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『2001/12月近況』
☆☆☆ 2001/12/24(月) ☆☆☆
「本日(12/24)20時30分をもって、家族計画を終了する」
というわけで名残惜しいことですが、春花シナリオ終了に伴って、『家族計画』(D.O.)は、無事終了となりました。終わってみた感想としては、個々のエピソード自体に強烈な破壊力はなかったかもしれないけれど、あらゆる面において幸せだったなぁ、という感じです。作品としての様々な見るべき点も含めて、個人的に今年一番の作品に認定します。
春花シナリオ、分岐が何によって制御されているのか良くわからないですけれど、特に問題なく入れました。難易度自体はあるのかもしれませんけれど、家族計画という作品の自然な流れで選択肢を選んでいくと、どのシナリオも素直に誘導されていくのではないかと思えます。つまり序盤においては、(標的以外の相手には)必要以上におせっかいになったり干渉したりする必要はないけれど、家族計画参加者として最低限度の礼節を持って臨み、ある程度関係が深まって以降は、家族としての相互関係を意識した選択肢を選んでいけば、自然に個々のシナリオに分岐していくのではないかと思えたということです。まあ、実際のフラグ管理がどうなっているか、攻略的な視点で見ていないので(確認もしていないので)わかりませんけれど。
春花シナリオに関しては、普通のギャルゲー的な印象を感じました。少しコミカルな部分も含めて、決してそれ自体が悪いとは思えませんけれど、家族計画という作品の中で見ると、少し違和感を感じたというのが正直な感想です。結果的に各シナリオの好みから言えば、青葉>準>末莉>真純>春花の順になるでしょうか。ただし先日から書いているように、エピローグ面で言えば、真純>準>末莉>青葉>春花です。キャラクターとしての春花は、決して悪くはないんですけどね。
結局、キャラクターの好みと言う点から言えば、萌えに関しては間違いなく末莉で決まりです。しかしこと感情移入面から言えば、青葉が最高かもしれません。そういえば書き忘れていたのですが、KISAさんが書いてくださったので思い出しました。末莉シナリオで高屋敷家が炎に包まれた時の、大火傷を負ってまで『家族』を庇った青葉の姿に、痺れるほどの眩暈と神々しさを感じたことを書き残しておかなければなりません。
(1) 家族計画の崩壊と恋愛感情について感じたこと (共通ネタバレあり) ▼
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どのシナリオでも共通ですが、家族計画はいつか無理が来て崩壊します。しかし興味深いのは、それが家族内恋愛感情の縺れによるものではない点です。この手のギャルゲーでは、登場する女性が原則的に全て恋愛対象となりますから、それが原因で家族形態を維持できなくなるという、感情面での(心の面での)高屋敷家の崩壊という可能性も本来であれば存在したはずです。普通のギャルゲーであったならば。しかしこの作品に登場する人物は、皆何らかの重荷を背負って生きています。単純な男女の恋愛感情云々だけでは片付けられない何かがあって、そんな中で育まれていく想いがあって。たとえかりそめの絆であっても、家族という名の下に寄り添いあったことを大切にして、もう一度共に幸せになりたいと願う姿に胸が熱くなるものを感じました。
ですから思います。ある作品では、主人公と結ばれなかったヒロインは幸せになれないのか、という話がありました。しかし家族計画の場合、司が誰と結ばれるかというシナリオ上の問題はありますけれど、無限の可能性が存在するような気がしています。たとえば司が春花と結ばれたとして。私というPL(八人目の家族)が青葉と結ばれ、貴方というPL(九人目の家族)が末莉と結ばれ……という、幸せの連鎖と高屋敷の名の下に家族の輪が広がることがあっても良いのではないかと。そんなことを想像すると、より一層幸せな気持ちになれるような気がしてくるのです。
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(2) KISAさんを肴に大いに盛り上がる (末莉ネタバレあり) ▼
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【やま】 KISAにーさん、末莉一直線ですなー。
【jes】 アレだけ「踏みこまれたくないんじゃー!」ゆってた人とは思えないですな
【雪駄】 そういう、魔性にハマるという体験がイイんじゃよー
【やま】 踏み込まれたくないんじゃー、は、
【やま】 それを押して踏み込んでくるものをこそ求める心の叫びですにゃー。
【やま】 と、私は解釈している。
【雪駄】 おー、メガネの言う通りかもしれん
【jes】 ふむ、つまりあの時点で既にKISAさんは末莉の魔性っぷりに落ちてたと
【やま】 帽子末莉は邪眼使いですにゃー。
【jes】 ああここだとネタバレで話せるからええのか…んでわ
【jes】 期待はずれさん(仮名)、もう末莉ルート入ってるね(笑)
【やま】 あの調子だと、このままプレイ続行するなら、そのうち(2)がうぷされそう。
【jes】 ですなー
【やま】 取り敢えず、末莉の顔アップで寝てるところにキスしてくるシーン、「悶絶する」に3000点。
【jes】 夜に毛布1枚で迫られるシーン、「悶える」に5000点
【やま】 我慢できなくなって、家族計画日記に逃げてお茶を濁すに全部。
【やま】 我慢できない>耐え切れない
【jes】 悪魔の羽根と尻尾を生やした青葉ねえさんにいぢめられる妄想をしてさらに悶えるに、スーパーひとしくん人形いっこ
【C.F】 ……期待されてる?
【やま】 期待してはいけないか。期待しなければ、応えてくれる。
【jes】 期待じゃなくて、これらは既に予定された行動ですので
【jes】 アカシックレコードに記載されてるくらいの事実です
そしてその後の展開が、これだったり(笑)。
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(3) 加奈と家族計画について感じたこと (ネタバレなし) ▼
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加奈が出たとき世間一般で、「ゲーム以外のメディアとして展開しても充分なだけの物語だ」といったような話を耳にしたことがあります。確かにお話そのものはそうかもしれません。ただしそれだけでは、ベタでありがち、決してそれ以上のものでもなかったでしょう。しかし加奈という作品は、それをゲームとして表現することで、PLを巻き込んで、登場人物たちと時間と空間を共有させることを重視しているように感じられました。そしてそれが加奈の特徴であり、支持された理由でもあったのではないかと思っています。そしてゲーム以外のメディアでは、単なる傍観者にしかなりえず、成功しなかったのではないかと思っています。
そしてそれは今回も同じでした。この家族計画という作品も、PLを巻き込んで成立しているように感じられるのです。しかし加奈の場合、主人公と同化させるという形態をとらざるをえなかったため、結果的にはどれだけ主人公に肉薄できるかという部分が問題としてありました。これはむしろ君望の路線に近いような気がしますが、家族計画ではPLの立ち位置を主人公そのものではなく、主人公を介して得られる共有空間そのものとすることによって(=それによって成立する高屋敷一家)、より進化した形で傍観者ではない、世界の共有者としてPLを巻き込んだ形での表現を行っているように感じられます。そういう意味でも、加奈のシナリオライターさんが、「ゲームという表現形態によって特徴的に体感させうる何か」を利用して、より強化した形で作品を送り込んできたという印象が強く感じられ、興味深いものがありました。
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☆☆☆ 2001/12/23(日) ☆☆☆
有馬記念、マンハッタンカフェが勝ちました。まほさろさんは、あまりドラマと関係ない馬が勝ってしまったと書かれていますが、私はそうでもないかなと思っています。このへんは、ドラマの捉え方次第だとは思いますけれど。
じゃあ何がドラマかと言われれば、これですよ。競馬にはタラレバは厳禁であるからこそ架空のドラマとして成立するということであり、今年の3歳勢の攻勢(ハイレベル)を見れば、ひょっとしたら故障で無念の引退をしたアグネスタキオンが、無敗で三冠達成+ジャパンカップ+有馬記念を制覇していたのかもしれないということ(=妄想)です。もちろん本気で言っているわけではないですけれど、そう思わせるくらいのタラレバとしての、アグネスタキオン(皐月賞優勝)に敗れ去ったライバルたちによる、日本ダービー優勝→ジャパンカップ優勝(ジャングルポケット)、NHKマイルカップ優勝→ジャパンカップダート優勝(クロフネ)、菊花賞優勝→有馬記念優勝(マンハッタンカフェ)だったのです。そう考えると、競走馬としてのアグネスタキオンを失ったのはあまりにも早すぎたのであり、それ故の見えざるドラマとも言えるでしょう。
……というのはどうでしょう。
『家族計画』(D.O.)は、末莉シナリオと準シナリオが終わりました。jesさんからは、準シナリオは少し入り難そうな話を聞いていましたが、特に問題なくプレイできました。ただし残る春花は難易度高そうですね。
シナリオ個別についてあまりあれこれ言うつもりはないですけれど、エピソードとしての準シナリオのエピローグは良かったです。どこぞのゲームと違って、望んでやまなかったものを手に入れるところまでで終わるというのではなく、そこから始まる暖かさがあるというのが何よりの良さだと思いました。その先にあるより大きなもの、というのもそれはそれでいいですけれど、なによりも家族計画の良さは等身大の物語というところにあるような気がしています。そういう意味で、スケールの壮大さと物語の良さは決して比例関係にはないということですね。あと家族計画の登場人物(と物語)の背景には、想いのすれ違いと勘違いが元で背負ってしまった過去の苦しみというのがあるようです。でもそれは某所のゲームと違って、苦しむためのものではなく、本来幸せになるためのものだったはず、というところが印象の好悪を隔てる最たる要因かなと思っています。
ただし昨日書いたような理由によって、今現在のところのエピローグ評価は真純>準>末莉>青葉の順でしょうか。ただしこれも、右に行くほど悪いと言う意味ではなく、左に行くほどより良いという意味で捉えていただけると助かります。
末莉、魔性の女ですねー。溺れましたよ、まじで。この調子では、某氏が轟沈するのは必死ということで。『茜、どう?』存亡の 嬉々 危機到来です。いや、決してそれを彼が心の奥底で喜んでいることを見抜いての誤変換、じゃあないですよ?(笑)
(1) 末莉シナリオで感じたこと (末莉ネタバレあり) ▼
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末莉シナリオの里親との対決シーン、極めて不愉快でした。そういう意味で大成功の演出でしょう。この不愉快さに関しては、敢えてシナリオライター氏にのせられて悔いなしといったところです。
で、この不愉快さも結局のところ司の立場で感情移入してのものではなく、紛れもなく私自身として感じたものです。高屋敷家の一員としての自分の心の赴くままに、怒りを感じ、不愉快さを感じ、家族の頼もしさと暖かさを感じ、そして末莉に対する愛おしさを感じました。自分の、自分たちの、大切に守っているものを侮辱され、汚されたことに対する自然なまでの感情の迸り。それが高屋敷家の家族全員と共有している想いであることに、感謝したいくらいです。そういう意味でも、PLが八人目の高屋敷家の家族という考え方は、見事なまでに作品世界に調和しているように感じます。
KISAさんもこのように(>末莉のその叫びが届いたことに、届く相手がいたことに、届くところにいられたことに、ちょっぴり感謝。)書かれていますが、正にその通りだと思います。あの世界、あの空間、あの想いを共有できる、家族として存在できることに、本当に感謝したいです。
司や景もそうでしたけれど、頑なな態度でしか自分を表現できないでいた青葉の、あの時の姿は最高でした。青葉に限らず皆、本当に不器用な感情表現、不器用な生き方しかできない高屋敷家の面々。でもだからこそ、本当に愛すべき人々であると言えるのかもしれません。
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あー、それと、jesちんからの伝言(笑)ですー。
【jes】 つーか、最近の期待はずれさん(仮名)日記の意味がよくわからないですにょ
【jes】 末莉に溺れたいのか、それともそれを否定したいのかが(ぉ>わからない
【jes】 「今年の一番は茜」とかゆった舌の根が乾かないうちのあの転進っぷりはなんなんだろう、と(ぉ
【jes】 「末莉に踏みこまれるのが怖い」とかゆってたくせに、あそこの選択肢で嬉々として麦藁帽子被せてるKISAさんは何なんだろうと(ぉ
どうやら、小一時間くらい問い詰めたいようです(笑)。ちなみに私がこれに対して、 酷い返答を返した 良心的なフォローを入れたことは秘密です。
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☆☆☆ 2001/12/22(土) ☆☆☆
『家族計画』(D.O.)は青葉シナリオが終わりました。本当は末莉を先にしようと思っていたのですが、jesさんからアドバイスをいただいたので青葉にしました。
……はい、負けました。ええ、泣きましたとも。白状しますよ。この調子だと、今年一番の作品としての地位をこれから奪取することは確実のような気がします。だって、家族計画はプレイしていて決定的に幸せなんですもの。
ただ、真純シナリオは青葉シナリオとは違って泣きはしませんでしたけれど、そもそも真純シナリオの場合、あの暖かく包まれるような穏やかな幸せが重要に思えましたので、泣けるかどうかはこの際どうでもいいことだとは思います。またエピローグに関して言えば、青葉シナリオよりは真純シナリオの方が良かったです。その理由についてはネタバレになるので、以下の(1)に隠蔽します。真純シナリオと青葉シナリオのネタバレありです。他のシナリオのエピローグはまだ見ていないので、この先意見が変わる可能性がありますが、現時点での考えと言うことで。
昨日もおねグラIRCのネタバレCHで、雪ちゃんと家族計画について話させていただきました。今回は話の流れの都合上、チャットのログをそのまま使った対談形式にてお送りします。じゃまになるので以下の(2)に隠蔽しておきますが、基本的にはネタバレなしです。家族計画をある程度プレイした方であれば、問題なく読めると思います。
(1) 真純と青葉のエピローグ比較 (真純・青葉ネタバレあり) ▼
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真純シナリオでは燃えてしまった高屋敷家が再建され、全員が戻ってきています。それに対して青葉シナリオでは、いつかそうなるであろうこと、あの暮らしを取り戻すことができるだろうこと、それを予感させて(示唆して)いますけれど、実際のところまだそれは果たされてはいません。そしてこれは、PLである私にとっては決定的な差となっています。
他のゲームでもよく未来予想図を暗示して、しかしそれはあくまでもPLの想像の範疇に止めて、敢えて描かない手法が用いられています。そしてそれは、大概は上手く言っている場合が多いと思います。しかしこの家族計画の場合には、若干事情が異なるような気がします。その結果、大団円を描いている真純シナリオのエピローグの方が、それを予感させるだけに止めた青葉シナリオよりも良かったという感想に繋がっています。この違いはどこから生まれるのでしょうか。
考えてみました。そして結局のところ結論は、PLが八人目の高屋敷家の家族であるということに行き着きました。PLの想像に任せる手法を選んだ一般的な作品の場合、閉鎖的なコミュニティーを形成している作品世界とPLとの間の世界の隔たりが、PL自身がそのまま作中世界に身をおくことを阻害しています。従ってPL自身がどうあれ、作中世界は動いていきます。PL自身がその世界を離れても、いずれ大団円が訪れることでしょうし、容易にそれを想像することが可能です。
けれども家族計画の場合は事情が異なります。八人目の家族であるPL自身が高屋敷家の一員として家に帰ること、それがなによりも重要だと思うのです。余韻残しで終わっている青葉シナリオの場合、PLは二人のその後を垣間見てはいますが、その実まだそこには辿り着いていません。他の面々と同様に。そして大団円が直接描かれることはない以上、PL自身は決してそこに辿り着くことはできない、すなわち高屋敷家の一員としての生活を取り戻すことはできないのです。その点において真純シナリオでは、具体的な大団円を迎えています。他の全員が、再び一つ屋根の下に集っています。それはただそれだけのことではなく、すなわちそれを見つめているPL自身もまた、高屋敷家の一員としてあの世界へと帰ってきたことを意味します。私にはこの違いは、決定的なものに思えるのです。PLまでも含めた上での全員がそろってこそ成立する家族計画であり、高屋敷一家なのですから。
それ故に、決して青葉シナリオのエピローグが悪いと言う意味ではないのですけれど、それでも真純シナリオのエピローグには勝てないという感想を持っています。たとえそれが陳腐な大団円に思えたとしても。
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(2) 対談・家族計画 (ネタバレなし) ▼
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【雪駄】 そいえば、家族計画って、あの空間を、無いところから構築して行くってのじゅーよーかもしれず
【やま】 それは言い換えれば、潰えても、また構築できると言うこと。
【やま】 想いさえあれば。
【やま】 ではなかろうか?
【やま】 家族って、決して自動的なものではないと思うのですよ。
【やま】 血のつながった集団と言うだけでは、単に血族に過ぎず。
【やま】 家族は、社会という世界の最小構築単位なので。
【やま】 私はそう思ってるです。
【雪駄】 そっちのテーマ的には、LaughCatさん言うように、対比としての中国人のファミリーをもっと活かすべきだったのかも
【雪駄】 とらハの場合は、最初から家族な空間があったんだよなぁ
【やま】 最初からはないものが、寄り集まって構築していくからこそ、八人目の家族が成立すると言う風に考えています。
【やま】 ないところから、ってあたり、漠然としかイメージしてなかったから言及はしませんでしたけれど、
【やま】 雪ちゃんの言うとおりですね。
【やま】 んー、わかりやすい話だ。
【雪駄】 しかし、とらハの完成した空間だと人を弾いたり、拒否反応出る人もいただろうけど
【雪駄】 家族計画はそゆのも全部包み込んできちゃうかも
【やま】 そのへんは、
【やま】 八人目の自分も、七人目の司も、
【やま】 それ以外の六人もそうですけれど、距離と歩み寄りの関係のバランスが、
【やま】 双方向的に類型だっているのだと思うのですよ。
【やま】 PLが拒否反応を示す部分は、同時に七人のキャラ同士の拒否反応として、同格に吸収されてしまうような気がします。
【やま】 そんな中で、引力が働いていくんですね。
【雪駄】 その類型はうまいですね。
【やま】 そしていつしか、芽生えるものがあって、それを大切にしたいと思えるようになれば。
【雪駄】 KISAさんが感じる感情とか、思いっきり青葉に吸収発散されてるし
【やま】 全部が全部許せる関係なんて、夢物語でしかないと思えるけれど、
【やま】 それでもその中で、一緒にやって生きたいと思える要素が生まれて来るんだと思います。
【やま】 それは、登場人物自身も、PLと同じのような気がします。
【やま】 だから、七人の高屋敷家の人物を通して、その後ろには、
【やま】 多くのPLたちの影が垣間見えるような気がします。
【やま】 「それら」を全て呼称して「八人目」と表現していますけど。
【やま】 あの空間にはだから、私もいればjesちんもいて、雪ちゃんもいて、KISAさんもいて、皆が皆で家族計画を成立させている気がします。
【やま】 七人は、その代弁者。
【雪駄】 逆に言うと、彼岸の出来事と安心して見ることを許さない怖さも持ち合わせていると
【雪駄】 巻き込まれるー
【雪駄】 それが、いわゆるゲーム的なシステムを使わないで
【雪駄】 シナリオの力だけでやられてるのは、面白いですね
【やま】 家族計画(ゲームじゃなくて、世界のシステム)はだから、誰かが抜けると成立しなくなる(崩壊する)わけですが、それが八人目(PL)によるものがきっかけであっても、同様(崩壊を導くよう)な気がします。
【やま】 家族計画というものに対する求心力を失えば失速するものであって、それに力を与えているのはシナリオなんでしょうかね。
【やま】 家族計画、選択肢が面白い。
【やま】 行動方針は決定しているのに、無茶な選択肢を用意して、その上でぼけ突っ込み。
【やま】 結果は変わらない。
【やま】 (選択肢とは言わないよなあ、それだと)
【やま】 そういう意味でも、
【やま】 PLの立ち位置って、司とはズレたところにあるような気がするなあ。
【やま】 (もちろん、真っ当重要な選択肢も数多いが)
【雪駄】 実際にPLにゲーム的な作業・操作をさせることで家族としての意義を与えるんでなしに
【雪駄】 見せることでちゃんと連帯感を与えてるっていうのは
【雪駄】 AIRとかGPMの逆であって、ゲームというシステムを必要としない手法なんだけど
【雪駄】 その方が家族計画という一種ゲーム的なシステムを上手く表現し伝えられてるってのは
【雪駄】 面白いし、手法としても正しいよなぁ
【やま】 んー。
【やま】 見せるという手法ですけれど、傍観者とか観察者であることを許容していないと言うか。
【やま】 否応なしに巻き込まれていく部分があって、見せる方向性で特化されているにもかかわらず、能動的な構造としてうまく成立していて面白いです。
【やま】 映画とかドラマと違って。
【雪駄】 凄く計算されてるんですよね
【やま】 見せる、なんですけれど、それはつまり家族計画参加者が、相互にかかわりを持っているからこそ垣間見ることができる部分であって、
【やま】 (そうでなければ、なにも見えてこない)
【やま】 言い換えれば、PLや司は「見て」いるわけですし、
【やま】 「見せて」いるわけで、「見られて」いることにも繋がるかと。
【やま】 そういった双方向的な流れの一角に、PL自身が配置されている印象が強いです。
【雪駄】 うん、PLの配置っての凄い正しいと思ふ
【やま】 「見ている」ことが、これほどまでにアクティブに作用しているというのは予想外と言うか。
【雪駄】 ドラクエでPLが「タンスを調べる」事を予想してアイテムを配置する
【雪駄】 そういうのを究極的に推し進めていった結果みたいなものというかなんというか
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☆☆☆ 2001/12/21(金) ☆☆☆
嗚呼……なんてことでしょう。もう少しで今年も終わってしまいます。この一ヶ月はなんだったのでしょう……。
現在、家族計画発動中です。というわけで『家族計画』(D.O.)のプレイをようやく開始しまして、現在一周目終了、なぜか真純シナリオが終わっています。……気持ちの上では末莉狙いだったのですが、全員構う方向性で進めていたら、何となくこうなってしまいました。
で、思ったことは、これは今年一番の作品かもしれないなぁ……ということです。まだゲームを始めたばかりなのではっきりしたことはわからないのですけれど、予感めいたものがあります。これは『幸せの予感』ですね。
ちなみにキャラ的には、末莉に転びそうです。青葉ねーさんも捨てがたいです。もちろん他の皆も非常に魅力的ですし。なお単純に造形上の萌えだけで言ったら、実は準(委員長ver.)が結構好みなのは秘密でもなんでもありません(笑)。なお、この人@(偽)遙と萌えキャラ(末莉)が被るのはいつものことなので(笑)。ぶっちゃけた話、帽子末莉を見た瞬間、確定的だと思いましたよ。むしろ、萌えキャラを共有して良さを語れる点では、得がたい友と言うべきでしょうか。
それで少し、おねグラIRCのネタバレCHで、雪ちゃんと家族計画について以下のような内容について簡単に話をさせていただきました。その事柄について、もう少し自分なりの言葉で私自身の感じたことを簡単に書いてみようと思います。もちろんまだ家族計画の全体像を掴んでいませんので、的外れである可能性を含んでの話となります。(1)は家族計画をある程度プレイしてさえいれば、問題なく読めるはずです。(2)は、どれでも良いのでシナリオを最低一個終わらせていることが望ましいネタバレとなっています。便宜上、アンカーを埋め込んでおきます。
(1) 八人目の家族について (ネタバレなし) ▼
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きっかけは、青葉が可愛いと思えたことでした。独りで突っ張って、毒を吐きまくる青葉の姿がどこか可笑しくて、可愛くて。年上(姉)という位置付けなのに、どうしてもそうは思えなかったのです。そして私は気がつきました。私の実年齢から考えれば、確かに青葉はかなり年下であることに。
このゲームの主人公・高屋敷(沢村)司は青葉より年下で、弟的位置付けになっています。従って普通に考えれば、PLの分身である司に同化して司の視点で物語を追っていく立場上、青葉のことも姉として見てプレイするのが私のスタイルであったと思います。が、今回はそうではありませんでした。どうしても、青葉のことが姉には思えてこないのです。そしてそれは正に、家族計画という特殊な設定の成せる技だったのではないかと思えるようになりました。
本来、こういったゲームのキャラクターたちが作中で形成するコミュニティーは閉鎖的であり、他者の参入を容認しません。しかし高屋敷家の場合は、根本から違っています。それこそが正に家族計画の正体なわけです。
PL自身は確かに司の視点を通して、司に意思反映させることで作品世界と関わって行きますが、同時にPLは八人目の見えざる高屋敷家を構成する家族の一員として、PL個々の事情を背負って家族計画に参加していると言える様な気がします。高屋敷家において発生する様々な出来事(トラブル)は、等しく家族全員を巻き込んで展開して行きます。すなわち、直接的に存在を語ることはできなくても、八人目の家族であるPLもまたその流れに飲み込まれ、そうして何かを目の当たりにしていきます。存在しないはずの八人目の家族として、自分をそのまま投影することで、司の視点を通して、すなわち司の背中越しに高屋敷家の一員としての地位を享受しているのではないかと感じられます。
アージュは君望で「究極の一体感」を標榜し、そして失敗したように思います。しかし家族計画の場合、主人公との一体感ではなく、高屋敷家の一員としての「究極の連帯感」を演出しているのではないでしょうか。これこそが、この作品の魅力の正体ではないかと思えます。そしてそれは見事なまでに成功していると、私はそう思います。この点において既に、家族計画は君望に対して大きく水をあけているように感じられます。さらに家族計画は君望と違い、失いたくはない、居心地の良い幸せな空間を提供することに全力を尽くしています。そしてそのようにして描き出される世界は、確かに一時のかりそめの永遠であるのかもしれないですけれど、ONEの場合の永遠などとは違って、決して否定されるべきものではない世界であると言うこともまた、大きな特徴ではないかと思います。これらのことを踏まえて考えたとき、家族計画が今年最大の良作(優秀かどうかはさておき)であるという可能性が十分に考えられます。
そういう意味で、私は私の立場そのままに高屋敷家の一員として過ごすことが可能であり、であるからこそ主人公である司の姉という立場の青葉を、姉としてではなく妹として見守ることが可能となります。なればこそ青葉の態度が可愛く思えてくるのでしょう。父(寛)や母(真純)という立場で家族計画に参加するものが存在するという融通性が、青葉を年齢的に大きく上回る(ある意味、司を出し抜いて長男とも言える)八人目の家族としてのPL自身の存在を可能たらしめるのだと思います。同時にPLによっては、それは司の弟かもしれませんし、あるいは女性(姉妹)かもしれません。そして家族計画は、あらゆる可能性を高屋敷家に持ち込みます。八人目の家族と書きましたが、八人目の家族という定義は無限に拡張することが可能だと思います。この同じ『高屋敷一家』を共有する限り、私たちPLは誰もが高屋敷家の一員としての連帯感を感じることができるのでしょう。そう、貴方も……私も。
こう考えたとき、非常に見事な設定であると言わざるをえありません。脱帽です。
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(2) タイトル画面について (ネタバレあり) ▼
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クリアシナリオの表示がされるゲームは決して少なくはありません。この家族計画もまたそうです。そしてそれ自体は決して『どうということのない、ありふれた手法』に過ぎません。なのに、どうしてこれほどまでに敗北感を感じさせられるのでしょう?
思い返せば、AIRの時にもこんな風な敗北感を感じさせられました。AIRの時も、シナリオが追加されることや、選択表示が変わることは予想の範疇でした。しかしその言葉が単に『START
AIRという文字列』であったという『ただ、それだけのこと』に、完膚なきまでに打ちのめされたのです。そういった、シナリオ外の部分でのあざとさに負けたということになるのでしょうか。
私の場合、最初に真純シナリオをクリアしました。その証として、タイトル画面に真純シナリオクリアの表示がなされました。そしてただこれだけのことに、無条件降伏を余儀なくさせられました。家族計画の場合、こうして『高屋敷一家』の『家族の肖像』が完成していくわけですね。もうそれは、たとえようもない程に幸せな一枚絵となることでしょう。そのことがあまりにも容易く想像できてしまうだけに、もうそのためだけにも頑張ろうという気にさせられてしまいます。
同時にそうして高屋敷一家の幸せの構図が完成するということは、私たちがこうして感じている幸せな時間の流れの終焉を意味するわけでもありますが、それを思うと今から既に寂しくもあり、けれどもこの幸せで心地よい空間に身を委ねたいという気にもさせられてしまいます。こんな、本当に当たり前の、しかもシナリオ本体とは無関係の部分での手法を、あまりにも巧妙に作品世界の表現の一部として組み込んでしまうあたりに、完全にしてやられたというのが現在の印象です。
……とか書いてみましたが、実際には見て確認したわけではないので(これからなので)、全然違うとんでもないことになったらどうしましょう?(笑)
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なお、雪ちゃんがIRCにて曰く、「この心地良さはしのぶさんにも分けてあげたい」だそうです。
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『以上』
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