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『2005/01月近況』

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☆☆☆ 2005/01/28(金) ☆☆☆

◇ToHeart2◇
 まだまだ進行途中ではありますが、現時点までで最もキターと思えた台詞(というか会話)は……というと。私の趣味嗜好を良く知っている方なら言い当てるかもしれませんが、『姫百合姉妹』シナリオの、『イルファ』の台詞がそれになります。あくまでも現時点では、になりますが。
 台詞(会話)自体は以下のものになります(特に下線部)。シーンそのものの美しさとしては、先日書いた愛佳シナリオの(2)に該当する部分の方が感慨深いのですが、言葉にされた想いとしてはこちらの方がスキなのです。

「だから、瑠璃様。私たちを救ってくださったのは、瑠璃様なんです。あの出来事がなければ、私たちはいまでもあの暗闇の中……」
「私たちをお救い下さった瑠璃様はとてもお優しい方だと私たちは思いました。瑠璃様から強さと優しさの尊さを学んだんです。瑠璃様は私たちに本当の心を下さったんですよ? だから……」

「違うぅー!」
「あれは……あれは……」
「あれはさんちゃんが困ってたから。イルファたちが動かなくて困ってたから……だから……だから……」

「知ってました」
「そのときはわかりませんでした。でも、あのときからずっと瑠璃様を見ていて、たぶんそうじゃないかと思うようになりました」
「すべては珊瑚様のためだった……私たちを思ってしたことじゃないんだと」

「じゃあ、なんで……」

「そのことで瑠璃様が与えてくださったものが変わることはありません。たとえ、あのときの言葉が……あのとき差し伸べた手が偽りだったとしても、生まれた心は本物です」
「私はそう信じました。だって、いまも確かに感じているから。暖かく、だけど、せつなく……」
「瑠璃様が下さったんですよ、こんな大切なもの。それがウソだなんて、誰にも言わせません。それがたとえ、瑠璃様でも」


 こういうのが見たくて、こういう作品に触れている、そんな至福の瞬間を感じます。
 ……誰ですか、『人外萌えキター!』とか言うのは。そういうことを言う人、嫌いです(ぉ。
 ちなみに、人外なら何でもいいというわけではないので念のため。人外を扱うことによって、より心や想いのあり方というものを強く感じさせられることもある、だからスキ……ということなのですから。

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☆☆☆ 2005/01/26(水) ☆☆☆

◇ぽんこつ・どじっ子◇
 年末に上京した時に、『ぽんこつ』と『どじっ子』の違いの話をしました。厳密に言えば、その少し前にKISAさんの家でそんな話題が出て、その流れを受けてだったような気がしますけれど。
 で、その分類をどうするかということで。ぽんこつは、その能力を発揮しているにも関わらず役立たずで、どじっ子は能力があるにも関わらず発揮しきれない、或いはスペック値を発揮しても失敗して無駄にする、みたいな話をしたような気がします。
 しかしそれだけではなんとも分かりにくい感じがしまして、ふと思ったのが、『そこにある罠に掛かる』のがどじっ子で、『罠が無くても掛かる』のがぽんこつかな、とかいう説明もアリかなとか。具体的な例を挙げると、普通の人には何でもないような段差に躓いて転ぶのがどじっ子、何も無い場所でこけるのがぽんこつ、とかになるかもしれません。
 そういう視点で見ると、委員ちょこと小牧愛佳(ToHeart2)はどじっ子、ひよりんこと早坂日和(みずいろ)はぽんこつ。そして既に記憶は薄らいでいたのですけれど、改めてアニメで動きが付いたことにより再認識させられたのですが、みすずちんこと神尾観鈴(AIR)は、紛れもなくぽんこつかな、とか。あー、こんな動きだったのね、みすずちん。動作がめちゃくちゃかーいー、というか、お子ちゃま。
 まぁ要するに、スペック自体が低くて役立たず=幼児レベル、ということなのかもしれませんが。誰か考察と分析ぷりーず。

◇アニメAIR◇
 ちなみに余談ながら、アニメAIRのOPなどで、鳥のように腕を広げて『ちょこちょこ』と動くみすずちんが、ちょっと泣けそうになったり。そして夏影は、相変わらず反則ということで。
 第1話序盤、風に抱かれて両手を広げ、胸を張って佇むみすずちん。その直後のにはは笑顔。KOされました。凶悪。

◇アニメなのは・最終話◇
 愛佳シナリオ関連で非常に悔しい思いをした。負けたと思った。そして……仕返しをしたいと思った(爆)。
 年末以来、KISAさんの『アニメなのは』の感想(最終話)を楽しみに待っているのですが、いつまでたっても上がりません。むろん、その原因は委員ちょですけれど。その委員ちょが原因で悔しい思いをさせられたのですから、KISAさんより先に最終話に関して一筆なりとも書いておけば、悔しさも晴れるかもしれません(酷)。ということで〜。
 ――内容が伴わなければ、仕返しにもなりませんとか言う人、嫌いです(ぉ。
 ちなみに、とらハの偉い人の感想もまだなんですけれど(ぉぃ。あと、偉い人の方にどれだけ自覚があるのかはわかりませんが、恐らく偉い人の思っている以上に、私の方はとらハ(&アニメなのは)を気に入ってしまったと思っていたりするのですが。恐ろしい罠でした。
 ……ん? 『何やってんの!』に関しては、とらハ2の残り・とらハ3・その他番外編に関して、KISAさんに同じことが言えるのかな?
 で、話を元に戻して。最終話に関しては、二点。厳密にいえば同じ物事に帰するのですけれど、個別に。

(1)最終話のタイトルに関して。
(2)友達の作り方に関して。

 (1)に関しては、『そう来るか』という感じで、ハンマーでがつんと頭を殴られたような衝撃です。お話の中身を見るまでもなく、敗北。というか、無条件降伏です。この感覚は、ゲームAIRでの『START AIR』に似たような衝撃だった気がします。シンプルな文字列に込められた凶悪なまでの破壊力という類。
 このタイトルを見た瞬間、最終話を見るまでも無く、なのはの想いが報われたと感じられました。その時点でもう満足。最後までどうなることかと思わされたアニメでしたが、この瞬間、『全速力で怯むことなく、最初から最後まで足を踏み外すことなく、細く狭い一本橋を驚異的なタイムで走り切った』と感じました。ある意味奇跡。
 で、こと最終話に関して言えばだから、タイトルが明かされた時点でまず始めに『結果』があって、その結果に向けて後からお話の内容がついて来た、という印象も無きにしも非ず。その瞬間を待ちわびる一念で、最終話を見ていました。
 もっとも、都築さんだからこそそこまで信頼して見ていられたわけですけれど。逆に、この状況下にあってさえとても信頼できないような展開を好みとするクリエイターさんも、世にはいるわけで。それはそれで困ったことですが。

 (2)に関しては、それは確かに、なのはの台詞の通りなわけですが。

 「……簡単だよ?」
 「友達になるの、すごく簡単」
 「名前を呼んで?」
 「初めはそれだけでいいの。キミとかあなたとか、そういうのじゃなくて」
 「ちゃんと相手の目を見て。はっきり相手の名前を呼ぶの」
 「私、高町なのは。……なのは、だよ?」


 確かに『物理的な方法論としては非常に簡単な手段』であり、かつその手段の行使に当たっては『万人において普遍的に有効ななんら制約を受けることの無い汎用的な手段』です。なのはの言う通り、友達になるのは、『本当に簡単なこと』なのです。
 そしてその簡単なことを実行することが、現実の実行レベルにおいて、いかに難しいことか。真摯に相手と向き合って、相手の存在とその想いを受け止めて、その結果としての今現在があって、初めて『簡単な手段』に落とし込める。そんな難しさ。見ていて胸が非常に熱くなります。
 もちろん、なのはの言う『友達』とは、私たちが一般的に用いるところの『友達であるかのような異な者』とは明らかに異なるのは言うまでも無く。こういう話をしはじまると、昨日書いた『本当の桜』に通じるものを感じなくも無かったり。結局、こういうものに触れたくて作品を楽しんでいるわけで、引っ掛かるところはやっぱり似たり寄ったりと言うことで。

◇アニメなのは・12話◇
 ついでに、12話に関しても少しだけ。
 ひとつは、サウンドステージ02を聴いた上でもう一度12話を見ると、更に来るものがあるということで。
 もうひとつは、KISAさんのこの辺(下から20行目あたり)に関係して。要するに、フェイトとプレシアの最期の遣り取りに関して。
 これに関して、プレシア側の立場と理論から、『少し違った』解釈を試みるならどうなるのかですけれど。あらゆる物を犠牲にしてきた上での今に立つプレシアにとっては、結果がどうあれ、フェイトの想いがどうあれ、もはや引き返せるものではなく想いに殉じるしかなくて。その上であのフェイトの申し出があるならば、それを完膚なきまでに断ち切ることで、ファイトを『フェイトを呪縛し続けた自分(プレシア)という呪い』から解き放ったのかな、とか思わなくも無いわけです。ある意味、プレシアがフェイトに対してした、フェイトのためのたったひとつのこと、のようにも思えるわけです。そのやり方が最善だったのか、採るべき道だったのか、他のやり方は無かったのかという問題は、それとはまた別次元のお話になるわけですけれど。あとはまぁ、仮にそうだったとしても、プレシア自身がどれだけそのことに自覚的だったかどうかはわかりませんけれど。無意識の母性というものも、無いとは言い切れないのかな、とか。
 相変わらず劇甘ちっくな私。それはもう溶けそうなくらいに。でも、こういうものの考え方がスキなのです。

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☆☆☆ 2005/01/25(火) ☆☆☆

◇新年◇
 半年経ちました。年が変わりました。ダメダメです。
 ぶっちゃけこのまま自然消滅もあると思っていたのですが、ある程度の周期で、書かずにはいられない心境に至ったりするのは困ったものです。というわけで、今年もよろしくお願いしますとしか言いようがありません。まぁ、こんな更新されないサイトに足を運んでくださる方がどれだけ居られるかという話はありますが。
 このサイトとか私自身の存在価値の話をしだすと怖い想像になるので、ヤメ。
 ただ、更新がされるかどうかは別にして、すでにあるものを(特にSS)消滅させようという気は現状ではありません。よほどのことがない限りは、生き恥をさらし続ける所存でございます。

◇昨年回顧◇
 昨年は、まぁ、色々と精神的に負荷になることもありました。その辺も含めて改めて、別途書くこともあるかと思いますし、あるいは触れずに終わるかもしれません。更新そのものが途絶えるかもしれません。どちらにしても今回ここで書くつもりはありませんが、とにかく色々あったな、ということで。ここではそれだけ。
 まぁ、取り敢えず、こんな時にいつも思うことは、以下の紗夜さん(Wing&Wind)の台詞なわけですが。もっとも私の場合、それを無条件で信じているというよりも、その言葉の持つ魔法に縋っているという方が正しいかもしれませんけれど。だから、本心でこう言い切れる紗夜さんがスキなわけですけれど。

 「もちろん、イヤなことも沢山あったよ」
 「でもね、それ以上に楽しいことがあったんだよ」
 「これからもそうに決まっているよ」


 ちなみに昨年回顧というと、昨年楽しんだ作品の評価も含まれるわけですが、これも次回以降(があれば)に持ち越しということで。ただ、ぶっちゃけ、新作限定で言うならば『Fate/stay night』、旧作コミならば『とらハ』シリーズが最強だったかな、ということで。アニメもアリとするならば、攻守の総合力で『アニメなのは』が最強でしたけれど。

◇ToHeart2◇
 これのことを書こうかと思ったのが更新のきっかけ。でも、すでに力尽きた感が……。ダメすぎ。書きたいこと、言いたいこと、たくさんあります。でもいざ書こうとすると、筆が重いです。それと、分かり合える人と直接話をしたいという気持ちとか。
 『何やってんの!』と説教されました(一番下を参照)が、まさに身に染みて痛い。何やってるんだろう。いや、『ひぐらし』は面白かったし、それ自体を否定する気持ちは全くないのですが、これを差し置いて、挙句出遅れて書きたいことの大半を書かれているのを読むにつけ、別な意味で切なくなったりとか。何を見たくて作品に触れてるんだよ!>自分、とか。
 とにかく、ToHeart2には、言葉は悪いですが、全然期待していなかったといっても過言ではないので、良い意味で裏切られた感は強いです。巷では、総合力の点で『前作を超えていない』(超える気自体がなく、今様の前作同等品を世に出してきた)的評価もあるようです(そしてそれは正しい気はする)が、感じられるべきものさえ感じられれば満足できるというのも事実ですから、そういう意味では屈指の作品なのは間違いないのかも。あざとい気がしないでもないですが、CLANNADほどではないよな、とか。
 ちなみに、枕流さんが参加しているというのは、期待要素ではありました。私にとっては、『ノリとシチュエーションとキャラを描かせれば見事、ただし企画とおおまかな脚本原案は別の人に任せた方がもっといいものになりそうだよなぁ』という位置付けの人なので、AQUAPLUS(Leaf)でシナリオを書く、というのは期待度UPだったわけです。ただそもそも、ToHeart2に対する期待値が低すぎたというかなんと言うか。言い訳ですけれど。シナリオライターの分担担当がはっきりしないのでアレですが、個人的には万死に値する敗北感を感じないでもなく。泣きてぇ。

◇愛佳◇
 書くことを何も書いてないので、少し書かないと。ということで、愛佳シナリオ。以下、完全ネタばれ。空白に見える行は光学迷彩のつもり。なっていなかった場合はごめんなさい。
 愛佳というキャラに関しては、ビジュアル(A++)でしょうか。バレッタのような髪留めで纏めてUPにしているというのが大好きなので。欲を言えば、もう少しロングの方がいいです。最近の例でいくと、美佐枝さん@CLANNADあたりがイイ感じ。声は、別な人(某姉ゲーのダメ秘書)をどうしても思い出してしまいます。で、嫌いじゃないですが、こちらは普通かな……。雰囲気的には合っているとは思います。直前に遊んだ、Lassの3daysのたまきの甘い声(一色ヒカルさん)が結構頭に残っていたので、そのせいもある気はします。性格的には、これはわかる、というか、ある意味通じるところがあるのですが、それ故に、ある種の同属嫌悪感も無きにしも非ず。桜@Fateの時と同様。ちなみに、『他人のために一生懸命ないい子』という部分での同属ではないので(ぉ。矛先は、自分の存在価値云々の方です。
 私は自分の存在価値を感じることが出来ません。そんなの、大抵の人がそうなのかもしれませんが、そのことが悪い意味での行動基盤になっているというか、足枷になっています。ぶっちゃけ、要らない子であることが怖いし、そうありたくない、そしてそうであるかもしれない自分とその置かれた状況が怖い。ただ誤解の無いように書いておくと、自分に存在価値が無い、あるいは無価値だと『断じている』わけではなく、価値があるかどうかはともかくとして、そのどちらにせよ、自分自身でそれを判断し実感することが出来ないし、そのことで苦痛を感じているということです。そして仮に大抵の人がそうだとしても、それならそれで、何らかの折り合いを付けて生きているはずで、その『気持ちの上での折り合いを付ける』ことがうまく出来ない、ということかもしれません。ですから、私に存在価値を見出してくださる方がいたとして、それを否定するものではないですし、そんな失礼なことは出来ませんが、同時にその価値は『その人にとっての、その人のための価値』であって、私自身にとってそれを実感することが出来ず、そのことで苦痛を感じるということにもなります。そして結局、嫌われるのが怖いという罠。
 ……思い切り脱線したので、ヤメ。
 ちなみに、出来を比べるのは酷ですが、ラムネのジャージ先輩シナリオも、似たような感じのお話かな、とか思ったりします。ただ致命的に違うのは、愛佳の場合は愛佳のしてきたこと(主人公に限らない外の世界に対する働きかけ)が最後に愛佳自身を助けたのに対して、ジャージ先輩の場合は主人公との二人の世界だけで終わっているので、なんつーかアレ気ですけれど。で、総合評価としては、愛佳というキャラは、好きなんだけど踏み込み切れないというか、そういうもどかしさを感じるキャラです。(A)評価くらいになるかもしれません。日常場面での可愛らしさは、(A+)以上かもしれませんけれど。
 シナリオに関しては、私が書きたい部分は二点に集約されるので、それさえコメントしておけばよい気がします。KISAさんがコメント済みですけれど(ぉ。
 (1)愛佳へのプレゼントのこと。>KISAさんのこのへん参照
 (2)桜色のタイ。>KISAさんのこのへん参照
 ぶっちゃけ、これ以外の何にコメントすればいいのやら、という気はしますけれど。
 (1)に関して、もう少し違う形で思うこと。それは『本当に欲しいと思うものは、手に入らないものである』或いは『手に入らないものだからこそ、本当に欲しいと思うものだ』ということ。或いはその逆説として、『簡単に手に入ってしまうからこそ、その価値に気がつかない』というのもありますが、ここではそれは横に置いておくとします。で、話を戻しますが、『欲しいと思うもの』と『手に入るもの』との関係というのは、本当に複雑で、難しい。さらに『欲しいと思う』ということは、すなわちそれは自分の認識範囲内の狭い世界内にあるもののことで、その外側にある思いもかけないものに思い至ることはありえない。ぶっちゃけ、温もりを知らずに生きていれば、それがどんなに良いものであったとしても、それを求めることは無いわけですし。
 ……話がでかくなってしまいました。戻ります。で、愛佳がもらったプレゼントは、確かに愛佳が欲しいと思っていたものではなかった。けれどもそれは、今までで一番嬉しいプレゼントだった。そのことから思いを馳せるに、欲しいと思っていたものではないもの=要らないもの、価値の低いもの、ではなく。むしろ予測の範囲内にはなかったもの、ということもあるのかと。ここで言う予測の範囲内にはなかったものというのは、『物理的に質量と存在確率を持った物質であるところのケープ』ではなく、『愛佳自身に純粋に向けられた好意とそれに付随して発生する愛佳自身の存在価値』と言い換えられるのかもしれません。うゎ、書いてて恥ずかちぃ。考えすぎでも何でもいいや。そう考えるだけで、気持ち良いのですよ、こういうものは。
 で、予測の範囲内に無かったということは、自分がそういうものを手に入れるとは想像していなかったわけで、もしそうならば、嬉しいに決まっています。そしてその価値は、ひょっとしたら『欲しいと思っていたもの』をすら凌ぐことだってありうるんじゃないか、とか思うわけです。あー、夢見ストだ、わたし。だからダメ人間。

 (2)に関しては、いくら必要なものが『本物の桜そのもの』ではなく『気持ち』だとわかっていたとしても、だからこそなおさら、代用品で通用するようなものではないと思っていただけに、本気で『どうするんだろう?』と思っていました。桜の花びらが舞ったシーンでは、だからむしろ『マジ? マジ?』という驚きでいっぱい。とにかく、見た目さえ桜に見えればいい、などという代用品(作り物その他)など論外と思っていたので、冗談抜きで、本当に何処からか(みんなの力で協力して)本物の桜を見つけてきたのか、とすら思いました。あんな短時間で、しかも季節的にもありえないとは思いましたが。それでも。
 ですが、残念ながらそれは『植物学的に言うところの本物の桜』ではありませんでした。当たり前ですね、もう咲いていないのですから。でも、確かにそれは『本物の桜』でした。もう何処にも咲いていないのなら、もう一度咲かせればいい。そんな、本物の桜。植物学的に言うところの桜ではないかもしれないけれど、恐らく他の何物以上に桜らしい桜。心の中に咲く桜。あー、ありえねぇ奇跡だ。
 『ONE PEACE』の『ヒルルクの桜』は、紛れも無く本物の桜だと私は思っています。桜の中の桜。あれを本物と認定する以上、私にとってはこの桜もまた本物でないわけが無く。感無量。泣ける。
 んで、『模造紙』云々発言は論外。『タイ』とちゃんと書いてあるでしょ、とかそういう以前の問題。
 ちなみに敢えて、それでも無粋を承知で模造紙とタイの違いを述べるなら、模造紙を使って偽物の桜を咲かせるのは、ぶっちゃけ、多少の力関係や交友関係さえあれば、あの場あの瞬間だけ(時間軸上のあの点以降だけ)の話として、恐らくそれなりに誰にでも可能です。けれども、あの本物の桜を咲かせることが出来るのは愛佳だけですし、その桜の種子は、あの時間点以降の話ではなく、すでに蒔かれていたものであって、たまたまそれが『今回の場合は桜という形で花開いた』だけ。桜かどうかは、この際別問題で、愛佳の行動と優しさと想いの軌跡の結果として、桜だろうがなんだろうが、他の誰にも不可能な現実が実現した、想いが実を結んだ、ということです。……と、私は思います。多分。
 そういう想いを受け取って分かち合える人と語らいたいと思うし、逆にそういう想いが共有できないのであれば、『卿とは語るべき何物も無い!(笑)』ということになるわけです(ぉ。説教するのも意味が無いというか、価値観や物事の捉え方、考え方の相違としか言えません。それが悪いとは思いませんし、むしろ私の方が感性が飛んでるという話も無きにしも非ず。そのことに悔いは無いけれど。

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『以上』

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