………………………… 戻る ……

『舞と真琴』

 舞シナリオと真琴シナリオのクライマックス、すなわち『Kanon』において疑問点とされるいくつかのことのうちでも、多くの方が様々な解釈を試みている『舞の自殺』と『真琴のラストCG』に関して、その意味するところを『ONE』と結び付けて考えてみます。
 この2つの疑問点のうち『舞の自殺』に関しては、私は以前、かつてKeyのネタバレ掲示板に存在した最長不倒の伝説的考察系スレッド『舞の切腹』シリーズに、舞シナリオのお話の流れから考えられる自殺の理由を投稿したことがあります。これに関しては、いずれ機会を改めてHP内にリニューアル版を掲載する予定ですが、それとはまた別に、Keyのスタッフが製作に携わった『ONE』との比較という観点から、この2つの疑問点について考えてみようと思います。
 さて…真琴シナリオに関しては、最後のCGが意味するものは何なのか、という議論がよく成されました。真琴が帰って来たことを意味する、あるいは帰って来ることを予感させるといった帰還説、再生説があります。逆にあれは祐一の願った想像上のものであり、真琴は帰って来ないという幻想説、非帰還説もあります。さらには、祐一や天野の子供として転生することを意味するといった、転生説などもあるようですし、他にもきっと色々な説があるのでしょう。舞シナリオにおける舞の自殺の理由についても、贖罪としての死を望んだ贖罪説、再生への祈りを込めた再生説、あるいは祐一の心が生み出した哀しい幻想の世界であるという幻想説などがあるようですし、きっと他にも諸説があることでしょう。
 この2つの疑問点に関して、正しい答えといったものは存在しませんから、諸説に対してそれが納得できると感じたならば、それは1つの答えとして受け入れることが可能だろうと思います。ただ…この2つの疑問を、構造的に統一した見解から考えた場合、ある答えが思い浮かびます。『ONE』という作品で描かれた『永遠の世界』という概念を排除し、『Kanon』の世界観で『ONE』を再現したとしたらどうなるだろうか…? そう考えた時、見えてくるものがあると思います。『ONE』において主人公『折原浩平』がどういった物語を辿ったのか…。そのことを、主人公とヒロインの立場をある意味で入れ替えて描いた『Kanon』の世界に当てはめたとするならば。おそらく最後には、舞も真琴も祐一の元へ帰ってくるはずです。浩平が、絆を辿ってヒロインの元へと帰って来たように。
 結論から書いてしまいましたが、従って私は、舞は再生への祈りを込めて自殺という手段に訴えたのだろうと思います。そしてあの日から、別な未来を作り上げたのだと。また真琴の場合も、祐一の元へと帰って来たと考えています。

 さて…『ONE』で浩平が帰って来たから、舞も真琴も帰ってくる…という論法では、本当に何が言いたいのかわかっていただけないだろうと思いますので、この結論に至った過程の考え方をこれから書いて行きます。

 『ONE』において浩平は、『本当の幸せ』と『本当の自分』を探しています。何が幸せということなのか、それに気がつき絆を手にすること。幼い子供のままの自分を脱ぎ捨て、過去に決着をつけて、大人になること(自己の確立)。これが浩平に求められていたことでした。永遠の盟約に縛られたままの自分、すなわち子供のままの自分を一度滅ぼし、大人への成長を遂げること。自己の内面における、劇的な成長と決着、過去の清算。そのために浩平は、一度は永遠の世界へと消えて行かねば成りませんでした。それはすでに、自分自身の手によって生み出されたものだったからです。それを終らせることができるのも、また自分自身だけなのですから。そうして浩平は、かつての自分を消し去って大人への成長を遂げ、新しい絆を手にしてヒロインの元への帰還を果たしたのだと思います。この時点で浩平は、『本当の幸せ』と『未来へと繋がる自己』を見出したのです。

 舞シナリオにおける舞の状況も、この時の浩平と極めてよく似ていると思います。舞もまた、幼い頃の想いに縛られて、この10年間を過ごして来ました。その間、自分の持つべき力をも拒否し、やがてそれは魔物という形で具現化して行きます。あの日生まれたたったひとつの嘘と誤解が、今の哀しい状況を作り出しました。かつて願った哀しいまでの、強すぎる、けれどもあまりにも純粋だった想いが、今の舞を形成しています。しかし最後の瞬間、舞は全てを理解したのだと思います。そして何が自分にとっての幸せなのかということを理解し、否定することで魔物として放たれた純粋な力を、希望という形で受け入れることができるようになったから…。この時点でここに存在する舞は、間違った時の流れを歩み続けてきた存在であり、自分の最後の力の欠片は、未だあの日に残されていることに気がついたから。今ここにある古い自分、間違った自分を脱ぎ捨てて、あの日からやり直せると信じたから。新しい自分、本当にあるべき自分に生まれ変われると信じたから。強く願えばそれは叶う事を信じていたから。だからあの日に帰ること、今ここにある自分を消し去ることを選んだその行為が、全てに決着をつける行為こそが、あの自殺という形だったのではないかと思います。だからそれは、再生を願っての純粋な祈りだったのではないかと思うのです。今ここにいる舞という存在は、一度は必ず消え去らねばならない運命にあり、自分の力を受け入れることのできた新しい舞として再生するために、全てを焼き尽くさねばならない破壊の炎としての死だったのではないかと思います。そして…時が戻っても、新しい舞が新しい未来を歩むとしても、生まれ変わっても佐祐理と祐一との思い出を積み重ねていけますように、そんな舞の祈りを込めた言葉が、あの台詞なんだと思います。

     「春の日も…」
     「夏の日も…」
     「秋の日も…」
     「冬の日も…」
     「ずっと私の思い出が…」
     「佐祐理や…祐一と共にありますように」


 以上の理由から、舞の自殺の動機は再生を願ってのものであると考えています。こうして舞は、自分にとっての本当の幸せと、本当にあるべき自分を見出したのだと思います。間に合ったからこそ、力は舞へと帰ることが出来ました。舞が受け入れることが出来たからです。そしてその姿こそが、舞が見出すべき本当の姿だったのではないでしょうか。最後の最後で、舞はそれを手に入れることが出来たのだと思います。こうして舞は、浩平同様に『本当の幸せ』と『未来へ繋がる自己』を見出したのではないでしょうか。従って舞シナリオのラストは、祐一が想い描いた幻想などではなく、もうひとつの別な未来、幸せな結末であると考えます。そうであって初めて『川澄舞』という女の子の物語は、完結するのではないでしょうか。

 次に真琴シナリオについて考えてみます。真琴シナリオも同様に、真琴が『本当の幸せ』と『未来へ繋がる自己』を見出すことで、この世界への帰還を果たしたのではないかと考えます。
 真琴にとって、祐一の前に現れた理由はなんだったのでしょうか。作中では、推測という形で以下のように語られています。そしておそらくそれは、正しい理由なのでしょう。

       「一体、何なんだ、あいつは。何が目的で、こんなことをしているんだ」
     「あの子は、ただ本当に相沢さんに会いにきただけでしょう」
     「それ以外に、理由はないはずです」

       「会いにくるって…会ってどうしたかったんだよ」
     「会いたかっただけです」

 『会いたかった』…ただそれだけ。おそらく人間のように豊かな感情表現や知識を持たなかった妖狐としての真琴は、自分の感情の持つ意味がなんなのかはっきりとした自覚を持てないまま、かつて与えられた、知ってしまった温もりを求めて、祐一に会いに来たのでしょう。まさに『会いたかっただけ』なんだろうと思います。けれど、真琴は知ってしまいました。ふたりが一緒にいることの『幸せ』と、そのための『約束』を…。
 素直になることが出来なかった、自分の気持ちを自分自身ですら気がつけずにいた、気持ちを持て余していた真琴が、人間性を失いつつある過程で放った純粋な想いの言葉。

     「祐一とけっこんしたい…」
     「そうしたらずっといっしょにいられる…」

 言葉の力。真琴の意志。『本当の幸せ』が何なのか、それを見出した真琴。確かな自覚は持てなくとも、あらゆる感覚を失いつつあるからこそ辿りつけたのかもしれない、見出すべきもの、知らず求めていた『幸せ』。この時点での真琴は、まだそれを手にしてはいません。しかし確かに辿りついたのです。手が届くその場所へ。

 そして…真琴は自分自身を見出しました。自己の存在を確立したのです。真琴にとって『沢渡真琴』という名前は借り物、嘘のものでした。他人のものであって、本当の自分自身ではありませんでした。少なくとも最初の時点では…。それでも真琴は、真琴という名前を愛しました。真の名前というものが、何らかの力を持つとしたら…。自分というものを失って行く過程において、あれほどまでに愛した自分の名前までも失ってしまう真琴。しかし真琴は思い出します。自分自身の力で。いえ、それは違うのかもしれません。それまでの真琴という名前は、借り物でした。しかし一度全てを失った真琴は、自らの力で『真琴』という名前を獲得したのです。今ここに存在する、祐一のことが大好きなひとりの女の子として。『私はここにいるよ』『私は真琴だよ』『真琴はここにいるよ』。全てを失って初めて、真琴は本当の自分を見出しました。祐一という幸せを見つけ出した、真琴という女の子としての自分自身を…。

       「ほら、お名前は?」
     「あぅ……ま…」
       「ま?」
       「まの次は?」

     「こ…」
       「まこ? まこでいいの?」
       「まこ…の続きは?」

     「あぅ…」
       「ほら、もう少し」
     「………」
     「…と」

       「と? まこと? 真琴でいいの?」
     「まこと、あぅ。まことっ」
       「いい名前ね、真琴」
     「あぅーっ」

 そして交わされる挨拶。真琴は、自らが『真琴』という存在であることを示し、天野はそれを受け入れました。真琴と祐一、絆の両端を握るふたり。そしてそれを見守る第3者の天野。真琴の世界は今、奇跡の当事者同士だけの閉ざされた世界から、その外へと広がりを見せたのです。
 真琴は、水瀬家一同からも家族として受け入れられました。恋人と、友人と、家族と、そして受け入れてくれる世界を手に入れた真琴。そして真琴は、自分自身をも手にすることが出来たのだと思います。おそらくこの点が、天野のケースと決定的に異なる点だったと考えます。
 よく、天野の相手も帰って来なかったことを引き合いに出し、だから真琴も帰ってこないという論法を見かけます。しかし、この逆はそうかも知れません。真琴ですらもが帰ってこれなかったとしたら、天野のケースでも帰って来るのは無理でしょう。しかし、天野のケースでは無理だったとしても、真琴がそうだとは言い切れません。天野のケースでは、妖弧のことを知るものは、協力者は誰もいなかったのではないでしょうか。奇跡の当事者間だけで全てが決着し、消えていなくなったのではないかと思います。しかしそんな天野の力を借りることで、真琴と祐一は、違う未来へ進む可能性を手にしました。さらには天野自身もが、良き協力者として、真琴の親友として、共にいてくれました。水瀬家の面々は、真琴の正体を知った上で、家族の一員として受け入れています。そして何よりも、天野自身が語っています。

     「予兆……いえ、本来ならば、それで終わっていたのでしょう」
     「ただ、思いが強いだけに、不完全な形で今も居続けているんです」


 おそらく天野が哀しい想いをした相手は、真琴の想いには及ばない強さの想いしか持てなかったのではないでしょうか。そう考えると、真琴自身の想いの強さの分だけ、真琴を想う人々の想いの強さの分だけ、そして積み重ねた絆の深さの分だけ、真琴には可能性が残されているように思います。決して天野のケースと同じではないと考えます。

 そして真琴は、最後の最後で間に合いました。『結婚式』です。ものみの丘で、ふたりは結ばれました。約束を交わしたのです。ずっと一緒にいるための約束を、幸せになるための約束を…。まさに間一髪、消えていなくなる寸前、滑り込みで間に合ったのです。この時、真琴は幸せの全てをその手にしました。手の届くところでふんばり続け、ついにそれを手に入れたのです。幸せと、世界と、自分自身を見出したのです。
 結果的に真琴は、妖弧の力として祐一の前に現れた古い自分を脱ぎ捨て、新しい自分へと生まれ変わるために、浩平が一度は永遠の世界へと消えて行ったように、真琴もまた消えていなくなりました。しかし真琴は全てを手に入れました。約束も、絆も、何もかもを手に入れました。だからこそ真琴は、今度こそ生まれ変わった借りものではない『沢渡真琴』という女の子として、もう一度祐一の元へと帰って来るのではないかと思います。『本当の幸せ』と『未来へ繋がる自己』を見出し、過去の自分を清算し、もう一度絆で結ばれた相手の元へ帰って来ること。そうして初めて『沢渡真琴』という女の子の物語は、完結するのではないでしょうか。

『以上』

………………………… 戻る ……