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ボクの意識が回復したのは、今朝早くのことだった。
それからのボクは、色々な検査を受けたり…
お医者様から、この7年間のボクのことを聞かされたりもした。

  「うぐぅ…ボク…7年間も眠ったままだったんだね…」

そう…
ボクは7年前のあの日からずっと…眠り続けていたんだ。
7年前の…あの日から…。

あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
起きたことの全てを、はっきりと思い出すことができる。

…もちろん、意識が戻ったばかりの時には…
さすがにまだ、自分のおかれた立場に対する明瞭な認識はなかった。
だって…ボクはあのまま死んでしまうと思っていたのだから…。
だからそう考えれば、むしろそれは当然のことだったのかもしれない。
とにかく…今のボクのおかれた複雑な状況を…
それを理解するためには、少しの時間が必要だった。

けれども時間が経つにつれて…あの日の想いが甦ってきて…。
だって…だってボクにとってそれは…
その想いは…思い出は…つい昨日のことと同じ。
まるで昨日あったことと…少しも変わらなかったのだから…。

  (祐一くん…辛い思いをさせちゃったね)

  (でも…ボクのために泣いてくれたんだよね)

  (祐一くんが泣いてくれたこと…ボク…ちゃんと覚えているよ)

  (…会いたいよ…祐一くん…)


でも…お医者様から聞かされたから…
ボクは…もう知っているんだ。

…ボクが眠り続けていたこの7年間…
祐一くんは…ただの一度も…
ボクに会いに来てはくれなかったのだということを…。

そして…
そのことから考えられるのは…
それが意味することは…たったひとつだけだと思う。

  (祐一くんはきっと…)

  (きっと…ボクのこと忘れちゃったんだね…)


それは、仕方のないことだったのだろうか。
だってボクはあの日から…
時の流れに置き去りにされた…眠り姫だったのだから…。

ただ…何とはなしに思う。
ボクは確かに眠り続けていたけれど…
その間…
幸せだけど幸せじゃない…そんな…長い夢を見ていたような気がする。

来ない誰かを待ち続けて…
いつまでも…いつまでも…待ち続けて…
変わっていく季節だけが…いくつもいくつも通りすぎて…。
寂しくて…
とても寂しくて…心細くて…。
けれど最後には…
最後には…その人がボクを迎えに来てくれる…。
そんな…現実には叶わなかった…哀しい夢…。
そんな長い夢を…ずっと見続けていたような気がするよ…。

そして…ボクは思うんだ。
そんな哀しい…醒めることのない長い夢を見ている間に…
ボクにとっての全てが…大切なものが…
過ぎ去ってしまったのではないかということを…。

本当に大切だったものが…ボクの目の前を…掌の中を…。

けれどボクが目覚めたことで…
もういちど…時は流れ始めたんだ…。
凍えていた時間が…。
置き去りにされたままだった想いが…。
その全てが…。



今日ボクは『ある人』と面会することになっている。

ボクが今こうして生きていられるのは…
その人の好意と…誠意と…愛情と…優しさのおかげだとお医者様は言っていた。
他人のはずの、ボクの治療と入院生活の一切を取り仕切り…
本当に今日までの…7年間もの長い間、ずっと面倒を見てくれていたそうだ。
だから、もしその人がいなかったとしたら…
こうしてここに、今現在のボクは存在しなかったことになる。
けれどボクは、そのご恩に対して何もお返しすることができないから…。
それでもせめて…ボクの心の限りを込めてお礼が言いたいと思う。
言葉では決して言い尽くせはしないけれど…
それでも…どうしても伝えたい想いが…ここにあるから…。
だからボクの意識が戻ったら、その人から大切なお話があるとお医者様に聞かされて…
その人に会うことを…心待ちにしていたんだ。

…本当に心から…。

その人の名は…『水瀬秋子』さん。



秋子さんの名前は、祐一くんから聞いたことがあった。
あの頃…祐一くんがこの街にいる間…
お世話になっている人だと、いつか言っていたことを思い出す。
でも…直接会うのはこれが初めてだった…。

なのに…。

秋子さんは、まるでボクのお母さんのような印象を持った人だった。
でも…やっぱり少し違う。
お母さんじゃない。
けれど…
お母さんとは違うのに…
違うはずなのに…お母さんみたいな感じを受ける人。
こんな人に憧れてしまう…そんな人。
そんな…不思議な魅力を感じさせる人だった。



  「はじめまして…かしら。あゆちゃん」

秋子さんの意味深な挨拶から、ボクと秋子さんのお話は始まった。

  「ボク、秋子さんと会うのは初めてなのに、初めて会ったような気がしないよ」

  「どうしてかな…」

  「それに、とっても懐かしい感じがするよ?」


どうしても話さずにはいられない…そんな不思議な想いが心に浮かぶ。
その想いが、自然に口を突いて出てしまう。

  「そう?」

  「そうかもしれないわね…」


それは秋子さんの癖なんだろうか。
少し考えこむように首をかしげ、頬に手をあてる。
そして…優しい瞳をした…
…本当に…自然な優しさをたたえた…微笑み。

…とても懐かしい感じのする…そんな不思議な仕草だった。



  (ボク、やっぱり秋子さんのことを知っていたような気がするよ…)

どうしても拭い去ることのできない不思議な想い。
そんな想いを抱えながらも、秋子さんにご挨拶をして…
命を助けてもらったことやお世話をかけたことのお礼を伝えた。

そして…ボクと秋子さんは視線を合わせる。
緊張が走って…
いよいよ本題に移る。

お話の内容が何なのか、薄々想像はついていた。

だから…

  「祐一くんのことなんだね? 秋子さん」

躊躇いがちな秋子さんを見て、思わずボクの方から切り出す。

  「そう…そうよ、あゆちゃん」

  「それじゃ訊くわね? あゆちゃん」


秋子さんの表情が、意を決したかのように引き締まる。
つられて…思わず唾を飲み込む。

  「あゆちゃんは…あゆちゃんは、どうしたいの?」

…何という…質問だろうと思う。

  『どうしたいの』

秋子さんの質問は、それだけだった。
そして…ボクにはそれで…全てが理解できた。

だから…。
…だから…ボクは…。

  「秋子さん、ボクね、祐一くんのことが大好きだったんだ」

  「そして…それは、今も変わらないよ」

  「ボク、今でも祐一くんのことが大好きだよ」


…ボクの想い。
祐一くんへの、大切な想い。
伝えることはできなかったけど…
変わることなく今もボクの中にある、本当に大切な想い。

ボクは祐一くんのことが大好きだから。
本当に大好きだから。
大好きな…祐一くんだから…。

  「だから…祐一くんには、幸せになってもらいたいと思う…」

  「うぐぅ…祐一くんは、ボクのこと…忘れちゃったんだね?」


視界が…不意に滲む。
けれど…

  「…あゆちゃん…」

思わず秋子さんの言葉が詰まる。
それは…肯定の意味。
けれども…ボクは構わずに続けた。

  「だから、祐一くんには…うぐぅ…会いたいけれど…会えないよ…」

いつの間にか…
ボクの声は涙声になっていた。

  「うぐぅ…ひっく…」

とても声にならない。

  「祐一…くんの…思い出の…中で…」

  「うぐ…」


当時の情景が、鮮明に浮かび上がる。
あのあと祐一くんは、ボクのことをどう思ったのだろう。
ボクに出せる答えは…それは…たったひとつだけの哀しい結末。
そしてそれを裏付けるような…祐一くんの7年間。
一度もボクに会いに来てはくれなかったこと。
だから…。

  「ボクは…もう…死んじゃって…いる…うぐぅ…ん…だ…ね?」

  「…うぐ…」


…だめだよ、祐一くん。
これ以上はもう言葉にならないよ。
想いだけがあとからあとから溢れてきちゃうよ。

けれど…
それでもボクは、想いを秋子さんへとぶつけ続けた。
それはもう、意味のある言葉じゃなかったのかもしれない。
でも、秋子さんは黙って聞いてくれた。
ボクの背中をそっと抱きながら…。

  (秋子さんって、本当に、ボクのお母さんみたいだね…)



     …ボクの想い。

     祐一くんが、僕のことを忘れて幸せになれるなら…
     もしそうならば、僕のことを忘れたままでいて欲しい。
     だってボクは、7年前のあの日、死んでしまっていたはずなのだから。
     だから、ボクの代わりに誰か素敵な人を見つけて…
     幸せになれるその人と、一緒の未来を歩いて欲しいと思う。

     ボクは7年前のあの日から…
     祐一くんとは違う道を歩き始めてしまったのだから。
     ボクたちの歩いて行く道は、あの日別れてしまったのだから…。

     人は…哀しみの想いに包まれたとき…
     それを忘れたいと…忘れてしまいたいと…願うものだから。

     その想いを…
     そう願う心を…ボクもよく知っているから。
     そう願う想いを…心の傷を持っていたのは…あの頃のボクも同じだったから。
     だから…ボクにはよくわかるから…。

     けれど…
     それでもボクは…
     ボクだけは…いつまでも…
     たとえ遠い空の向こうからだって…
     祐一くんのために、祐一くんの幸せを祈り続けるから…。

     あの日『さよなら』を言って…
     全てを幼い日の優しい思い出に変えて…
     笑ってお別れすることはできなかったけど…。
     そのことだけが、ボクのたったひとつの心残りだけど…。
     本当はあの日…
     『さよなら』と『いつかまた会おうね』を言いたかったけど…。

     でも…もう…
     あの日に帰ることはできないのだから…。
     だから…今ここでいい…。
     違う道を歩き始めた祐一くんに…
     今ここで…祐一くんに『さよなら』を言おう。

     秋子さんにそれを伝えればいい。
     秋子さんだったら…きっとその想いを…
     あの日の忘れものを…ボクの心を受けとめてくれると思うから…。

     『祐一くんの幸せ』が、ボクのお願いだから。
     最後に残された…3つ目のお願いだから。

     ボクのお願いの全てだから…。



     だから…。




…だから…。



  「うぐぅ…だから…だ…から…」

  「だから…うぐぅ…あ…きこ…さん…」

  「ボク…」




もう、想いが止まらない。



  「ボク…ゆう…いち…くん…に」

  「ゆういち…くんに…」




全ての想いを搾り出すかのように、心の奥から叫ぶ。



 「ゆういちくんに、もう一度、会いたいよ」



…ボクもう、自分の本当の想いに嘘なんかつけないよ。



  「ボク、ゆういちくんに、会いたい」

  「会いたいよ…あきこさん…」

  「会って…お話がしたいよ…」

  「会って…一緒に…うぐぅ…たいやきを…食べ…」

  「うぐぅ…食べたい…よ…」




そうじゃない。
そうじゃないよ。
本当に言いたいことは、もっと別にあるよ。



  「ボク…ボク、うぐぅ…まだ…ゆう…いち…くんに…」

  「ゆういち…くんに…」

  「すきって…伝えて…いないよ…」

  「ボク…の…本当の…気持ち…伝え…たい…よ…」

  「ボク…ゆういち…くん…と…」

  「い…一緒に…幸せに…」

  「うぐぅ…しあ…わせに…なりたい…よ…」




後はもう、言葉にならない。
なるわけがない。
でも…これ以上の言葉はもう必要なかった。

秋子さんは言った。
『どうしたいの?』と。
…そんなことは始めから決まっている。

  『祐一くん、ボクね、祐一くんのこと大好きだよ』

そのことを伝えたい。

  『ボクはね、祐一くんと一緒にいられたら、それだけで幸せだよ』

それが、ボクの本当の願い。



  (ねえ…秋子さん…ボクってわがままかな…)



俯いていた顔を上げ、涙を拭いながらじっと秋子さんを見つめる。

  「じゃあ、伝えなきゃね」

秋子さんが言ったのは、ただそれだけ。
それだけだった。
けれど…
潤んだ瞳と…
優しい微笑みと…
…そして…暖かい手…。
ボクの頭を撫でてくれる…小さくて…大きな手…。

  (本当にいいの?)

  (ボク、祐一くんに会ってもいいの?)

  (祐一くんに、気持ちを伝えてもいいの?)

  (祐一くんのそばにいてもいいの?)


ボクはそっと…秋子さんの胸の中に顔を埋めた。
そしてそのまま…泣きつづけた。
泣きつづけたんだ…。



忘れていた匂い。
懐かしい匂い。
お母さんと同じ匂い…。

幸せな気持ちで胸がいっぱいになる。

  『お母さん…』

そっと呟く。

秋子さんは何も言わない。
きっと聞こえていただろうと思う。
けれど…ただ黙って抱きしめてくれるだけ。
前よりも…強い力で…ぎゅっと…全てを受け入れるかのように…。

その時の秋子さんは…まぎれもなく…。

  『…お母さん』

もう一度だけ…そっと呟く。
そして…

  (ありがとう、秋子さん…)

もう何も、哀しいことなんかなかった。

  (お母さん、ボク…きっと幸せになるから)

  (幸せに…なるからね…)




     …幸せは、もうすぐそこまで来ている。
     だから、手を伸ばせばいい。
     きっと…届くから。

     もう…たった独りきりの夢の中じゃない。
     寂しくなんかない。
     哀しくもない。
     これからは…
     大好きな人と一緒に歩いて行けるから。

     そんな、幸福な未来が…。



     そして…。




今…長かった夢が…終わりを告げた。

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