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§ 1月5日


「あの子……遅いわね」
 名雪が待ち合わせの時間に遅れて来るのはいつものことだった。だからそのこと自体は特に
気にもならないし、気にしていたらあの子とは付き合えない。
 ただし今日は、ふたりで映画を見ることになっている。上演開始時間は決まっているから、
これ以上名雪が遅れるようだと、午後の回には間に合わなくなる。次の回まで待つとなると、
2時間近く時間を潰さなければならない。
「ほんとにもう、あの子ったら……」
 この時期にしては良いお天気だったが、肌寒いことには変わりない。
 少し冷たくなった手を擦り合わせるようにしながら、名雪が来るはずの方角を見つめる。
 名雪の姿は、まだ影すらも見えない。
 あたしはため息をつくと、もう一度ベンチに腰を下ろした。
(それにしても……誘っておいて遅れて来るなんて、あの子らしいわね)
 昨日の夜のことを思い出す。
 ――あの子は、名雪は、どうしてあたしを誘ったのだろう。


「はい、美坂ですけど――」
 この時間にかかってくる電話の大半は、あたし宛てだ。それも大抵は名雪から。
「あ……香里。わたしだよ〜」
 そしてあたしの予想通り、電話の向こうで名雪の声がした。
 ――でも。
「……どちら様ですか?」
 一応、お約束通りからかってみる。
「わ。香里、ひどいよ〜」
「…………。名雪からの電話なんて久しぶりだったから、一瞬誰からなのか判らなかったわ」
「久しぶりじゃないよ〜。大晦日にもかけたばかりだよ」
「そうだったかしら? でも去年のことだし、4日も前なら立派に久しぶりよ」
「…そうかな?」
「そういうものよ」
 根拠もなく言い切る。
 それで納得するとは思わないが、名雪の反応が面白いのでついこんな風に返してしまう。
「で……こんな時間に何の用かしら?」


 昨日の名雪の電話の用件は、「明日一緒に映画を見に行こう」というものだった。
 なんでも秋子さんから招待券をもらったとかで、冬休みや部活の関係から、空いている日が
他にないから……とのことだった。
 むろんあたしも特に用事はなかったから、名雪に付き合うことにした。
 最近は映画を見ることも少なかったし、気晴らしにも良いかもしれないと思ったからだ。
 ――それにどちらかというと、名雪にしては珍しく、誘い方が強引だったというのもある。
 暇だったとはいえ、最初のうちは気分的にあまり乗り気がしなかったのも事実だったから。
(そういえば、最後に映画を見たのは……いつだったかしら)
 ふと記憶を遡ってみる。
 あたしは映画館に足を運ぶことはあまりしなかったから、やはりいつだったか同じように、
名雪に誘われて一緒に映画を見に行ったのが最後だったかもしれない。
 どちらかというと――あたし自身は、映画を見るのは嫌いではない。むしろ好きな方に入る
だろうと思う。映画や小説のために費やす時間は、過ごし方としては悪くないと思っている。
 ただ……栞のことが、常にあたしの心の中にはあった。
 あの子は学校へ通うこともままならないほどに身体が弱かったから、遊びが目的で外出する
ことなど許されなかったし、実際問題としてそうしたくても不可能だった。
 だからあたし自身、友達と遊びに行くことも少なかった。栞の相手になってあげられるのは
あたししかいなかったから。そのことで付き合いが悪い子だと思われる時もあったけど……。
 だから映画を見る時も、映画館へ行くのではなくて、ビデオでレンタルされるまで我慢して
待ってから、栞と一緒に家で見ることがほとんどだった。
 お茶やお菓子を準備して、栞と一緒に映画を楽しむ時間。
 そんな時間の過ごし方が、些細だけれど幸せな時の流れのはずだった。
 ――けれど、今のあたしは……。


     §     §     §


「今日の映画、面白かったわね。名雪にしては良い選択だったと思うわ」
 あのあと必死に走ってきた名雪の努力が実って、何とか午後の回には間に合った。
 ――そして、その帰り道。
「というより、秋子さんのセンスが良かったと言うべきかしら? お礼を言っておいてね」
 ふたり遊んだあとの定番、百花屋へと向かう道すがらの会話。
「……香里、さっきから意地悪だよ……」
 名雪は先刻から、ことさらに不満を表明し続けている。
 そんな名雪の拗ねた様子は、あいかわらずおかしくて……。
「まあ……誘ってくれたのは名雪だしね。感謝しているわ。良い気分転換にもなったしね」
 あたし自身の言葉通り、映画はなかなかに面白かった。
 最近塞ぎ込むことの多かったあたしでも、嫌なことを忘れて楽しむことができた。
「映画も面白かったし、たまにはこういうのもいいわね」
「う〜。わたしも映画、最後まで観たかったよ〜」
 同じ不満を繰り返す名雪。
「わたし……この映画観るの、楽しみにしていたのに〜」
「あたしは悪くないわよ。あの大音響の中で熟睡するほうが凄いと思うけど」
 前に一緒に映画を見に来た時も、この子は途中から熟睡してしまった。どうやら周囲が暗く
なると、どうしても眠くなってしまうようだ。
 前の時は、あたしも最後まで気が付かなかったけど、今回は途中で一度、眠りかけた名雪に
声をかけてみた。でも……。
「起こしても無駄みたいだったし、あたしも話に集中したかったから」
 これは事実だ。
「それに――あんなに気持ち良さそうに眠られると、起こす方も気が引けるしね」
 これも素直な感想だ。
「……やっぱり今日の香里、少し意地悪だよ〜」
「そうかしら?」
 敢えて惚けてみる。これだからこの子はからかい甲斐があるというものだ。
「…………」
 無言で――しかし恨めしそうな視線で――あたしを見つめ返してくる。
 映画が見れなかったことを本気で残念がっている……というよりも、あたしにからかわれて
いることが不満な様子が見て取れた。
「仕方がないわね。――イチゴサンデー1つ」
「――え?」
 話が見えない、という感じで疑問の表情を浮かべる名雪。
「百花屋のイチゴサンデー1つって言ったのよ」
「それって、香里が奢ってくれるってこと?」
 途端に名雪の顔が綻ぶ。
 本当に、この子ってば単純なんだから……。
「そうよ。だからいい加減、機嫌を直しなさい」
「嬉しいよ〜」
「じゃあ……早く行きましょう」


     §     §     §


 映画を見に行っても、すぐに眠ってしまう名雪。
 そもそも、あたしと名雪が映画を見に行くこと自体、実のところ滅多にないことだった。
 だから――あたしは思う。
 この子があたしを映画に誘うのは、あたしが映画が好きだからなのかもしれない。
 ここ最近のあたしの様子を気にかけた名雪が、気晴らしのつもりであたしを誘ってくれたの
ではないかという気がする。
 思い返せば、以前に名雪に映画に誘われた時も、栞のことで塞ぎ込んでいた時だったような
気がする。
 あの時も今日と同じように、秋子さんから招待券をもらったという名目だったけど……。
 そのことを、あたしは思い出していた。
 もしかすると、招待券を秋子さんにもらったということ自体、名雪の作り話かもしれない。
 自分の苦手な映画にわざわざ誘ってまで、少しでも力になってあげたいと思う……。こんな
何気ない優しさが、名雪の良いところなのかもしれない。
 ――もっとも名雪のことだから、どこまで意識しての行動かはわからないけれど……。
 少なくとも、初詣の時のあたしの様子を気にかけて、今日の映画に誘ってくれたのは間違い
ないだろうと思う。
(ごめんね、名雪。心配かけて……)
 でも……こんな名雪だから……。
 こんな名雪だからこそ、あたしはこの子とずっと友達でいたいと思う。
 この子が友達でいてくれて、嬉しいと思う。
 ――だから。


(……ありがとう、名雪)

To be continued ...

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