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…放課後だ。
今日も一日お疲れさま。
掃除も終わり、あとは帰るだけである。
とりたててすることもないし…さてどうするか…。
商店街にでも寄って…ついでにあゆをからかってから帰るか…。
そんなことを考えながら帰り支度をしていると、誰かが俺の視界を遮った。
クラスメートの美坂香里。
全校レベルで勝ち負けが可能な美人である。
少し癖のある長髪が良く似合う、神秘的な雰囲気の女の子だ。
その香里が俺の前に立って、何か言いたそうな視線を向けてくる。
少しの躊躇いのあと…香里の唇がゆっくりと動く。
「…相沢君」
何か物憂げな表情。
香里独特の雰囲気を生む一瞬の間。
「…少し…いいかしら?」
最近では香里と一緒に帰ることも多い。
商店街まで話をしながら歩いて、そこで別れる。
たまには…百花屋あたりで何か食べて行くこともある。
とは言え、いちいち一緒に帰る約束をしているわけではない。
何となく自然にそうなるだけだ。
ただ…今の香里の様子からして…
誘いと言うよりは、何か大事な話でもあるようだ。
「ああ。かまわないぞ」
手に持った鞄を机に下ろす。
中身は空っぽだから、別に重たいわけではない。
ただ…香里の雰囲気からして、長話かもしれないなと思ったからだ。
「…歩きながらで構わないわ」
「そうか?」
香里の言葉に促されて、再び鞄を持つ。
中身が空とはいえ、鞄を置いて帰るのはさすがに気が引ける。
…名雪もうるさいしな。
「それで…香里の用はなんだ?」
並んで廊下を歩きながら訊いてみる。
用がある…と言うわりには、一向に口を開かない香里。
特に不機嫌そうにも見えないし…はっきり言って、よくわからない。
それに…こんな時間になってから、香里の方から俺に用があるというのも珍しい。
ふと思いついて、俺の方から訊いてみる。
「栞のことか?」
香里が俺に用があるらしい。
だとすれば、9割方は栞のことだろう。
ちなみに…残りの1割は、自動的に名雪のことだ。
「…また、栞の調子が悪くなったのか?」
少し心配になる。
栞は…香里の大切な妹だ。
香里にとって、かけがえのない存在。
香里がどれほど栞のことを大切にしているか…
そのことは、他人であるはずの俺ですらもが良く知っている。
冷静なはずの香里が、栞のことを想うあまり自分を見失ってしまう程に…。
「あの子は…」
何か思い巡らすような表情に変わる。
何処か遠くへ向かって…視線が宙をさまよう。
けれど…それもほんの一瞬だけのこと。
「…あの子は元気にしているわ」
すぐに…瞳に優しさが戻る。
何かが吹っ切れたように、口元に笑みが浮かぶ。
栞のことを想っている時の香里の表情は、本当に優しそうだと思う…。
少し前までの栞は、重い病気のせいで満足に学校へも通えなかった。
このままではもう長くはない…。
俺が美坂姉妹と出会ったのは、そんな状況の中だった。
そして…。
『私は、勇気を分けてもらいました』
これは栞の言葉。
香里自身は…何も言わないけれど…。
『お姉ちゃんが言ってました』
『祐一さんは、本当に大切なものが何かを思い出させてくれた…と』
『祐一さんには、どんなに感謝しても足りないって』
『ただ…お姉ちゃんは、素直じゃないから照れ臭いんですよ』
いかにも香里らしい話だと思う。
そして…栞は大きな手術を受けた。
結果的にはもう一度、同じ学年をやり直すはめになったけど…。
2人は今、望んだ世界にいる。
『お姉ちゃんと一緒に学校へ通って…』
『一緒にお弁当を食べるのが、夢だったんです』
『だから…今、とっても幸せなんです』
『そのうえ、お姉ちゃんだけでなく祐一さんまで一緒なんですから』
…おもわず思い出してしまった。
『相沢君は余計よ…』
あの時の香里の目は、俺が知っている中で一番優しい目をしていた…。
結局それ以来、美坂姉妹との仲は以前にも増して深まった。
とは言っても、別に香里や栞と付き合ってるというわけではない。
ただ…単なるクラスメートというだけでは語れない存在になっていた。
今の美坂姉妹は、俺にとってはかけがえのない親友であり…かつその妹だ。
実際のところ…香里と昼飯を食べたり、一緒に帰ったりすることも多くなった。
正直な感想を言えば、香里と栞の仲を考えるとこの傾向は俺にも意外なことだった。
栞の体は完全に健康になったというわけではない。
だが以前と比べれば、日に日に丈夫になりつつあった。
だから、美坂姉妹の仲を知る者は…
ふたりはいつも一緒だろうな…というのが大方の予想だった。
これに関しては、栞に訊いてみたことがある。
『私はもう、夢を叶えることができました』
『そして…この夢は、これからは望めばいつだって叶えられるんです』
『私とお姉ちゃんは、本当に大切なものに気がつけたから…だからいいんです』
『それに…お姉ちゃんが教えてくれたんです』
『かけがえのない友達を作って…自分の時間を充実させなさいって』
『お姉ちゃんは、いつだって栞の傍にいてあげられるんだから…って』
本当に心をわかりあえる、支えあえる友人が傍にいるということ。
その大切さに気がつくことができた、香里なればこその台詞だろうと思う。
そして最近では、栞は新しいクラスメートと一緒に下校することが多くなっていた。
それでも朝は香里と一緒に登校するわけだから、決して寂しいということはないようだった。
そんなわけで…。
見方によっては、俺と香里が付き合っているように見えなくもない。
相手が香里なわけだから、たとえそれが誤解であってもまんざら悪い気はしないが…。
…実際のところ、俺は香里のことをどう思っているのだろう。
そして…香里の方も…。
素直に白状すると、香里の性格は未だによく掴みきれていない。
俺の周りの人間は香里以外、みんなわかりやすい性格をしているからだ。
そういう意味からすれば…俺にとって香里はとても気になる、興味深い女の子だ。
最近では、香里のことをもっとよく知りたいと思うようになっていた…。
「…相沢君」
すぐ傍で香里の声がする。
意識が現実に引き戻される。
「ああ…悪い。何の話だったっけ?」
いろいろ考えているうちに、香里の話を聞き逃したらしい。
「…まだ、何も話していないわ」
「ただ…何か考え込んでいるようだったから」
思っていた以上に、ぼ〜っとしていたらしい。
気が付くと、既に学校の外を歩いていた。
靴を履き替えたのも、半ば無意識だったようだ。
「それで…香里の用はなんだ?」
もう一度聞いてみる。
「…そうね。やっぱり百花屋についたら話すわ」
結局そうなるらしい。
名雪の『私も行きたかったよ〜』という台詞が聞こえてきそうだ。
鈴の音を鳴らしながら、百花屋のドアをくぐる。
いつもの指定席に、向かい合って腰を下ろす香里と俺。
注文も、定番メニューのローテーションだからすぐに決まる。
「それで…香里の用はなんだ?」
今日、何回目の台詞だろう。
相変わらず、香里が何を考えているのかわからない。
香里が視線を合わせてくる。
「…相沢君」
香里の口が、意を決したように開く。
しかしそこで再び…少し考え込むような表情。
またしても視線をそらして、手元のコーヒーカップを眺める。
けれどもう一度、俺のほうを向く。
香里の表情が弛む。
そして…。
「栞は…。きっと相沢君のことが好きよ」
…いきなりな話題である。
これまでも、栞からの好意を感じなかったわけではない。
ただ実際に…こうして話題にしたことは、今まで一度もなかった。
だがそんなことよりも…香里はこんなことを言うために俺を誘ったのだろうか。
…違うような気がする。
取り敢えず…香里の話題を受けることにした。
「…いきなりだな。栞に聞いたのか?」
自分の方から言っておいてなんだが、おそらく違うだろうと思う。
もし栞から相談を受けたのなら、軽々しくそれを口にするような香里ではない。
確かに香里の性格はまだよくわからないが、こういう面では信頼できる女の子だと思っている。
だから…きっと香里の推測なのだろう。
「あの子は…。あの子は、何も言わないわ…」
「ただ…私がそう思うだけ」
「それと…名雪もね」
「名雪も、相沢君のことが好きよ」
「…多分ね」
…決して自惚れで言うわけではない。
ただもしかしたら、そうかもしれないなと思う。
いや…以前はそうだった、と言うのが正しいのかもしれない。
少なくとも7年前の名雪は、俺を好きでいてくれたのではないかと思う。
けれど長い時間が過ぎて、今の名雪の気持がどうかはもうわからなくなってしまった。
ただ…今も名雪から感じられる好意は、単なる幼馴染や従兄妹のものとは違うようにも思える。
「相沢君、意外にもてるわね」
『意外』は余計だぞ、香里。
一応お約束のツッコミを入れてみる。
とは思ってみたものの、実際…そうだろうな。
正直なところ、俺のどこがいいのか自分でもわからない。
ただ…香里のからかうような口調に…
いつもの調子が戻っているように感じて、少しほっとした。
「まあ、何と言っても相沢祐一だからな」
意味不明の返答をしてみる。
やれやれといった感じで、香里の目元が弛む。
香里とのこういう雰囲気の会話には、こんな馬鹿な返事が定番だ。
そして…香里とのこんな一瞬のやりとりが、何気に心地良いと思う自分が確かにいる。
「それで、相沢君は誰が好きなのかしら」
すかさず追及する香里。
香里の用件とは、このことなのだろうか。
だが、冗談半分でこの手のネタを振るような香里ではないと思う。
と言うことは、いたって真剣なのかもしれない。
…だとすれば、栞のためを思ってのことなのだろうか…。
「真面目に答えないと、ダメか?」
一応、お伺いをたててみる。
「…そうね。真面目に答えてね」
にっこり笑って答える香里。
そして…コーヒーに口をつける。
…目がマジである。
香里は本気なのだろう。
となると、俺も本気で答えねばなるまい。
「正直に言えば、好きな女の子は…今はまだいない…と思う」
ふと…引っ掛かりを感じて、付け加える。
「ちょっと気になる子は…いる」
「ただそれは…好きとは違うかもしれないけどな」
「ちなみに…香里には悪いが、栞でも…名雪でもないぞ」
そこまで言うと、俺もコーヒーに口をつける。
なんだか急に、コーヒーが苦味を増したような気がしてきた。
少し居心地が悪い。
香里の方に視線を流す。
香里の様子は相変わらずだ。
「…そう」
ただ一言、呟く。
…わからない。
香里は、本当にこんなことが訊きたくて俺を誘ったのだろうか。
どうせ考えてみたところでわかることでもないし、俺の方から切り返してみる。
「そう言う香里は、誰が好きなんだ?」
贔屓目抜きで見ても、これだけの美人である。
むしろ浮いた話のひとつもないことの方が不思議なくらいだ。
もっとも…これに関しては、単に表面化していないだけかもしれない。
実際のところ、玉砕した男子生徒の数が2桁以上だとしても不思議はなかった。
ただ…栞のことがあったからか、香里は自分の幸せを犠牲にしてきたように感じられる。
「秘密」
香里のいつもの台詞。
これを言われると、本当に気になってしまう。
思わず『教えてくれたって…』という視線で香里を見つめる。
そもそも、先にこのネタを振ってきたのは香里である。
俺の方にも、訊き返す権利くらいはあるのではないだろうか。
「秘密」
さらに念を押される。
いつもならここで引き下がらざるを得ないのだが…。
「でも、好きな奴くらいはいるんだろう?」
一応、型通り食い下がってみる。
…刹那、香里の瞳が悪戯っぽく弛む。
「…秘密」
全く無駄だった…。
「…でも、聞いても後悔しないなら…教えてあげてもいいわよ」
以前に香里が『秘密』の一端をバラしたことがある。
駅前のパン屋の、消された賞味期限が発覚した時だった。
…確かにあの時は、聞いてしまったことをものすごく後悔した。
世の中には、知らずにいることが幸せなこともあるらしい。
今回のことも、聞かないほうが幸せなのかもしれない。
「…いや…無理にとは言わない」
少しばかり動揺の混じった口調で答える。
頬杖をつきながら、視線を合わせてくる香里。
そして…一瞬だけ目を伏せたあと、窓の外へと視線を流す。
何かを見ている…というのではなく、何処か遠くを見つめるような瞳。
…ほんの少しの沈黙。
そして…呟くように紡がれる香里の言葉。
「私、好きな人、いるわよ?」
…はい?
人の話など、お構いなしに続ける香里。
それはあまりにも唐突で、思いがけない台詞だった。
俺の方を見もしないで、窓の外を見つめながらの意外な独白…。
「…そ、それは初耳だな」
どもりながらも、何とか言葉を返す。
「…名雪も知らないわ」
香里が、心の中に想いを秘めた相手がいる。
はっきり言って、親友としてそれは喜ばしいことだと思う。
栞のことが原因なのだろう、今まで自分のことを殺して過ごしてきた香里。
恋愛すら許されなかった栞のことを想うと、自分の恋愛にも後ろめたさがあったのだろう。
…かってな推測ではあるが、おそらくそうだろうと思う。
だから…香里に好きな相手がいる。
そしてそのことを、他人に打ち明ける香里。
それは、栞の呪縛から解放されたということだろう。
ただ…その慣れない感情に戸惑いを覚えて、俺に相談してきた。
…そういうことなのだろうか。
だとすれば、今日の香里の不審な態度にも合点がいく。
ただ…名雪も知らないことを、俺に打ち明ける香里。
香里にとって一番の親友が名雪であることは、動かしがたいことだ。
だから…敢えてそこで、俺に話を持ちかけた香里の真意を計りかねているのも事実だ。
「でも、どうして急に…」
正直な気持ちである。
香里が何を思っているのかわからない。
「栞に言われたわ…」
しかしそこで、言葉が止まる。
香里の瞳は、何処か遠くを見つめたままだ。
『お姉ちゃん…私はもう大丈夫だから』
『だからもう、私に何も遠慮することなんてないよ』
『お姉ちゃん…。好きな人、いるんだよね?』
『お姉ちゃん、きっとその人のおかげで元気になれたんだと思う』
『たとえ…お姉ちゃんが何も言わなくたって…』
『私…ずっとお姉ちゃんのこと見ていたから、わかるよ』
『ねぇ…お姉ちゃん…』
『私もね、お姉ちゃんに幸せになって欲しいと思う』
『だから…好きな人のことで、私に遠慮なんかしないで欲しい』
『でも…もし…お姉ちゃんの好きな人が…私の好きな人と同じだったら…』
『それでも私…お姉ちゃんのことを応援するよ』
『だって、お姉ちゃんのこと、大好きだから…』
『お姉ちゃんとその人の幸せが、私の幸せだから…』
『だけど…それでも、想うことだけは自由だよね』
『だから…想う気持ちの強さだけは…私…』
窓の外を向いたまま、香里が呟く。
「私…お姉ちゃんには負けないよ…か…」
香里が微笑む。
この上なく優しさを湛えた微笑。
これまでの迷いを全て、拭い去ったかのように。
そして…。
頬杖をついたまま、視線だけを俺の方に戻す。
以前の香里からは想像もできないような、悪戯っぽい微笑み。
「私ね、栞に対していつも、罪悪感のようなものを感じていた」
「だから…本気でぶつかろうとすることもなかった」
「いつもどこかで…一歩引いていたように思う」
「でも…それって、間違っていたのかもしれないわね」
「仲がいいほど喧嘩するって言葉もあるけれど…」
「姉妹喧嘩も、憧れのひとつだった」
「そんな気持ち…ずっと忘れていたけどね」
本当に…何かから解き放たれたような清々しい表情を見せる香里。
そして…。
「私、相沢君のこと、好きよ…」
まるでからかうように、平然と言ってのける。
むしろ、言われた俺の方が恥ずかしくて赤面してしまうくらいだ。
あまりにも予想外のその台詞が、ようやく心に届く。
胸の鼓動が早くなる。
香里が俺のことを好き…。
今まで考えてもみなかったことだった。
「多分…自分でも気がつかなかったけど…」
香里が続ける。
「初めて会った時から…」
「もしかしたら、初めて会う前から…」
「だとしたら、名雪もとんだ失敗をしたものね」
俺がこの街へ帰ってくる前から、名雪は香里に俺のことを話していたらしい。
どんな風に香里に俺のことが伝わっていたのかは知らないが…。
「名雪があんまり嬉しそうに、相沢君のことばっかり話すから…」
「きっと、名雪の気持が移っちゃったんだと思うわ」
あの香里が、照れもせずに素直な気持をぶつけてくる。
知り合ったばかりの頃の香里からは、想像もできないことだった。
「香里。俺のことをからかってるわけじゃないよな?」
馬鹿なことを訊いてみる。
「そうかもしれないわね」
本当に幸せそうな視線を合わせてくる香里。
俺の気持がどうこうというのは、もうおかまいなしのようだ。
香里にとっては、思いを伝えられたことでもう充分に幸せ…という感じに見える。
香里のその気持ち…わかるような気がする。
照れ混じりで茶化してみる。
「それにしても…香里が俺のことを好きだったなんて、本当に意外だな」
「…素直に信じてくれるのね」
「…どこまで本気で言ってるんだ?」
「…秘密」
「うぐぅ…」
「秘密」
告白されておきながら、主導権は完全に香里に握られている。
でも、こんな関係も悪くはないと思う。
「実を言うとな、香里」
「さっき言った気になる女の子って、香里のことなんだ」
「はっきり言って、香里のことを好きなのかどうかは、まだよくわからない」
「ただ…香里のことは、きっと好きになれると思う」
「今は…それでいいよな?」
香里は…ただ優しく笑っていた…。
『栞…。私、あなたに言わなくちゃいけないわね』
私の幸せを願ってくれる栞。
この子は、本当に優しくて…強い子だと思う。
これまでの私は、決して良い姉ではなかったかもしれないけれど…
この子を大切に思う気持ちは、誰にも負けるつもりはない。
私は、この子が大好きだから。
私にとって、かけがえの無い存在なのだから。
だから…この子にだけは、偽りの無い気持ちで接していきたいと思う。
それが…あの人が教えてくれた、大切なことだから。
『私…相沢君のこと、好きよ…』
栞が相沢君のことを想っていることは、何となく感じている。
でも、私は本当の気持ちを栞に伝えなければいけない。
…そう思ったから…。
『じゃあ…お姉ちゃん、きちんと告白しないとだめだよ』
『私も応援するから…だから頑張ろうね、お姉ちゃん』
にっこり微笑む栞。
『栞…。あなたは相沢君のこと…』
唇に指を当てる、いつもの仕草。
『私の好きな人が誰かは、内緒です』
にっこりと微笑む。
そして…。
『お姉ちゃん、幸せになってね』
大切な人の幸せが、自分の幸せ。
それも…ひとつの幸せの形だと思う。
だから私は…。
『ありがとう…栞』
「…相沢君」
香里の呼びかけも、別に変わりはしない。
歩道を歩く2人。
前を行く香里が、振り返りながら言い放つ。
「多分…あの子も、名雪も、相沢君のこと好きだから…」
「これから、大変なことになるかもしれないわね」
満面の笑顔を浮かべる香里。
「俺は、もてるからな」
笑いながら…冗談を返す。
「本当、意外だったわ」
百花屋での会話の繰り返し。
でも…今度の『意外』には、香里自身の気持ちが含まれている。
「ああ。俺にも意外だったぞ」
俺と香里、同時に顔を綻ばす。
香里のこんな笑顔がいつもみられるのなら…
俺自身も…こんな笑顔でいられるのなら、それも悪くは無いと思った。
季節は春から夏へと移ろい、新しい匂いの風が吹き始めている。
俺たちの関係は、まだまだこれから築いていくものだ。
『風の辿り着く場所』は…まだ見えない。
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