………………………… 戻る ……
§ 1月1日
夢を見ていた。
とても仲のいい姉妹の夢。
姉は、誰よりも妹のことを可愛がっていた。
妹は、そんな姉が大好きだった。
一緒の制服に身を包んで……。
同じ学校に通って……。
暖かい中庭でお弁当を広げて……。
そして、楽しそうに話をしながら、同じ家に帰る。
そんな些細な幸せが、ずっとずっと続くという……。
……悲しい……夢だった。
今年最初に見た夢は、あたしが一番見たくない夢だった。
毎年、お正月が来るたびに願い続けてきたこと。
栞の身体が良くなって、ふたり仲良く学校へ通う……そんな他愛もない初夢。
――そしてその夢が、今年こそ現実に変わること……。
でも――今まで一度も見ることはできなかった。
なのにどうして……。
パジャマの袖で、そっと涙を拭う。
――こんなことで、泣いてはいられない。
あたしはもう、泣かないって決めたんだから。
あの子のことは忘れよう。初めからいなかったことにしてしまえば、きっとこれ以上は辛い
思いをすることもない。そう決めたんだから。
――あたしには、妹なんていない。
なのにどうして……こんなに胸が痛いのだろう。
目覚し時計で時間を確認する。名雪と約束した時間には、まだ少し早いけど……栞とは顔を
合わせたくなかった。
手早く着替えを済ませてリビングへ降りる。思った通り、栞はまだ寝ているようだ。
両親に――「あたしの家族」に新年の挨拶を済ませ、行き先を告げて家を後にする。
名雪と一緒に初詣に行くのは、あの子と友達になってからの恒例行事になっていた。
待ち合わせ場所は、商店街から少し外れたところにある小さな公園。早い話がお互いの家と
神社との、位置関係上の最大公約数ということになる。
時計を見るまでもなく、待ち合わせの時間よりもかなり早い。
あたしはベンチに腰を下ろすと、ぼんやりと景色を眺めていた。
(たまにはこんな日があっても、いいのかもしれないわね……)
何となく、そんな風に思う。
――それにしても、正直なところ……今年は少し気が重い。
もちろんその理由はわかっている。
名雪と知り合うよりも以前から、初詣のたびにあたしが願い続けてきたこと。それは初夢と
同じことだった。
――栞の身体が良くなって、学校へ通えるようになること。
あたしにとって、願い事といえばいつもそれだけだった。
でも――今年はもう、そんな願い事をする必要もない。
願い事をしたところで、叶うことなどないことを知ってしまったから。
そして何よりも、あたしには妹なんていないのだから……。
「香里、おまたせ〜」
いつの間にか、考え事に没頭していたようだ。名雪のどこか間延びしたような声に、現実に
引き戻される。
本当は――少しだけびっくりした。
「……意外に早かったわね。じゃあ行きましょうか」
内心の動揺を隠すようにして言うと、並んで歩き出す。
――しばらく歩いた頃、名雪が何か考え込むような表情をして、あたしの方を見ているのに
気がついた。
「……どうかした?」
名雪の表情が、真剣味を帯びる。
「香里、何か悩み事……ある?」
この子は、いつもぼけぼけっとしているようでいて、時々妙に鋭い時もある。――もっとも
今のあたしを見れば誰だって、何か悩み事があることくらいわかるかもしれないけれど。
「……特に何もないわよ」
いつものように、強がってしまう。
「そう? ならいいんだけど……」
名雪は「おかしいな?」という表情をしながらも――あたしを気遣ってか、もうそれ以上は
聞かなかった。
――名雪、ごめんね。
「それにしても……名雪にそういう質問をされるなんてね」
少しばかりの後ろめたさも手伝ってか、茶化すようにして誤魔化してみる。
「悩み事なんて、何もなさそうな顔をしているのにね」
本気で思っているわけじゃないけれど、いつものポーカーフェイスに戻って、冗談めかして
からかってみる。
「ひどいよ〜。わたしにだって、悩み事くらいあるよ〜」
――それは初耳かも。
「どうせ、帰りに百花屋で何を食べようか……とかじゃないの?」
ついでにもうひとつからかってみる。――ちなみに名雪が百花屋で食べるものと言えば、
イチゴサンデーに決まっているから、メニュー選びでは悩まないことも知っている。悩むと
すれば、いくつ食べるかだけど……。
「そんなことないよ〜、重大な悩みだよ。これから神様にもお願いするんだから」
言ってしまってから、「あっ」という顔をする。
「それは是非、聞かせて欲しいわね」
すると途端に困った顔に変わる。
「――まあ、名雪が話したかったら……だけど」
あたしとしても、別に本気で聞きたかったわけじゃない。話をそらしたかっただけだから。
でも……。
隣を歩く名雪の姿が、後ろに流れる。
あたしが振り返ると――名雪は思いつめた表情で立ち止まっていた。
「…………」
無言で、視線だけがあたしを見つめ返す。
いつもの能天気そうな名雪ではなく――悩みを抱えて生きる、思春期の少女の顔。
少し儚げで……悲しそうで……でも、はっとするような美しさを秘めた表情。
あたしは――この子にこんな顔をさせてしまったことを、少しだけ悔やんだ。
不意に、名雪の顔にいつもの笑みが戻る。
「――実はね、わたし……会いたい人がいるんだよ」
意を決して――けれど、穏やかな表情で話し始める。
「会いたい人? あたしが知っている人かしら?」
「ううん、香里の……知らない人」
「……そう」
冗談めかして話を誘導したことを申し訳なく思う。けれど――悩みを話すことで楽になれる
こともある。名雪がそうしたいのなら、友達として真剣に聞いてあげたいと思う。
「わたし……その人のこと、ずっと好きだったんだ……」
名雪が好きだった男の子の話。名雪から直接聞かされるのは、これが初めてだった。
「でも……ちゃんと気持ちを伝えられないまま……会えなくなっちゃったんだよ……」
名雪は穏やかな笑顔を浮かべたまま――声だけが、僅かに震えていた。
「だからわたし……もう一度その子に会いたくて、毎年……神様にお願いしてるんだよ」
そこまで言って「わたし馬鹿だから」と微笑む名雪。
だけど……。
「――あれ? おかしいな……」
笑顔を浮かべながら――左手で目尻を擦る。
「えっと……。目にごみが入っちゃったよ〜」
泣いてしまったことを誤魔化そうとする。
「ごめんね、香里。変な話を聞かせて……」
本当は辛いくせに――笑顔でいようとする名雪を見ていると、あたしまで胸が痛くなる。
「そんなに……」
思わず口をついて出てしまう。
「そんなに辛いのなら……」
――そう。
「そんなに辛いのならば、忘れてしまえばいいんじゃないかしら? 初めから、そんな人とは
出会わなかったと思って……」
――それは、あたしが選んだ道。
「初めから、そんな人は居なかったんだって。そうすれば……」
そうすれば、楽になれる。
――本当に? 本当にそれで楽になれるの? ――それならば、どうして未だにこの胸が、
こんなにも痛むのだろう……。
「……ううん、わたしはそうは思わないよ。たとえどんなに辛いとしても――あの人との間の
思い出は、かけがえのない宝物だから。わたしはそれを忘れたくなんてないよ」
名雪は辛そうな――けれどきっぱりとした表情で否定する。
「でも……それで辛い思いをするくらいなら……」
――今のあたしがそうだから。
「きっと……忘れてしまう方が、目を背けてしまう方が、その何倍も辛いだろうと思うんだ」
そして――もう一度「わたし馬鹿だから」と呟く名雪。
その切ないまでの笑顔が眩しくて――だからあたしは名雪が好きなんだと思う。
――けれど、だからこそ――その笑顔がこの胸を刺して痛いんだ……。
それっきり、何となく黙り込んだまま――あたしたちはお参りを済ませた。
人ごみに揉まれているうちは気にならなかったけれど、喧騒が遠くへ去ってしまうと、何と
なく沈黙が重く感じられる。しかしそれは名雪の方も同じだったのだろう。
「……香里は、何をお願いしたの?」
名雪の方から「無難な」話題で話しかけてきた。
でもそれは――。
「……秘密」
いつもの口癖。
「ずるいよ〜。それに、何か気になるよ〜」
ちょっと拗ねた感じの表情で、不満を表明する名雪。
「秘密」
「う〜」
まだ少し不満そうだ。
「それに、願い事を迂闊に口にすると、叶うものも叶わなくなるでしょう?」
「それはそうだけど……」
名雪は残念そうな表情をしながらも、仕方ないね、という感じで引き下がった。
こんな他愛もないやり取りで、ようやくいつもの調子を取り戻した感じがする。
だけど――ごめんね名雪。
あたし、嘘をついた。だって……願い事なんて何もなかったもの。
振り返れば、いつもあの子の身体のことだけを願い続けてきた。あの子のことだけを考え、
思い悩み続けてきた。
だから……あの子を忘れることに決めた今のあたしにはもう……願う事などない。
仮に願い事があったとしても……ささやかでありふれた幸せですらもが叶わないないことを
知ってしまった今となっては、もう何も期待する気持ちにはなれなかった。
たったひとつ……願うとすればそれは……。
「あの子のことを、忘れられますように」
でもそれは――それだけは――願うことができなかった。
あの子のことを忘れようと決めたのに。こんなに辛い思いをするのなら、いなかったことに
してしまおうと思ったのに。だけど……それだけは願うことができなかった。
それが何故かはわからないけれど、あたしにはできなかった……。
「……香里。やっぱり……何か悩み事、ある?」
名雪の言葉で我に返る。
あたしはいつの間にか、立ち止まっていた。
「わたしで力になれるなら……」
またしても、名雪を心配させてしまったようだ。――あの子のことで悩むのは、もうやめに
しようって決めたばかりなのにね。
だから……今日何度目かの台詞を、心の中で繰り返す。
――ごめんね、名雪。そして……あたしの友達でいてくれて、ありがとう。
「それで、イチゴサンデーで手を打つ……かしら?」
だけど――あたしは素直じゃないから――こんな風にしか返せない。
「わ。香里、からかうなんてひどいよ〜。わたし、本気で心配しているのに〜」
「冗談よ。さっきも言った通り、悩み事なんてないわよ」
胸が痛い。でも――この想いだけは、誰にも話すことはできないから――。
「…………」
物言いたげな名雪の視線から、思わず目をそらす。
言葉とは裏腹な態度のあたし。けれど名雪は今度も、それっきり追及しなかった。
結局その後あたしたちは、また――黙り込んだまま、別れてしまった。
そう言えば、百花屋には寄らずじまいだった。名雪には後日、埋め合わせをしよう。
――次に名雪と会った時には、普段通りの自分でいられますように……。
To be continued ...
………………………… 戻る ……