワケで、あたしとしては、サッカーのことなんかホントはどうでも良かった。あたしが言いたかったのは、北朝鮮のバカバカしい挑発にマンマと乗せられた上に、それを支持率稼ぎにまで利用しようとしてる「安倍晋三の愚かさ」であり、このチャンスに自民党が前々からもくろんでた「戦争のできる国への変革」を遂行しようとしてるってことなのだ。ようするに、コイズミによってメチャクチャにされたこの国が、安倍晋三によってトドメを刺されるってワケで、それで、「バカな相手の挑発に乗ってしまうことがどれほど愚かなことか」ということを説明する上で、たまたまちょうどいい例として、バカな相手の挑発に乗って痛い目にあったジダンの問題が騒ぎになってたから、それを使わせてもらったってだけなのだ。でも、あたしのとこに届いたメールの9割以上は、ジダンがどうの、マテラッツィがどうのって、サッカーに関することばかりで、自分たちの命がかかってる愚かな官房長官のイサミ足に関しては、ほとんどの人が触れてなかった。つまり、この国の多くの人たちは、自分の国が戦争を始めるかどうかよりも、海の向こうの国のサッカーのほうが重要なんだろう。ま、それはそれでオメデタイことで、たいへんケッコーだと思うけど、あたしの脳裏には、「平和ボケ」って言葉がよぎった。そんな中で、74才の人からの1通のメールが届き、「ああ、あたしの言いたかったことを分かってくれた人もいたんだな‥‥」って思った今日この頃なのだ。」
さらに別の見方(JMMニュースNo.383、米国在住で作家の冷泉彰彦さん「from911/USAレポート」第259回「国境を越えたコミュニケーション」)を紹介しておきたい。「グローバリゼーション」という言葉は一種の流行語のようになっていますが、やはり日本でのそれは実感する度合いがヨーロッパやアメリカとはかなり違う感じがします。まあ少し長いですが我慢して読んでください。
「W杯が終わっても、世界中には謎のままだったジダン選手とマテラッティ選手のトラブルは、ジダン選手のTVでの説明があり、マテラッティ選手の側からもコメントが出ました。これで、一応は沈静化の方向と思ったら、そうではなく、20日にはFIFAの聴聞会が開かれるそうで、大きな問題に発展してきたようです。
このニュースはアメリカでも話題になっています。例えば、NBCでは13日の『トゥディ』で大きく取り上げていましたが、コメントとしてはアン・カリーが「良くあるトラッシュトーク(ゴミのような汚い言葉の応酬)なのに、どうして手が出てしまったのでしょうね」と軽く流していました。アメリカのそんな軽い反応を尻目に、ヨーロッパでは大きな問題に発展しているのは、どうしてなのでしょう。
そこには言葉が国境を越える時の恐ろしさという問題があると思います。まず、マテラッティ選手とジダン選手の間には、イタリアとフランスという国境があります。報道によりますと、ジダン選手はイタリアのリーグに在籍していたことがある(1996年から2001年までユベントス)ので、イタリア語は理解でき、そのためにイタリア語でされたマテラッティ選手の暴言が理解できたというのです。
ですが、このエピソードはイタリア語を話す人間同士の、しかも元同じリーグの選手同士による、ライバル意識が高じた「バカバカしい口げんか」では終わりませんでした。TV会見でジダン選手が語っていたように、「自分のサッカー人生の最後の10分間」であっても、愚かな行為を触発してしまうだけのインパクトがあったのです。
言葉が国境を越えるとき、二つの現象が起きます。まず個別の言葉に「まとわりついていた」複雑なニュアンスが消えて、メッセージが非常なまでに単純化されます。好意や愛情は無制限なプラスの感情に、悪意やイタズラ心は無制限の敵意へと変わるのです。もう一つは、お互いが国を背負ってしまい、個人ではなく集団の代表として話し、受け止めてしまうように感ずるということです。
問題をややこしくしているのは、この二つの問題に関して、私たちは自覚することが大変に難しいということなのです。複雑なニュアンスを込めて言っているつもりなのに、相手にはニュアンスが伝わらずに自分の意図が敵意として突き刺さっている、そして自分はそれに気づかない、そんな心理の交錯が起きがちです。相手は自分の国がバカにされた、あるいは相手の国全体にバカにされたと受け止めているのに、言ったほうは個人ベースの冗談だと思っている、そうした誤解も生じやすい、いやよほど意識しなくては、誤解を生じる方が当たり前だと言って良いのでしょう。
ジダンは、自分の姉や母親が中傷されたのだとして、たまたま自分が母や姉を深く愛していたから暴力に及んだのでしょうか。そう単純ではないように思います。例えば、カトリックの人間が、わざわざイスラム系の男に「姉や母親の侮辱」をするとなると、「アンタのところは、宗教的な理由で、オトコは女子供を守んなくちゃいけないんだろ。ということはだな。こういう風に、女の家族をバカにすれば、お前さんとしては切れちまうだろうな、アッハッハ。お前さんは、女の家族も守れない情けない野郎だってことになるものな。お前さんのところの文化ではな」というような「文化への敵意」を含むこともあり得るでしょう。
面倒な、そして品のない言い方をしましたが、そんな「敵意」をジダンの方で感じいたのではないでしょうか。言っているほうにももしかしたら、そんなニュアンスがあったのかもしれません。ただ、それが冗談で済まないのは、国境を越えるとユーモアの感覚のような複雑なメッセージは消えて、とにかく敵意だけが飛んでいくからです。更に言えば、ジダンが単純に反仏反クリスチャンのアルジェリアのムスリムではなく、フランス本土という場所を選び、一族の中ではカトリックとも通婚している、それゆえに複雑な屈折を抱えた人物だということもあるのかもしれません。
自分の国でも、あるいは祖先の地であるアルジェリアでも「カトリックに屈服した」といういわれのない中傷を受けてきていたとすれば、こうした「言葉の暴力」に対して激しく反応することで自分のアイデンティティを守ろうとする、そんな心理もあったかもしれません。仮にそうだとしても、そんな複雑なメッセージは言葉にして国境を越えさせることはできません。暴力という単純な回答しか「自分の誇り」を守る手段がなかった、そういう風に追いつめられていったのだと思います。
この問題に関しては、大騒動になった以上は、ある程度「事実関係の合意」ができて、その上で喧嘩両成敗的な「お裁き」で落着させることになるのでしょう。ですが、この事件を教訓にして、「国境を越えた敵意は単純化される」そして「国境を越えた敵意は国を背景にした敵意と受け止められてしまう」ということを、社会全体が学ぶ必要があるのではないでしょうか。」
7月16日(日)
昨日は体育学会理事会の後、久しぶりに東京駅傍の居酒屋で「暑気払い」、例の「裁判」(私が「被告」にされた)の後遺症というか、まだ「火種」が残っていてこれからも続きそうだという「話」で盛り上がってどうするんだ!と思うわけで、次期の理事会でまたまた私が「後始末」をする羽目になりそうな状況だけは避けたい(なぜかって?今の理事メンバーで次期に残るメンバーで編集委員経験者は私ぐらいだというのだから困ったもんだ)。お陰でこちらはまた飲み過ぎ、酔いを醒ましつつ新宿に出て重量挙げ(ウエイトリフティング)部OGで今ソウルでトレーニングしながら北京オリンピックをめざしているMgとKbキャプテンを待ち、お寿司をご馳走してマリセリーノへ。
馴染み客たちは東京芸術劇場ホール(?)での金管のコンサートが良かったらしく、いつになくハイテンションでコメントしていた。こういう風な話で盛り上がっている方が精神衛生にはうんといいですね。

テーブルのカクテルはマスターお薦めのソルティドッグ。
例の「きっこのブログ」(7月14日付、「北朝鮮にヘッドパッド」)にジダンのことが書きこまれていましたが、ちょっと「変わった」コメントでしたのでマークしておきます。ちょっと長目にコピーしておきます。判断は本文全体を読んでご自分でお考えください。
「世界中の人たちが見てる場で、あんなことをしたってことは、たとえば、そこらの街角でジダンと会った人が、マテラッツィが言ったのとおんなじセリフをジダンに言ったとしたら、100%頭突きを食らうってことで、これじゃあ狂犬と同じだ。危ないったらありゃしないし、これは、完全に傷害罪に当たる。それなのに、なんでか知らないけど、フランス国内では、ジダン擁護の風向きになって来た。ようするに、ジダンは立派な人間だけど、それと比べて、マテラッツィのほうは、全身にタトゥーを入れてるし、以前から試合中や試合後に相手チームの選手を殴ったりしてる札付きのワルだからってことで、暴力に訴えたジダンよりも、挑発したマテラッツィのほうが悪いっていう、トンチンカンな世論が巻き起こっちゃったってワケだ。
だけど、ジダンが今までにどれほど立派なことをして来ようが、マテラッツィが過去にどんなに悪いことをして来ようが、問題になってるのはワールドカップの決勝戦でのジダンの暴力事件なのであって、過去のことは関係無い。ジダンは、あの場で、どんなことを言われようとも、絶対に暴力を振るったらいけなかったのだ。それがスポーツであり、それが人間てもんだ。それなのに、相手の悪質な挑発に乗って、感情に任せて短絡的な暴力行為に出たってことは、その時点で、すでに負けなのだ。
それなのに、そのジダンの行為を正当化するような世論が巻き起こるってことは、もう、完全に本末転倒だ。これは、ブッシュやコイズミのセイで、世界中で戦争やテロが続いてるから、だんだんに世の中の常識が狂い始めて来た前兆のようにも思える。相手の挑発に乗った暴力だって、暴力は暴力であって、決して正当化されるべきじゃない。挑発したほうが悪いんじゃなくて、その挑発に乗って暴力を振るったほうが悪いなんてことは、マトモに考えたら、子供にだって分かることだ。それなのに、暴力を振るったほうより、挑発したほうが悪いなんていう支離滅裂な論理が通用するんなら、「腹が立ったから殴った」「ムカついたから殺した」ってのも、すべて許されることになっちゃう。」
7月15日(土)

昨日、忍野私宅前のグランドから見た富士山です。まだ雪が残っているでしょう。おそらく月末には消えてしまうかもしれません。昨日は海抜950メートルのこちらでも寒暖計は28度近くに上がりました。動くと汗がにじみます。東京ではもっともっと暑いのかと思いつつ、体育学会理事会他の用事のため下りて来ました。シャワーを浴びてクーラーを効かせた部屋で作業しています。すぐに忍野に飛んで帰りたい気分です。
7月13日(木)
あまりの暑さに耐えかねて急遽、忍野に来てしまいました。富士山はすでに雪は無いと思っていたらなんと右肩にほんの一筋残っている。5月以来のご無沙汰で家の中はどうなっているのだろうと二階に上がると、参ったなあ、除湿器の水があふれ出たのでしょうか。畳がカビが生え、黒く焼けている。上げようにも水をたっぷり吸い込んだ畳は重くて上がらない。最悪の状態、仕方がないので畳屋さんを喚んで見てもらう。3枚はだめでしょう。おまけに乾燥するまで一週間ぐらいは仕事ができないという。泣き面に蜂とはまさにこのこと、陶芸家のMdさん宅を訪ねると彼の方が胃ガンの手術で大騒ぎだったという。胃の三分の二を切り取って、今のところは手術は成功とのこと、他人事ではない、彼は私と同い年なんですね。「気をつけなくては」と言っても今更遅いのじゃないか、食べるのは誰よりも早いし、早飯で結構大食い、胃にいいわけないじゃない。
少々、ショックで夕食は控えめにゆっくりと食べた。たった一日でどうなるってわけじゃないけどやらないよりましか。涼しいのはいいけど畳のカビのにおいでたまらない。幸い鼻が悪いので自分は我慢できそうだけど、これでは当分人はよべないかなという感じ、せいぜい風を通して匂うのだけでもなんとかしなくてはと網戸のままでしばらくは開けっ放しで不用心この上ない。まあ盗られて困るのはこのパソコンだけか。それにしても反応がすこぶる遅くてここのIT環境もよくない。
ジダンの記者会見のニュース、相手方のマテラッティのコメントも伝えられている。リンクがここでは貼れないのが悔しい。
7月12日(水)
今日の早稲田の授業で前期の授業はすべて終了、後は試験とレポートの採点を残すのみ。気分としては残り3年と半年、ゴールまでまだあるなあ、という感じ。これが最後の年だったら一日一日がいとおしく感じられるのだろうか。今はほんの少し骨休み、夏休みをどう過ごすかというよりもこれで結構8月18日~20日の弘前での体育学会まで集中講義(山口大、8月2~4日)、ウエイトリフィティングの「勧誘」OB会出席(8月7日)、ユネスコ倶楽部の合宿研究会(8月9、10日)、その合間を縫うように葛飾区の社会教育委員の答申案作成、講演(沼津)などがあります。
できれば忍野に静養がてら数日過ごしたいと思う今日この頃です。
7月11日(火)
やっぱり出てきましたね。なぜジダンは「頭突き」を食らわしたか、私はくわしくは書きませんでしたが、すでにいろいろな憶測、ニュースなどにも流れていますのでご存知かと思います。もう少し時間が経ってからあらためて書きたいと思います。
今日は少し明るいニュースです。7月7日付でちょっぴり書きましたが、「平和への結集」に向けてできるだけ一致点を見出し、平和勢力があらゆる選挙で「共倒れ」を避けることを期待しました。長野県知事選挙でそれが実現しそうだというのです。「NPO法人ひとミュージアム上野誠版画館」の田島隆さんの「版画館通信」7月6日には「長野県知事選挙に対する共産党の味のある対応」と書きこまれていました。さすが私が時々HPウオッチングしている県議団長 石坂千穂さん のお膝元だと、感動しました。こうした実績が積み重なって全国的な流れになって欲しいと切に切に思います。近頃には珍しい「ニュース」なのでちょっとうれしくなって書いてしまいました。
毎月11の日はたまりばユネスコ倶楽部の定例会、今日も府中駅傍のグリーンプラザ地下のNPO交流サロンで贅沢にも二人の講師を迎えて「環境教育の国際的枠組み~1990年代以降のユネスコの動向から~」(櫃本真美代・東京農工大大学院)、「(国連持続可能な開発のための教育の10年)ユネスコによる国際実施計画」(佐藤真久・武蔵工大環境情報学部)の学習会を開いた。「環境教育」と「持続的な開発のための教育」(ESD-J)の区別と関連、言われてみればなるほどだが、まだまだ理解したとは言えない。でも「未来をつくる教育」をつくる!という「夢」はわかちあいたい。
倶楽部最高齢のYさんと櫃本さん 佐藤さん
7月10日(月)
2006ワールドサッカードイツ大会はご存知の如くフランスとイタリアの1対1で延長、それでも決着つかずPK戦の末、イタリアの優勝が決まりました(写真)。それにしてもあのジダンが延長後半、「頭突き」で一発退場、そのジダンは前半にPKで1得点挙げ、「ラストダンス」を美しく飾るものと思っていたのに後味の悪い決勝戦になりました。「哲学者のような目」と書いたのですが、最後の最後にジダンの出自というか素性が顕れたという印象は拭えません。おそらくジダンにとっては耐えられない、差別的な「言葉」を言われたのでしょう。でなければあのジダンがあんなに怒る訳はないと思いたい。これからいろんな人がいろんな形でこのことを書くはずですが、それでも私は誠に「惜しい!」、残念としか言いようがありません。気分としてはイタリアが勝って祝杯を上げたかったのですが-------。

これから一寝入りして今日も一日中仕事に備えます。
7月 9日 (日)

昨日の「スポーツクラブづくりシンポジゥム」は、基調講演「部活動を徹底検証する~青少年スポーツを支える部活動は今」が元埼玉新聞運動部長の宮下達也氏の訥々とした語り口でデータを用いながら心にしみ入る講演でした。問題は後のシンポジウムです。テーマ「青少年スポーツは地域スポーツクラブで担えるか」はいいのですが、そこになかなか行き着かないもどかしさを感じました。「チラシ」には「(子どもたちに)私たち大人は何ができるのか、そして、地域スポーツクラブが担えることは何かを考えてみたい」とありました。
したがって、真っ当な筋書きで言えば、先ず基調講演の宮下氏が少子化の進展によって学校運動部がどのような状況に追い込まれているのかがくわしく語られたのだから、それを受けて先ずは今地域(学校・子どもも)で何が問題かを整理し、大人ができること、やるべきこと、そして地域スポーツクラブが担えることをきちんと明確にしていくこと、その時に学校運動部の問題はどうするのか、どこで線引きをするのか、どのように共同するのかなどが整理される必要があるでしょう(ここのところは司会の松尾氏がすべてご自分でパワーポイントを使って説明をしていたのでフロアからの質問も受け付ける余裕はありませんでした)。
シンポジウム演者の中塚義美氏(筑波大付属高校)、杉沢幹生氏(NPO法人杉並アヤックスサッカークラブ)、榊原孝彦氏(成岩スポーツクラブ)の話はそれぞれに興味深くおもしろかったのですが、おそらく打ち合わせ段階でテーマへの接近の仕方と構造化に詰めがなかったのではないかと思われます。基調講演も入れて時間は3時間はあったのですから、ちょっともったいないなあという感じでしょうか。繰り返しますが、基調講演も各演者の話もそれぞれに実践的裏付けがあって聴かせる話だったのです。
こういうシンポを経験すると、裏方というか企画・演出の側がどんな「計算」をしていたかということが問われます。テーマへのこだわりを捨てれば情報としてはかなりの内容であったと思います。だから私も参加してよかったと深く思っているのですが------。一緒に参加していたやろう会のIさん、さわいの会のAbさん、Stさんはどう受けとめたのでしょうか?
7月 8日(土)
「パブリックビューイング(PV)権」ってご存知でしたか?
昨日、某新聞記者のインタビューを受けてあらためて「スポーツビジネス」の世界の「せこさ」というか「商魂」のたくましさを知りました。2002年日韓共催W杯サッカーの時には日本国中に街頭テレビやスポーツ・カフェ、喫茶店等々で「日本代表戦放映中」があふれていました。正確にはあれって「有料」だったり、「放映します」と看板を出したり、張り紙で告知したりして客寄せに使ったりすると、すべては「営利目的」として受け取られて「著作権法」(38条3項)にひっかかり、著作権者(FIFAの場合は電通に委託・代理させている)によって訴えられるとかなりヤバイことになります。しかし実際には電通は「賠償を請求」すると言っていたにもかかわらず、「自国開催の盛り上がりで手に負えないほどの違反があり、請求を断念した」(asahi.com、06.6.9)いきさつがあります。
前回に懲りたFIFAと電通は今回は早々と「PV権ビジネス」を「告知」し、PVについては大会およそ1ケ月前の5月10日までに申請し許諾を受ける必要があるとしていました。先ず問題になったのは前回大会会場になった横浜スタジアムのPVがスポンサーの関係で横やりが入り実現しませんでした。その理由は命名権ビジネスのために横浜スタジアム(旧横浜国際総合競技場)が「日産スタジアム」とよんでいるのでFIFAのオフィシャル・スポンサーである韓国の「現代自動車」の権利を侵害するからだというのです。わかったようなわからないような理由ですよね。多くの人がワールドカップ・サッカーを楽しめればいいじゃないの、というのが普通の人の感覚なんですが、ビジネスはそうはいかないのです。
もっとせこいのは、国立競技場が近隣の「騒音問題」(真夜中、早朝放映のため)で使用できないので埼玉スタジアムでPVを開催することになったのですが、実は元々は埼玉スーパーアリーナーで早くからPVが企画されFIFAからも許可をとっていたにもかかわらず、交通不便な埼玉スタジアムよりも埼玉スーパーアリーナー(こちらはJRさいたま新都心駅傍)でやられたんでは埼玉スタジアムに客が来ないんではと「心配」(!?)したさる筋が電通に手を回して埼玉スーパーアリーナーに「待った」をかけたようです。
これにはもっと奥深い問題がありそうで今すべてを書くわけにはいきませんが、問題はFIFAや川淵キャプテン率いる日本サッカー協会がどれだけ多くのサッカーファン=スポーツ愛好者のことを考えているかに関わる重要な問題があります。スポーツがビジネスになる、金になることはいいことですが、問題はそれで得た金を何に使うかでしよう。ただ儲ければいいでは困ります。ましてやスポーツ団体はその統轄するスポーツの「普及と向上」をめざして組織されているのですから。
確かにサッカーに限らずどのスポーツ団体にとっても財政問題は大事です。しかし基本は多くの愛好者、競技者、選手が存在してはじめてスポーツ組織は成り立つのだし、同時に財政的にも自立する基盤を持てるわけです。つまり、その前提には①入場料を払ってでも大会を見に来てくれるスポーツ愛好者、②登録料を払ってでもそのスポーツをやりたいという競技者、③大会参加料を払ってでもその競技に出たいという選手、④指導料を払ってでもそのスポーツをやりたいという愛好者が居るということです。要は圧倒的多数のスポーツ愛好者=勤労大衆=国民が居てこそスポーツもそしてスポーツ団体も財政的に自立する基盤を確立できるということです。こうした前提条件(スポーツの大衆化)があってはじめて海千山千の広告代理店を中心とするスポーツ・ビジネスのプロたちと「対等」に渡り合えるというものです。
少なくともそのスポーツ団体の年間必要経費の半分は自らのスポーツ活動で得た自主財源=自前の収入(先に挙げた4つ)がなければ、「喧嘩」どころかまともな交渉にもならないでしょう。そうでなければ赤子の手をひねるほどかんたんにスポーツ・ビジネスの連中の手玉に取られるのがオチというものでしょう。
ところが今のスポーツ界の現状は手弁当時代(20数年前、1980年代まではいわゆる「アマチュア」時代であった)に苦労して自分たちが作り上げてきたスポーツ、スポーツ大会をこうもかんたんに広告代理店=テレビ局にすべて「丸投げ」するのか、と言っても過言ではないでしょう。電通はそのスポーツビジネスのほとんどを取り仕切る世界最大の広告代理店と言っていいでしょう。これを相手にするわけですから、多くの知的財産権、著作権問題や独占禁止法問題を取り組む法学者やメディア研究者が尻込みをする理由もわかろうというものです(学者先生のところに取材に行ったら相手が電通ではとお茶を濁されたとか)。
それに果敢に挑もうという記者が居る以上は私も応援せざるを得ません。ですから私もつい力が入ります。下手をするとこちらが訴えられる可能性だってあるわけです。今は「何でも裁判」という時代ですから。それで相手はひるむと高を食っているところもあります。つい2年前ですが、学会誌編集長の時に「投稿規程」に添わない投稿論文を返したら「私が受け取り拒否」をしたということで「損害賠償請求」(1000万円!)で告訴され、「被告」にされた、実に不愉快で嫌な2年間を過ごしたことが頭をよぎります。その時も最終的には裁判長のたっての「和解」勧告で私は泣く泣く応じた経緯があります(「和解」条項たるや、相手に理事会の特別委員会で話をさせる機会をもってくれ、原告にはもちろん議決権はないよ、というのです。要するに、私から見れば一度だけでいいから言いたいことをしゃべらせてやってくれという、「泣き」が入ったわけです。その時は「それだったら黒白つけろよ」、裁判官は自分で「判決文」を書くのが仕事だろう、と思ったものです)。
ですから多少は現実の世界を知った以上は今さら、「社会的正義はどこに行った」などと、声高に話すつもりはありませんが、それでも「どっこい、そうは問屋は卸せませんよ」と、せめてささやかな庶民の(そういえば「蜂の一刺し」というのがありましたっけ)、貧者の一灯を灯したいと思いませんか。また忙しくなりそうな予感です。
7月 7日(金)
来年の今頃はおそらく「政治の季節」でしょう。いわゆる「2007年問題」ですが、わかりやすく言えば、ここで「戦争に行くのは嫌だ!」と言える国になるのか、それともアメリカと一緒に「戦争に行ける国」になるのかが問われる参院選があります。小選挙区制の中で「平和を望む」候補が「共倒れ」するのをミスミス許すのかどうか、今さら「政党エゴ」で選挙を闘うのはナンセンス、「平和への結集のために」「今こそ市民の風を!」というのがこのシンポのねらいであろうか(かなり単純化しています)。よく集まりました。開会6時30分には会場はほとんで埋め尽くしていました(主催者発表1000名)。音楽評論家の湯川れい子さん、国立市長の上原公子さんの話がとてもわかりやすく拍手も多かったようです。私も七夕の「短冊」に「持続的な力の結集を、勝利する日まで!」と書いてきました。

7月 6日(木)
やはり今朝も見てしまいました。フランスが前半に決めたジダンのPK1点を守り抜き、ポルトガルを負かしたのですが、試合が終わって悔しさをにじませたポルトガルの選手の中にあってフィーゴがジダンとユニフォームを交換していたシーンは実に印象的でした。お互いにキャプテンマークをつけての闘いだっただけに試合が終われば健闘を讃え合い裸のままで長く固く抱き合っていたのもとても気持ちのいい光景でした。こういうところを見るとスポーツはやっぱりいいなあとつくずく思います。サトウ・ハチローの詩「スポーツというものは」(6月7日付)を思い出します。同時にラグビーの試合終了のホイッスルと同時にレフリーが高らかに「ノーサイド」と宣する、あの「ノーサイド精神」(敵も味方もなくなる)もです。
いよいよ10日の決勝はイタリア対フランス、個人的にはもちろんイタリアを応援したいとことろですが、もしフランスが優勝するとこの大会で引退するジダンはかつてのペレ、マラドーナ、ベッケンバウアー、クライフなどと同じようにスーパースターの仲間入りをすることになり、文字どおり「有終の美」を飾ることになるんですよね。人情としてはだからフランスに勝たしたいとも思うわけで心は千々に乱れます。いずれにしても9日の三位決定戦、そして10日の決勝戦と2006年ドイツ・ワールドカップサッカーは残すところ2試合のみです。
試合ばかりを楽しんでいるわけにはいきません。飛び込みでパブリック・・ビューイング権についての取材が飛び込んできました。にわか仕込みで猛勉強(?)中です。明日、某新聞の記者の取材を受けます。果たしてどんな結末になるのでしょうか?こればかりは本人もわかりません。
月曜日に久しぶりにマリセリーノに寄り、Asさんの顔を見て思い出したのですが、西国分寺の「花子茶屋」(お気に入りの店)にしばらく行ってなかったのに気がつき、息子の運転免許取り立ての練習を兼ねて(実は私が酒が飲めるので)火曜日の夕方早めに行ってきました。お店の前の植木鉢の花(藤の花だとマスターは言うのですが私には萩に見えます。でもいくらなんでも秋には早過ぎますよね)↓

客が居なくなってからはマスターもカミさんも一緒に飲み始め、私も冷酒、焼酎ですっかり酔ってしまい、家に帰ったのが何時だったのか、また日誌も書くのを忘れて朝のサッカーの試合まで寝てしまいました。次の日の授業の辛いこと、もう深酒はこりごりです。
7月 5日(水)
朝、イタリア対ドイツ戦、延長後半すでにご存知のように終了間際にピルロからのパスをペナルティエリア右で受けたグロッソがそのままダイレクトに左足でシュート、見事キーパーの手を越して左上に突き刺さる。さらにデルピエロが左サイドからバックをひきつけながら右に切り返したところでこれまたキーパーの手の届かぬ右隅にゴール、このあっという間の2得点に開催国優勝をめざしたドイツ選手たちは茫然自失状態、負けたスリンスマン監督の「選手は誇りをもっていい」という言葉が印象的でした。それにしても伝統的に(?)PK戦に弱いイタリア(アメリカでのW杯であの名手バッジョがPKをはずした場面を今も思い出します)が延長後半の怒濤のような攻撃、そして最後の2分で決めてしまったいきおいは決勝戦でも是非活かして欲しいものです。それだけにジダンのフランスとの決勝対決を期待する私としては明日早朝の対ポルトガル戦も早起きして見るつもりです。
イタリア戦のさなかに水をさすような北朝鮮のミサイル発射のニュース、一体、何を考えているんだと思わずにはおれませんが、トップ頁の左にリンクを貼っている軍事評論家・神浦さんの解説を頼りに冷静に情勢分析をしなければと戒めています。
7月 4日(火)
昨日、京都から帰ってきました。日曜日の即日開票でビッグニュース、滋賀県で自公民推薦の現職を破って社民推薦の新人・女性知事誕生のニュース、来年の参院選に明るい展望です。この勇気の出る「流れ」を「緊急シンポ!7.7」(日本教育会館、午後6時30分から)に向けたいと願っています。
昨日の夜になってあの中田英寿が引退するというニュースが飛び込んで来ました。彼自身の書き込みには「(前略)半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。」と言います。そして最後に
「何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。そう思ったからだった。
これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。
“ありがとう 」
と結んでいました。惜しい!という気持ちと「お疲れさん」といってやりたい気持ちとが交錯します。中田論をいつか書いてみたいと思っていた矢先なのでもう少し時間をかけて書いてみようと思います。
7月 2日(日)
不自由な中での更新ですのでお許しください。今、京都です。学会シンポは無事終了。詳しくは帰京後に書くとして、雰囲気を伝えるために写真を2枚、アン・ホールと、教え子の美月ちゃん(いい歳をして!)

7月 1日(土)
今、ドイツ対アルゼンチンの試合を見ながら更新しています。今日から7月、いよいよ本格的な夏に入るのかという思いと、今年も残り半分になったという「時の流れ」の早さを感じつつ、さてこれから何をやるか、吟味してなんて、ふだん余り考えないようなことを考えています。というのもリンクを貼っていつも楽しみにしている有田芳生さんが今月から日誌の公開を辞めるという理由に「ここで少し立ち止まろう」と考えたからだというのです。有田さんにしてと思いつつ、まして私のような凡人はとも思うのですが、「下手な考え休むに足らず」とも思えて迷うのです。でもいつもの癖で「まあいいか、もう少し続けてそれから考えてもいいか」な?!
今日は朝9時過ぎの新幹線で京都に向かい、お昼のシンポジウム(上のニュースのトップにある「ジェンダー学会大会」)の打ち合わせに駆けつけます。夜は懇親会の後の二次会もOk先輩からお誘いのFAXが届いていますのでこれまた午前様でしょう。一応、ノートパソコンは持ち込みますが、ホテルのIT環境がどうなっていますか?月曜日の午後には東京に戻り、明治の最後の授業に出る予定です。すでに昨日になりましたが、社会体育指導者研究会さわいの会の総会も課題を先送りにして懇親会となり、再度7月に暑気払いを兼ねて今年度の活動計画を立てようということになりました。
渋谷区スポーツセンター会議室にて
写真中央・前田恒子さんが頑張っている限り私も休めませんね。